113 桜吹雪レコード
◇
あの後しばらく楽しんで次の約束をし、私達は解散した。今は片付け中なんだけど、蓮くんだけ残って手伝ってくれている。藍那や海斗くんも手伝うと言ってくれたけれど、二人で十分だからと断っておいた。
「それにしても能ある鷹は爪を隠すと言うが、お前は隠しすぎだ。興味がないのか?」
「瑠衣家の人間だってこと? 肩書には興味ないかな」
「まあ、それもそうか。そのせいで色々言われた過去があるくらいだしな」
俺もそうだし、と呟く蓮くんはテーブルを拭いてくれている。私は食器洗い中。これで片付けも終わり。元々そんなに散らかっていたわけではないし、手伝ってもらえるとなるとかなり早く片付いた。蓮くんに感謝しておこうと思う。
「蓮くんも東都大学でしょう? どうやって通う予定?」
「俺は近くでマンションを借りる予定。金銭面は余裕があるが、税金対策だとしても瑠衣家のように何軒もマンションを買うほどではねえからな」
「そっか。ちなみに大学でも一緒にいてくれるものだと思っていいの? 蓮くん、顔がいいから隣にいると知らない人に声を掛けられにくいんだよね」
「俺は男避けか? まあ好きにすればいいが……言われなくともそのつもりだぞ」
大学ではまた別の友人を作るんだろうなと思って心配したけど、そう言ってもらえて良かった。藍那や海斗とは別の大学、蓮くんとは学部まで同じなのに話す機会がなくなる、なんて悲しすぎるから。
「咲良、終わったぞ」
「こっちも。手伝ってくれてありがとね。エントランスまで送るよ」
「待って」
「ど、どうしたの……?」
外に出るために玄関に向かうと、後ろにいた蓮くんに突然腕を掴まれた。驚いたのと好きな人にいきなり触れられたことで思わず肩が大きく跳ね、そっと振り返る。するとそこには声と同じく真剣な表情の蓮くんがいて、心臓が大きく音を立てた。
「合格発表の日、俺がお前に言ったことを覚えてるか?」
「……うん」
「じゃあ俺が言いたいことは分かるよな。……俺、やっぱ咲良が好きだ。結婚を前提に付き合ってほしい」
それ、ずっと気になってたことだ。蓮くんが私に『蓮くんのことで頭いっぱいになりながら過ごせ』なんて言うから、恋愛解禁した私の頭は本当にそれでいっぱいだったんだよ。ひどいと思う。こっちは『合格したら』と言われていたのに、いつまで経ってもその話を切り出されないから飽きられたんじゃないかとか、少し気にしていたんだからね。蓮くんの思い通りになっているようで悔しいけれど……!
「答える前に聞きたいことがあるんだけどいい? 答えは決まっているけれど」
「ああ」
「蓮くんは……いつから私のことが好きだったの?」
「自覚したのは去年、お前に最初に告白した日だな。だがそれより前から恋愛感情一歩手前くらいではあった。それに気付いたのは一年の秋くらいか?」
「ということは二年くらい……長いね。全然気が付かなかった」
「まあ俺も恋愛感情とまではいかなかった時期だからな。決定的だったのが、お前が海斗をフッた翌日に名前で呼ばれているのを聞いた時だ。俺は結果を聞いてなかったから付き合い始めたのかと思った。あの時は心臓が止まるかと思ったな。その日一日悩んで、学校からの帰り道で海斗と話したんだ。その時に海斗が自覚させてくれた」
初めて聞いた話ばかりだね。かなり前から恋愛感情一歩手前? くらいではあったのも、蓮くんに言った通り少しも気付かなかった。全然そんな素振りなかったもの。それに海斗くん、あの日蓮くんに告白の結果を報告してなかったんだね。もしかして、帰り道でちょっと喧嘩のようになったりしたのかな? その時のことは何も分からないけれど、この感じだと結構しっかり海斗くんと話をしたみたいだし。あの日蓮くんの様子が少しおかしい気がしたのも、一日中悩んでいたからだったんだ。
「そう……」
「で、答えは?」
