第27話 策略
〝ロスト〟全体を震わせる振動と、空間を砕くような亀裂は、先を急ぐバルカン達の動きをも止めていた。
「な、何なんスか!? この揺れ!!」
「地震ですか!?」
「いや違う!! 最悪だ。一日ズレが出た。これは迷宮が消滅する前兆だ!」
戸惑うレイクとフィトを落ち着かせると、バルカンは現状を説明していく。
「この前兆が現れたなら、約一時間後には迷宮は消滅する。つまりもう時間が無い」
「ど、どうするんですか!? 間に合わないってことじゃないですか!」
「リオティス達が到着していて、もう攻略を始めている⋯⋯って希望的観測は抜きにして、ハッキリ言ってマズイ状況だ。こっから核まで全速力で移動し、仮に魔獣と一度も出会わなかったとしても、一時間以内に到着すんのは不可能だ」
「じゃあ、迷宮攻略は失敗ってことスか⋯⋯?」
突きつけられる絶望。
緩やかになる地面の揺れとは対照的に、レイクとフィトの心臓は煩く鳴り響いていた。
「ダメですよ。だってこのままじゃ⋯⋯。ボクはそんなの絶対に嫌です!!」
「俺もッスよ。まだ皆と一緒にギルドで働きたいッス! バルカンさん!! どうにかならないんスか!?」
「⋯⋯ひとつだけ方法はある。ただ、その場合お前らの命の保証が出来ねェ」
「何ですか! その方法って!?」
「魔法を使う。つっても、俺が能力も解放して身体能力限界まで上げて核に向かうっていう荒業だ。それならギリギリ間に合うかもしれねェ。だが、その場合付いてこれないお前らは当然置いていくことになる。つまり、二人だけで〝ロスト〟を少しの間生き抜かなけりゃならないってことだ。⋯⋯もしも強い魔獣に襲われたら一巻の終わりだ」
バルカンが口にしたのは作戦とは言い難く、運否天賦な無謀に近い。
仮にバルカンが魔法を使用し全力で迷宮を駆けたところで、消滅のタイムリミットよりも先に核へと辿り着ける保証はまるで無い。
辿り着いたとして、核を守る番人の実力も不明。
必ずしも勝てるとは限らない。
さらにはフィトとレイクの二人だけを、この危険な〝ロスト〟に置き去りにせざるを得ないのだ。
記憶者でも無ければ、知識や経験だってまるで足りない。
そんな彼らをこの場に残すことなど、団長として出来るはずもなかった。
「だから悪い。言っといて何だが無茶が過ぎる。この方法は取れねェ⋯⋯」
と、バルカンが他の選択肢を探し出そうとした時、フィトが彼の腕を強く握りしめた。
「バルカンさんは、ボクとレイクのことを信じていないんですか?」
「信じてないって、別にそんなことはーー」
「じゃあ何でティアナとあの屑のことは心配していないんですか? ティアナたちだって十分危険なはずです。状況は同じはずです。それでもバルカンさんは信じているんですよね? 二人は絶対に無事だって。なら、ボクらのことも同じくらい信じてくださいよ。簡単に死ぬような軟な鍛え方はしてないので」
「そうッス!! 俺だってやる時はやるんスよ! 正直、バルカンさんがいないのは怖いッス。けど、それ以上に皆との居場所が無くなる方が怖いんスよ! だから行ってくださいッス!! 俺とフィトっちは大丈夫スから」
「お前ら⋯⋯」
恐怖を押し殺し、心配させないようにと力強く頷くフィトとレイクを見て、バルカンは忸怩たる思いだった。
(バカか俺は。こいつらだって命を懸けて、大切な物を守るためにここに来てんだ。俺が団長としてやることはこいつらを守ることじゃねェ。信じることだ⋯⋯!)
バルカンは一度自身の両頬を強く叩くと、深く息を吐いた。
「悪い。俺が間違ってた。フィト、レイク! ここは任せるぞ!!」
「「ハイ!!」」
フィトとレイクが元気よく親指を立てる。
二人の姿に安心したバルカンは、身体能力を極限にまで高めるための魔法を発動させようとした。その時ーー、
「グオオォォッ⋯⋯!!」
獣の声が辺りに木霊した。
「離れろお前ら!!」
瞬時に気が付いたのはバルカンただひとり。
バルカンが叫ぶと同時に、フィトとレイクの頭上から巨大な岩が隕石の如く勢いで落下した。
否、岩ではない。
視界を奪う土煙の中から現れたのは、巨大な魔獣だった。
全長六メートルを超える巨体。
二足で立つ両足は、はち切れんばかりの筋肉が脈打ち、胴体には一切の隙間も無く黒い鉱石が覆っている。
もはや岩そのものと言っても過言ではないだろう。
だが、何よりも異様だったのは、体から生える丸い岩のような両腕だ。
長い腕は地面にまで到達し、無気力に置かれている。
ただ長いだけであれば驚くことも無かったが、その腕の先ーーつまりは手に当たる部位が異常に膨れ上がっていたのだ。
棍棒を彷彿とさせるような形状。
腕の太さからは考えられない程に巨大で楕円なその手は、やはり黒い鉱石がびっしりと敷き詰められている。まるで手を切り取り、代わりに鉱石を無理やり付けたかのようだ。
指は無く、物を掴む機能を失った獲物を殺すための拳。凶器。
その容姿はいくら魔獣といえど生物の域を超えており、今まで幾つもの迷宮を探索し、多くの魔獣と対峙したバルカンでさえも恐怖を覚える程だった。
