Anarchy Code
血の色に似た緋色のポリゴンが宙に舞う。
殺しの味を知った。勿論、その快感も。
決して明けることの無い夜に、ビル群の輪郭は蛍光色を発し輝いている。
この世界をカーテンで締め切られた個人部屋とするならば、この街は無駄に発光するゲーミングパソコンにすごく似ている。
しかし現在、辺り一帯の建物は鮮烈な赤色に妖しく光っていた。
それは彼女の心情に呼応するように。
今日もビルの屋上からターゲットを見定める。
アニメの美少女の仮面アイコンを被った男の周りを複数人が囲んでいるのが見えた。
彼女は、屋上から華麗に飛び降り、物音一つ立てずにサッとビル影に隠れる。
「美味しい歯磨き粉Tear表」
そう言って男は、いくつかの歯磨き粉がSからCのランクに分別、整理された表を彼の近くの空間に投写する。
「ピュオーラがSなのはガチ」
「いや、Sか、弱いな。UZ++位じゃないと納得できない」
「ファンの鑑だ。素晴らしい」
黒い仮面越しに歯磨き粉Tearの男に対して、鋭い眼光を送る。彼女は仮面の外側からも分かるくらい無表情。その手中には、銀色に輝くナイフが一本。
男の喉元に向かって飛びかかる。
取り巻きの人々は状況も飲み込めず、阿鼻叫喚する。
男は、声を発する事も無く、喉元から溢れ出る緋色のポリゴンとともに消滅。
「暇かよ、働け」
哀れみも怒りも感じない。彼女を支配するのは、残忍酷薄な殺人欲求だけだった。
これは、近いようで遠い将来の話。
デジタル情報を変換し、それを直接視神経や聴覚神経などに伝達することで認知される、限りなく現実に近い仮想現実、メタバース。そして、それを実現させる技術「5D」が実用化され、それが徐々に人々に受け入れ始めた時代。その技術を利用し、アメリカの実業家ギーポン・グラス氏を筆頭にして開発されたのが、全世界にて最大のユーザー登録数を誇るソーシャルネットワーキングメタバース、「Z」。
メタバース自体の構造は、巨大な都市のようになっており、ニッチなジャンル理解者同士で集う人々がよく見られる。一見、仲間とともに楽しい都市生活を送ることができる素晴らしいサービスであると感じるかもしれない。
しかし、それはあくまで表の話。
運営は日に日に増加する全ユーザーの動向を完全に把握することは不可能になり、実質的に「Z」の治安管理を放棄してしまった。
そんな運営方針に乗っかるように現れ始めたのが、メタバース内の住人を殺戮して楽しむ、「反逆者アンチ」である。
ユーザーネーム、浪人アジ。
その名前を夜空に浮かべる黒い仮面の少女は、気味悪く発光するビル群の屋上を駆け抜けていた。
「もう一人……」
正直、誰でも良かった。他人が嫌い。それ以上に自分が嫌い。この自己嫌悪を払拭する方法が、この世界における殺人でしかなかった。私の殺人欲求なんて、所詮その程度のものだ。
……歌が聞こえる。
ただでさえ人気の少ないビルの屋上であるが、そんな場所で歌う人は滅多に居ない。声が聞こえるのは、妖しい光で灯されているガスタンクの裏側からであろう。絶好の獲物かもしれない。
そう思って、少女もとい浪人アジは忍び足でガスタンクの裏側を覗いた。
そこにいたのは、白いお下げ髪で華奢な少女。よくありがちな狐の仮面を被っている。そして、頭上には「紬音ちほみ」という文字が浮かんでいた。
――あなたの夢はわたしの夢!
――だから、絶対に忘れちゃダメ!
