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騎士とチョコレートムース

おまたせしました、ようやっとチョコムースです。

 人間、ストレスから解放されると気分がよくなるものだ。いくらか理不尽な終わり方ではあったものの、いまではこの現実に感謝している。


 騎士であるというのは何も騎士団に所属しているということではない。その生き方が、騎士を騎士たらしめている最たるものなのだと思う。


 そんなことを考えながら、その素敵なドアを開く。カランカラン、と実に心地の良い音に、うっとりするような甘い香り。


 あのむさくるしい騎士団にいたときはとても考えられなかった現実だ。


 マスターの作ったお菓子を食べる。それこそが、今の私の数少ない生きがいなのだ。


「やぁセインさん、いらっしゃい」


「あ、ぴかぴかの騎士様! 《スウィートドリームファクトリー》へようこそ!」


 いつもどおりにこやかに迎えてくれるシャリィとマスター。


 笑顔で迎えられることのなんと素晴らしいことか。あの職場では基本的にごろつき共の顔しか見られないし、最近では市民も騎士は仕事をして当たり前、といった顔しかしなかったからな。


 そのためだろうか、どうもマスターたちとはただの店主と客という関係以上の愛着のようなものがある。尤も、私がそう思っているだけかもしれないが。


 まぁとにかく、にこやかに迎えられたのだから、こちらもにこやかに行くべきだろう。ここしばらくは一切と言っていいほどのストレスを感じていないのだ。最高の笑顔をお見舞いしてやろうとした。


「邪魔するよ、マスター。そうそう今日はちょっとおすそわけが──」


 にっこりと笑って言葉をつづけようとしたとき、私は見てしまった。


 きれいな色どりの花で飾られている店内に、二人と一匹の先客がいた。一匹は見たところまだ若い草原狼(グラスウルフ)


 そいつは私の姿を見た途端に低く唸り声をあげて威嚇をしてきた。金の足輪を見る限り、これは獣使いの使い魔だということが分かる。


……問題は、そいつの主人とその連れのほうだ。暑そうな毛皮鎧をきた蜂蜜色の髪の獣使いに、民族衣装を纏った見惚れるほど美しい銀の髪のエルフ。忘れるはずがない。


「あのときの……」


「おや、交流会の時の騎士さんかな?」


「…………あいつ、か?」


 きまずい。非常にきまずい。マスターに向けた笑顔をぴしりと固まらせて私の目は泳ぐ。


 あの豚野郎(クズやろう)に言い寄られていたエルフは氷のようなまなざしで私を見下し、私が締めだした獣使いの使い魔は今にも私の喉笛を噛み切らんばかりだ。柵にいるから安全ではあるだろうが。


「エ、エルフのおねーさん? どうしました? お顔がすっごく恐いですよ?」


「…シャリィちゃん、今すぐそいつから離れろ」


グルゥゥゥ!


 おまけにエルフの彼女は短杖(ワンド)と短弓を取り出して、いつでも魔法の矢(マジックアロー)を撃てる態勢に入っている。構えから見てなかなかできる、と自然に思考がそれていく。


「あの、リュリュさん、あんまり店内で本気になられないでほしいのですが……」


「そうだよ。それに、この騎士さんも被害者だからね? ラズもそのへんにしときな」


 申し訳なさそうにマスターが私とエルフの間に入り、同時に獣使いが言葉で彼女をなだめにかかる。とりあえずはそれでエルフは武器を降ろしてくれた。


「…ミスティ、詳しく話せ。それとおまえ、いいというまでそこから動くな。…シャリィちゃんは危ないからこっちへおいで?」


「騎士様、いい人ですよ?」


「…あいつはあの(クズ)の手先だ。なにをされるかわからない」


 キッと私を睨みつけ一息でエルフは語る。わかっていた事ではあるが、彼女の私に対しての印象はよろしくないらしい。


 思い返してみると、彼女から見れば恩人を問答無用で締めだした張本人にほかならないのだ。友好的にしろという方がムリだろう。おまけに、あの時の私は形式的とはいえあのおぞましい(クズ)の部下だ。


