あなたと、わたし。
宇宙船の広い窓から地球が見える。綺麗な青色の惑星だ。
自分が、何十年もあそこで生活していたなんて想像もできないほど、遠い。無限の闇に浮かぶ、はかない蜃気楼のようだ。
「もうだいぶ進んだのかな」僕は訊ねる。
「ええ、外の景色はホログラム。地球が見えた方が落ち着くでしょう」
全身銀色の人間が答える。銀色でかつ、メタルカラーのような光沢があり、水銀のような柔らかい質感にも見える。髪の毛も、瞳も、服も全て銀色だ。接合面のない、型から同じ素材で切り抜かれた大量生産のフィギュアのようだ。
「君はどうしてそういう姿をしているんだ」
「これがあなたのイメージよ。異形なモノのイメージ」
「君の姿は僕のイメージ通りに変化するのかい?」
「そう」
僕は、真っ白な治療室のような部屋にいる。部屋には、固いベッドが一つと、天井からモニターが吊り下げられている他は何もない。僕と銀色の人間の二人だけ。身体は動かない。動かさそうと思えば、動きそうな気もするが、なんだか、そこまでする気力もないし、動かす必要性もないように思う。宇宙船の全貌はわからない。
「きみの名前は?」
僕は訊ねた。
「ルミオザよ。遥か太古に絶滅した蜂の名前から借名した。それより、部屋の温度はどう」
「いいよ。快適だ。でも、少し息苦しいかもしれない。ほんの少しだけ」
「地球の環境をここに再現するのは難しいわね」
「でも、かなり似ているよ」
実際、自分の部屋にいるような錯覚さえしてくる。
「本当はね。かなりの部分で違うのよ。変換装置で人間の認識範囲であなたに映像や音声を伝えているの。あなた達のシステムや物理科学の法則なんかは、非常に狭い範囲で適用されるものなのよ」
「装置をはずしてみてくれないかな」
「今すぐには無理よ」
「まず、あなたの中に形成されたことのない概念がかなりあるわ。人間には知覚することのできない感覚とその言葉、これらは急には伝えることができないわ」
「そんなものなのかな」
「私は、私達の言語を翻訳してあなたに伝えているわけではないのよ。私は、あなたの言語でしか、あなたに理解できるように、あなたに伝えることはできないのよ。あなたの脳の中の物質を、まるまるコピーして、どのような回路を形成しているか、それに基づいて言語規則、概念を再現しているの。私達は、もう少し、違った形で、私達を理解してほしいの。勘違いしてほしくないのよ」
「大丈夫だよ、僕は、真実をそのまま受け入れる」
「残念だけど、あなたは、あなたの理解できる範囲のものしか理解することができないの。私がこうして、あなたの言語を使用して、あなたに語りかけていることはあまり意味がない。だから、あなたは惑星で私達の生活を見て、実際に体験してほしいのよ」
ルミオザを見ると、彼女は巨大な爬虫類型の人に変異していた。瞳は、黄色に輝き、鱗状の皮膚は、多量に水分を含んでいるように滑らかで、それでいて、ナイフでも容易に切り裂けないぐらい強靱そうに見える。
「この姿、変かしら?」彼女は、十センチくらいはある尖った舌をピョロっと出す。
「いいや、おかしくないよ。僕の夢の中で見た異星人の姿だ……。ところで、そろそろ、人類の最後について教えてもらってもいいかい?」
「ええ。気持ちの整理はついたかしら」
「うん。ずっと気になっていたんだ」
僕がそう言うと、ルミオザは悲しそうな顔して僕を見つめた。
「二○三一年に、アメリカと中国の戦争が始まったのは覚えているわね」
「うん、覚えているよ。台湾事変がきっかけだった。徐々に、日本もアメリカ側に参戦し、壊滅的な不況も相まって、軍隊制度がはじまった。大学二年生の頃だ。日本は戦闘には加わらないということだったので、僕も志願した。周りの友達や、親戚も皆、志願していたしね。なにより初任給がだれでも四十万円からだった」
「現実は、ひどいものだったわね」
「ああ。みんな死んだよ」
「九十九里浜での戦闘の最中に、あなたを人間のサンプルとして捕獲したわ。それが五年前ね。その翌年、核戦争がはじまった。これは人類史上、最悪のもので、太陽系付近の歴史のなかでも、稀にみる戦争になった。あなたを冷凍保存して、他に捕獲した人間達と一緒にしていたんだけど、実は、核戦争が落ち着いた頃に、あなた以外の人間を解放して、地球に戻したの」
