第32話 ティアナVS番人
ティアナの前に広がる真っ白な壁。
右を見ても、左を見ても、果てしない程の白が続いている。
〝ロスト〟内は風属性の影響を強く受けているらしく、大森林の中にいるようだった。
だが、目の前のこれは違う。
自然とはかけ離れているが、人工物とも違い、今まで歩いて来た地面も途切れ、底があるのか無いのかもわからない白色ばかり。まるで世界が分断されてしまったかのようだ。
まさに異次元。
余りにも異様なこの白色の先に、迷宮を攻略するための核と番人が居るという。
にわかには信じられないが、疑う余地も時間も無い。
ティアナは未知への恐怖心を抑え込むと、白い壁に向かって恐る恐る手を伸ばした。
壁に触れると、水に小石を落としたかのように波紋が広がる。
感触も液体に近いが、実際に濡れている訳ではなく、温度も感じない。
腕をさらに伸ばせば白い壁に吸い込まれていき、先に別の空間が広がっているのは確かのようだった。
意を決してティアナは目を瞑ると、白い壁の中に入っていく。
全身が白色に飲み込まれた瞬間、身を襲う異質な空気にティアナ目を見開いた。
外から見えた白い壁とは打って変わり、中に広がっていたのは暗闇だった。
ただの暗闇ではない。
闇に様々な色が小さな球体として浮かび、頭上高くには黄色く大きな満月が光り輝いていた。
「ここって、宇宙空間!? でも息は出来るし、話せる。地面だってある」
喉を触り、声を出し、足を動かしてみる。
足は確かに硬い地面を踏みしめ、重力も普段と同じようにあるようだった。
足首まで広がる謎の赤い煙によって地面がどうなっているのかまではわからないが、あくまでもこの空間は宇宙を映し出しているだけであり、実際に自身が宇宙に飛ばされてしまったわけではないようだ。
ティアナはそう考え、気を取り直して辺りを見渡した。
「⋯⋯! あれは」
星々に混ざって浮かぶ巨大な鉱石。
全長五メートル程の鉱石は虹色に輝いており、まるで心臓のように脈打っていた。
「アレが迷宮の核⋯⋯巨大なメモライト。アレを壊せば⋯⋯!!」
ティアナは核を破壊すべく走り出すが、その動きが止まってしまう。
核の真下。
そこには白色の甲冑が立っていた。
全長三メートル程の金属の塊は、人間の全身を金属で包み込んでいるかのように、二本の手足や腹部に至るまで全てを覆う金属板で構成されている。
だが、ただの板金鎧でないことは明白だった。
何故なら人間の頭に当たる部分。
最も守らなければならない部位に兜が無く、何よりも頭そのものが存在していないのだ。
「⋯⋯首も中身も無い鎧。普通なら有り得ないことだけれども、つまりはアレが番人ってことね」
鎧がひとりでに立つわけも、動くわけもない。
当たり前の世界の理を平然と踏みにじる目の前の番人に、ティアナは自分でも驚くほどに冷静だった。
異様な空間も、初めて対峙する番人も、何もかもがティアナにとっては未知で、次の瞬間にはどのような事態が引き起こされていてもおかしくは無い。
実際、今までの彼女であればこの空間に入った時点で、正気を保つことは出来なかっただろう。
死への恐怖。己の弱さ。無力さ。
それらがティアナを押しつぶしていたはずだ。
だが、今の彼女は違う。
自身の命と、〈月華の兎〉の存亡を賭けて、全てを背負いながらも何一つとして重荷に感じることも、恐怖することも無い。
(リオティスが私に託してくれた。信じてくれた。だから⋯⋯私は戦える!!)
ティアナは右手で短剣を握りしめると、番人に向かって走り出した。
今までに感じたことのない力が全身を駆け巡る。
すると、異空間にティアナが入ってから不動だった番人が動きを見せた。
右手を広げ、腕を真横に伸ばしたかと思えば、眩い光が放たれる。
真っ白な光が宇宙に広がり、徐々に収縮していく。
凝縮された光は長く大きな塊となり、番人の手に握られた。
巨大で重さを感じさせる大剣。
番人は自身の背丈を超える大剣を右手一つで握りしめると、目前にまで迫ったティアナへと振るった。
空間を切り裂くが如く勢いで横一直線に振るわれた斬撃に、ティアナは冷静に屈んで回避する。
(大振り。威力は絶大。けれど、隙も大きい⋯⋯!)