彼女は楽しげに歌を歌っているが、その歌は端的に言えば、下手くそだ。
「Z」において何かを発言したり、作品を発表したりする際の場所は、フォロワーや高評価の数を参照し、システムによって割り振られる。きっと、こんな辺鄙な場所で歌う彼女のフォロワーは皆無なのだろう。
先程と同じように物陰に隠れ、彼女の喉元を凝視する。勿論、哀れみの感情なんて存在しない。ただ淡々と獲物を狩るだけ。
と、思っていたのだが。
あまりにも聴き苦しい歌のせいで少し、気が緩んでしまったのだろうか。足をガスタンクに思いっきりぶつけてしまった。
――ゴーン。
流石に無視できない大きさの打音が重く響く。
やらかしたと思い、私はひどく焦った。
「お客さん!?」
紬音ちほみという少女はこちらを振り返り、こちらに近づいてきた。
ここでナイフを取り出して、彼女を殺してしまっても良かったのだが、これまで殺人を失敗したことがなかった自分にはそんな余裕は無かった。
「浪人……アジさんですか? 今日は来てくれてありがとうございます! これまでわたしの歌を聴いてくれる人なんていなくて……。本当、感無量です!」
紬音ちほみは、私が言葉を発する隙を与えず、一方的に話しかけてきた。
「えっと、わたしいつもこの場所で歌ってるんですけど、本当はもっと広くて色んな人に見てもらえる場所で歌いたいんです! どうか、フォローを……。いや、せめて感想だけでも教えてください!」
無性に苛立ってきた。
「言うまでも無い。耳障り」
銀色のナイフを右手で隠し持ちながら、私は毒を吐いた。
すると、紬音ちほみはしょんぼりした顔をする。しかし、その目はちっとも懲りてない様子で私を見つめていた。
「やっぱり、全然上手くないですよねー。わたしの歌……。」
そう言って、ぎこちなく口角を上げる。
「……いや、駄目駄目! これから沢山練習して、上手くなるって決めたんだから! 負けないぞ!!!」
紬音ちほみは華奢な外見にそぐわない剛毅な発言をすると、何故か辺りを走るなどして暴れ回った。
さらに苛立ちが増していく。
それなのに、隠していた殺意はどこかに消えていってしまった。
――見えている世界が違いすぎる……。
「あっ、取り乱しました! わたし、夢があるんです! どうしても譲れない夢がっ!」
「鬱陶しい。もう帰る」
「お願いします、待ってください! わたしは、あなたにも……」
「夢なんか知るか」
そして私は、紬音ちほみに背を向けて歩き去った。
そう、逃げたのだ。
生ぬるい春風が頬に触れる。
あの日は、私にとって特別でも何でもない。
画面に理路整然とびっしりと並べられた数字。
そこに私の数字は無かった。
桜は散ったのだ。
すっきりした。
河合雪乃、私の名前。
私は、今浪人をしている。やりたいことなんて正直思いつかない。それでもいい大学に入れば、一流企業に入れて将来安泰だろうから、難関大を今年も受験する予定である。
高卒生クラスの教室には、今日も停滞して、心地悪い空気が漂っていた。
黒板の前で数学講師がモンティホール問題について語っている。至極有名な話。
三つの扉がある。当たりの扉が一つと外れの扉二つ。挑戦者は、一つの扉を選択する。すると、司会者は残りの二つの扉のうち外れの扉を一つ開けてくれる。そして、司会者はこう言う。
「当選する確率を上げるために、扉を変更しますか?」
実際、扉を変更することで本当に当選確率を上げることができるのだろうか? これがモンティホール問題である。
正解は、選んだ扉を変えた方が、数学的には当選する確率が上がる。
それなのに、自分の確率感覚と直感を信じて、扉を変えない選択をする挑戦者が圧倒的に多いという。
本当に、人間はくだらないことで剛毅になるよなと思う。確率が上がることが世間一般的に知られているかどうかは知らないが。それでもそれが数学で証明されているのであれば、自分の意志なんか無視して、とっとと変えてしまえよ。
授業が終わり、昼食をとる。
特に一緒にご飯を食べる友達なんて居ないので、周りの人の会話に聞き耳を立てた。
「数学易化だよなぁ」
「国語なんて視力検査だからww」
「物理やばすぎ、あんなんどうやって時間内に解ききるんだよ」
共感できるのが、物理の話だけだった。他の話には嫌気が差すが、それを聞いて少し焦る自分もいた。
その後もいろんなものが聞こえてきたが、私はただ頭の中で振り回され続けるだけだった。
授業は終わり、授業の予習、復習、そして模試の振り返りを片付けて、家路につくことにした。
そして、今日も「Z」で憂さ晴らしを始める。
二人殺した。
その後だった。アイツがまた目の前に現れたのは。
「浪人アジさん?」
いつものように、ビルの屋上を移動しているとき、件の少女紬音ちほみが突然後ろから話しかけてきた。
私は、ひどく驚いた。
「……なんでアンタがここにいんの?」
「先日会った時に、わたしがあなたをフォローしたんですよ! 探しましたよ!」
「Z」では誰かをフォローすると、その人が半径百メートル以内にいるときに通知が入る。きっと、彼女はその仕様を利用したのだろう。
「黙れ、探さなくていい」
再び紬音ちほみから逃げるために駆け出す。
彼女が執着してくる理由は分からないが、これ以上私が彼女と付き合う意味なんてないことは自明だ。そうに違いない……。
――なんで、自分を捨てる努力をするの?
歌だ。下手くそなのは変わらないが、数週間前に聴いたときよりもずっとましな。
私は、思わず振り向いてしまった。
――心を支配する数字に何の意味があるの?
――あなたはなんでそれに従っているの?
思わずはっとする。でも、その心はすぐに閉ざしてしまう。
――蓋然性が全て?
紬音ちほみは、まっすぐに私を見つめている。
手をこちらに伸ばして。
――全部、全部くだらねぇな!!!
