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学者とナポリタン

お料理シリーズ第二弾。

喫茶店っていえばやっぱりこれだよね。

 なぜ君は生きているのか。


 そう聞かれたのなら、僕はまず間違いなく学ぶためだと答えるだろう。学ぶということはつまり己の認識を深めるということであり、それすなわち自らの世界観を広げ、より充実した考え方を身につけられるからだと信じているからだ。


 充実した考え方を持つということはつまり、より豊富な選択肢を持つということであり、同時にその選択肢すら創造できるということである。


 自らに無限の可能性を付与する。学ぶとはつまりはそういうことだ。


 さて、そんな無限の可能性を身につけたのなら、後は好きにしてもいいと思う。それこそ、生きたいように生きればいい。剣の道に行ってもいいし、田舎で農業でもやるのもいいかもしれない。……あの不思議な喫茶店について調べつくすというのも捨てがたい。


 ともかく、だからこそ僕は学ぶ。生きたいように生きるために学ぶ。学ぶために生きて、生きるために学ぶ。学ぶということと生きるということは同一なことなのだろう。


 僕がすごい学者だからこのような素晴らしすぎる考えができるのか、それともこの考えそのものがすごすぎるのかはわからないが、これはどんな人間にでも当てはまる事象だと僕は考える。


 考えない、学ばない人間なんてただのバカだ。魔物だってもう少しまともな脳みそをしている。


 ただまぁ──



「おやおや、その程度で終わりなのかねェ?」


「くそっ! もう一回だじいさんッ!」


 スキンヘッドの大柄な拳闘士が僕の目の前で何度も投げ飛ばされる。あいつは学んでいるのかいないのか、どちらかはわからないがただ一概にバカと切り捨てるには惜しいくらいのなにかを持っていた。









「あら、初めての方ですか? ようこそ、《スウィートドリームファクトリー》へ! ……えへへ、実は一回言ってみたかったんです!」


「アミルさん、それ僕の台詞……」


「マスター、とうとう魔法使いのおねーさんにまで盗られちゃいましたね。あとこのすごい学者のおにーさんは常連さんですよ」


 シャリィはちゃんと僕が「すごい」学者であることを学んだようだ。


 さて、いつも通り僕はここで研究をする予定だった。若干面倒臭いと思いつつも一人で森を抜け、“くっきーばらえてぃ”のデザインの解析もあらかた終わったことだから、魔法陣の試し打ちをして微調整をしようと思っていたんだ。


 なのに、なのに……!


「くらいやがれっ!」


「威力もいい、速さも上々。……だけどそれだけじゃあダメだねェ」


 ぶおん、と唸りをあげる拳をたまに見かけるばあさ……じゃない、爺さんが軽く体を捻ってかわしていた。と、同時に懐に潜り込んで伸ばしきったその腕を引っつかみ、足払いをしてよろめいたところを投げ飛ばす。


 きれいに宙を舞ったその巨体が地面に叩きつけられると同時に、高いところから分厚い本を落としたかのような重音が耳に届く。爺さんの纏った白い奇妙な衣服がはためいたのが印象的だ。


 ここまでほとんど一瞬。僕ほどの優れた観察眼を持った奴じゃないと何があったのかわかりはしないだろう。


 ……正直なところ、僕もどうしてあれだけの動作であの爺さんがあのでっかいのを投げ飛ばすことができたのかよくわからない。まだ、この僕が見落としていることがあるとでもいうのだろうか?


 とにかく、なんだか裏手の方が騒がしいと思って見にきたら既にこの状態だった。いつからここは修練場になったのか。こんなにうるさくては僕の研究に支障がでるじゃないか!


「すいませんね、うるさくしちゃって。一応このテラスも利用できるのですが、中にします?」


「……いや、ここでいい。今日は試し打ちをしようとしていたところなんだ」


 あらためてぐるりとこの場を見渡す。


 なるほど、なかなかこじゃれた木製のテーブルセットに、前方を流れる川のせせらぎ。そしてやはり見たこともない、どこか荘厳ななにかを感じる不思議な果樹。木漏れ日がきらきらと舞い降りて、とても居心地がいい。ここで食べるお菓子というのもまた情緒があるというものだろう。


「ほれ、足元がお留守だねェ」


「マジかよぉっ!」


 だすん!


