獣使いとずんだもち
「おいおい、ちょっとまってくれよ」
ハッハッ!
古都の近くの森の中。外に出るのが久しぶりだったせいか、いつになくラズがはしゃいでいる。あの娘がこんなにはしゃぐなんて珍しい。普段は私の後ろをゆっくりと歩くのに、どうしたんだろうか。
「まぁ、しょうがないのかもね」
ラズを見失わないように私もスピードを上げる。森の中で障害物がいっぱいとはいえ、やはりパートナーと一緒に走るのは格別だ。ここのところ、ろくに運動もできなかったしね。
アォォ──ン!
「ふふ、ちょっと飛ばしすぎじゃないか?」
舌を出しながら走るラズの後を無心になって追いかける。
やっぱり少し体が鈍っているかな。一週間くらいだったとは思うのだけど、鍛練はさぼるとロクなことがないね。
もっとも、さぼりたくてさぼったわけではないのだけれども。
つい昨日まで、私は謹慎処分をくらっていたんだ。貴族に対する不敬罪、だったかな? 正直理由なんてどうでもいい。
私は私の思うどおりに行動しただけだ。それで救われた人がいたのだから、どうなろうとそれは自己責任ってものだろうね。
オン!
「はは、本当に今日は元気がいいな!」
あれにはラズもそうとうイラついていたからなぁ。ラズがあの豚を噛み殺す前に私が間に入っていなければ、今頃は牢屋の中だったかもしれないね。
あの人はあの後どうなったんだろう。最後まで結末を見れなかったのが悔やまれる。一度首を突っ込んだのだから、きちんと見届けたかったのだけれど……。
噂ではまだ古都にいるようだけど、見かけたことがないんだよなぁ。あの時の騎士もクビにされていたようだし、変な目にあってないといいけれど。
「おっといけない。ラズ、《減速》!」
考え事をしていたら、もうずいぶんとラズから距離が出来ていた。あいつ、本当に今日はどうしたんだろう? いつもはこんなにアグレッシブじゃないのに。
「おい、ラズ。《減速》だ、《減速》!」
アォォォ──
おかしい。ラズが言うことを聞かない。むしろあいつ、どんどん《加速》してないか?
みるみる距離が広がっていく。言うことを聞かないのなんていつ以来だ?
「まったく……」
まだ目で追えるうちに、捕まえないとちょっとまずいかもね。
「おい、まてったら!」
ラズを追いかけているうちに、なにやら開けたところに出た。この森にこんなところがあったなんて驚きだね。
そこには、メルヘンチックな可愛らしい建物が立っている。なんだかきらきらした窓ガラスがあるけれど、あれはいったいなんだろう。
「待てって言ってるだろ! ……ってウソだろ!?」
ラズはその建物を目指して走っていた。そして、運がいいのか悪いのか、そこには奇妙な服を着た白髪頭の老人と、給仕服を着た女の子がいた。まだ10歳くらいだと思う。
アォォ──ン!
「そこから離れてくれ!」
こいつはまずい。仮にも私の魔物であるのだから危害を加えることはないが、今のラズはなにをしでかすかはわかったものじゃない。大の大人ならともかく、老人と子供ではラズの力には敵わない。
「あれ? じいじ、アレ魔物さんですよ!」
「うん? まぁ、だいじょぶさね。ここには普通の魔物は入れんよ。よくみな、足輪がついとる。獣使いの魔物って証さ」
のんきに話す二人。全速力で走るラズ。
私が制止の声をかける前に、ラズは女の子へと飛びかかった!
「ひゃっ、く、くすぐったいですよ」
「なんだか懐かれちまったみたいだねェ」
のほほんと笑う老人。くすぐったそうに身をよじらせる女の子。
……なぜだか判らないが、ラズは女の子に飛びかかったかと思うと、その子の指をしきりになめていた。女の子の手はラズのよだれでびちょびちょだ。
「じいじ、この子、なんてお名前ですかね?」
「こいつは草原狼さね。この緑の毛皮で草原に隠れられると、遠目からじゃとてもみつからないんだ」
「確かに、お背中が芝生みたいですね」
「す、すまない! うちのが迷惑をかけた!」
ようやく追いついた私は慌ててラズを女の子から引き離す。
恨めしげに鳴きながらラズはようやっと私の言うことを聞いてくれた。本当にこいつ、どうしたんだ?