呆然とした。
賑やかだが無機質に光り輝いていたビル群の点りは、一瞬ブラックアウトする。
仮面越しだがきっと鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていただろう私に、紬音ちほみは歩み寄ってきた。
「一緒に歌おう?」
そう言って、彼女は私の手に無理矢理マイクを押しつける。しかし、その手を押し返す力がどうも湧いてこなかったのだ。
私は歌う。私が何を思ったのか、何を歌ったのか釈然としなかったが、必死で歌った。
私は歌う。決して、紬音ちほみと一緒に歌うことはしなかったが、全力で歌った。
私は歌う。事実だけ残し、他は全て忘れてしまったが、全身全霊で歌った。
私は、一体どこにいるのだろう。
気づくと、私は地に横になって倒れていた。
身体が熱くなったからだろうか、不思議と地面が冷たく感じる。
「歌上手っ! どうしてそんなに上手に歌えるの?」
「お前にはどうだっていいだろ」
徐に身体を起こしながら答える。
紬音ちほみは、私が立ち上がると同時に口を開いた。
「浪人アジさんの想い、よく伝わったよ」
「想い? 馬鹿げてる」
彼女は私の瞳をじっと見つめ、何かを決心するように拳を固く握った。
「たくさんの人の夢を一緒に抱いて、歌の力で一緒に叶える……それが、わたしの夢! だから、あなたの夢はわたしの夢! 浪人アジさんが夢を抱けないことはないと思う!」
途方もない怒りが一気にこみ上げてきた。しかも、たくさん歌ったせいでうまく感情のコントロールができない―。
何かが軽く弾ける音。
「……夢だ夢だ言って、叶えられる確証もないのに、よくも雄弁と言ってられるよなあ!」
私は、無意識のうちに紬音ちほみにナイフを向けていた。
「傲慢、剛毅、それでいて実力は中途半端! 自分勝手に他人の夢背負ってるけど、お前に何が叶えられるっていうんだよ! それに無秩序で、綺麗事なんか耳に入りゃしない世間の声はきっと私の言葉以上に残酷だ! そんな夢諦めちまえ!!」
さらに、ナイフを突きつける。
「浪人アジさん、それって反逆者の……?」
紬音ちほみの声は、震えている。
「わたしを殺そうと……?」
そう言うと、数秒呆然としてから、彼女は顔が見えなくなるほど深く俯き、無言でログアウトしてしまった。
長い沈黙。
ビルの屋上には反逆者が一人。
「私は、何も間違ってなんかいないから……」
それは心からの告白だと、信じたかった。
気づくと、その日から数ヶ月ほど経っていた。
季節は移り変わり、半袖ばかり着ていた周りの塾生の殆どが長袖へ衣替えを済ませている。塾館内の空調も冷房から暖房に変わっていて、快適な教室内では気をつけないと眠くなってしまう。
高校の教室を二つ連結したくらいの広さの大教室には在校生を含めた多くの塾生が各々受験勉強に勤しんでいる。自分が座っているのは、一番廊下側の列の前から三番目の席だ。
私は、目を擦りながら目の前の問題に意識を向ける。問題用紙一面に広がるあり得ない量の英文に目眩がするも、負けずに食らいついた。
例年、大学入学共通テストの英語リーディングやリスニング、国語には奇問が多いと言われている。いつの年だったかはっきりと覚えていないが、英語リーディングでインターネットにおける人気投票の組織票問題を取り上げた文章、リスニングでは正しい違法建築のイラストを選ばせるという世も末のような問題が出題された。さらにその年の国語の小説では、主人公の父親が「や~だ、超メロい」という台詞を放ったため日本中がかなりざわついた。
だが、受験生はそのような問題が出題されたとしても決して動揺してはならない。ただ、寡黙にスピーディに解答するのみ。うつつを抜かしている暇などない。
今、私が解いているのは共通テスト英語リーディングの対策問題である。昨今の共通テストの出題傾向が踏まえられ、出題される文章の内容はアカデミックなものよりも日常生活に寄り沿った高校生でもなじみの深いものが多くなっていた。
――SNS型ユニバース「Z」の限界
私は、眉をピクリと反応させた。
――もはや、「Z」は一つの無政府国家であると言えるだろう。管理を放棄し、実質的に統率者を失った「Z」は多くの「反逆者」を生んだ。これはインターネットが普及した頃から言える話ではあるのだが、過度な匿名性は人の小さな悪意を増幅させる危険性がある。「Z」開発者グループは一人でも誹謗中傷等の被害者を減らすために、管理を徹底していくべきだったのだ……。
溜息を一つ溢した。
大体、綺麗事垂れ流して何になるんだよと思う。
これは、単なる善悪二元論では説明できないはず。いや、説明してはいけない。
そもそもどんな時代であれ、誰もが他人から否定され、批判されて傷ついた経験はあるはずなのだ。きっとその度にみんな我慢してきた。多分、私も。
誰もが被害者。ひょっとすると加害者。
一応、「反逆者」として活動することに罪悪感が一切無いというわけではない。ネットとはいえ、他の誰かを傷つけることは悪であるということも自覚している。
それでも私は、世間の声に「食われる」ことが罪を被ること以上に怖かった。
人知れず、他者に反抗している自分が輝いているように感じた。社会に飲まれる性質がある嫌いな自分から脱却できたような気がして、心から楽しかった。
でも、時々紬音ちほみのことを思い出すと、何故か不愉快な気持ちに陥る。
彼女に自分が「反逆者」だと知られた日から、殺人をすることが楽しくなくなってしまったのだ。
英語の問題は文章を読んで、内容に合う正しい選択肢を選べばいい。そうすれば正解になる。
でも私には、答えが出せなかった。
その日は閉館時間の午後九時まで勉強し、家に帰ることになった。
帰ってからも、英単語や世界史の用語を覚えようと思いながら、徒歩で駅の方へ向かう。
私の家は、電車を使って三〇分ほどかかる場所にある。だから、塾まで自転車通学することはできず毎日電車を使っている。
駅の前の広場は、九時とは思えないほどにいつも賑わっていた。通勤通学をする人々は勿論、占い師や、マジシャン、禁止されているはずのキックボードで遊んでいる人もいた。
そして、ストリートライブを開く人も当然のようにいて、今日も色んな歌声が聞こえる。
あの歌は、突然私の耳に飛び込んできた。
――あなたの夢は、わたしの夢!
