戦士とザラ玉
今回いつもとちょっとちがう。
苦手な人は注意。たぶん問題ないと思うけど。
私はよく旅をする。拠点こそ古都ジシャンマであるものの、王都グラージャ、魔都シャンミュージ、遊都マーパフォー等、一通りの場所は廻ったことがある。
なぜ旅をするのか、私自身もわからない。だが、たまに無性に古都から出たくなるんだ。
遺跡と植物で構成された古都も素晴らしいが、石畳とレンガで構成された王都グラージャ、奇妙な外観の魔都シャンミュージ、煌びやかな遊都マーパフォーもなかなかいいところだと思う。
そんなところを見て回って、そして帰ってきたときのほっとする気持ちも格別だ。矛盾しているかもしれないが、なんだかんだで古都は落ちつく。このほっとする瞬間を楽しむために、私は旅をしているのかもしれない。
ただ、最近はそんなに旅に出ることもなかった。というのも、親友から素晴らしい場所を紹介されたからだ。
あれを知ってしまったことで、今回の旅はなかなか苦痛だった。パサパサの携帯食はもちろん、旅先での特産品もイマイチ満足できなかった。
「ふぅ、もうそろそろだな」
旅の戦利品を持って私はいつもの森を進む。相変わらず魔獣の気配があちこちに感じられるが、私の実力を悟っているのか、手を出してくるようなことはない。
この時間なら、アミルもいることだろう。久しぶりのあの場所。今日はいつも以上にゆっくりしていこう。
「邪魔するぞ、マスター」
カランカランと涼やかで心地よいベルの音が響く。ああ、ようやく私は帰ってきたんだ。
「いらっしゃい、エリィさん。おひさしぶりですね」
「戦士のおねーさん! 《スウィートドリームファクトリー》へようこそ!」
「おかえりなさい、エリィ!」
ああ、やっぱりここはいいな。仄かな甘い香り、店内の明るい雰囲気。可愛いシャリィちゃんに、にこにこ笑っているマスター。思った通り、アミルもいた。今日はいつも以上に、帰ってきたときの喜びが大きい。
「エリィじゃないか。そういや最近見かけなかったな」
「あん? ああ、いつぞやの戦士の女か」
緑灰の髪の“影の英雄”こと盗賊のレイク。
スキンヘッドの大柄な拳闘士のバルダス。
二人揃ってしゅわしゅわとしている飲み物を飲んでいた。バルダスは黄色いの、レイクは“くりーむそーだ”だ。
……あの黄色いの、まだ飲んでないな。あとでマスターに頼むとしよう。
「ちょっと旅に出ていてな。今回は王都の近くまでいったんだ。そうだ、マスターたちにはお土産があるぞ」
背中の荷袋を床に降ろす。紐を緩めて手を突っ込み、中からそれを取り出した。
ぶにょんとした感触。素手でも問題ないとはいえ、気持ち悪い。毒々しい赤く大きな笠。直径はシャリィちゃんの顔くらいはある。そのうらにびっしりとついた、白い胞球。現地で見つけたとき、これだ! と頭にびびっときたものだ。
「これは甘夢茸という、砂糖がとれる化け茸だ」
柄の部分は切り取ってあり、赤い笠が白い胞球を乗せる皿に見えなくもない。
マスターは興味深そうに、シャリィちゃんは若干驚いた顔をして見ている。ここらへんには出ない魔物だし、そもそもマスターたち一般人はそんなに魔物を見る機会もないのだから無理もない。
「スウィートドリーム……か。そういやここと一緒だな。しっかし聞いたことはあったが、 こんなにデカいとは思わんかったな」
「おっさんは知ってるのか? 俺は聞いたこともねぇや」
「レイクさん、このキノコの胞球には砂糖か胞子が詰まっているんです。胞球を破いて砂糖だったら甘ぁい報酬、胞子だったら幻覚症状。弱い魔物ですけど、なかなか厄介なんですよ」
