第30話 フィト&レイクVS改造魔獣①
「イテテ⋯⋯どうなったんスか?」
地面に生まれた亀裂によって地下のさらに奥底へと落とされたレイクは、ほんの僅かだけ意識を失っていたようで、頭を押さえながら立ち上がる。
頭上十五メートル先にはゴツゴツとした天井が広がり、緑色のメモライトが氷柱のように幾つも垂れ下がっている。
天井には落ちてきたはずの穴は見られず、辺りを見渡してもあるのはメモライトと小さな地底湖のみ。
地底湖を頭上のメモライトが淡い光で照らし、まるで幻想的な世界に迷い込んでしまったかのようだ。
「鍾乳洞⋯⋯ってとこスか。ここも〝ロスト〟の中なんスよね」
「どうやら、そうみたいですね」
レイクの独り言に対し、背後から首肯する声が聞こえてきた。
「フィトっち! 無事だったんスね!!」
「何とかですが」
再会を喜ぶレイクとは対照的に、フィトは晴れない表情で右足を引きずるように歩いていた。
気が付いたレイクも心配するように駆け寄る。
「どうかしたんスか! もしかして怪我したんスか!?」
「ちょっと捻っただけです。慣れてきましたし、走ることも出来ます。そもそも五体満足な時点で運はかなり良いと思いますけど」
「⋯⋯確かにそうッスね。これ何で俺たち生きているんスかね? 相当な高さから落ちたはずッスよ」
不思議そうに頭上を見上げるレイク。
今は穴は塞がってしまったのだろうが、気を失うまでを含めても、体感では即死は免れない程の高さから落ちたはずだった。
「多分、ボクたちは落ちたんじゃなくて〝ロスト〟に呑まれたんじゃないですかね。動く〝ロスト〟と共に運ばれて、気が付くとこの空間に辿り着いていた。もしくはボクたちが呑まれた〝ロスト〟の一部が、そのままこの空間を形成した、とかですかね」
「な、なるほどッス。じゃあどうやって脱出するッスか? 見た限り出れそうなとこ無いッスけど⋯⋯」
「迷宮が消滅するか、バルカンさんが攻略すればどちらにせよ〝ロスト〟も消えますからね。それを待つしかないと思いますよ」
「待つだけ⋯⋯それしかないんスか」
悔しそうにレイクが拳を強く握り、身体を振るわせる。
フィトにもレイクの気持ちは痛い程理解出来た。
〈月華の兎〉を救うために、覚悟を決めて臨んだ迷宮攻略であったのにも関わらず、今自分たちはその命運を懸けた戦いの中にはいないのだ。
出来るのは信じて待つことだけ。
役に立てない歯痒さと、己の弱さに打ちのめされる感覚は、フィトにとっても苦痛でしかなかった。
(⋯⋯あの日と同じ。ボクは何も変われていない。強くなるって決めたのに、何をしているんですかボクはッ!!)
レイクと同様に悔しさから唇を嚙みしめるフィトであったが、彼女の耳に絶望の音が木霊した。
「グオオオォォッ!!!」
「この声は⋯⋯!」
レイクとフィトは咄嗟に声の方を見る。
小さな地底湖。
その真上から巨大な魔獣が降り立った。
鍾乳洞を揺らす衝撃に天井から伸びるメモライトの一部が砕け落ち、魔獣が着地した湖の水が舞い上がる。
「あの魔獣、さっきの!? まさか一緒に呑まれていたんスか!!」
レイクは驚きつつもすぐ様に槍を構えた。
フィトも両手の拳を握り戦闘態勢に入ったが、着地した魔獣は再び跳躍すると、二人の真上から差す光を遮り影を作り出す。
「レイク! 回避です!!」
フィトは不自然に生まれた影から出るように走り出し、レイクも慌てて後方へと飛び退いた。
刹那、先ほどまで立っていた場所に轟音が響いたかと思うと、巨大な魔獣の拳が地面にめり込む。
頭上から落ちた魔獣はその勢いのまま、二人を潰すために膨らんだ岩のような腕を振り下ろしていたのだ。
「マジすか。この魔獣、こんな図体でメチャクチャなんスけど!?」
「アレ、食らったらミンチですよ。兎も角、そっちがその気なら、ボクも全力ですッ!!」
未だ地面に腕をめり込ませる魔獣に向かって、フィトは全速力で接近する。
足に込めた魔力によって空間を駆けたフィトは、隙だらけな魔獣の背中に向かって拳を放った。
「出力七十パーセント⋯⋯〝激破〟!!」
右手に込めた魔力を凝縮し、打撃と共に打ち込むフィトの必殺技。
今まで幾度も魔獣の体を貫き、岩すらも粉々に破壊してきた絶対的な信頼を誇る一撃であったが、フィトの拳に伝わった感触は初めてのものだった。
まるで星そのものを殴ったかのような圧倒的な存在感。鉄を遥かに超える強度。目の前のただのメモライトに身を包んだだけの背中からは考えることも出来ないような密度は、フィトの一撃をもってしてもヒビすら入らなかった。
(硬ッッッ!? 魔力で強化したボクの拳の方が壊れてしまいます⋯⋯!!)