「いえいえ、このくらいどうってことないですよ」
「そうはいかないよ。これは私の責任だ。獣使いとしてあるまじきことをしてしまった。……この子も躾直す。どんな罰でも受け入れよう」
そんなおおげさな、と女の子は言うが、これはかなり重大な問題だよ。ちゃんと躾が出来ていない魔物なんて、危険以外の何物でもない。けじめはしっかりつけないと、魔物使い全体のイメージが悪くなるからね。
「そんなことする必要はないさね。たぶん、原因はこっちのほうにあるからねェ」
「……どういうことだい?」
「その子の手、さっきまでお菓子作りしてたからねェ。甘い匂いがしたんだろう。
うまそうに舐めてたし、まず間違いないと思うがね」
聞けば、さっきまでこの老人と女の子は一緒に甘いものを作っていたらしい。
お菓子を作る、というのはよくわからなかったが、ともかくラズは女の子の手の甘い香りに引かれていたというわけだね。
「しかし、それでも……」
「そうだ! それでしたらうちで食べていってくださいよ! 売上貢献ってことで。それでチャラにしましょうよ!」
「そうそう、それがいいさね。さぁ、進んだ進んだ。《甘夢工房》へようこそだ」
なんだかよくわからないままに私は女の子と老人に押し出される……と、押し出されたのは建物の中ではなく、その裏手のほうだ。なにやら話し声が聞こえるのをみると、先客がいるらしいね。
「じいさん、シャリィ? 大きな音がしたけど、なにかあった?」
「マスター、お客様おひとりご案内です!」
くるりと角を曲がった先にあったのは木造のテラスだった。木のテーブルとベンチが置かれ、そこから目の前を流れる川を眺めることが出来る。ここだけ、川というか渓流のようになっているわけだね。
しかしまぁ、この森の川がこんな風に流れているなんて初めて知ったよ。なかなか雰囲気のあるテラスで、ここが魔獣の跋扈する森でなければ、休日にこのベンチに座ってゆったりと森林浴できたのにな。
建物のわきのところには、見たことのない大きな果樹が一本植えられている。
それだけなんだか神聖なもののようで、神樹のような荘厳さがあった。
「……あ」
「…あ」
「お客様?」
エプロンをつけた若いマスターが接客をしていたらしい。森の澄んだ空気の中で、たった一人の先客は、こちらを見ていた。
川のせせらぎの音が妙に大きく聞こえる。ラズはその先客の元へとすり寄り、気持ち良さそうに首をすりつけていた。
「…あのときの冒険者」
「交流会のエルフ……」
「お知り合いでしたか?」
そう、間違いなく、彼女は交流会の時助けたエルフだね。あの特徴的な長い銀髪を忘れるはずがない。
彼女もまた、私のことを覚えていてくれたようだった。まぁ、獣使いのこのもこもこの毛皮鎧はそうとう目立つからね。
「やぁ、元気にしていたかい?」
「…おかげさまで。この間はありがとう。…私はリュリュという。おまえは?」
「私はミスティだ。見ての通り、獣使いだね。こいつはグラスウルフのラズだ」
アオン!
ちょっと無愛想だが、それでもにっこりと笑ってくれた。ひょっとしたらヒトに愛想をつかして集落に帰ってしまったかもと思ったが、そういうわけではないらしいね。
「…せっかくだ。一緒にどうだ?」
「む、すまないね。ラズ、《待て》」
ラズにその場にいるよう命令してから彼女と同じテーブルにつく。
ささっと女の子が水を出してくれた。サービスらしい。にこにこと笑っているマスターはラズを興味深そうにちらちら見ている。
……こんな森にいるのだからてっきり冒険者上がりだと思ったのだが、グラスウルフを見たことがないのだろうか? 獣使いの魔物としてグラスウルフはなかなかメジャーだと思うのだけどね……?