アミルが得意げにレイクに甘夢茸の説明をする。どうもこの茸は定期的に大量発生するらしく、たまたま通りがかったところで駆除を依頼されたんだ。
報酬に少し貰うという条件で依頼を受けたが、なかなか面白いやつだった。なんとこのキノコ、ぴょこぴょこ跳ねるんだ。ヘタに切ると胞子撒き散らすし。
「マスター、ここでは砂糖をよく使うんだろう? こいつ、使えないか?」
「はは、その、気持ちは嬉しいのですが、どうやって調理すればいいのやら……」
申し訳なさそうに笑うマスター。しかし、私とてそれくらいは想定内だ。マスターはあくまで一般人。甘夢茸から砂糖を取り出す方法なんて知っているはずがない。
「大丈夫、私が知っている。胞子のほうは業者に取り除いてもらったしな」
「そうですか。では、教えてもらえますか?」
そういってにこにこと笑うマスター。外で調理することを告げるとカウンターから出てくる。興味を持ったのかレイクたちも一緒だ。
このときの私は、あんなことになるなんてこれっぽっちも思っていなかったんだ。
「がぁっ!」
私たちの目の前で、バルダスが逆さまになった。もちろん、文字どおりの意味でだ。
あの大きな体なのに、頭が下に、足が上に来ている。そしてそのまま地面に叩きつけられた。
「ぐぁっ!」
鼻面を殴られたゴブリンのような声を出すバルダス。痛そうに顔をゆがめつつも、意識は失っていない。
と、バルダスの反対方向からレイクがそれに飛びかかる。さすがは本職の盗賊というべきか、気配をほとんど感じさせない見事な不意打ちだった。しかし。
「マジかよ!」
それがレイクを体を入れ替えるようにして避けたかと思った瞬間、レイクは吹っ飛ばされていた。なにがなんだか、わからない。
「くっそ……!」
「レイク、おめぇ、まだへばるにゃ早ぇぞ!」
「わかってらぁ!」
それでもレイクとバルダスは立ち上がる。もう、油断はしていない。やると決めた、冒険者の目だった。
「ど、どうしましょう……?」
「落ちついて、シャリィちゃん。私たちが何とかしますから」
アミルと私はシャリィちゃんをかばうようにしてそれ──マスターの前に立つ。今のマスターは正気を保っていない。唸るように吠え、止めようとするレイクたちを不思議な体術で迎え撃っている。
今もまたレイクがマスターに飛びかかった。しかし、マスターがレイクの腕をつかんだ瞬間、魔法でもかかったかのようにレイクは投げ飛ばされる。自分でわざと飛んでいるようにも見えた。
力づくでバルダスがマスターを止めようとするも、逆にマスターがバルダスに掴みかかり、体をバルダスに押し付ける。そして一瞬の後、きれいにバルダスは宙を舞っていた。
「どうなってるんだ……!?」
投げ飛ばしたのだとはわかるのだが、あの大柄なバルダスを、一般人の、それも見るからに細身のマスターが投げ飛ばせるはずはない。甘夢茸には凶暴化の作用もあったのか?
「アレには幻覚作用しかないはずですよ!?」
そう、今のマスターには甘夢茸の幻覚作用が働いている。あの茸に、一つだけ胞子の球が混じっていたのだ。
マスターがナイフを入れた瞬間、それはポンと弾けた。弾ける瞬間にとっさにマスターが私を突き飛ばしたのだが、しっかりと胞子を吸ってしまったマスターは錯乱状態になった。一般人だから冒険者で簡単に止められると思ったのだが、見ての通りこのザマだ。不思議な体術を使うマスターにまともに対抗出来てない。
「マスターがあんなに強かっただなんて……」
「お、おにいちゃん、合気道も柔道もやっているんです!」
おろおろとしながらもシャリィちゃんは私たちに教えてくれる。だがあいにく、聞いたこともないものだった。
くそっ、知っているものならば少しは対応できたのに!