「……ごめんね。私も蓮くんのことが好きだけど、付き合うことはできないかな」
「っ……理由は?」
「蓮くんも私も、将来は医者になるから。好きな人と一緒に過ごす時間が作れないくらいなら、最初から政略結婚なり何なりした方がマシ。接しないうちに気持ちが離れちゃうんじゃないかって心配もいらないでしょう」
私だって、本当は蓮くんと恋人になりたいと思ってるよ。だけど立場上、一緒にいられる時間が少なくなるのが分かり切っていると不安にもなる。好きだからこそ、ね。
何とか冷静でいようとしているのが分かる顔の彼に言うと、一瞬唇を嚙んでから頷かれた。
「それは否定できないな。うちの両親も一緒にいる時間は少ない」
「だろうね」
「だが、一緒にいられる時間が短いからこそお互いに向き合っているのが子供の俺にも分かる。向き合い、話し合い、尊重し合い、できる限り一緒にいられる時間を作る。そんな姿を俺は昔からずっと見てきたんだ、やり方は分かる」
「気持ちが離れるかもしれないという心配」
「それも今言った通りだ。それに関しては俺も同じ気持ちだしな。それから、俺はさっきこう言った。『結婚を前提に付き合ってほしい』と。これは俺が咲良に対して誠実であれるよう、ちゃんと未来を見据えていることが伝わるように言ったんだ」
いきなり『結婚を前提に』なんて何か企んでいることでもあるのかと思っていたけれど、ある意味予想通りだったね。でもそっか……たしかに考え方次第かもしれない。親の夫婦仲がいいのはうちも同じで、どうやって良好な関係を築いているのかずっと見てきた。
そして私は蓮くんの誠実さと私への気持ちの大きさをそれなりに理解してしまっている。
「私、これだけ言われても蓮くんの気持ちを百パーセントで信じることはできないよ。人間不信だから」
「知ってる。だから俺はすべて行動で示す。お前が誰かの言葉より行動を信じることくらい分かってる。だから俺は、今まで愛を囁くことはあまりしなかった。その分行動してきたつもりだ」
「……うん」
その通りだね。これは私が一番、身を持って知っている。だけどまだ少し弱いかな。正直、心はだいぶ揺れてきているけれど……まだ決意するには至らない。
「俺は咲良が一番気を抜ける相手であると自負している。お前が一番遠慮なく接してくるのは俺だ。これからも気を遣うことなく過ごせるだろ」
……その言葉は、反則だと思う。それを言われるとここまでのすべてが覆されてしまうじゃないの。不安も心配も、百パーセント信用することができないからこそのもの。それなのに私が信頼している証とも言える『遠慮なく接することのできる相手』であると言われてしまったら、私は納得するしかない。出会ってから今まで、私は彼の隣にいて安心しなかったことがないから。
「……私、ここまでの話で分かる通り面倒な女だよ。素直でもない」
「そこも含めて好きだから告白したんだ」
「一生離してあげられないよ」
「一途だな。俺と同じだ」
「好き、だよ……蓮くんのこと。いつも意地悪ばっかり言ってくるのに、悩んでいたら相談に乗ってくれて、一人にしてほしい時は何を言っても離れてくれないけど黙って一緒にいてくれて。天才肌だけど努力もちゃんとしているところとか、人のことを良く見ているところとか、すごくかっこいいなって思う」
思えば、本当に辛い時一番支えてくれて隣にいてくれたのは蓮くんだった。海斗くんに告白された時、陰口を言われているところに遭遇した私は中学生の頃を思い出して動けなくなった。その時に助けてくれたのも彼。
「嬉しい」
「最初に私に告白してきた時から、たまに口調が柔らかくなるのは許せない。ドキドキしちゃうから」
「悪いな」
「私、蓮くんのことすごく好き。大好き。好きになったばっかりだけど、私は時に辛くなるくらい一途だよ。信じてくれる……?」
「言われるまでもなく」
「声、震えてるよ?」
「そりゃあ、本気で結婚を考えるくらい好きな奴にこんなことを言われたらな」