「お客さん、甘いものは好きですか? ここは主に甘いものをお出しする喫茶店もどきなんです」
「甘いもの? フルーツかい?」
「…いや、ちがう。果物じゃない甘さだ。たぶん、見たことがないものだと思う。古都にも、集落にもないものだった」
マスターの代わりにリュリュが応えてくれる。なんでも彼女は以前からこの店に通っているらしく、そのたびに見たことのない甘いものに驚かされているらしい。
「…最初に食べた”わらびもち”の衝撃はすごかった。今までずいぶん長く生きていたが、あれほどの衝撃は後にも先にもないだろう」
「それはすごいね……」
エルフは長命種だ。エルフの中ではまだ若いであろうリュリュでさえ、おそらく私の倍以上の時を生きているはずだ。
そのリュリュがそれほどまでに衝撃を受けたものとは何なのだろう。“わらびもち”なんてものは聞いたことがない。
「じゃ、それを頼も──」
「はいよ、おまたせ。《ずんだもち》だ。そっちのお嬢さんのも一緒にしちまったけどかまわんかね?」
ちょうど頼もうとしたタイミングで先ほどの老人が小さめの平べったい皿を持ってきた。それをみてうれしそうにリュリュがほほ笑む。
よほど楽しみにしていたらしく、それをみた給仕の女の子がわらびもちも大好きですもんね、とつぶやいていた。
「これは?」
「…私も初めてだ。でも、甘くてうまいということは間違いない」
“ずんだもち”はラズのような黄緑色をしている。
何か薬草でも練ったのか、ちょっと粘り気があるようだね。と、よく見ればその下からやはりもっちりとした感じの白いのが見える。
どうやらこの白いのに黄緑のを絡めたのが“ずんだもち”らしい。お世辞にもそんなにおいしそうにはみえないのだが、それでもリュリュは一緒に出されたスティックで器用に一つ食べてしまった。
「…うん。爺、でかした」
とてもエルフとは信じられないほどに顔をほころばせてリュリュは“ずんだもち”を食べる。あのエルフがそこまで顔を崩すなんてちょっと信じられない。これは期待できるのかも。
「……うん、きっとおいしいはず」
スティックで一つ突き刺す。やっぱり見た目通りの触感だ。もっちりとつきまとうそれはスライムに見えなくもない。
私は、ぱくっとそいつを口に放り込んだ。
「おぉ……!」
口に含んだ瞬間に広がる甘さ。
大地の恵みの様なふくよかな風味。
あの見た目からは想像できない気持ちのよい食感。
あまい。
うまい!
「うまい!」
「そいつぁよかった」
にこやかに老人が笑っている。
この“ずんだもち”、とにかく甘い。
それも今までに私が経験した果物の甘さなんかじゃない。大地の、土の恵みが詰まった、豊穣の甘味だね。
それも、野菜の甘味に近くはあるけど、野菜の甘味ではない。自分の舌を信じるならば砂糖の甘味が含まれているね。
もちろん、それだけじゃ説明できないけれど、とにかく包み込むような懐かしいような、そんな不思議で上品な甘さだ。
見た目はちょっと不気味だった黄緑色がその甘さの正体のようだったけど、その下の白いのも負けてはいないね。もっちりとした食感もさることながら、噛めば噛むほど味わいが深くなる。こんな経験初めてだ。
顎を上下させるたびに心地よい風味が喉を、鼻を通っていく。喉を上下させ、それを飲み込んだ時ののど越しも言葉では表現できない。
香り、というか風味も最高だね。味とは若干違う、ほのかだが、確かなそれは、気持ちよく鼻孔をくすぐってくれる。獣使いという職業上、鼻には自信があるのだが、それをここまで感謝する日が来るとは思わなかったね。
こんな繊細な香りを持つものなど、この世に二つとないんじゃないかな。鼻が詰まっていたりなどしたら、この“ずんだもち”のうまさは半分もわかりはしないだろうね。
一つ食べ、二つ食べ、三つ食べる。
信じられないが、死霊に操られたかのように体が言うことを聞かない。
手を伸ばし、刺し、口元に運ぶ。口を開いて噛みつき、顎を上下させる。そして、十分に楽しんで、最後に別れを惜しみながら飲み込む。
ただそれだけを繰り返すだけで私の体は言うことを聞かなかった。何も聞こえないし、目の前のきれいな黄緑の“ずんだもち”しか目に入らない。
味、舌触り、喉越し、そしてなによりその風味。
こいつは、食べたやつにしかその良さはわからないね。
ああもう、なんてうまいんだ!