「そうなのか……」
「地球人が絶滅するくらいの数まで減っていたから、私たちが放射能を除去した後、また、地球を復興させる目的でね」
「僕がなぜ、残されたんだい?」
「それが……、運命なのか、偶然なのか、あなたの冷凍装置だけ、故障していて、装置内にまだあなたがいるのに、【放出済み】になっていたのよ」
ルミオザは笑った。
「それに気がついたのは、二年前、伝染病の蔓延の後よ。生物の遺伝子を変化させ、破壊するウイルスの蔓延。ワクチンを製造している間に人類は絶滅したわ……。あなた一人を残してね」
暫くの時間、眠ってしまっていたのかもしれない。
音も、振動もなく、暖かい春の昼間のうたた寝のようだった。本当に穏やかで、平和な地球の僕が住んでいた部屋を思いだした。部屋だけじゃない。植物や大地、全ての生命を照らし、包み込み太陽の光。草木や、海面をさざめかせる、そよ風。変わらない街並み。流れる雲。目を閉じれば、それらはまだ、僕のすぐそばにあって、いつでも其処に戻れるような気がした。
部屋の扉が音もなく開き、長い廊下が見える。
「着いたわ」
「惑星に?」
「ええ、私たちの惑星よ」
「全然、宇宙空間を移動している感覚がなかったよ」
「そうでしょうね。かなりの速さだったもの。光よりもっと速く……。実を言うと、私も原理を知らないの。遠い所で開発された技術よ」
ルミオザは僕の手をとり、廊下へと導いた。身体は重く、少し眩暈がした。廊下は驚くほど真っ白で、遠くに黒い穴のようなものが見えるだけだった。おそらく、その黒い穴が出口だろう。気圧の変化のせいか、耳の奥が圧迫されて、声が聞き取りにくい。自分の声が他人の声のように聞こえる。
「あなたに時間と空間に関して、話しておきたいことがあるわ」
「それは僕も聞きたかったんだ」
「まず、時間と空間という概念は、あなた達人間、生物としての人間が、よりよく地球上で快適に、楽に生活するために生み出したものよ。これは、記憶とも言い換えることができるわ。地球で生存してくためには記憶装置が非常に役に立つわ。時間が過去から未来へと流れていく、というのも人間には都合がいいのよ。本当はね、どちらであっても構わないのよ」
「どちらって?」
僕は薄々、わかってはいたが、敢えて訊ねた。
「時間の進む方向よ。過去から未来に流れるものであっても、未来から過去へと流れるものであっても、どちらでもかまわないのよ。現に、私達には、過去・未来・現在を表す単語は同一のものよ。一つしかないわ」
「すべてが同時に存在する?」
「いえ、進む方向は、認識者、認識する主体が選ぶということよ。物事の通りや、秩序なんかは、かなりの部分で、生活する環境に依存しているわ。時間と空間も、それを認識する主体自体も、すべては独立には存在せず、相互作用によって、互いに担保しあっている」
廊下の一番奥の、黒い出口からは、円形のドーム状の部屋に繋がっていた。
「ここから、惑星に降りることができるわ」
ルミオザは言う。
僕らが、ドーム状の部屋に入ると、黒い壁は透明になり、そのまま下へと下降した。エレベーターのようなものなのだろう。
空間が出現する。
巨大なモニター。おそらく惑星の姿が映し出されている。
モニター内には、赤い空、三つの太陽。薄い霧に覆われた地上に、玩具のブロックのような灰色のビルが幾つも聳え立つ。そのビルは山脈に取り囲まれて、山脈には橙色の森林が広がっていた。異様な光景だ。無数の銀色の球体が、偵察機のように物凄い速さで飛び回っている。
「あれが私よ」
ルミオザは惑星を指差す。
「どれが?」
「惑星自体よ。この身体は命令を受けて動くドローンみたいなものよ。あなたも、実はあなたを操作する別の本体がいるのかもしれないわね」
「そんなことないよ。僕は僕の意思で動いているんだから」
僕がそう言うと、ルミオザは微笑した。からかっていたのかもしれない。