「あいつは悪い奴ではないはずだよ。あれは命令でいやいやながらやったんだ。私にすまないって言ってくれたし、あのあと抗議文を古都議会に送って騎士をクビになったって聞いた」


「…………」


「信じてくれとはいわない。仲良くしてくれとも言わない。ただ、せめて殺気は消してくれないだろうか。見ての通り、今の私はただのしがない冒険者さ」


「…動いてもいい」


 ふぅ。ようやくエルフは殺気を消してくれた。あいかわらずシャリィをこちらに近付けないよう抱きかかえているが、私はそんなに信用がないだろうか?


「セインさん……大変だったんですね。そんなことがあったんですか」


「なに、気にすることでもないさ。そうじゃなきゃここには来れなかったんだし」


 王都から左遷され、クズ野郎の手先になり、その後クビになって無職……ではないが冒険者。


 自分で振り返ってみてなんだが、あまり自分を擁護できそうにない遍歴だ。左遷とクビを喰らった騎士なんて私くらいなものではないだろうか?


「……今日は、ちょっといつもよりもいいのをお出ししますね」


 なにやら温かな目でマスターは四角い箱をきりきりと回し、そのまま奥へと引っ込んでいく。いつもより笑顔が眩しかったのは気のせいであってほしい。


~♪


「どうやら騎士さんのおかげでお姉さんたちもいいのを食べられそうだね。あ、お姉さんはミスティっていうんだ。あっちのは相棒のラズ」


「私はセイン。知っての通り元騎士の冒険者さ。あの職場から離れられて今は清々しているよ」


 心地の良いメロディ。たまに聞くことがあったが、けっこう久しぶりだ。


 ミスティの方は初めてらしく、驚いて音はどこから来ているのかと耳を傾けている。驚いた様子もないエルフは聞いたことがあるのだろう。結構な常連なのかもしれない。


「リュリュもいつまでもむくれてないで自己紹介しなきゃ。お姉さん怒るぞ?」


「…リュリュ。エルフ。冒険者。得物は弓と杖。魔法もできる」


 なんともまぁそっけない。いかん、なんだか泣きたくなってきた。


「それより騎士様、おすそわけって?」


 リュリュの膝に抱かれたままシャリィが聞いてくる。この子は店員のはずなのに、この様子だとまるで姉妹のようだ。エルフ──リュリュの方もまんざらでもないらしい。


「あ、ああ。先日、レイクとエリオとハンナと一緒に奇蜂(ファニーホーネット)を狩ってきたんだ。そこであいつの蜂蜜がたっぷりと採れてね」


~♪


 先日、ちょうど一緒に冒険に行く予定だったとのことでエリオ、ハンナの修行を兼ねてファニーホーネットの討伐依頼を受けた。


 こいつは奇妙で見つけづらい形の巣を作る蜂で、縄張りに入るとどこからともなく表れて敵を刺すという旅人泣かせの魔虫だ。


 レイクがいち早く巣を見つけ、私が囮となって仕留めた。最初こそハンナの剣もエリオの矢も当たらなかったが、レイクの合わせ方がうまかったのだろう、そのうち攻撃が当たるようになり、新人二人は十分に経験を積んでいった。修行としてなかなか悪くなかったと思う。


 背嚢をあさり、水袋を取り出す。そこそこの大きさがあるが、この中全部が《奇蜂蜜(ファニーハニー)》だ。


 ファニーホーネットの巣は変な形であることが多いため、ここまで大量の《奇蜂蜜》が取れるのは稀なことだと聞く。


「すごいね、これ全部がそうか」


「…レイクの友人か」


 どうやらリュリュはレイクとは知り合いらしい。私に対する警戒度が一段下がったようだ。今度あいつになにか奢ってやろうと心に決める。


「ちょっと味見してもいいですか?」


「ああ、もちろん。お嬢様方もどうぞ」


 ちらちらとそれをうかがっていたリュリュだが、どうやら誘惑には勝てなかったらしい。まっさきに飛びついたシャリィから口に入れてもらい、なんともおいしそうに表情を綻ばせていた。