 ……この暑苦しい音さえなければ最高だな。


「むきむきのおじさん、がんばりますねぇ」


「体は大丈夫なんでしょうか? もうかなり投げられているような……?」


「意外と大丈夫っぽいぞ。うまい人がやるとほとんどダメージは入らないみたいだ。バルダスも受け身はきちんととっているし」


 この場にいるのは僕、ベージュのローブを着た金髪の女魔法使い、そして大きな剣を持った茶髪の女戦士にマスターと給仕の女の子だ。


 この様子を見る限り、彼女らも常連なんだろう。今まで見たことはなかったが、レイクだったかエリオだったかから少し聞いたことがある。


「おい……ええとシャリィ。なんであの拳闘士はあの爺さんと戦っている? そもそもなぜあの爺さんは戦えるんだ?」


 適当な椅子に座り、魔本の適当な頁を開く。お、思っていたよりも適当に開いたときの感触がいいな。この順番に配置した僕のセンスはやっぱり素晴らしすぎるようだ。


「ええと、話せば長くなるんですけど、秘伝の体術の継承ですよ」


「……なんだって?」


 秘伝といったか? いま、秘伝といったのか?


 あの、門外不出の秘伝なのか? 知るべきものにしか教えられない、あの、秘伝なのか?


「柔道っていうらしんですよ、あの体術。私も今度マスターから合気道っていう秘伝を教えてもらうんですよ!」


「本当に対処のしようがないからなぁ、あれ。私が拳闘士だったらあれを使えたのだろうか?」


 この女達は何を言っている? 秘伝だぞ秘伝! それの継承だぞ!


 いやまて、そもそもシャリィに分子運動論を教えたのはあの爺さんのはずだ。武術の秘伝に知識の秘法……あの爺さんは文武を極めたとでも言うのか!?


「でもって、今日が初稽古です。道着の採寸も終わりましたし、軽く手合わせしているですよ! 本格的なお稽古は道着が出来てからなんですけどね。

 あと、ただやるだけだとつまらないから、負けた方は相手のどんなお願いも聞くって条件付きなんです!」


「そうか。だからあれほど必死なんだな」


 たしかに鬼気迫る目つきであのでっかいのは爺さんに飛びかかっている。……今もまた投げ飛ばされていたが。


「わかっていた事ではあるが、これは爺さんの圧勝だな」


「そうですね。完全にペースを取られています」


「いやいや、まだわかりませんよ? このまま続けば爺さんの体力がなくなるのが先かもしれません。こないだの麦の収穫でちょっと腰が痛くなったっていってましたし」


「うんにゃ、まだまだ余裕さねェ? 童歌わらべうたでも歌えそうだよ? ああ、ユメヒト。そろそろ昼食の支度をしといてくれんかね?」


「余裕じゃねえか爺さん!」


「実際余裕だからねェ?」


 あの爺さん、こっちの話を聞く余裕があったと来たもんだ。あのでっかいの、完全に頭に血を登らせているな。


 しかし……


「あのでっかいの、まだ気付かないのか?」


「え?」


「おにーさん、なにかわかったんですか」


 愚問だな。なぜこうも簡単なことに気付かないのか。いや、もしかしてここの連中は最初から見ていたからなのか?