「がふっ!」
「げぁっ!」
バルダスが投げ飛ばされて立てなくなる。レイクは関節を極められた。
いくら見たことのない体術とはいえ、そこそこの実力はあるはずの冒険者を一般人が迎え撃ったとは。それも二対一でだ。こんなところでもマスターには驚かされる。
もう、私たちしかいない。
「ごめんなさい、マスター」
アミルが杖を振るう。それに合わせてマスターの足もとの草が伸び、マスターに絡みつく。
アミルの十八番の植物魔法だ。
アミルの魔力で強化された草は、いくらマスターがもがいたところで切れることはない。足から順に、体をなめるように草は這っていく。
太もも、腰、腹。それから胸を縛り、肩に伝って指の一本一本に絡みつき、締め上げていく。締め付けられていないのは首くらいだ。
一級冒険者のアミルの魔法を生身の冒険者でもない人間がどうこうできるはずはない。魔物でさえ引きちぎることができるものは少ないのだ。
きつく、きつく、草はマスターを締め上げていく。
魔物ならばこのくらいで足をもつれさせて転ぶのだが、マスターはバランス感覚がいいのか未だにもがき続けている。とっくにレイクは解放されていたが、動けないようだ。この隙に、私がマスターの意識を刈り取ればおしまいだろう。
「すまないな、マスター」
一瞬で終わらせよう。せめて痛くないように。そう思っていたら。
「がぁぁぁぁぁぁっ!」
「あっ……」
「おねーさん!」
締め付ける草の痛みが限界に来たのだろう。マスターが悲鳴を上げた。そして、それを聞いたアミルは、思わず魔法を解いてしまった。
「……」
自由になったマスターと目が合う。ああ、やっぱり正気の眼じゃない。
彼我の距離、二歩。私の手元に剣はない。アミルを責めるのは、間違いというものだろう。
迫るマスターの腕。思っていた以上に速い。
「くぅっ!?」
掴まれた瞬間には腕を変な方向へ曲げられ、自然と体が傾く。密着したマスターに腰を乗せられ、前に転ぶ感覚。
天地が逆さになる特有の浮遊感。
私の目には空を背景に森の木々の葉っぱ、そしてマスターのエプロンの端が映っていた。最後の瞬間、足を刈られたのだけはかろうじてわかった。
「がっ!」
「エリィ!」
「おねーさん!」
背中から突きあげるような衝撃。肺の中の空気が強制的に排出され、喋ることができない。思った以上の衝撃だったのは、私の気のせいか、それとも事実か。想定外の感覚で、受け身を取ることもできなかった。
痛む体に顔をしかめながらも、レイクとバルダスをちょっと見直す。あいつら、これだけの衝撃をあんなに受けても立ち上がっていたのか。
「……!」
倒れた私を無視し、マスターは次の獲物としてアミル達を定めたようだ。あわててアミルが杖を振るおうとするも、今からじゃ間に合わない。
ましてやアミルは魔法使いだ。私たちのように打たれづよいわけでもない。マスターが飛びかかる瞬間、アミルがシャリィちゃんを背後にかばったのが見えた。
そして。
「そこまでだ。いいかげんにしないかね」
マスターの拳を受け止めた、黒い服を纏ったじいさんが、一瞬でマスターの懐に潜り込んでいた。
思わず見ほれるような体捌き。
そのまま芸術のような動きでマスターを投げ飛ばし、マスターの意識を刈りとった。
「痛たた……」
「修行が足りないねェ」
喫茶店 《スウィートドリームファクトリー》の中。私たちは机を端に寄せて各々の治療をしている。
私は軽症だが、レイクやバルダスの怪我が結構酷い。いろんなところが腫れたり痣になっていたりする。骨が折れていないことは幸いだった。
……じいさんが来てくれていなかったら、どうなっていたのだろう。
「すみません、みなさん。僕のせいで……」
「マスターが気にすることじゃないって。事故はしょうがねぇよ」
「そうだ。それに私が悪いようなものだ」
シャリィちゃんがレイクを引っぺがして“びわようしゅ”を塗っている。思えば、あいつはこれが二回目だな。さっきからアルコールとすーっとした香りでいっぱいだ。
「ひぃっ! シャリィ、もう少し優しくやってくれよ」
「愛情たっぷりですよ。それに後がつかえてますし」
ぺしぺし、とぬって包帯でぐるぐる。応急処置だから、こんなものだろう。
「おねーさんは……さすがにここでは脱げませんよね」
「ま、まぁな。それに私は擦り傷程度だ」
本当はちょっと背中が痛い。でも、この事態は私のせいでもあるし薬をぬるほどでもない。
私の言葉を聞いて、シャリィちゃんはほっと表情を緩めるとバルダスの上着を引っぺがす。……なんか、引っぺがすのに手慣れてないか?