クゥ~ン


「ラズもこっちにおいで」


 私への威嚇はどうしたのやら、《奇蜂蜜》を出した瞬間に切なそうに鳴いていたラズ。ミスティは自分の手に蜂蜜を垂らすと、そのままラズの鼻面へと差し出した。


「食べてもいいものなのかね、その子も」


「なんだかよくいわれるんだけどね、ラズは魔物だから何食べても平気なんだよね」


~♪


「とってもおいしいですねぇ……」


「…そうだな。これほどまでのは結構珍しい」


「今度狩りに行くかい? ラズのおやつにちょうどいいし」


「…いいな。…セイン、場所は?」


「古都の南門から歩きで二時間、川沿いの森付近だな」


 なんとか私に対する警戒を解くことができたらしい。まだまだ表情はぎこちないし、口数も少ないけれど普通に話すことができる。やはり蜂蜜、というか甘いものは偉大だ。これさえあればどんな困難にも立ち向かえるのではなかろうか。







~♪~♪~♪♪~──......


「はい、お待たせしました。《チョコレートムース》になります。ほら、シャリィもおりなさい。毎回すいませんね、リュリュさん」


 なんだかんだと話していると、マスターが何やらよい香りをするものを持ってきてくれた。甘い香りではあるのだが、どこか香ばしいような、苦いような、そんな香りだ。


 “ぐりよっと”のときの、“ちょこれーと”の香りだろう。あの特徴的な香りは簡単に忘れられるはずがない。


アォン!


「ミスティさん、本当にラズは食べても大丈夫なんですか? これ、犬は食べちゃいけないはずなんですけど」


「マスターもしつこいなぁ。ラズは魔物だから、大丈夫なんだよ。犬と一緒にしてもらうとちょっとお姉さん困っちゃうね。こいつ、一応は狼なんだしさ」


 なんてことを話しながらことりとマスターはそのやや小さめの器を私達の前に置く。


 うん、形は“こんぽーとぜりー”とそっくりだ。ただ、これは透明じゃなくて全体的に茶色い。


 もちろんこれは“ちょこれーと”の茶色だろう。あのときのよりかは柔らかい色合いをしている。


 見た目は柔らかそう──といっても、“すぽんじ”の類のものではなく、どちらかというと“くりーむ”の類の柔らかさだ。


 さらに、その本体であろう部分の上に、大粒の青いブルーベリーと赤いラズベリー、それに真っ白の“くりーむ”が乗っている。


 華やかさ、という観点でみれば“こんぽーとぜりー”に軍配があがるかもしれないが、こちらはシックな大人の魅力があった。


「…華やかなのもいいが、こういうのもいいな」


「すごいね、こんなのお姉さん初めて見たよ」


 ここまでくれば、やることなど一つだけだ。添えられたスプーンを手にとり、期待と確信をもって、それの表面を浅く、広めに掬う。思った通り、滑らかにそれは削られ、蟲惑的な茶色が私を惑わすかのように煌めいた。


 その誘い、乗ってやろうじゃないか。


「──っ!」


とろける。


あまい。


ちょっとにがい。


いいかおり。


すばらしいふうみ。


かんぺきだ。


どこをどうとってもかんぺきだ!


「うまい……!」


アォ──ン……


「それはよかった」


 切なげに鳴く草原狼の声が、やけに遠くに聞こえた気がした。


 この“ちょこれーとむーす”、ものすごい滑らかさだ。みためこそ“ぜりー”に似ていたものの、その実態はまるで違う。


 これは……“くりーむ”を固めたもの、だろうか? 舌の上でとろけるこの感覚は、それと非常によく似ている。


 “ちょこれーと”の味が、その感覚をさらにすばらしいものへと押し上げている。甘く、じらすようにとろける様は、どうにも癖になる。


 簡潔にまとめるならば、“くりーむ”と“ちょこれーと”を混ぜて“ぜりー”のように固めた、といったところだろうか?