 もしかして、それすら見越してのことだったのか? あの爺さん、やっぱり僕並みに知恵が回るみたいだ。


 しょうがないからこの僕があのでっかいのに助け舟でもだしてやろう。


「おいでっかいの! この僕、アルバートが助言してやる! その耳かっぽじってよく聞け! さっきから安い挑発に乗って動きが単調になっているぞ!」


「マジかよ……!」


「エ、エリィ、気づきました?」


「い、いや……」


 やっぱりそうだ。あの爺さん、きっとちょっとずつばれない程度に、不信を抱かせない程度にでっかいのを挑発して冷静な判断を出来ないようにしていたらしい。周りまで騙すとは大したもんだ。


「ありゃりゃ、ばれちまったかね」


 にこにこと笑いながら爺さんが頭をかく。対照的にでっかいのはぽかんと口を開けて爺さんを見ていた。


「いいかね、バルダス。本来なら柔道はこんなことはしないんだよ。これの本質は、己の精神を鍛えることだからねェ。

 だが、おまえさんが望んだのは敵を倒す力だ。これは分類としては柔術に求められるものなんだよ。だから、敵を倒す──柔術にはめやすくするために挑発したんだ」


 一瞬、きっと顔を引き締めて爺さんは続けた。


「柔術の教え、というか心構えの一つだ。よく聞きなさい。『どんな時でも常に冷静に、周りをよく見ること』。曇りのない鏡のように、静かにただそこにある水のように、穏やかで澄み切った心を保ちなさい。こいつを難しい言葉で《明鏡止水》っていうんだ」


「《明鏡止水》……」


「もちろん、それだけじゃあだめだ。このセカイに倫理や道徳を重んじてくれる敵なんてほとんどいない。やるんだったら全力で、それこそどんな手を使ってでも、だねェ」


「……」


 悔しいが、なんかそれっぽい。


 含蓄? いや年の功か? 僕が同じことを言ったとしても、同じだけの威厳は出せないだろう。


「さて、じゃ、続きと行くよ。ユメヒトが昼食を作るまでに、一本くらい入れてみせな」


「……もう安い挑発にゃ、のらねぇぞ?」


「そうそう、その意気さ」


 にこり、と爺さんが笑って構えを取る。にやり、とでっかいのが悪魔のような笑みを浮かべて──





 ヤ・ッ・チ・マ・エ





 さっそく『どんな手を使ってでも』を学んだでっかいのが口パクで爺さんの後ろの僕たちにアイコンタクトと合わせて伝える。


「《プロト:クッキーシリーズ第二章……」


 そう言うことなら大歓迎だ。ちょうどいい実験にもなるしな!


「もらったぁ!」


「恨んでくれるな!」


「ごめんなさい!」


 僕が魔本に魔力を送ると同時に魔法使いが杖を振り、戦士が剣を持って飛びかかった。爺さんが振り向いたときにはもう、でっかいのも地面を蹴り、拳、剣、魔法の挟み撃ちが決まろうとしていた。










「お待たせしました、《ナポリタン》でございま……す?」


「ああ、いい匂いだねェ。そこらへんに置いといてくれ」


「はいはい、おじさんたち、ごはんですよー?」


「くそ……!」


 ジンジンと痛む体を無理やりに起こして椅子に座る。他の連中も同様だ。若干女の方に手心が加えられているのは気のせいだろうか?


「なにやったんです、じいさん?」


「なに、ちょっとした稽古さ」


「……じいじ、真剣勝負だと、一切手加減しませんもんね」


 おかしいだろう、なぜ不意打ちで挟み撃ちにされたのにあの爺さんはピンピンしているんだ!?


「剣を避け、拳も避け、魔法も避けて一人ずつ確実に、ですかぁ……!」


「じいさん、本当は人じゃないだろう……っ! なんなんだ《真剣白刃取り》って……! 私の大剣をああして受け止められたのなんて初めてだっ!」


「おじさんの玉砕覚悟のはがいじめも逆に盾にされる始末ですし」


「《全頁解放(リベルカタストロフィ)》までやったんだぞ!? 正直この僕にもどうなるかわからないレベルの攻撃をしたんだぞ!? それを周囲の被害を一切なく封じただと!?」


 悔しい。悔しい。悔しい悔しい悔しい! なんだこの感情は! 学で負ける以外にどうしてこんな気持ちになるんだ!