……うん、私は蓮くんから十分すぎるほどに言葉をもらった。諦める前に、一度くらい彼のことを心から信じてみるのもありかもしれない。
さっきは蓮くんが言ってくれたから、今度は私が。小さく息を吐いて意思を固め、目の前に立つ蓮くんと目を合わせる。そして口を開いた。
「……私と付き合って、蓮くん」
「結婚は?」
「プロポーズの時のお楽しみだよ」
「そりゃあ楽しみだな」
「で、返事は?」
私の言葉を聞いた瞬間、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた蓮くんは少しだけ意地悪な顔になって、自分の言った『結婚を前提に』の部分を突いてくる。だから私も意地悪に。
最初の蓮くんと全く同じ言葉を返せば、今度は優しく微笑んで頷いてくれた。それを見た瞬間思わず体が動き、彼のことを思いきり抱き締めてしまう。
「もちろん、喜んで……って!」
「大好き。本当に好き。ありがとう、私をただの『咲良』にしてくれて。私らしくいさせてくれて」
「……俺は俺らしく生きてただけだから、本来の咲良と上手く嚙み合ったんだろ。俺らは良くも悪くも似ているし、似ていない」
蓮くん。それ、すごく矛盾してる。でも……伝えようとしてくれていることが何かは分かるよ。
私は中学生だったあの日、本当に辛かった。だけどあの会話を聞いてしまったから不登校になって、知り合いのいない桜華学園に通うことになって、蓮くんや藍那、海斗くんや他の友人達に出会って。そしてまた前を向くことができた。
「咲良、高校の三年間は楽しかったか? 俺はつい最近までお前の過去を知らなったが、何かあって頑張っていたのは知っていた」
「うん、とっても。すごくすごく辛かったけれど、同じくらい楽しかったよ。忙しくて、いつも何かに悩んでいて、時にすべてを投げ出したくなる時もあったけれど、毎日を大切に、そして全力で生きる日々は本当に充実していて楽しかった。頑張った甲斐があった」
精神的な苦痛を感じる度に思ったの。『いつまでこの時間が続くんだろう。いつになったら私は解放されるんだろう』って。だけど終わってみれば一瞬だったような気がするね。
「俺も。卒業したばっかだがもう懐かしい」
「私ね、昔は桜が好きだったのに中学の卒業式の日から苦手になったの。あの日も満開の桜が見えたから。だけどこの前の卒業式のおかげでまた大好きになれた。私とって桜は青春で、これ以上ない幸せな思い出だな……」
「じゃ、今度一緒に花見に行こうぜ。デートだ」
「ほんと? お花見なんていつぶりかな……すごく楽しみにしてる!」
「ん。そういや咲良、俺ら大学一緒だからしばらくは一緒にいられる時間長えぞ」
「知ってる。だからすごく嬉しいよ」
◇
春の暖かな街道を歩く咲良をそっと目で追う。どこからか明るい音楽が流れてきそうなくらい陽気に満ちた朝だ。
高校生の頃とは違い、私服に身を包んだ咲良の姿はいつも違った風に目に映る。前を歩く咲良に声をかけようとした瞬間、強い風が吹いて桜の花びらが散った。舞い散る桜吹雪を背景に、下ろした髪を耳に掛けながらこちらを振り向いた咲良は、とても幸せそうな笑顔を浮かべていた。
こんにちは、山咲莉亜です。最後までご覧いただきありがとうございました!
初めて青春小説に挑戦したのですが、学生らしい未熟さとすべてに全力を注いでいる姿を描くのにはすごく苦労しました。ですがとても楽しかったので、また青春小説にチャレンジしたいなと思っています!
そして軽くお知らせになります。『桜吹雪レコード』はこれにて完結となるのですが、この後サブタイトルの意味等をまとめたものを公開する予定です。番外編も公開時期は未定ですが何作か決まっていますので、そちらもぜひご覧いただけると嬉しいです!
改めまして、最後までお付き合いいただきありがとうございました! 山咲莉亜