「いいね。あっという間に口の中でとけちゃうよ」


 ぺろりと舌をなめながら獰猛な笑みを浮かべてミスティが呟く。確かにこれはどれだけ口の中へと運んでも、次の瞬間には甘い濁流となって氾濫をおこす。もう少し長くとどまってほしいという思いと共に、このまま思うように喰らい尽くしたいという思いがせめぎ合い、私の考えを鈍らせる。こんなのずるいだろう。


 これと上に乗っているブルーベリー、ラズベリーを一緒に食べたときの感激と言ったらもう言葉に言い表せないほどに最高だ。


 “ちょこれーと”特有の大人な、ビターだがとろけるような甘さと、二つのベリーの甘酸っぱさが見事に相まって、なんとも言えない甘さ、苦さ、酸っぱさの三重奏が奏でられる。惜しむらくは、このベリーは少ししか乗っていないことだろうか。


「…おいしい。それに中にも果物が入っている。でも、味は濃いし普通のとちょっと違う?」


「あ、これはドライフルーツって言って、果物を乾燥させたものなんですよ!」


 その言葉に驚き、私は急いでスプーンで魅惑の塊を掘り進める。私の奴の中にはそんなの入っていなかったからだ。


「表面じゃなくて、ちょっと深めのところに入っているんですよ」


「そ、そうなのか」


 焦る私をみて、にこにこと笑いながらマスターが教えてくれた。どうやらこれは表面から食べていくものではないらしい。


 なんとなくゼリーの時は上から食べていっていたので、ついそのときのままに食べていたのがいけなかった。見れば、ミスティもリュリュも普通に深く掬って食べている。


 私もそれに倣い、すっとスプーンを入れて掬う。と、そのとき手ごたえにかすかな違和を感じた。手ごたえが、中ほどで一瞬軽くなったのだ。


「これは……中にも“くりーむ”が仕込んであるのか!」


 どうやらこれは間に“くりーむ”をいれた三層構造になっているらしい。あきらかに“こんぽーとぜりー”よりも手間がかかっている。見つめるその刹那も惜しく私はそれを口に入れる。


「おお……!」


 白と茶。二つの異種の滑らかさが私の心をときほぐさんばかりだ。


 “ちょこれーと”特有の香ばしさと“くりーむ”の甘さが溶けあい、甘美な囁きとなって私の頭をぐらつかせた。


 だが、だ。まだ果物を見つけていない。今度こそ。


「……こいつか」


 二度目。かたい手ごたえ。


 ついに、見つけた。


「!!」


「騎士様も、さっきから忙しいね?」


アォン!


 すごい、なんだこれは。オレンジ……なのだろう、これは。


 ただ、普通のオレンジではない。いや、多分大本は普通のオレンジなんだろう。ただ、香るそれと風味、そこに関わる味が全然違う。これは、もしかして──?


「は、蜂蜜と、アルコール、なの、か?」


「さすがセインさん。正解です。ちょっと加えて味わいを豊かにしてみました」


 元々のオレンジが持つさわやかさが“ちょこれーと”の甘さ、苦さをより深く引き立ててくれる。しっかりとそれを噛みしめると、凝縮された甘味と旨みが口の中にあふれ出るんだ。


 なんで、どうしてこんなことが可能なのか。ビターな甘味が広がる中でこんなことをしたら、どんな悪人だって顔をほころばせるに決まっている!


 果物、蜂蜜、“ちょこれーと”。三重奏は一つだけじゃなかったのだ!


 そして、気づいた。気づいてしまったら、どうしてもやりたくなってしまった。


「……マスター」


「どうしました?」


「君を、一人の友人として、お願いしたいことがある」


 こいつは、絶対にうまい。そして、それをさらにうまくできるかもしれない方法があるのだとしたら?