はつらつとした、いらいらする声。
――だから、絶対に忘れちゃダメ!
初めて聴いたときとは別人のように澄んだ歌声だった。とはいえ、特別上手な歌というわけではない。
――いつか願った未来は、なりたいあなたを創り出すから!
そこに立っていたのは、黒髪で上品な感じのある清楚な少女であった。その歌を聴いていた三、四人の人が彼女に拍手を送る。
少女は、いかにも幸せそうな顔をして、オーディエンスに一礼をした。
「ありがとうございました! では、次の曲いきます!」
彼女の足下には、「福本千穂実」と書かれた段ボールでできた名前立てが置いてあった。きっと、紬音ちほみの本名なのだろう。
私は、驚きを隠しながら駅のホームに早足で向かった。
その日から、何回か彼女の顔を見るようになったが、無視して足早に駅に向かうことを繰り返した。
「Z」に出入りすることもやがて無くなっていった。ただ、闇雲に努力、努力、努力。まさに勉強三昧の毎日だったが、常に心は空っぽだった。
勉強の意味が分からなくなった。
努力の価値を見失ってしまった。
自分の欲望も忘れてしまった。
確かにここにいるのにどこにもいない私。
私は誰?
――いい夢じゃないか。
頭の中で音声が再生される。
誰の声だろう。
試験開始の合図は、私の頭の中で無遠慮に木霊した。妙に頭がぼうっとする。
世界史の問題は、可も無く不可も無い程度にできたと思う。国語も英語リーディングもリスニングも大体そんな感じ。
二日目。今日も意識が朦朧としている。
化学と物理はよく解けたと思う。でも、数学と情報の手応えは昨日と同じ感じ。
何故か本番のはずなのに全体的にパッとしない結果に終わってしまった。
自己採点の結果は……目標点数よりかなり下。
やり直しは……できる。来年。
……今年も桜は咲かないだろう。
何もかもが思ったよりもあっさり終わってしまった。一年間、一生懸命勉強してきたはずなのに、刹那の儚さを情趣深く感じる余裕すらある。
私は、それでいいの?
本当は、思い切り泣きたかった。でも、全然悲しくなかった。
手足が悴むほど冷え込んだ、夜の街。いつものように駅に向かい、家に帰る。一体何と言われるか分からないが、この結果は親に報告しなければならない。正直、自分を応援してくれている人にこのことを伝えるのが一番つらい。私の将来なんてどうでもいいから、この現状から逃げ出したいと思っている自分すらいた。
「こんにちは! 福本千穂実です!」
私は脊髄反射的に足を止める。久々に彼女の歌を冷笑してやろうと思ったからだろうか。
「今日も、寒い中お疲れ様でした! 夢に向かって前を向く皆さん素敵です!」
こいつは、本気でそう思って言っているのだろうか。相変わらず、オーディエンスもごく僅かだし、人をナメているようにしか感じない。
「それでは、今日も皆さんのために歌います! 『夢想郷』!」
彼女の歌が、広場一帯に響き渡る。
それは、鈍色の世界に華やかな色をつけていくように。
ゾッとした。
あいつの歌が、数少ない客の顔を明るくしていく。きっと私も例外ではなく。
やっぱり、彼女には卓越した歌唱力などない。それでも、その歌には確かに世界を自分色に上書きしてしまえるほどのパワーがあった。
彼女、いや千穂実と私とは、見えている世界が違う。かつて、私が目を背けていた事実。それが、再び目の前に現れたのだ。
――あなたの夢はわたしの夢!