「言語として、変なるものから、不変を切り取っているものは、共通した規則であっても、それ自体には、それ程意味はないのよ。言語として明示化されたものは、同一性を与えられるけれど、その同一性は幻想にすぎないの。いい? あなたの身体と、あなたの脳が、あなたの信じる世界の全てよ。独立した外部世界なんて存在しないわ。永遠に反射し続ける鏡にように、すべては反射し続ける」
ルミオザが一体何を僕に伝えたいのかはわからなかったが、一つの疑問は残り続ける。何故、人類の滅亡をルミオザは予知できなかったのだろうか。未来・現在・過去がルミオザにとっては、同一のもののはずなのに。ルミオザは、全てを知ったうえで、敢えて、人類の滅亡を放置したのだろうか。
一番下まで着くと、また扉が開き、部屋に通された。その部屋は機械装置そのものだった。部屋と呼ぶには、あまりにも複雑で、妙だった。それは、機械装置は植物的でもあったからだ。無数の茎のようなパイプが壁や床を這い回り、枝や葉、果実に相当するような部分も存在していた。中央には、薔薇のような巨大な花びらが、青いセンサーに囲まれて、宙に浮いている。これもホログラムかもしれない。ルミオザは、真っ赤に熟した果実を一つもぎ取り、優しく囓り、咀嚼する。
「あなたをそのままでは、惑星に降ろすわけにはいかないの」
僕は黙っていた。
「あなたの身体を解体し、再編する必要があるわ。でも、あなたはそれを拒むこともできるわ。もし、解体されることを拒むのであれば、あなたは、あなたのまま、永遠のあなたとして、この部屋に居てもらうことになる。この部屋で、私達の共時性を担保するの」
「僕は、僕の身体のままで、君たちの世界を理解することはできないだろうか。正確ではなくても、ぎりぎりまで、言葉を何度も交わし、君たちの事を理解することは出来ないだろうか」
「できないわよ」
「どうして」
「確認することが不可能だからよ」
「どうして」
「三人目が必要だからよ。私は大いなる一つの意思。全体であり部分である。個体であり、種族であり、惑星でもある。私は私達として、私達は私として共通した意識を持つ。あなたは、最期の地球人。地球の最期の生き残りよ」
「第三者がいなくてもいいじゃないか。誰も保障しなくても、僕は君を理解するよ」
「それじゃあ駄目なの。第三者の存在が必要なのよ。あなたは、私たちを理解する必要はないの。私達が、私達であることを、同じ一つの不変なるものであるということを担保する永遠の審級になるのよ。それが、イヤなら身体を捨てて私に同化するの」
「そうか。君はそうやって、仲間を増やしたんだね」
「ええ。あなたはどちらを選ぶの」
ルミオザの姿は、一人の小さな女の子に見えた。純真で無垢な象徴的な姿。きっと、僕がそうあって欲しいと思うルミオザの姿なのだろう。
「君ははじめから答えを知っていたんだね。この身体を捨てることはできないよ。もし、身体を捨てるのであれば、僕は僕ではなくなってしまうからね」
「それも一つの選択よ。私は、その意思決定を否定しないわ」
「僕が死んだらどうなるんだ。人間は永遠には生きられない。僕だって、あと四、五十年もすれば、栄養を補給し続けていても死んでしまうよ」
「そんなこと心配いらないわ。あなたは死なない。私達が死ぬまでは。そして、私達は死なない」
「そんなことあるものか。全ては変化し続ける。死なないのなら、もはや生物ではないじゃないか」
「システムは死なない。その構成要素を変化させても、私達というシステムは、死という概念をも取り込んで永遠に生き続けるわ。争い、憎みある複数の存在よりも、すべてがわかりあえる、たった一つの存在になれるというのに」
ルミオザの声は次第に遠ざかる。
遠ざかる声と、遠ざかる意識。僕は、僕のままで一つの生命を終えて、一つの不完全な答えを導き出した。
2012年
2025年 少しだけ修正
これは、長編の構想をむりやり駆け足で短編にしたもの。要素や設定を追加して、いつか長編にしたいと思っている。今、読むと描写や設定がかなり甘いが、修正しだすと7割、8割変更することになるので、当時のクォリティのまま残すことにした。