「おじさんのお背中は広いですねぇ。それに、筋肉が岩のようにかちかちです」
「ちみっこからみりゃなんだって広いだろうよ。しっかし、マスターの体術、ありゃなんだ?」
「あれは柔道と合気道だねェ。空手もちぃっと入ってるかね?」
「記憶が飛んでるのでなんとも……」
楽な姿勢で床に座っているマスターが応える。シャリィちゃんが薬の塗っているバルダスの背中はごつい。この立派な筋肉の塊を投げ飛ばすなんて、いったいどんな体術なんだろうか。
「むぅ、ちょっと時間かかりますね、これ。おねーさん、マスターの治療お願いできますか?」
「はい、任せてください!」
マスターの怪我もなかなか酷い。というかこの中では一番ひどい。レイクとバルダスは、ただではやられなかったからだ。
その上アミルの魔法を生身で喰らっているのだ。全身を締め付けられた痛みで、ろくに動くこともできはしないだろう。意外なことに最後のじいさんの一撃ではほとんどダメージを受けていないようだった。
「や、僕は自分でできますから……」
「ダメですよ、けが人はムリしちゃ」
動けないマスターを無視して、アミルはゆっくりとマスターの背後に回る。エプロンの結び目をしゅるしゅるとほどき、布ずれの音を立ててそれを引っぺがす。背中が土で汚れた真っ白のシャツを脱がそうとし、ボタンをはずさないと脱げないことに気付く。
「ちょ、ちょっと失礼しますね……」
ゆっくり、丁寧に一つずつ。前かがみになったアミルの金髪が、マスターの顔をくすぐりそうだった。
なんだか頬を赤くして、マスターはもじもじして目をそらす。やっぱり恥ずかしいのだろう。私が男でもあの反応をするはずだ。
「きゃっ」
ボタンを全て外し、白いシャツを剥いだアミル。その下にあった細くはあるが鍛えられた体を見て顔を真っ赤にしていた。
マスターは着やせするタイプらしい。見た目こそひょろひょろしているものの、しっかりした体つきだった。筋肉の質はバルダスと違う、しなやかなもののようだ。
全体が赤くはれているのが痛ましい。アミルが縛ったところがくっきりと出ているじゃないか。
「あいつ、俺やおっさんの裸みても平然としてたのに、マスターのには反応するんだな」
「そりゃそうだろ。拳闘士はもともと結構肌を見せているし、お前にゃそうなるだけの理由も魅力もねぇ」
「さりげにひどいなおっさん」
「あたしはおにーさんの事好きですよ? 十年後、いい人いなかったら貰ってくださいね!」
「……なんか、ありがとう。でもそれ、絶対リュリュにはいうなよ」
顔を赤くしながらもアミルは“びわようしゅ”をマスターに塗っていく。いやに丁寧に、優しく撫でるように。冒険者にしては細くてきれいな指がマスターの背中をさすっていた。上から下へ。何度も、じらすように、独特のうねりを伴って。
「なんだか見てるこっちが恥ずかしいんだが……」
「エリィさん、僕はその数倍は恥ずかしいですよ……」
「そ、そういえばマスターって強かったんですね! 私、びっくりしちゃいましたよ!」
露骨に話題を変えるアミル。ただまぁ、私もそのことは非常に気になっていた。