「お~それよかはやくメシにしようぜ! もう腹へってたまんねぇや!」


 おまけにこのでっかいの、もうすでに回復している。体が丈夫だとしても早すぎるだろう。しかももう昼食のことしか考えていない。


「はは、そう言うだろうと思って多めに作っておきましたよ」




 さて、体も少し落ち着いてきたところで先ほどから気になっている、妙に食欲をそそる香りを発しているものを見てみる。


 何本もの細い糸状のそれが赤く染め上げられ、ところどころにごろっとした、おそらくは煮込まれたのであろうトマトが転がっている。


 豪快に、されど華麗に盛り付けられたその真上には彩りだろうか、細長く切られた緑の…ピーマンらしきものが入っていた。そして、黄色のような白のような不思議な粉が全体にまんべんなくかかっている。


 赤、白、緑。色合いは実に美しい。


 それに見合った香り、誰もを満足させるようなボリューム。軽すぎず、重すぎるようにも見えない。


 昼食という観点で見ても、このチョイスはなかなかに素晴らしいものだとは思う。それはそうなのだが、こいつはきっと──


「あ、パスタですね!」


「おや、パスタはこちらにもあるんですか?」


「はい、でもさすがにこんなに豪勢じゃないですけど……。この“なぽりたん”というのは初めて見ます!」


 そう、たしかにこれはパスタの類だ。今まではまるで見たことも聞いたこともないようなものばかり食べてきただけに、少し落胆してしまう自分がいたのはある意味しょうがないことと言えなくもない。


 だがまぁ、普通のパスタはこんなにも色鮮やかでこんなにも食欲をそそる香りはしていない。


 なんだろう、本当に、認めたくはないが理性を吹っ飛ばしてしまいそうな、そんな酷く攻撃的な、それでいて焦がれるような香りだ。


 ふむ、フォークがある以上、食べ方は普通のパスタと同じなのだろう。だがしかし、ここで出たという以上、これが普通のパスタと同じであるはずがない。お菓子以外が出てきたのは初めてとはいえ、その期待を裏切るはずがない。


 さっそくフォークでその誘惑の赤い糸を絡め取り、眼前に持ってくる。全く不思議なことだが、それが早く口に入れてといわんばかりに身をよじらせたように感じられた。





 次の瞬間に広がる、濃厚なトマトの香り。


 じゅわっとした、なにやらえもいわれぬ素晴らしいなにか。


 つるんとした舌触りは、そのまま何にも邪魔されることなく、それがいくべき場所へと落ちて──いや、導かれていく。


うまい。


うまい。


 この瞬間、全てを忘れてしまいそうになるほど──


「うまい!」


「それはよかった」


 にこにこと笑ったマスターが、まるで神秘の化身のように見えた。




 突然だが、僕はそんなにパスタの類は好きではない。


 ゆで加減が悪くてべちょべちょしているととても食べられたものではないし、硬すぎるのもまた同様だ。味だって薄いのと濃すぎるのとの両極端で、だったらパンとシチューを食べていたほうが経済的だと思っていた。


 そう、思っていた。“いた”、つまりは過去形だ。


 この“なぽりたん”のゆで加減はまさに絶妙で、柔らかすぎず、硬すぎず、理想的なうねりを持って僕の口を泳いでいく。


 その時にふりまかれる最たるものがこの豊穣の恵みがはちきれんばかりに詰まったのであろうトマトだ。


 そんじょそこらのものとは比べ物にならない、確かな風味としっかりした酸味、それにちょっと隠れる甘味のバランスは何物にも代え難い。


「このピーマンが、全体をいい感じにまとめてますね!」


「あ、やっぱり入れたほうがおいしいですか……?」


「どうしました?」


「いえ、なんでも」


 なんだか妙にマスターの歯切れが悪いが、ともかくこのピーマンについては同意見だ。


 トマトに比べれば若干味は劣るが、それでも古都で栽培されたのであろう、きつすぎない、不快ではない苦味はやや甘めともとれる“なぽりたん”のなかで一際輝き、味に面白い変化をつけている。


 それだけじゃない。パスタ、トマトの柔らかさの中に独立して存在するやや硬めのピーマンは、食感にも変化をつけているんだ。ときおり口の中で聞こえるしゃくっという音はその証だ。