「ふぅ……」
心地よい満足感、わずかの虚しさと共に私は口をぬぐう。
もう、私の目の前にもリュリュの目の前にも“ずんだもち”は残っていない。
清らかな森の空気の中、流れる風がとてもとても気持ちよかった。どうしようもなく、気分がいいね。
「…うまかった。ところで爺、こいつ、“わらびもち”とどこか似ているな?」
「よくわかったねェ。こいつはあれと同じ材料を使っているんだよ」
どうやら例の“わらびもち”とやらもこれと同じ材料を使って作られているらしい。そういえばどちらも同じ“もち”という名前だね。
「《わらびもち》は成熟しきった豆を乾燥させたのを惹いて《黄粉》にするんだが、《ずんだもち》は若い豆を茹でてすりつぶして、砂糖を加えながらなめらかにするんだ。そいつを《もち》につけるんだよ。このすりつぶすのがちょっと面倒でねェ。シャリィと一緒にやってたんだよ」
「これ、豆だったのか!」
これは驚きだ。開いた口がふさがらない。いや、果物ではないというのはわかったが、まさか豆でここまでの甘さが出るなんてね。世の中何があるかわからないもんだ。
ひょっとして、ラズが言うことを聞かずに走ったのも、この甘さのためだったんだろうか? あの女の子─シャリィがあの老人と一緒に作業をしていたのなら、少しくらい手についていたとしてもおかしくない。
「けっこうしっかりやらないと滑らかになりませんもんね。あたしなんてか弱いからもうおててがいたたですよ」
笑いながら可愛らしくシャリィが手をぷらぷらとさせる。リュリュがなんだか優しげな表情でその様子を見守っていた。
「マスターだってすぐに手伝うはずだったのになかなか来ないし」
「…すまない。私と一緒に話していたからだな」
「あ、いえいえ、そういうつもりじゃないんです」
「おや? そういえば、マスターはどこにいったんだい?」
「そういや、あの草原狼──ラズっていったけね、あの子も見かけないねェ」
私たちがすっかり話しこんでいる間に、マスターがラズにご飯を与えていたらしい。すっかりマスターに懐いてしまったラズが、喫茶店の表で、マスターに覆いかぶさって顔をべろべろと舐めて戯れていた。
「う、うひゃああっ!?」
「ええい、離れろってば!」
アォォォ──ン……!
そのラズを引き離すのにどれだけ苦労したことか。あいつ、最後まで切なげにマスターに向かってないていた。
……よもや、マスターに発情したんじゃないよな。
オン! オン!
「わかったってば」
とにかく、ラズもうるさいことだし、またあの喫茶店へと赴くことにしよう。
リュリュもよくあの喫茶店に訪れるようだし、また会えるだろう。それに獣使いとはいえ私だって女だ、甘いものをもっと食べてみたい。
「……よし!」
ひそかに常連になる決意をした私。ラズよりも私があの喫茶店に惚れこんでしまったというのは、考えるまでもないことなんだろうね。獣使いを逆に虜にするなんて、あの喫茶店、ただものじゃない。
「ふふ……!」
獲物を見つけた獣のように唇をゆっくり、ぺろりと舐める。獣を《調教》するときの私の癖だ。
周りからは怖いからやめろと言われるけれど、癖なんてそう簡単に消せるものじゃないから癖って言うんだよね。
おまけに私は獣に限らず、欲しいモノがあるとこれをするみたいなんだ。
絶対、また来て、また手に入れてやる。
古都へと戻る道で、にやりと笑いながら私はもう一度ぺろりと唇をなめた。ラズもそれを真似するかのように鼻の頭をなめていた。
20150412 文法、形式を含めた改稿。
常連さん全員集合。
次回からはこれらのローテーションになります。