私は、気づくとその場から全速力で走り去っていた。目には大粒の涙を浮かべて。
「夢、夢、夢……!」
誰に言い聞かせるでもなく、ただ、あてもなく叫んだ。
「そんなもの……、そんなもの……」
脳裏に浮かぶのは、果てしない空虚。人気の無い路地で私はただ一人、空白を泣いた。
――しん、しん。
その時、何か冷たい物が首元に当たった。
目を真っ赤にした私はふと、上を見上げる。
……雪だ。
幾つもの白色の雪粒がふわふわと幻想的に浮かんでいる。黒色の手袋を身につけて、手のひらで受け止めると、雪がちらほら黒色の手袋の上にくっついているのが見えた。
「いい夢じゃないか」
あの日聞こえた声と、同じ声だった。
きっとそれは、ずっと目を背けていた、ぐちゃぐちゃになったセピア色の記憶。
虫眼鏡に映し出されたのは、幾何学的な構造をした結晶の数々。
あの声の主は……私の祖父。
彼は、私の側で屈んでニコニコ笑っていた。
きっとあの頃は、人の目なんか気にせずに笑えていただろうな。
あの時抱いた、本物のときめきは何処へ消えてしまったんだろうな。
「夢は叶うとは限らない」
「夢なんて叶わない確率の方が高い」
「夢を抱かなくて、正解だった」
「夢なんか持たない方が、絶対楽」
「ピュアに生まれるなんて損でしかない」
「生まれてきた理由なんて、そんなに必要?」
「俺調べだけど、無難な人生送るのが一番幸せ」
「それ、本当に意味ある?www」
「人生って、ホントつまらんよな」
「お金さえあればいい」
「どこだよそこ、Fランじゃん」
「そんな問題、King Propertyで一発でしょ」
「ん、易化」
「計806、死にたい」
「T大落ちです、春から浪人です」
――当選する確率を上げるために、扉を変更しますか?
以前の私なら、その答えはきっと、「いいえ」。
一年前、桜が散った日。受験を再挑戦すると言っておきながら、本当は、全て諦めたんだと思う。
私は「私」を殺した。
だから、すっきりした。
その時には、あの日描いた夢なんて忘れてしまっていたんだろうな。
「ゆめ」とタイピングしたところで、そんな語彙、予測変換にでてこなくなっていた。幾千もの声に惑わされて――
千穂実の言葉を無視していた。
深夜。私は、ヘッドギアを装着して眠りに就く。
久しぶりに「Z」に潜る。紬音ちほみにこれまで酷いことを言ってきたことを私は謝らなくてはならない。アイツがどう思っていたかは知らない。でも、行かなくてはならない。
これは、私との決意の惜別でもあるのだ。
相変わらず暖かさの欠片も感じられないサイバーシティが私の目の前に広がる。光線、電飾、交通信号灯などで忙しなくカラフルに彩られているが、全部空虚に見える。
今日もたくさんの人々が楽しそうに会話している。共通テストの点数について話している人もいたが、気にしないようにした。
私は、黒装束にも怪盗服にも見える裾の長い黒服で俊敏に夜を駆けた。いつものようにビルの屋上に出ては、幾つものビルの隙間を飛び越え、走る、飛ぶ、走る。
あの場所までは、あと少し。
その時、声が聞こえた。
「わたしは、あなたの夢だって応援したいんです! 分かってください!」
アイツの声だった。私は、そこへ急いで行って、ガスタンクの裏からこっそりその様子を伺った。
そこにいたのは、白髪の少女、紬音ちほみ。そして、ひょろっとした印象のある金髪の男。
彼の仮面を見て、私はぎょっとした。
あの男がつける、白色の鬼面。「Z」の日本ユーザーであれば知らない人はいない。
奴の名前は湯辛豆腐、一年前くらいに「Z」の有志で集まった治安維持委員会が作って話題になった反逆者ブラックリスト。それは、実質的なこの世界における指名手配のようなものだ。それにおける危険度最上位に位置する一人がこいつだ。
ちなみに私は、その時は反逆者ではなかったため、ブラックリストには載っていない。しかし、もしそれが更新されたとしたら、湯辛豆腐の五つ下くらいのランクにいるんだろうなと思う。
要するに、紬音ちほみが今対峙している男は極めて危険だ。話し合いなどやっている暇はない。早く逃げるべきだ。
「ん~面白いこと言うね君」
湯辛豆腐は、仮面の下からでも分かるほどの満面の笑みで吐き捨てるように言う。
「死ぬほどくだらない」