 ……きっとこのピーマンは、ガッコウの友達から貰ったものではないのだろう。なんとなくだが、僕の勘だ。そして僕の勘はよく当たる。


「この……腸詰ウィンナーもいいのを使っているな! 血生臭さがないどころか、すっごくジューシーだ!」


 口の端を赤いので汚した女戦士が叫ぶ。たしかに、この腸詰はそれだけでもイケる。プリッとしたその身はフォークで刺すと小気味の良い感触と共に肉汁を噴き出し、“なぽりたん”にさらなる旨みを与えてくれる。


 口の中に入ったあとも、ちょっと下品だがしばらくそのままに転がすと何とも言えない幸福感に包まれる。妙に大きめに切ってあるあたり、マスターはそのへんが分かっているのだろう。


 最後に奥歯でしっかりと噛みしめる瞬間なんて、肉汁が思い切り口の中にあふれ出て、歓喜で頭がしびれそうになる。


「すっげぇうめえ! 手がとまんねぇ!」


 手が止まらない。単純明快にしてこの場に存在している真理。


 でっかいのの言葉に心の中で相槌を打ちながら僕は考える。もちろん考えている間も手は止まらない。


 この、病みつきになる濃厚な味の元はなんだ?


 トマトではない。かといってパスタでもない。ピーマンでも腸詰でもないだろう。


 他に入っているのはなんだ?


 玉ねぎが入っているのはわかる。甘さとちょっとしたアクセントがあるから。

でも、それだけじゃ説明がつかない。この食欲を刺激する香りの正体もわからない。


 ああもう、どうして僕はすごい学者なのにわからないことだらけなんだ!


「おにーさん、わからないことは素直に聞けばいいんですよ」


「それもそうだねェ」


 いつの間にやら隣で“なぽりたん”を食べていたシャリィと爺さん。どうやらこれは彼らの昼食も兼ねているらしかった。


 なぜかよくわからない細い二つの棒で器用に“なぽりたん”を食べる爺さんと、個人用のだろう、なんだか妙にファンシーな見た目の短めのフォークで食べるシャリィは、とても幸せそうな表情で白い粉を──


「おい、なんだそれ!」


「これ、《粉チーズ》っていうんですよ! おにーさんもかけます?」


 差し出された半透明な不思議な壺を、半ばひったくるようにして受け取り、スプーンで“なぽりたん”にかける。


 たっぷりと白い粉がかかったそれを口に含んだ瞬間、僕の天才的な頭脳はそれこそが病みつきになる濃厚な風味の原因だということを理解してしまった。


「こいつが……!」


「なぁ、オレにもつかわせてくれよ、ええと……」


「アルバート様だ、特別にアルでいい。喜べ、でっかいの」


「……ちみっこ、こいつなんなんだ?」


「奇妙な学者さんですよ。レイクさんともお友達です」


 チーズか。これがチーズなのか。


 言われてみれば確かにチーズっぽい気がする。僕の舌もチーズだと言っている。だが、こんなににも白くてこんなににも柔らかな感触のチーズが存在するのか?