「あれは体術なのか? それとも魔法なのか?」
「体術ですよ。その気になればシャリィがバルダスさんを投げ飛ばすことも理論上は可能です」
「誰でもできるのか、あれ。拳闘士としてぜひ覚えたいんだが」
「僕は人に教えるのはちょっと……。じいさんなら大丈夫ですよ。僕もほとんどじいさんから教わりましたし」
「そういやじーさんもすごかったもんな。なんてーの? 老練? とにかく技のキレが半端なかった」
「あの人はなんでもこなしますからね。僕が十人いてもあの人には勝てませんよ」
あのじいさん、そんなにすごいのか。剣さえあれば勝てるとは思うが、どうも自分が勝てるところを想像できない。あの物優しいじいさんがあの時放った言葉にも、すごい迫力があったしな。
「参考までに、投げ飛ばす技が柔道で、関節を極めたり合わせて投げるのが合気道です。合気道は護身術として女性がやることも多いんですよ」
「なら私も覚えてみたいですね。やっぱり前衛なしでも動けないと魔法使いはダメですし」
「対人用なので魔物には効かないと思いますよ?」
「それでもできるのとできないのとでは違いますよ」
「そんなものですか」
「そうですよ」
和気あいあいと話すマスターとアミル。どうでもいいが、もう治療は終わっているよな? なぜにいつまでもアミルは“びわようしゅ”をマスターに塗り続けているのだろう。
背中も肩も腕も腹も胸も、もう何度も塗られ続けててかてかしている。しかもさっきよりくっついているし。
抱きしめるように覆いかぶさっていて、密着……とまではいかないが、何も知らずにこれをみたらぎょっとする光景だ。
マスター以外、みんなが気が付いている。誰も何とも云わないのは、空気を読んでいるからか。
こいつ、もしかしなくても──
「はいよ、おまたせ。《ザラ玉》だ」
いつの間にか席をはずしていたじいさんが、なにやら小鉢を持ってきていた。マスターたちのことも気になるが、とりあえず小鉢の中身を見る。
そこにあったのは指で軽くつまめるくらいの球。赤、黄、白、オレンジ等、色鮮やかな球がいくつもある。透き通ってこそいないものの優しい色合いで、見ていてワクワクした。
「せっかく砂糖を貰ったんだし、たまにはこういうのもいいだろう?」
「これは……なんだ? 魔石に見えなくもないが……」
「こいつは《飴》さね。まぁこっちにゃ見かけないもんだけど」
じいさんから白っぽい“ざらだま”を手渡される。なるほど、確かに表面はザラザラしている。ざらついた球だから“ざらだま”というわけだ。
しかし、これ、食べるにしても硬すぎはしないか?
今まで食べてきたものはだいたいふわふわしていて柔らかいものだったが、これはちょっと力を入れてつまんだくらいではびくともしないくらい硬い。そんなに甘い香りもしないし、食べ物というよりは装飾品という言葉の方がしっくりくる。
「食えばわかるんじゃねぇの? じーさん、俺もその白いの!」
レイクが自由なほうの手でじいさんから“ざらだま”を受け取る。そのまま何のためらいもなく口に放り込んだ。そして勢いよく噛みしめようとして──
がちっ!