奴は、躊躇いも無く彼女の首めがけて、一直線に飛びかかる。
まずい――。
勝手に身体は動き、私は湯辛豆腐の攻撃を自分のナイフでいなしていた。
「浪人アジさん!? なんで……」
「そんなことは、今どうでもいいだろ! こいつが危険人物だってことはお前も知ってるだろ!!」
「知ってるよ! でも……」
紬音ちほみの仮面の下には、明確な迷いが見えた。
「ん~? そんなもん持ってるってこたぁ、お前反逆者かぁ? オレ同士討ち趣味じゃ無いんだけどw」
「知るか、反逆者なんてもう辞めた」
「じゃーお前も殺すかぁ」
再び湯辛豆腐はナイフを構え、攻撃を仕掛ける。しかし、先ほどの単純な動きとはうって変わり、縦横無尽に飛び回った。
私は守りに徹して、攻撃をナイフで次々と受け止める。
ひょろっとした外見からは想像つかないほどのパワーで時々押し負けそうになるが、その時は刃を直接かわすか、身体の外側に攻撃を受け流した。
とにかく必死だった。ナイフとナイフが激しく衝突するたびに火花が立った。
それでも、紬音ちほみは一向に逃げようとしない。
湯辛豆腐も流石に疲れを感じたのか、攻撃を止めた。その隙に彼女に一喝を入れる。
「何、ぼうっと突っ立ってんだよ! 死にたいのか! アカウントが消えるんだぞ! 努力のログが、積み上げてきた物が! これまでの軌跡をまるごとこいつに否定される!」
「そんなものどうだっていい! わたしは、それでもわたしの夢を……」
いらいらした。でも、自然と私の口から出たのは、彼女を罵倒する言葉ではなかった。
「お前には、私がいる!」
紬音ちほみは、少し驚いた素振りをして頷くと、すぐにそこから立ち去った。
私の気持ちが伝わったのだろうか。
「うおw愛の告白かぁ?」
「黙れカス」
咄嗟に湯辛豆腐に対して口汚く反抗するが、私は内心安堵していた。
「お前、紬音ちほみを追うつもりなんだろ」
「せいかーい! あいつすっげえつまらないこと言うからさぁ」
湯辛豆腐は仮面越しでも分かるほど大胆に笑いながら答える。
「本当、殺しちゃいたい」
「やっぱり私がお前を仕留めないと……」
「え? オレ死んだとしても、転生してあいつ殺しに行くと思うけどなぁ」
「Z」では、ユーザーが何らかの理由で死亡すると、これまで使用したアカウント、ログの全てが消滅する。さらに、死亡後三ヶ月が経過しないと新しくアカウントを作ることはできない。
私の心は、再びざわめき始めた。
「そこまで紬音ちほみに固執する理由は何だ? 快楽殺人鬼のお前なら、殺す相手なんて誰でもいいんじゃ……」
「ん~? お前だってわかってるでしょー。なんかすっげぇ癪に障るやつに出会ったとき、心がどきどきするんだよ。そういう意味であいつは特別だ。あんな絶望を知らなそうなピュア乙女、そうそういないぜぇー」
そうそういない、か。確かに正しいかもしれない。こんな社会にいて、どうしてあれほどのメンタリティを保てるのだろうか。
いや、そんなことはどうでもいい。あいつに力説して、改心させることなんて不可能だ。どうすれば、あいつを止めることができる?
一つあるとすれば、ブロック機能だ。
しかし、紬音ちほみの夢は他の誰かを前提にするもの。自分から人を拒絶することは、きっと彼女のポリシーに反するはず。それだから、私の事もブロックしていないし、湯辛豆腐に対してはかつての私のように、夢を抱くよう力説していた。ブロックの仕方、そもそもその機能の存在すら知らない可能性すらある。
とすると、彼女に湯辛豆腐をブロックするように言いに行って説得する必要がある。
なんで、先ほど紬音ちほみを逃がしたときに、そのことを伝えなかったんだと激しく後悔した。
いや、でもやるしかない。
私は、彼女を追うため、先ほど逃げた方向に走り出す。
「おっとぉ? 尻込みかぁ?」
湯辛豆腐は詰め寄り、私の左腕に斬撃を入れる。腕から、緋色のポリゴンが飛び散った。
実際の切り傷よりは痛みを感じないが、それでも切られたという感触は分かる。この程度、どうということはない。
私は足を止めること無く、全速力で追いかけ続けた。後ろから無秩序に繰り出される斬撃。その勢いの衰えは一切感じられない。
上、右、上、上、左、右、左、上。
走る、避ける、走る、躱す。
絶対に、こんな奴の手に乗ってたまるか!