「すごいですね! もっとおいしくなった気がします!」


「はは、お好みで振り分けるんですよ。結構好みの味は違いますからね」


 そのシステムを考えたやつ、見所がある。なんと合理的で的確なのだろう。


 確かに最初からふんだんにかけられてしまっていてはせっかくの“なぽりたん”が台無しになってしまうだろうな。


「他にもオリーブオイルを使ったり、隠し味程度にガーリックなんかを混ぜたりしてますね。最近暑いですし、食欲が出るような工夫もしているんですよ」


 なるほど、異常なまでに刺激される食欲にはそういうわけがあったのか。



 フォークでそれを絡め取り、口いっぱいに広がる味を楽しみ、ごくりと飲み込むその瞬間をも楽しむ。そして再びフォークでそれを絡め取る。今度は具材も一緒に。


 ただそれだけの反復行動だというのに、言葉では言い表せないほどの幸せを感じるのはなぜだろう。


 しかし、だ。


「食べ終わってしまったぞ、マスター」


 皿はわずかに赤い軌跡を残しているほか、他には何もない。こんな理不尽な話があってたまるか。僕はもっとたべたい。


 食べ終わってしまったものはしょうがないが……おっと、この軌跡も魔法陣に使えるかもな。少し修正して乱れをきれいにしてやればいけそうな気がする。


 いけない、話がずれた。


 いろいろあったが、この“なぽりたん”を食べられただけでも今日は大満足だ。

早めに帰ってゆっくりしよう。


 ……正直、爺さんにやられたところがまだちょっと痛む。一日ゆっくり休んで、次こそ完璧に不意を打てるように特訓をしなくては。


 そう、思った時だった。


「マスター、あたし、おかわり!」


「お、おかわり……だと!?」


 口の端を赤いので汚したシャリィが元気よく手をあげる。


 迂闊だった! なんて僕はバカなんだ! 食べ終わったからって、それで終わりとは限らないじゃないか! 危うく、己の手で自らの命を断つところだった!


「はいはい、その前に口を拭こうね」


「ほれ、シャリィ、こっちむきなさい」


 爺さんがどこからか出した布でシャリィに口を拭いてやっている。こうして見ると、あれが龍のように強い爺さんとはとても思えない。


「ちみっこはまだまだだなぁ」


「いやいや、ああいうのが可愛いんじゃないか」


「……二人とも、人のこと言えませんよ? おねーさんなんておじさんよりひどいですもん。

 まるで口から血が滴ってるみたいです。さっきじいじに襲いかかった時の表情でそれだと、あたしみたいなか弱い子泣きますよ?」


「んなっ!?」


 あの戦士、わざとじゃなかったのか。あからさますぎるだろうあれは。


「うう、みるな、見るなぁ……!」


 口の端と同じくらいに赤くなって戦士はうつむき、必死に口を拭う。見るなと言ったところでもう手遅れだろう。気付かなければまだ幸せだったのかもしれない。


 それをがはは、とでっかいのは笑い飛ばしているが、正直あいつもあの戦士くらいの恥じらいを持つべきだと思う。いつだってなんだって、豪快で気さく……といえば聞こえはいいが、大雑把なだけだ。


 男はああいうタイプの冒険者がけっこう多いんだよな。


「まともに食べてたのは僕と爺さんと魔法使いだけだな」


「あ、わたしはアミルっていいます。……それはそうと、マスターは食べないんですか?」


「あ、僕も食べていいんですか? 一応店主なんですけど……」


「もう、私とマスターの仲じゃないですか! いいに決まってますよ!」


「それじゃ、お言葉に甘えて。実は結構お腹すいているんです」


 そういっていそいそと店内へ入っていく。腹が減っていたというのは本当らしい。しばらくして、大きめのフライパンと共にマスターは戻ってきた。


「お待たせしました、僕がいつも食べる《ナポリタン》です……っていけない、つい癖で」


「わぁ」


 ちょっと悪戯っぽくマスターが笑う。パッと見たところでは特別先程のと違う様子はない。色合いは少し違うが、さっきのより若干赤みが強い……かな、と思うくらいだ。


 多めに作ってあったのはそれだけ腹が減っていたということ。このことから察するに、これは一度に大量に出来る簡単な料理なのではなかろうか。


「げ」


「いったでしょ、シャリィ。僕のだって」


 ああ、先ほどと違うところがある。


 緑だ。緑がピーマンじゃない。なんだ、あれは。


「あれ、グリンピースを見るのは初めてですか? こっちにもあるって聞いたんですけど……」


 女戦士──エリィは知っているようだった。


「古都の方ではあまり見かけないな。王都グラージャか、遊都マーパフォーあたりでよく見かけるよ」


 古都にはない作物か。僕は外にはあまり出ないし、知らなくてもしょうがない。

問題は、なぜシャリィがあんなゆがんだ顔をしているのかだ。


「どうしたんです、シャリィちゃん?」


「シャリィはこれが嫌いなんですよ。だからそっちのには入れなかったんです」


 好き嫌いは一つまで許される、というのがマスターの方針らしい。僕が小さい頃なんて、好き嫌いをしようものなら問答無用でぶん殴られたものだ。マスターは身内に甘いようだな。


「……お兄ちゃんだってピーマン嫌いなくせに」


「僕はもうほとんど大人だから好き嫌いをしてもいいんだよ」


「マスターってピーマン嫌いなんですか!?」


 なんだか妙にうれしそうにアミルが顔を輝かせていた。なんで人の嫌いなものを聞いて顔を輝かせるのだろうか?