ビキビキと、フィトの拳が悲鳴を上げ、魔力と肉を突き破って骨にまで衝撃が貫通する。
想像を絶する痛みに顔を歪めるフィトに、魔獣は地面に埋もれた腕を持ち上げ勢いよく振るった。
避けられない速度ではない。
フィトはそう判断し、事実回避に成功する。
振るわれた腕が当たることのない距離を見切り、最低限の動きで避け、あわよくばその隙に再び攻撃を繰り出そうとしたフィトであったが、彼女の身を暴風が襲った。
魔獣の腕から発生した風は、直撃を回避したはずのフィトの身体を吹き飛ばし、メモライトが山のように突き出た壁に激突させた。
「フィトっち!!」
レイクが叫ぶ。
だが、フィトから返事は無い。
砕けたメモライトが積み重なり下敷きになっているフィトの姿は見えなかったが、生存を本能で確信しているのか、魔獣は追撃を行うべく歩き出した。
「待つッスよ! お前の相手は俺ッス!!」
背後を向けて歩き出す魔獣を止めるために、レイクは構えた槍を勢いよく突き出す。
ギィィン、という甲高い金属音のような音が鍾乳洞に木霊する。
「ぐっ、なんスかこの硬さ⋯⋯!」
槍から伝わる衝撃によって痺れる手。
レイクの槍術は素人ではなく、絶え間ない努力によって手にしたれっきとした技であったが、フィトと同様、魔獣の皮膚に届くことはなかった。
魔獣も別段気にした様子は無く、まるで羽虫をあしらうように軽く手を払う。
フィトに放った殺すための攻撃とは違い、敵としても見られていないただの動作による攻撃であったが、槍を盾に受けたレイクはいとも簡単に吹き飛ばされた。
「ガハッ」
地面を跳ねたレイクは力なく倒れる。
全身を打つ衝撃と痛み。
立つことも出来ずに、戦う意志と体力が一気に削がれてしまう。
一方の魔獣はやはりレイクには興味を示さず、気を取り直すようにフィトが埋もれているであろうメモライトの山を見た。
砕けたメモライトやその破片によって出来た山。
すると、その山の頂上が吹き飛んだかと思うと、拳を突きあげたフィトが姿を現した。
額から血を流すフィトは、目に入らないように乱暴に拭うと、真っすぐに魔獣を見据える。
「ハァ、ハァ、ハァ⋯⋯」
息を切らし、痛みによって鈍る脳をフィトは必至に回す。
(この魔獣は強い。以前街中で戦った魔獣よりも。一撃必殺の剛腕。絶対防御の鎧。謎の風圧。でも、関係ないです。ボクはこんな魔獣ごときに負けるわけにはいかないんです。強くなるって決めたんです。だから⋯⋯)
フィトは両手の拳を強く握りしめると、魔獣に真っ向から勝負を挑んだ。
勝算があるわけではない。
ましてや策があるわけでも、相手の弱点がわかっているわけでもない。
フィトにあるのはひとつの使命。
強くなることだけの一点に生涯をささげ、とある目的のために生きてきた彼女にとっては、目前の魔獣などは眼中には無く、勝利という結果だけを追い求めていた。
勝たなくては意味は無い。
この程度に苦戦しているようでは野望は果たせない。
迷宮を攻略することも出来ない現状と、自身の無力さを痛感したフィトは、それらを否定したいがために無謀にも魔獣に向かっていった。
全身に魔力を込め、纏い、凝縮する。
魔獣に放つ攻撃はどれもフィトが出すことの出来る全力であり、渾身の一撃だった。
だが、やはりどれも通じない。
打撃が、蹴りが、魔獣の肉体に届くことは無い。
魔獣の動きを見切り、攻撃の回数では圧倒的に上回っているというのにも関わらず、硬質な岩の鎧を砕くには至らなかった。
徐々に失われる体力。
