62 桜梅桃李
「推薦で受けるなら、一応今度の三者面談でご両親にも確認するがそのつもりで準備しておこう」
「ありがとうございます」
すっかり考え込んでしまっていたから忘れていたけれど、今は二者面談中で先生と話してる最中なんだった。さすがに人と話している時に上の空になるのは失礼がすぎる。不審に思われるほど考え込んでいたわけではなかったみたいだから、そこは良かった。次は気を付けよう。
「……家の仕事とは別で、瑠衣自身がやりたいことはないのか?」
「私がやりたいこと、ですか? そうですね……私は父を尊敬していて、家の仕事も自分がやりたくてこの道を選択しましたので特にありません」
「たしか、瑠衣は刺繍作家をしていると言っていたな。それは?」
「……刺繍はやめることになるだろうと思います。忙しくて作品を作る時間はなくなるので」
今も気が向いたらやる程度。短時間で完成させられる数少ない商品だけで余裕で生活できるだけの稼ぎがあるから、私は『ゴッドハンド』と呼ばれるお父さんの器用さが遺伝しているんだろうなといつも思う。
「だが、一番の趣味なんだろ? 医者としての仕事がなかったらやりたいんじゃないのか?」
「それはもちろんやりたいですよ。でもそうはいかないでしょう」
「なぜそう思う? 時間は作るものだ。刺繍作家の仕事を続けたいのなら、少しでも時間を作れるように努力すればいい。医者に詳しくない俺が言っていいことではないかもしれないが、瑠衣のことを傍で支えてくれたり手助けしてくれる存在を作れば、刺繍の道もあきらめなくて済むんじゃないか? それが家族なのか恋人なのか、それともビジネスパートナーなのかは瑠衣が決めることだがな」
「…………」
「俺は教師だ。生徒が望む職業に就けるように導くのが仕事。だが仕事とは別でやりたいことがあるのなら、それができるように応援するのも教師として大切なことだと俺は思う」
橋本先生が珍しく説教じみたことを言っている。正論ではあるけれど、医者は……特にうちの病院を継いだ者は途轍もなく忙しい日々を送ることになるんだよ。時間は作るもの、とかそう簡単に解決できる話ではない。私は両親が趣味をしている姿など全くと言って良いほどに見たことがない。大体お父さんは忙しいし、お母さんも自分のタスクが終わったら手伝いに行ってるからね。どれだけ時間に追われているのかは家族である私が一番良く分かっている。それでも、進路が決まっていようと長い間方法はないかと悩んでしまうくらいには、私は刺繍の趣味も諦められなかった。
「……両方、できると思いますか?」
「それは瑠衣次第だから俺は何とも言えないな。できるかできないかではなく、やるかやらないかだろう。俺の感情で話すなら、瑠衣には刺繍を続けてほしいと思っている。理由は普段お前と話していて一番幸せそうに見えるのが刺繍の話をしている時だからだ」
「そうですか……」
試してみる価値はある。最初からは無理かもしれないけれど、いずれ両立させることができるかもしれない。尊敬する父の『医者』という仕事、とあることがきっかけで好きになった刺繍。本当はどちらかなんて選べない。将来何の仕事をしたいかと問われると、両方と答えたくなってしまう。
「家を継ぐとか、そういう難しいことを考えずに答えを出すのもありだと思うぞ。夢は言葉にすれば案外叶うものだ」
「……では医者を目指しながら、そして医者として働きながら刺繍作家を続けたいです。以前も言いましたが、私は昔、偶然見つけた刺繍作品に心を惹かれ、それ以来素敵な作品達は見ているだけで心が晴れるようになりました。私が作家になったのは同じように私の作品で誰かの心を救いたいと思ったのも理由の一つです。人の命と心、その両方を救える道へ進んでもいいですか? できるか分かりませんが、ひとまず言うだけでも」
「もちろんだ。俺は全力で応援しよう。……瑠衣の悩みも解決できたようだな」
橋本先生も、こんな私の相手ができるだけあって食えない人だと思う。さっき私が適当に誤魔化した『悩みはあるか?』という質問、本当は聞かなくても答えが分かっていたのでしょう。しかもそれが進路に関すること、ということまで見抜いていた。最終的にはこの悩みも解決してくださったし、やり方が多少強引だったのは見逃そうと思う。
ご覧いただきありがとうございます。よろしければブックマークや広告下の☆☆☆☆☆で評価していただけると嬉しいです!