「かってぇ!」
「はは、レイクさん、それは噛むんじゃなくてなめるものなんですよ」
にこにこと笑いながらマスターが教えてくれる。もうちょっと早く言ってくれよ、と呟きながらもレイクはうれしそうにそれを口の中で転がしているようだった。
どれ、私も。
まぁるいそれを目の前まで持ってくる。そのまま口の中へと放り込む。
次の瞬間に感じたのは。
仄かな甘味。
和やかな風味。
ころころとした、愛おしくさえある感覚。
ああ、やっぱりここはいつもこうだ。
文句なしに──
「──うん、うまい!」
「そいつぁよかった」
マスターを投げたときとは全然違う、優しい声音でじいさんが笑った。
この“ざらだま”、いいかんじに甘い。砂糖の甘味が優しく、それでいてしっかりと主張してくる。ただ砂糖をなめただけではこうはならないだろう。
加えて色ごとに味が決まっているのか、私のからはレモンの味がした。優しくふわっと包み込むようなレモンの香りと、レモン特有の甘酸っぱさが一瞬で口の中に広がる。
なめているときの舌触りも面白い。最初は見た目通りざらざらしていたのだが、ころころと口の中を転がすにつれてどんどん滑らかに、つるつるになっていく。どうも表面のざらざらが溶けているようだった。
それに、口の中で転がすと歯に当たってからころと音を立てる。軽くて乾いた、楽器のような音だ。赤ん坊をあやすガラガラの音に似てなくもない。
「いつ食べてもおしいですよね、これ。それに見てください、こんなにきれいになるんですよ」
シャリィちゃんがもごもごと口を動かしてぴっと舌を出す。やや小さくなった“ざらだま”がその上に乗っていた。
シャリィちゃんが食べていたのは赤いやつのようだったが、舌の上に乗っていたのは宝石と見間違えそうなほどきれいに輝いていた。濁った赤色が、透き通った赤になっている。
「きれいだけどさ、それ、おまえのよだれじゃねぇの?」
「おにーさん、デリカシーないですね。まぁ、ちょっとはそれもあるかもしれませんが……」
私も口を動かして舌の上にのせてみる。そのままくっと口の外に出し、色を確認した。
むぅ、白だと色の違いがあまりわからないな。ちょっと残念だ。
「このオレンジ色のはオレンジ味ですね!」
「できればみかん味って言ってほしいねェ」
「えと、私、なんか間違えました?」
「うんにゃ、気分の問題さ」
ころころ、もごもご。
少しずつ小さくはなっているものの“ざらだま”はなかなかなくならない。かなり長いとこ楽しめそうだ。
甘い味を楽しむという幸せがこんなに長く続くだなんて、どうしてなかなか、すごいものだ。
「お? なんか口ン中がざらついてきた?」
「ああ、ずっとかたっぽのほっぺに入れとくとそうなりますよね。あたし、なんとなくそれが好きなんです」
子供のように片方の頬を膨らませてバルダスが呟いたのを聞き、シャリィちゃんが受け答える。すごいな、これは口の中までざらつかせるのか。
たしかにずっと片頬に入れておくとそこだけ妙に張り付いて独特な感じにかさつき、そこだけちょっと甘くなる。
「じいさん、僕にも」
「はいよ、口開けな」
動けないマスターの口にじいさんが“ざらだま”を放り込む。ちょっとアミルが複雑そうな顔をして見ているが、気付かないふりをしてやるのがオトナってものだろう。シャリィちゃんがにやにやしているほかは、誰もあえて見ないふりをしていた。
「……はっかじゃないですか」
「うまいじゃないか、はっかも」
しかめっつらをしてマスターがじいさんに抗議する。どうやらマスターは“はっか”味が好きではないらしい。初めて聞くが、いったいどんな味なのだろう?
……それにしても、マスターのしかめっつらなんて初めて見たな。
ころころ、もごもご
がりっ、ごりっ!