紬音ちほみの姿が見えた。
私は、これ以上無いほど全力で叫ぶ。
「ちほみ! 湯辛豆腐をブロックしろ!!」
紬音ちほみは、私の声に気づいたらしい。彼女は慌てて、ウインドウタブを開いて、ブロック操作をし始めた。
ブロックすること自体に抵抗がないようで、私は少しほっとする。
「ん~? 何を安心してるんだぁ?」
湯辛豆腐はナイフを納めると、その手に何かが新たに現れた。
拳銃だ。
「あんまり殺った感じしなくて、すっきりしないからホントはいつも使わないんだけどー、オレレベルの反逆者にもなると銃だって使えるんだよなぁ」
「Z」ではユーザーの感情や想い等のイメージが具体的な形で出力され、実際に物体、ごく稀に現象として現れることがある。
例えば反逆者のナイフは、明確な悪意のイメージが形になることでこの世界に生成される。紬音ちほみのマイクも同じように歌い手としての自覚とイメージによって現出する。しかし、銃についてはあまり情報がない。
「どうして銃なんて……」
「殺意のイメージの転換だよー。ナイフのイメージは一番単純。だって、殺りたいって感じるだけでいいんだからさぁ。でも、その他武器にはもっと精巧で崇高な、殺しへの具体像が必要なの。キミのしてきた殺人なんて解像度の低い反抗でしかないんだよぉ!」
「お前……!」
湯辛豆腐は、紬音ちほみに向けて銃を向けた。
一発の銃声が響く。
火薬の匂い。
「……本当、キミさぁ」
銃弾は胸を貫いた。
また私は、彼女を庇ってしまった。
「浪人アジさん!?」
その時、湯辛豆腐の視界から紬音ちほみは消えた。
「チッ、くだらねぇ」
そう吐き捨ててると奴は、自ら背を向けて去って行った。そして、その姿はみるみるうちに影に隠れて見えなくなる。
紬音ちほみが、瀕死の私に向かって駆け寄ってきた。
「……なんで、わたしのこと庇ったの!?」
「私はもう反逆者を辞めたんだ。だからこの血塗れた気味悪いアカウントはもう要らない。だから天秤にかけてお前の命の方が大事だと思っただけ」
彼女は、何も言わずに立っているだけだった。
「ところでお前、なんであいつのこと渋らずブロックできたんだ? どうせ迷ってウダウダすると思ったんだけど」
紬音ちほみは、一瞬固まると口を開いて答える。
「きっと、不安だったんだ。全部」
「不安? 路上ライブまで一人でやってたお前が?」
「あー、ばれてたんだ。あなたにあんなこと言われて、こんな場所で細々と活動しているだけじゃ、わたしの夢は叶わないんじゃないかって思い返して、自分なりに結構反省してたの」
照れくさそうに頭を掻くと、意味ありげに星一つ無い空を見上げた。
「『夢想郷』、私が初めて作った曲。あの曲に最初は『あなた』なんて存在しなかったんだ」
――あなたの夢はわたしの夢!
私は、一番印象に残っているフレーズを思い出した。
「あの曲の『あなた』の正体は、全部『わたし』。友達なんていなかった。ずっとひとりぼっちで何も見えなかったわたしがわたしを励ますために作ったの」
すると紬音ちほみは、きらきら輝いた瞳で私を見つめた。
「でも、浪人アジさんが『あなた』になってくれた! わたしに言ってくれたでしょ、お前には私がいるって。誰も仲間がいなかったわたしは、その言葉すごく嬉しかった!」
「おいやめろ、恥ずい」
私は、仮面の裏でひどく赤面した。
「ふふっ」
紬音ちほみは、あからさまに笑い声を上げる。
「じゃ、じゃあ、あんな人気の無い場所に一人で歌っていたのは……」
「最初は、誰かに聴かせたい訳じゃ無かったし、ストレス発散のつもりでやってた。でも、あの曲を歌えば歌うほど『夢』っていう言葉が持つ力の強さに気づいたんだ。気づけばわたしにも夢が生まれた。この晴れやかな気持ちをたくさんの人と共有したいという夢が」
「たくさんの人の夢を一緒に抱いて、歌の力で一緒に叶える……それが、わたしの夢!」かつて彼女はこう言っていた。
「ちょっと前、浪人アジさんには一緒に叶える! みたいなことまで言ってたけど、あれはあなたの歌を聴いて初めて生まれた夢だったの」
「私の歌? どうしてそこと繋がるの?」
「歌は人に希望を与えるだけじゃない、本当に空想を、夢を実現させる力があるんだと実感したんだ。わたしが感動したのは、あなたの歌だけじゃない」
「どういうこと?」
「えっ、気づいてないの?」
紬音ちほみは、驚きながらも何故か再び空を軽く見上げて呟く。
「『Z』に雪の結晶が降ったんだ」
はっとした。
私は、これまで彼女が私に話した言葉の意図を理解する。彼女はあの時、誇張ではなく本当の意味で私の想いに気づいていたのだ。
「いい夢だね」
彼女は、私の顔を見て言った。
涙が止まらない。
これは、きっと私にとって最悪で最高の顛末だったんだろう。そう思いながら、ユーザーネーム浪人アジはこの世界から姿を消した。
三ヶ月後、私は第一志望の大学には届かなかったが、他の国立大学の理学部に合格することができた。そこは気象学にも精通していて、もちろん雪の結晶を専門に研究している教授もいた。
