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後妻業の女【最終話】

読んで良ければ評価をお願い致します。

 それから十か月後、喫茶店のサンドイッチを頬張りながら由紀子は興信所の報告書に目を通していた。

 向かいの席にはなじみの調査員の男が座っていた。

 三か月前にまたミカが引っ越しをしたので依頼して行方を探してもらっていたのである。

 男は言った。

「あの女、結婚してT市に引っ越していましたよ」

「また? で今度の相手は何歳のおじいさんなの?」

「それが今回は違うんですよ、相手は三十二歳で彼女より二歳年下」

「え? 若い金持ちの男を捕まえたって事?」

「いえ、金持ちではないでしょう。客の手相や人相を見て生活しているんですから」

「それって……」

「ええ、後妻業はもう止めにして『普通の幸せ』ってやつを手に入れたんでしょう。相手の男は中々のイケメンですよ」

 由紀子は報告書と一緒に渡された写真を見つめた。

 背の高い若い男の横で微笑むミカが写っている。 


 由紀子はサンドイッチが急に喉を通らなくなった。


 喫茶店を出た由紀子はフラフラとあてもなく街を歩いた。もう昼の休憩時間も終わり会社に戻らなくてはならない時間だが歩き続ける。

 彼女はこの六年間を思い出していた。

 六年前、ミカに亡き父の財産を全て奪われ一文無しになり由紀子は働きに出る事になった。それまで『深窓の令嬢』で働いた事など無かった彼女が五十を過ぎてから社会にほっぽり出されたのである。

 いい歳をして電話の応対も満足に出来ないと、若い二十代の女性社員に(あき)れられながら必死に仕事を覚えた。

 辛い毎日だった。

 今では上司や同僚に一目置かれるまでになったが年齢の為に待遇は契約社員のままで安月給に気苦労が絶えない。

 お金が欲しい。

 高望みはしていない、ただ月末に口座の残高を心配しなくていいだけの給料が欲しいだけなのだ。


 それなのにミカは好きな男と結婚して裕福な暮らしをしている、私がもらう筈だった父のお金で。許せない、絶対に許せない。

 仕返ししてやる。

 嫌がらせの電話や手紙じゃ生温(なまぬる)い。

 すごい仕返しをしてやる、目にもの見せてやる。


 由紀子は街をフラフラ歩き、会社に戻る事はなかった。


 その六時間後。

 涼介は自宅のソファーで読書をしていた。

「兄さん、ミカさんは?」キッチンにいる弟の彰吾が訊いた。

「もう、そろそろじゃないかな」涼介は顔を上げると読みかけの本を閉じてソファーの前のローテーブルに置いた。

「僕は兄さんがうらやましいよ。ミカさんのような人と結婚できて」彰吾は笑顔で言うと果物ナイフで器用にリンゴの皮をむきだした。


 同じ頃、閑静な住宅街の夜道にミカのハイヒールの靴音が響いていた。


 すっかり遅くなっちゃったわ、涼介さん、待ちくたびれているかしら


 案じながらも彼女は夫である涼介の顔を思い浮かべ頬を緩めた。

 彼は整った顔立ちをしている。

 でも彼女をこれ程に夢中にさせるのは彼の浮き世離れした雰囲気にあった。


 涼介には男臭さがない。

 そして人間臭さもない。


 彼と交際を始めてからミカは涼介が物事に執着するという事があまり無いのに気付いた。

 物欲や金銭欲といった誰もが持っている欲も無い。


 だから()かれるのだ。

 後妻業で欲深く生きて来た彼女の心を(とら)えて離さないのだ。


 そんな涼介が大切にしているのは

 仕事、コーヒーそして弟。


 付き合っている頃から弟と同居している事は知っていた。家事が出来ない涼介に代わり家の事は全て弟がしている事も知っていたが、その流れからか結婚して三か月が過ぎようというのに弟に家を出て行く素振りは見えない。

 そして長年連れ添った恋女房の様に涼介の世話を焼くのだ。


 彼女にはそれが腹立たしくてたまらない。


 しびれを切らしてミカはやんわりと弟の彰吾に言った。

「彰吾さんも若いから一人暮らしをして自由を満喫したら?」

「僕が出ていったら家の事はどうするの?」

 ミカは料理が苦手でリンゴの皮むきすら、たどたどしいのだ。

「大丈夫よ、お手伝いさんを雇うから」

 今まで金持ちの妻しかした事がないミカにとって家政婦が家にいるのはごく普通の事だった。

「そんなのもったいないよ。いいよ、僕がやればいいんだから」

「……」


 彼女は料理教室に通い始めた。料理をマスターして彰吾を家から追い出す魂胆だった。

 そして今、教室からの帰りなのだ。

 ミカのハイヒールの靴音は一段と速くなった。


 キッチンから出た弟の彰吾はリンゴを盛った皿を涼介に手渡すとソファーに腰掛けた。

「さっきも言ったけど僕は兄さんがうらやましいよ、ミカさんのような女性と結婚できて」  

 彰吾は意味ありげに笑うと続けた。 


「あんな女性、滅多にいない。美人で金持ちでしかも……顔に死相が現れている、なんて」


「しかも日増しに色濃くなっている」涼介は頷くと言った。


「じゃあ、やっぱり、そろそろなんだね」

「ああ、そろそろだ。気の毒だがこればかりは運命だからどうしようもない」

「それにしても兄さんが結婚したのは驚いたよ」彰吾は笑いながら言った。

「そうかい?」

「兄さんはお金に興味が無いのかと思っていたけど、さすがに十一億には心が動いた?」

「違うよ、お金の為じゃない」

「え? じゃあ何故?」

「彼女は僕の仕事を見下しているんだ。表向きは応援しているように見せているが心の中じゃ馬鹿にしている。僕たちは半年間交際していたがずっと彼女は変わらなかった。だから別れを告げようとしていた矢先に彼女に死相が現れた……そこで僕は彼女と結婚することにしたんだ」

「別れようとしていたのに?」


 涼介は頷いて言った。

「彼女は僕の仕事を見下した。だから僕は後妻業の彼女から遺産を相続してやろうと思ったのさ。彼女も自分が金を(のこ)す側になるとは思いもしなかったろう。しかも彼女は三人の夫から十一億円もらうのに十年もかかってしまったが僕はわずか半年足らずでやってのけるんだ」

「それって、もしかして……」


「ああ、仕返しさ」


 

 ミカは夜道を歩いていた。

「涼介さん、待ちくたびれているかしら」

 今日は教室で八宝菜を作る予定だったので持って帰って来るから夕食はそれまで待っていてほしいと朝、言っておいたのだ。

「でも美味しく出来たから喜ぶわ、きっと」

 彼女は嬉しそうに(つぶや)いた。自宅のマンションはもうすぐそこだった。


 彼女は知らなかった。


 愛しい涼介は少しも彼女の帰りを待ちわびていない事を……

 代わりにマンション前には今か、今かと彼女の帰りを待ちわびている由紀子がいる事を。




結末まで読んで頂きありがとうございました。

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