「じーさん、次赤いの!」
「はいな」
レイクの奴、小さくなったことをいいことにかみ砕いたようだ。暗黙の了解として噛んではいけないものだと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。私も負けてはいられない。
ごくん
「じいさん、私も赤いのを!」
「はいな。いっぱいあるからわざわざ焦んなくてもいいさね」
ちょっとムリして飲み込んだのは、しっかりばれていた。恥ずかしさをごまかすように慌てて赤いのを口に入れる。
……ふむ、これはイチゴ味だな。レモンとは違う溺れるような甘さがいい。
イチゴの香りも優しく鼻に抜けて、でも、本物のイチゴじゃなくて。イチゴの味とイチゴ味ははっきりと違う。でも、それでもイチゴ味は素晴らしいものだ。
「すげぇな。味のバリエーションはどんだけあんだ?」
「やりやすいのとやりにくいものもあるけど、基本的に果物だったらだいたいいけるねェ」
そういってじいさんはバルダスにイチゴ味とはちょっと違う赤の“ざらだま”を渡す。慌てて口の中の“ざらだま”をかみ砕いたバルダスは、それを口の中に放り込んだ。
「……おお、さくらんぼじゃねぇか!」
「他にもぶどうやりんごを使うこともあるさね。それに果物以外の味も作れるんだよ。……私はあまり作らないがね」
果物以外、となると何だろうか。甘いもの……なんてそうそうないし、もしかして肉や魚、野菜の味だろうか。
……自分で考えておいてなんだが、それはないな。
「それにしても、嵩張らないしおいしいし、旅のお供にぴったりだな。じいさん、後で少し持ち帰り用に売ってくれないか?」
「いいとも。というか最初からタダで持たせるつもりだったよ。ウチのが迷惑かけたからねェ」
にこやかに笑うじいさんをみて、少し気まずくなる。たしかに暴れたのはマスターだが、もとはといえば私が持ち込んだ甘夢茸が原因なのだ。
「ああ、おまえさんが気にするこたぁないよ。あれは業者でも見落としちまうことはあるんだ。完全に事故さね」
「それならマスターが暴れたのだって……」
「そうかもしれんが私らは店でおまえさんらは客さね。温かく迎えることはあっても叩きのめすのは論外だ。……おまけに女を投げてたし」
「うう、反省してます……」
「マ、マスターは悪くありませんよ! 止められなかったのも私のせいですし!」
「そ、そうですよ! おにいちゃんはなんだかんだで本気で殺ろうとしてなかったし!」
シャリィちゃんの言葉に私たち、冒険者はぴしりと固まった。
いま、なんていった?
「ちみっこ、いまなんつった?」
「え? いや本気でやってなかったと……」
「あれで本気じゃないのかよ……」
いや、たしかにレイクもバルダスもマスターを出来るだけ傷つけないよう手加減はしていた。さっきのじいさんではないが、あくまで私たちは冒険者でマスターは一般人なのだから。しかしそれでも、あのザマだったのだ。
「ち、ちなみに参考までに聞きますが、本気だったらどうなっていたのでしょう?」
「……投げて動けないところを追撃。そのまま固めて外すか、禁じ手使ったりするのかねェ?」
「じいさん、僕にふらないでくださいよ……」
「……なぁじいさん。報酬払うからオレに稽古つけてくんねぇか。割と本気で。あれができたら拳闘士としてオレはさらに高みにいける気がするんだ」
「……途中で抜けようとしなければ、やってやるよ」
にこりとじいさんが笑う。なんだか、一瞬背筋がぞくりとした。本当に、この人は何者なんだろうか。
たくさんの“ざらだま”を貰って私たちは店を出る。怪我をしたとはいえ、レイクもバルダスも冒険者だ。この程度の森を進むくらいなら造作もない。私も、アミルもいることだしな。
そのアミルはといえばやけにうっとりとし、頬を赤くして歩いている。あのあとなぜだか最後までマスターの世話をし、ついでに“あいきどう”をマスター直々に教えてもらうよう約束させたのだ。
“あいきどう”には組み手の相手が必要らしく、今度から時間があるときに一緒にやるらしい。……ついこの前までひきこもりだったとは思えない行動力だ。
ころころと口の中で“ざらだま”を転がしなたらふと思う。次の旅の時は、もっとまともなものを持ってこようと。
とりあえずは、特訓だな。私とて一級の冒険者なんだ。マスターに投げられたのは、地味に悔しかったりする。もう少したったら、マスターに再挑戦してみるのも悪くない。
ああ、でもその前に、今まで食べてなかった分、食べておかないとな。お菓子も、料理も、飲み物も。あの店にある全てを食べてしまいたい。
自然と足取りが軽くなる。ああ、今行ってきたばかりだというのにまた行きたくなってきた。
「──あ」
古都へと至る森の中。あと少しで古都というところで、私はバルダスが飲んでいた黄色いのを頼むのを忘れていたことに気付いた。
20150425 文法、形式を含めた改稿。
ようは駄菓子屋で売っている大きな飴玉ね。
違う味を二ついっぺんに両ほほにほおばるのが大好きだった。
オレンジとソーダの組み合わせが至高。