 男なら、いやそうでなくとも、やるに決まっている。


「これは《奇蜂蜜》という蜂蜜だ。こいつをうまく使ってこれにかければ、もっとおいしくなるのではないか?」


「あ、いいアイデアですね、それ! マスター、やりましょうよ!」


「いいんですか、使っても?」


「もとより、渡すつもりで持ってきたものだ。遠慮なくやってくれ!」


 私がそう言うと、マスターは水袋の口を開け、中身を軽く手の甲に垂らしてぺろりと舐める。ぴく、とまゆが動いたのを私は見逃さなかった。


「……ちょっと待っててください」


「この蜂蜜、いつも使っているのと味がちょっと違いますからね。あたしの感覚だとあっちの蜂蜜よりもこれにはあうはずですよ!」


「…そうなのか?」


 リュリュの言葉にシャリィは大きくうなずく。まかりなりにもプロ(?)に太鼓判を押してもらって私も悪い気がしない。


 それを存分に楽しめるように、一度手を休める。シャリィ以外は皆手を止めた。シャリィはきっと食べ放題なのだから、止める必要もないのだろう。


「おまたせしました。これでちょっと整えてみましょう」


 マスターが持ってきたのはここでよくつかわれている透明な不思議な容器と、底の深めの小鉢。透明な容器には柔らかい香りのする酒が入っていた。


 そして小鉢に《奇蜂蜜》とその酒を入れ、軽く混ぜ合わせる。小鉢の中にはすりつぶしてある果物が入っていたようだ。


「……よし、こんなもんかな?」


 できあがったそれをちょっと多めに手の甲に垂らし、マスターはぺろりと舐めて味を確認する。そして満足そうにうなずくと、にこにこと笑いながらそれを私達の方へと渡してきた。


「セインさん、ありがとうございます。この《ハニーソース》すっごくいいですよ!」


「…セイン、はやく、はやく」


「リュリュ、落ち着きなよ」


アォン!


 少し手を振るわせながら、私は目の前で作られたこの──“はにーそーす”を“ちょこれーとむーす”にかける。


 もう、我慢できない。金色の輝くそれがたっぷりかかったところを大きく掬うと、口の中に全神経を集中させた。


「…いい。すごくいい!」


「すごいね! もっとおいしくなったよ!」


 彼女たちの声なんて聞こえていないようなものだった。上には上がある、とはまさにこのことだろう。


 なに、基本的な味は変わっていない。だというのに、全てがそのままの完璧なバランスを保って一段階、いやさらに上のランクになっている。


 いい。すごく、すごくいい。心が酔うとはまさにこのことだ。


 ただの酒では決して届かない、いい意味での酩酊感が私を襲う。全てを投げ出して踊りだしたい気分だった。


 だが──


「なくなって、しまったか」


 そう、もう、ない。


 ゆっくり食べたつもりだったのに、もうないのだ。


 思い返してみれば、“はにーそーす”を使った時にはもう半分以上食べていたような気がする。こんなことなら、最初からマスターに《奇蜂蜜》を渡しておけばよかった。


「どうしましょう、《ハニーソース》ちょっと残っちゃいましたね」


「食べきらないとまずいだろうか?」


「うーん、一応そのほうがいいかも?」


「舐める、リュリュ?」


「……や、やりた……やっぱりいい。はしたない」


アォン!


「じゃ、ラズにあげちゃってもいいかな?」


 ちょっと惜しい気もしなくもないが、考えてみればこの草原狼は何も食べていない。それはいささか可哀そうだろう。それに人間、欲張るのはよくないことだ。


「じゃ、マスターお願いできる? そのほうがラズも喜ぶんだよね。手につけて、舐めさせてやってくれないかな? そうじゃないとこいつ、うまく食べられないんだよね」


「それくらいならいいですよ」


 マスターが“はにーそーす”を手の甲に垂らすと嬉しそうにラズが近寄り、鼻息を荒くしてマスターの手にしゃぶりつく。


 マスターは生物に好かれやすいのかもしれない。結構くすぐったそうだ。ちょっと鼻息が強すぎる気がするが、もしかしてラズは発情期なのだろうか。


オン!