少し家から離れてしまうのは名残惜しいが、それ以上に私は心を躍らせている。
合格発表の日の夜、私は塾へお礼参りに行くついでに駅近くの広場へ向かった。
そこに、アイツはいた。
黒髪で清楚な感じのする少女。比較的小柄ではあるが、その存在感は大きかった。
あの頃は二、三人ほどしかいなかったオーディエンスも今や二十人くらいいる。たくさんの人に囲まれて彼女はその場の誰よりも幸せそうだ。
路上ライブが終わり片付けも一段落した頃、私はあの人、福本千穂実に近寄る。
しかし最初に言葉をかけたのは、私ではなく彼女だった。
「あの、よく後ろの方でわたしの歌聴いてくださっている方ですよね! いつもわたしの歌を聴いてくださって、ありがとうございます!」
認知されていた。
「えーと、そんなに私目立ってた?」
「え!? その声もしかして……」
「Z」とは違って、顔を隠すものがないので全てが新鮮で恥ずかしい。
「そ、そう、私は浪人アジ。本名は河合雪乃。下の名前で呼んでくれて……いいよ」
「雪乃! 本当は雪乃ちゃんって言うんだ! かわいい名前!」
千穂実は、曇りひとつない瞳でこちらを見つめ微笑む。
自分の名前を褒められたことは無かったので、私はすごく照れてしまい反射的に顔を隠してしまった。
「じゃあ、わたしも改めて自己紹介! 紬音ちほみこと福本千穂実です! 千穂実でいいよ! ちなみに今、大学一年生」
彼女はニヒヒと笑いながら、間髪入れずに続けて話をする。
「それにしても、あなたが雪乃ちゃんだったんだ! 三ヶ月くらいの間ずっと、時々わたしのストリートライブにふらっと現れては特に私と何のコンタクトも取らずに帰っちゃうんだからー。話しかけるくらいしてくれても良かったのに」
そう言って、千穂実は唇を尖らせた。
「いや、受験があったから」
「そういうとこクールだよねー。それで、どうなったの、大学?」
私は、進学先のこと、ここから少し離れた場所で下宿すると決めたことを話した。
「そっか、ここから少し離れちゃうんだね」
「寂しいけどね、結構楽しみなんだ」
「待ってました! その言葉!」
「くっそ、突然叫ぶな。うるさい」
私は、千穂実を叱り咎める。でも、悪い気はしなかった。
「それに、千穂実に出会って、また一つ夢ができたし」
照れくさくなって、顔を背ける。
「と、いうと?」
「言ってくれただろ、あなたの夢はわたしの夢だって。そのままお返ししてやる」
そのとき、千穂実の顔がこれまで以上にぱあっと晴れた。
「一緒に歌ってくれるの?」
「そ、そう言ってるだろ。でもオンライン限定だからな。流石に路上は……」
「いつかやりたいね!」
「話聞けよ……」
無機質な空の色。
無差別に照らされる、色彩豊かな光。
その世界は、法も警察も存在しない。
勿論そこに秩序などありゃしない。
今日もどこかで世迷言が跋扈しているこの街は言うなれば「Anarchy Code」。
それでも、絵空事さえ描けるのなら。
「おい、今日この辺で『Dream Flake』がライブするらしいぜ」
「嘘!? まだ、この世界で見れてないからめっちゃ見たい!」
「やっぱり、あの人達の歌聴いてると元気出るわ。自分の生き方が正しかったって、信じていいんだなって思えて」
ビルの屋上。しかし、そこはもはや人気の少ない場所ではなくなっていた。
そこに設けられているのは、「Dream Flake」の特設ステージ。サイバーシティとは不似合いなほどに手作り感が漂っている。でもそれは、あえてのこだわりであった。
「ところで、何で私白衣装なわけ」
「ユキノが白色じゃなかったら誰が白衣装着るっていうの!」
「ちほみのも白じゃん」
「細かいことはいいの! わたし達はアイドルグループとかそういうのじゃなくて、歌い手グループでしょ」
「はぁ」
スタイリッシュな白衣装に苦言を呈するのは、黒髪で雪の結晶の仮面を被った長身のスレンダーな少女、結城ユキノ。
そして、もう一人は白色のワンピースを着る白髪の比較的小柄な少女、紬音ちほみ。
「大体さぁ、この前結城ユキノって調べたら似た名前の人何人も出てきたんだけど」
そう言って、ユキノはちほみをじとっと見る。
「いやー、わたしが考えたんだから平気、平気! それにこれから、ユキノがその人達の中で一番人気になればいいんだし」
「ユニークだとか唯一無二だとか豪語してたくせに」
ユキノは苦笑する。
「そろそろ本番でーす。準備してください」
スタッフの合図が入る。
「まあ、そんなことどうでもいいか。ちほみ、行こう」
「うん!」
彼女たちがステージに上がるや否や、盛大な歓声が二人に送られる。
その期待に応えるように、ちほみは叫ぶ。
「みんなの夢はわたしたちの夢!」
ユキノが彼女の言葉に続く。
「だから、絶対忘れんじゃねぇぞ!」
二人の歌声がハーモニーを生み出し、宙に舞う。
一夜限りのその音は、無秩序なこの街を確かに一色にした。