大剣を見切ったティアナはそのまま番人の懐に潜り込むと、腰に向かって剣戟を放った。
「⋯⋯っ」
手に伝わる衝撃。
真っ二つに切断するつもりで放ったティアナの斬撃は、番人に直撃するも、数センチの切り込みを入れることしか出来なかった。
ティアナはすぐ様に追撃の態勢を取ろうとするが、咎めるように番人が大剣を振り上げる。
隠すつもりも無い見え見えな攻撃。
先ほどの横振りからしても避けるのは容易だろう。
ティアナはそう考えたが、追撃は諦めて回避を優先した。
刹那、宇宙を映し出した異空間が激しく揺れ、地面に充満した赤い煙が全て吹き飛ぶほどの風圧が生まれる。
距離を取ったティアナも余りの風圧と衝撃に目を細め、風を防ぐように腕を顔の前まで動かした。
たった一撃、大剣を振り下ろしただけ。
それだけで世界が悲鳴を上げたようだった。
(やっぱりあの攻撃は油断できない。速度は無いけど、破壊力が尋常じゃないわ。多分、このメモリーでも防げない。何より問題は、番人の能力が不明ということ)
ティアナは大剣を振り下ろし、そのまま微動だにしない番人を見つめながらも、迷宮初日の晩にバルカンが話していたことを思い出す。
番人には魔獣や記憶者同様、ひとつの固有能力があり、迷宮の難易度が高い程に強力な能力を宿しているのだ。
その能力がわからない状態で不用意に近づき、攻撃を受けることは自殺行為に等しいだろう。
(能力があるとすれば鎧そのものか、大剣か。でも、鎧に短剣で触れたけれど特に違和感は無かった。なら、怪しいのはやっぱりあの大剣。斬った対象に影響を及ぼす、またはあの馬鹿げた破壊力が能力によるものなのか。どちらにせよ、番人に勝つには一度も大剣に触れることなく、近づいて斬るしかない。番人を無視しようにも、あれだけ近くで核を守られていたら難しいわね。隙を見せるだけになる。⋯⋯やっぱり勝つしかない。私が、あの番人に!)
能力は不明。
こちらの攻撃手段も近距離しかなく、その上で番人の攻撃を一度も受けることなく勝利する。
不可能に近い絶望的な状況。
それでもティアナには、やはり不安も恐怖も無かった。
信じている。
リオティスの言葉がティアナの背中を押した。
「さぁ、勝負よ番人!!」
再び走り出したティアナは、圧倒的な速度を得て、真正面から番人の胴体に向かって短剣を振るった。
鎧と刃がぶつかり、金属音が響く。
だが、やはり致命的な傷を与えることは叶わず、隙を捉えた番人が大剣で反撃に出た。
一撃即死の斬撃。
番人から放たれた剣戟に、ティアナは瞬時に対応する。
足に力を込め、地面を蹴り、空間を駆け、一瞬にして番人の背後に回ると背中を短剣で斬りつけた。
鎧によって斬撃は防がれ刃が弾かれるが、ティアナは諦めることなく剣戟を放ち続ける。
番人も大剣を持ち直し、剣を振るう勢いのまま背後を振り向き、ティアナを真っ二つに切り裂かんとするが、既に彼女の姿は無く、代わりに隙だらけの腕に衝撃が走った。
ティアナは番人の攻撃を掻い潜り、重い一撃を回避した後、電光石火の如く速度で短剣を振るっていたのだ。
一振り、二振り、三振りと、番人の攻撃よりも先に、何度も何度も剣戟を放つ。
当然、番人も反撃するが全てを回避されてしまう。
大振りであるがため、ティアナにとっては避けることなど容易だった。
とはいえ、一撃でも当たれば即死という状況で、ティアナが取った行動はカウンター狙い。少しでもタイミングを見誤れば、番人の大剣が身を裂き、命を刈り取るだろう。
さらにはティアナの剣戟も、未だ番人には有効打とはなっていない。