「ラズちゃん、うれしそうですねぇ」


「草原狼があんなにも尾っぽを振るなんてな。マスターに惚れてるかもしれないな」


「……否定が、できないんだよね」


「!?」


「うわぁっ!?」


 驚いたそのとときだった。勢いをつけてラズがマスターに飛びかかる。不意打ちに思わず尻もちをついたマスターに、ラズはしなだれかかるようにして覆いかぶささった。


ハッハッハッハッ!


「おい、マスター!?」


「…確定だな」


「あ、でもこれは大丈夫だね」


 慌てて引き離そうとする私をミスティは引きとめる。どうしてだ、と私が聞く前に、ラズがふにゃりと横たわった。クゥン、クゥンと切なげに鳴いて潤んだ目でどこかを見つめている。


「発情の兆候じゃないのか?」


「いや、こいつのはただ酒に酔っただけだよ。こいつ、アルコールとかすっごく弱いんだよね。だからさ、使い魔も連れていける酒場とか入れないんだ」


 そういえば、“はにーそーす”にはアルコールが入っている。そんなに強くない酒のようだったし、量もそんなに入っていなかったのだが、弱い者にはそれでも駄目だったのだろう。


「わ、マスター見てください! ふかふかですよ、ふかふか!」


 そのさわり心地が気にいったのか、シャリィはラズをきゅっと抱きしめ頬ずりなんてしている。もちろんラズは力が入らないのかなされるがままだ。


「び、びっくりしたぁ」


「あーごめんね、マスター。お酒はいっているの忘れていたんだ。もう一品頼むから許してほしいな」


「いえ、お構いなく。僕は大丈夫ですから」


「ま、どのみちラズが戻るまで帰れないんだけどね!」


「じゃ、あたしそれまでラズちゃん抱きしめててもいいですか!?」


「いいよ、好きなだけ抱きしめちゃえ」


 わーい、といってシャリィはまた抱きしめた。


 もふもふ、ふかふか、もふもふ、ふかふか。実に心地よさそうだ。


「どうしたね、大きな音出して。なんかあったかね?」


「……爺! 会いたかったぞ」


「おや、夜行さんじゃないか!」


「……ああ、そういうこと。ユメヒトは座ってな。私がなにかもってくから」


 音を聞きつけた夜行さんが一目で状況を理解し、にっこりと笑って再び奥へと消える。本当は彼とも話したかったのだが、彼がお菓子を持ってきたときでいいだろう。どうせ、私もしばらくここにいるつもりなんだし。


「そうだマスター、こないだの“ふれんちとーすと”の件なのだが、いつものパンがあれですごく食べやすく、甘くうまくなったんだ!」


「こっちのでもいけたのですか。それはよかった」


「…セイン、その話くわしく」


「お姉さんにも教えてくれないかな?」





 出会いこそよくはなかったものの、私達はこうして話すことができる。その点に関してだけはあのクズ野郎に感謝しなくもない。甘さも、ビターな苦みがあってこそ引き立つものだ。相反するものでさえ、ただ無駄にそこにあるわけじゃない。


 和やかな談笑。優雅に流れる時間。


 視界の端で緑の人形を、まふまふもふもふすりすりしているお嬢さん。ぎゅっと抱きしめ、子供特有のとびきりの笑顔で笑っている。世の中が、この喫茶店のようにすごしやすければどんなにいいことか。





 もしかしたら私は、お菓子を食べにここに来るのではなく、この空気に触れにここに来ているのかもしれない。そう気づいてしまうほどに、ここすごす時間は素晴らしいものなんだ。





20150425 文法、形式を含めた改稿。


魔物食材使っちゃった。


ちなみに、魔物と魔獣には明確な区別がありますが、

このセカイの人たちはあまり気にせずひっくるめて個人の感覚で呼び分けています。学者さん達の中でも本来の意味で明確に区別できているのはあまりいない……という設定です。

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