「オイ!! 無事かお前ら!?」
「大丈夫、ッス!! フィトっちは!?」
「ボクも大丈夫ですケド⋯⋯これ、恥ずかしいです」
魔獣の先から聞こえた声。
完全に晴れた土煙からは、槍を構えるレイクと、彼の脇下に抱えられ猫のように無防備に脱力するフィトの姿があった。
「ご、ごめんなさいッス!? 直ぐ下すッスから!!」
「別にいいですよ。何か居心地いいですし。⋯⋯いい匂いしますねレイク」
「ちょっとどこ嗅いでるんスか!? 目の前!! 魔獣いるんスけど!!?」
騒ぐ二人に一先ずは胸を撫で下ろすバルカン。
とはいえ状況は最悪だ。
ただでさえ迷宮消滅までの時間が無い中で、突如現れた謎の魔獣。バルカンは焦りよりも怒りを含んだ声で、魔獣に向かって手を広げた。
「今、忙しいんだよ。さっさと消えろ⋯⋯」
「それは困りますねー。今、楽しいところでしょ」
魔力を集中させるバルカンに、真横からヘデラの声が邪魔をする。
一瞬、ほんの一瞬だけ、バルカンの意識が魔獣からヘデラに向く。
その一瞬をヘデラは逃さない。
「〈宝石の装い〉」
ヘデラが指を鳴らすと地面が膨れ上がり、バルカンの前に壁となって聳え立った。
一枚の分厚い岩壁によって魔獣と分断されたバルカンは、瞬時にヘデラに向かって魔法を放つ。
「〈アク・ローアイト〉!!」
世界が黄色く瞬くと、ヘデラの身体を電撃が貫いた。だがーー、
「うげっ、判断早すぎでしょ。うっざ。もう少し戸惑ってくださいよ」
「⋯⋯っ」
魔獣に放つはずだった電撃を受けて、ヘデラは全くの無傷。
バルカンの目には間違いなく直撃に見えたが、どうやら何か仕掛けがあるようだった。
「やっぱバルカンは油断ならねェですね。んじゃ、まずはあっちを潰しますか」
ヘデラは壁の向こうに居るであろうレイクとフィトの排除を優先し再び指を鳴らそうとするが、彼女の行動を遮る程の地震が〝ロスト〟を襲った。
「なっ!?」
「ちょ、地面が⋯⋯!?」
揺れと共にレイクとフィトの立つ大地に亀裂が走る。
まるで氷が割れたかのように地面がパリン、と音を立てて粉々に砕け散ると、底の見えない闇が広がった。
足場が消滅し、レイクとフィトは成す術も無く巨大な穴の中へと落ちていく。
さらには近くの魔獣までもが底なしの闇に飲み込まれ、彼らの後を追うようにして姿を消した。
揺れも収まり静まり返った〝ロスト〟内。
ヘデラが興味津々な表情で能力を発動し壁を崩すと、先ほどまで存在していたはずの魔獣も、フィトとレイクすらも跡形も無く消え去り、地面に不自然に空いた穴だけがその場に残されていた。
「⋯⋯アイツ等に何をした?」
「んー、私のせいじゃないんですけど。〝ロスト〟が不安定だったからじゃないですか? せっかく用意した魔獣まで一緒にどっか消えたのはクソですが。まっ、結果オーライですかね」
「あの魔獣も、やっぱりお前の仕業か」
「正解。オヴィリオンの研究室に保管されてた魔獣ですよ。私、これでも研究員なんですよねー。あの魔獣がそういう目的で作られてたってのは、一目瞭然ってね。時間差で起動するように機械弄っといたんですよ。正直運よく出会えばいいなーぐらいの軽い気持ちだったんですけどね。いやー驚きですよ。魔獣も空気を読むんですね。これであの二人は間違いなく死亡。迷宮攻略も時間切れ。後は適当に君の時間でも潰せば確実です」
「こんなに堂々と邪魔しやがって。右目はいいのかよ」
「心配いらないんで。とっくに電源は切ってるし。調子が悪かった。故障。いくらでも言い訳は利きますよ。君が心配すべきは今後の身の振り方じゃないですか? といってもデルラーク様の奴隷は確定。ホンッと、楽しみすぎて笑いが止まらないですよ!」
ヘデラの下品な笑い声が響く。
全てはデルラークの計画通り。
このまま迷宮は攻略出来ず、〈月華の兎〉は消える。ヘデラにとっては、その全てが最初から決まっていることだった。
何故なら、そのために自分は派遣されたのだ。
デルラークに選ばれたのだ。
「あぁ、デルラーク様。私はやり遂げました。貴方様の期待に応えることが出来ました!! そうです、私こそがデルラーク様の一番!! 私こそが⋯⋯!!」
「煩い女だ。もう黙れ」
「っ⋯⋯!?」
ヘデラの肌を差す殺気。
先ほどまでの笑みも消え、ヘデラの身体は震えるばかり。
彼女の目に映るのは、黄色い光に包まれ、空気を、空間を、世界を震わせるほどの雷を身に纏うバルカンの姿だった。
嫌でも思い知らされる実力差。
ヘデラは頭で理解しつつも、強気に笑みを浮かべる。
「⋯⋯こっわ。怒ったんですか? でも、もう遅いですよ。どうせもう間に合わない。部下も死んだ。バルカン、君に出来ることは何も無い」
「別に怒ってるわけじゃねェよ。面倒くせェからな。それに疲れる。⋯⋯ただ、ひとつだけ忠告だヘデラ。舐めるんじゃねェぞ。俺たちを、〈月華の兎〉を⋯⋯!!」
バルカンは諦めることも無く、ただ真っすぐにヘデラを見据えると、左耳に着けたままだった通信用の記憶装置に手を伸ばした。