「恥ずかしながらピーマンというか、苦いの全般ダメなんですよ」


「じゃあ、こないだのはっかっていうのももしかして……」


「ええ、妙に癖のある変な苦さです。でも僕はちゃんと食べましたからよ?

 僕が食べないのはピーマンだけです。そもそも自分の食べる料理には嫌いな物を入れませんから、残すことはないんですけどね!」


 胸を張って言うことなのだろうか、それは。爺さんがやれやれと苦笑いしている。


「それはそうとマスター、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけでいいからオレにもくわせてくれねぇか、それ」


「もちろん、皆さんの分もありますよ」


 器用に少しずつ、マスターはみんなの皿に“なぽりたん”を盛っていく。見た目より底が深いフライパンだったのか、マスターの分は十分に残っていた。


 マスターの体は結構細く見えるが、意外とよく食べる方らしい。想像以上にどかっと豪快に自分の皿に盛り付けている。


 その隣で、シャリィがグリンピースを爺さんの皿に移していた。フォークじゃやりにくいだろうに、随分と一生懸命だ。


 そして、今気付いたが、グリンピース以外にも違いはあった。


 腸詰だ。腸詰の代わりにベーコンが入っている。


 こいつは絶対うまいに違いない。これを見たら、なんだか際限なく食べられるような気がしてきた。


「あんまり量がなかったので最初のには入れませんでしたが、腸詰以外にベーコンを入れたりもするんですよ。 具材の選択は結構豊富なので、食材を知っていれば知っているほど、《ナポリタン》はいろんな姿になりますね」


 ピンときた。これは、僕の理想とする学びの考えそのものではなかろうか。


 知れば知るほど、選択は増える。学びの考えは料理にまで適用されるというのか!


「うっめぇ! こっちもすっげぇうっめぇ!」


「あうう、さっきの少なめにしておけばよかったぁ……!」


「今度旅先で珍しい食材でも買ってこようかな?」


 意外とみんなで食事をするというのも悪くない。独り静かに、というのも捨てがたいが、この独特な雰囲気の中でも学べることは無数にありそうだ。


「……ちょっと味付け失敗したかな?」


「これでか? この僕ですらおいしいと認めているのに?」


「僕の先輩にはもっと上手な人がいますよ。それに、野菜もなぁ……やっぱあいつが作ったやつじゃないとどうも調子が悪いや」


「ピーマンも、それなら食べられるんですか?」


「か、勘弁してくださいよアミルさん。僕、あいつが山のようになったピーマンいつもってくるかとひやひやしているんですから。時期的にはもうすぐ終わるはずなんですが、あいつに限って言えばそれすら安心できないんですよ。なんとかこのまま乗りきれないかって、毎日祈っているんですよ?」


「楠のおにーちゃん、まごころさえあれば何でもやりますからねぇ」


「私としてはあいつにおまえのピーマン嫌いを直してもらいたいところだがねェ」


 楽しい、和やかな時間が流れていた。本当に、本当に意外なことだが、僕は食べ終わる瞬間まで、自分の研究のことなんて頭の中からすっぽりと抜け落ちてしまっていたんだ。









「ところでだが、なんであの時おめぇらはオレの手助けしてくれたんだ?」


 帰り道、ふとでっかいのがそうつぶやいた。


 昼食後もみっちりしごかれていたが、結局一発も入れられていない。エリィは隅で素振りをした後爺さんと勝負をしていたし、アミルはマスターと飲み物を飲みながらにこやかに話していた。