傍目からは一方的な勝負にも見えるだろうが、実際はティアナが圧倒的に不利だった。
大剣から生まれる風圧が髪を乱し、薄皮一枚で回避した刃が鼓動を早める。
触れれば間違いなく死ぬというのにも関わらず、ティアナの動きはまるで衰えない。寧ろ洗練されていく。
短剣を振るう程、死を乗り越える程、ティアナは自分の精神が成長していくように感じていた。
研ぎ澄まされる感覚に、思考と視界は晴れていき、相手の動きがゆっくりに見える。
それはメモリーの力によるものでもあったが、何よりも大きかったのはティアナの潜在能力だった。
今まで否定され続け、無能と言われ、ティアナも自身の可能性から目を閉ざすようになってしまっていた。
だが、リオティスからの信頼に自信を取り戻し、メモリーから与えられた力に身を動かすうちに、彼女に眠っていた才能が開花したのだ。
「ハアアァッ!!」
ティアナは渾身の力を振り絞り、番人に向かって短剣を勢いよく振るった。
すると、今まで多少の傷をつけることしか出来なかった板金鎧に、深い斬撃の跡が残った。
腰の部分。
外側から内側に入った真っすぐな跡は、幾度も斬られた傷が重なって出来たものだった。
最初にティアナが番人に放った斬撃によって出来た僅かな切り傷と全く同じ個所に、彼女は攻撃を繰り返していたのだ。
番人の大剣を全て避け、さらには寸分違わずに同じ傷に刃を斬りつける。
まさに神業ともいえるティアナの剣戟が、ついに番人に届いたのだ。
「これで終わりよッ!!」
全身に流れるエネルギーを全て利用し、ティアナは番人に走る深い傷跡に最後の一撃を繰り出した。
鎧に当たる刃は今までとは違い跳ね返されることも、止まることも無く走り抜けると、番人の胴体と下半身を分断するように真っ二つに切り裂いた。
切り裂かれた胴体は地面に転がると、ドロドロの液状となって溶けて消えていった。
「や、やった⋯⋯本当に、私が!」
消滅した番人の胴体を見たティアナは、遅れてやってきた疲れに膝を付きつつも、今までに感じたことも無かった幸福と達成感を得ていた。だが、
「下半身が消滅しない⋯⋯?」
喜びも束の間、ティアナの視線の先には、溶けた胴体とは違い、残った腰から下の板金鎧が直立したままの姿があった。
何故だろう。
拭いきれない不安がティアナの内に広がった時、残された下半身の色が変化した。
真っ白だった鎧が熱を帯びたように赤く変色すると、下半身の上から徐々に体が再生されていく。
同じように色を変え、赤くなった胴体、腕、そして大剣はあっという間に全て再生し、今までの傷すらも消えて元通りになっていた。
「ウソ⋯⋯」
驚愕するティアナに向かって、番人は大剣を振り上げる。
ティアナは何とか正気を取り戻すと、間一髪で攻撃を横に避けて回避した。
刹那、番人が降り降ろした空間に亀裂が生じ、軌道に入った全ての物質を切り裂いたのだ。
宇宙に広がる星も、天高くに浮かぶ月までも。
実物では無いが、遥か彼方に見える星までもを斬った番人に、ティアナは先ほどまであった余裕も消え、血の気の引いた真っ青な顔で唇を震わせた。
「な、に。この威力。さっきと違う。しかも復活するなんて⋯⋯。まさかこれが能力? 嘘よ、そんなの。そんなの勝てるわけが⋯⋯」
信頼も、自信も、何もかもを壊されて、ティアナに残ったのは激しい絶望だけ。
諦めて涙を浮かべて座り込むティアナへと振り向いた番人は、大剣を掴む手を両手に持ち変え、冷酷にも大剣を振り上げてより一層の力を込め始めた。