息も絶え絶えで身体の動きが鈍るのをフィトが感じた時、またしても魔獣の振り落とした腕から生まれる暴風によって吹き飛ばされてしまった。
受け身も取れずに地面を転がるフィトは、何とか立ち上がったものの、髪も服も土に汚れ、露出した肌には複数の傷が付き、立っているだけでやっとの状態だった。
虚ろな眼差しで見つめるのは、未だ無傷に近い魔獣の立ち姿。
フィトは目前に広がる絶望に目を背けるように、ガクガクと震える太ももを思いっきり殴り、無理やりに震えをーー恐怖を抑え込んだ。
(まだ、です。まだボクは負けていない。ダメなんです、こんな奴に負けてちゃ。ボクは強くならなきゃいけない。強くなっているはずなんです。あの日から、そのためだけに生きていたんですから。揺らぐな。絶望するな。ボクならやれる。やらなくちゃいけない。勝てる。勝てる。勝て勝て勝て勝て勝て⋯⋯)
暗示のように言い聞かせるフィト。
そんな彼女の肩を、誰かが揺さぶった。
「フィトっち!!!」
「あっ⋯⋯レイク」
振り向くと、そこにはレイクが立っており、心配そうにこちらを見つめていた。
「よかった! さっきから何度も呼びかけているのに反応なかったッスから」
「⋯⋯すみません。少し考え事をしていただけです。もう大丈夫ですから」
レイクの手を振りほどくと、フィトは再び魔獣に向かって歩き出そうとする。
「ちょっと、どこ行くんスか!?」
「どこって、魔獣を倒しにですよ」
「そんな体じゃ無理ッスよ! 死んじゃうッス!!」
「関係ない、です。ボクは大丈夫なんです。勝てます。ボクなら。ボクしかいなんです。だから⋯⋯」
と、フィトの言葉を遮って、レイクが彼女の身体を抱きしめた。
「へ⋯⋯なっ、ちょ!!?」
突然の行動に思考が停止し、一気に体温が上昇するフィトだったが、困惑する彼女の耳元で聞えてきたのはレイクの悲しそうな声だった。
「⋯⋯ボクしかいない、なんて悲しいこと言わないでくださいッス。俺もいるじゃないッスか。それとも、俺に頼るのはそんなに嫌ッスか?」
「べ、別にそんなことはないですよ!? と、というかこれ恥ずかしいんですけど!!」
「ダメッス。フィトっちがちゃんと俺を頼ってくれるまで、話を聞いてくれるまで離さないッス! 確かに俺は弱いかもしれないッス。多分、フィトっちよりも。でも、だからって目の前で勝手に戦って、傷つくのは見てられないんスよ! 自分よりも小さな女の子が苦しむ姿、俺見たくないんスよ!! フィトっちが何を考えていたのかわかんないッスけど、少しぐらい俺にも預けてくださいッス。一緒に戦わせてくださいッス。だって⋯⋯仲間なんスから」
抱き着くのを止め、レイクはフィトを真っすぐに見つめた。
真剣な眼差し。
どこか苦しそうな表情。
レイクの顔を見て、フィトは我に返った。
今の自分はひとりではない。
頼ることが出来る仲間がいるのだとーー。
「⋯⋯すみませんレイク。ボク、どうかしてました」
フィトが頭を下げると、レイクは普段と同じような明るさを取り戻し、満面の笑みを咲かせた。
「よし、じゃあ許すッス! で、相談なんですけどフィトっち、少し時間を稼いでくれないッスか? 五分⋯⋯いや三分でいいッス。そうすれば、あの魔獣を倒せるかもしれないッス。急にこんなこと言っても信じられないと思うッスけど⋯⋯」
「何言ってるんですか。信じるに決まってるじゃないですか。だって仲間なんですよね? 任せてください!!」
レイクに向かって元気よく親指を立てるフィト。
彼女は魔獣に向き直ると、拳を突き出した。
「ボクの名前はフィト=ルドベキア。さぁ、魔獣! こっからが喧嘩ですよ!!」