 僕は……一頁ずつ魔法陣の確認作業だ。暴発したのは二つだけ。さすがは僕だ。


「あのじいさんは約束は絶対に守るタイプだからな。ああいった以上、例え乱入したとしても約束は守ると思ったんだ」


「僕はただ単に魔本の性能を試したかっただけだ。いくら爺さんとはいえ人一人におくれを取るようじゃまだ改良の余地があるな」


「あんな物騒な魔法を連発してまだやるのか……」


 確かに僕以外の人間から見ればすごいように見えるのは当然だが、あれではまだまだだ。確実に目的を果たせなければ意味はない。そういう意味では、爺さんはいい練習相手になったと思う。


「んで、勝ったら何をお願いしようとしたんだ?」


「あの時は何も考えていなかったが……あの爺さんを僕専属の助手にしたかったかな」


「今の願いはあの《枇杷の木刀》を譲ってもらうことかな。あの丈夫さと美しさは反則だろう。……最初の願いは違ったが」


 午後にバルダスと同じ条件でエリィと勝負した爺さんは木刀とやらを持ち出していた。体術だけじゃなく剣術もできるらしい。おまけにめちゃくちゃ強いときたものだ。


 本人もさることながら、あの木刀もなかなかのものだった。木製なのに、あの大剣と打ちあっても折れるどころが曲がりすらしない。しかも、その《枇杷の木刀》も爺さん本人が自ら作り上げたものらしい。まだいくつか予備があるらしいので、今度研究用に貸してもらおう。


「ん? 最初?」


「可愛い友人の背中を押したかったのさ」


「ちょ、エリィぃ……!」


 アミルがなにやら赤い顔でうつむいていた。熱でもあるのだろうか?


「……ははーん、アミルのお願いの手伝いってか?」


「ま、そんなところだ」


「なぁ、アミルのお願いってなんなんだ?」


 びくり、と体をすくませたアミルは、か細い声を出しながらも言った。ぼそぼそと口の中で呟いていて酷く聞き取りにくい。ムリして言う必要もないとも思ったのだが、この僕が聞いているのだから答えるのは当然だろう。


「マ……と……ぇト……ること、です」


「よく聞こえん、はっきり言え。この僕が聞いているんだぞ」


「アル、おめぇは人の心を学ぶ必要がありそうだな」


 呆れた顔ででっかいのがいう。そんな人に言えないようなお願いなのだろうか?


 ……まさか、犯罪なのか!?


「もう一度言う。これが最後だ。何のお願いをしようとした?」


 なかなか見所のあるやつだと思っていたが、だからこそ、ここでこの僕が止めないといけないだろう。それくらいの良識は僕は持っている。だというのに。


「うわぁぁぁぁん!」


「あ」


「やっちまったな、おまえ」


「……ちょっと覚悟はできているか?」


 走り去るベージュのローブ。そこに残っていたのは鬼の形相をした女戦士。


 なにがなんだかよくわからなかったが、やってはいけないことをやってしまったのだけは理解した。












 後日、何がいけなかったのかを知るためにこの話を爺さんにしたところ、問答無用で座禅とやらをさせられた。にこにこ笑いながらも目が笑っていなかった爺さんをみて、僕はまだまだ未熟者で学ぶべきことなどたくさんあるということを痛感させられた。


 真っ先に学ばなくてはいけないのは、魔法陣なんかよりも人の心のようだった。









20150425 文法、形式を含めた改稿。


上品なのもいいけれど、どかっと豪快に盛られているのが好き。

大きめの具材をたっぷり入れるのがマスターのこだわり。

自分が食べるのにはピーマンじゃなくてグリンピースを使う。

だってピーマンって苦くておいしくないんだもの。彩としてはいいけれど。


個人的にはベーコンよりもウィンナー、グリンピースよりもピーマン、

それでもってトマトの形が残っていてケチャップがいっぱい使われているのが好き。オリーブオイルとか使って少し黄色くなってるのもいいけれど、やっぱり真っ赤になったナポリタンが一番好き。


でも、目玉焼きを乗せるのはちょっと邪道だと思うんだ。



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