余り物には福はない
二次会の静まりかけた羽島の居酒屋。ビールの泡がゆっくり消えていく中、博之は少し斜に構えて座っていた。隣では後輩が、ツンとした雰囲気の美人に懸命に話しかけている。
その隣に座っていた恵子は、控えめな笑顔でグラスを傾けていた。話に加わるわけでもなく、ただ場に溶け込むようにして。
「この空気、ちょっと映画みたいですね」
と、恵子がぼそりと言った。
「映画? そんなにドラマチックですか?」
「ううん、静かな映画。音楽がほとんど流れないような。気づいたら終わってるけど、何かが残る感じのやつ」
博之は笑いながら、「それ、ちょっとわかるかも」と返した。
二人の会話は、やがて夜風の冷たさとともに駅前まで続いた。名刺の裏に番号が書かれていたのは、ほんの気まぐれのように見えたけれど、その一枚が、冬まで続く小さな物語の種になった。
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LINEのやりとりは、その後もぽつぽつと続いた。
**博之**:「社内、今週また席替え。部長の背後から囁かれる日々です」
**恵子**:「工場長は昨日、“エクセルの呪いだ”って言いながらシートの色変えてました」
**博之**:「それは……完全に呪われてる」
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ある日、設備トラブルで博之が工場へ赴くことになる。事務所のドアを開けると、制服姿の恵子が書類を整理していた。
「来るって聞いてたけど、本当に来たんですね」
「こっちが“本物の会社”っぽく見えて、新鮮です」
会議後、駅前での夕食。
「なんでラーメン屋って安心感あるんでしょうね」
「スーツよりジャージが似合うからですよ。場が人を選ぶ」
「それ、名言だな。恵子さん、意外と深い」
「意外と、は余計ですよ」
笑いながら、互いの距離がほんの少し縮まった。
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そして季節は冬へ。
会社では業績の悪化が囁かれはじめていた。恵子の工場も例外ではなく、閉鎖の噂が社内をまわる。
**恵子**:「工場、多分閉じます。みんな何も言わないけど、空気が冷たいです」
**博之**:「それ、今日聞いた。こっちでもざわついてる」
**恵子**:「不思議ですね。建物ってあったかかったのに、急に冷えた気がする」
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閉鎖が正式に発表された日、博之は駅前で恵子を待っていた。工場の制服姿の彼女は、少し痩せたように見えた。
「おつかれさま。……なんか、こう言えばいいのか迷うけど」
「うん。でも、言われたくて来たのかも」
定食屋での食事も、会話も、すべてがゆっくりと進んでいく。
「次の仕事探さなきゃ。しばらくは、バイトかな」
「俺が面接官だったら即採用なんだけどな」
「そんな会社、危うすぎます」
笑いのあと、少しだけ沈黙が落ちる。
「…余り物って、やっぱり捨てられるんですね」
「捨てるんじゃなくて、場所を変えるだけなんじゃないかな」
「そう思えるうちは、まだ大丈夫かな」
駅の改札。電車の時間が近づいてくる。
恵子は一歩引いてから、ふと振り返る。
「名刺の裏、覚えてます?」
「もちろん。赤い包み紙も一緒に」
「じゃあ……また、偶然があったら、拾ってください」
電車のドアが閉まり、恵子の姿が揺れながら遠ざかっていく。
博之はポケットの中で、くしゃくしゃになった包み紙をそっと握りしめた。