第26話 最善の先へ
「着いたぞ。あそこだ」
右手に持った、核から発生する磁力を探知する記憶装置と、目の前に広がるとある現象を見比べながら、リオティスは確信する。
間違いない。
リオティスは記憶装置をしまうと、隣に立つティアナを見た。
彼女もまた、リオティスと同様に目の前の光景に釘付けとなっていた。
二人から離れた地点。
森林のど真ん中であるにも関わらず、そこには真っ白な壁が広がっていた。
緑の草木、青空、地面までもが恐ろしい程の白色に呑まれ、そこにはまるで何も無いかのようだった。
完成された絵画の半分を真っ白に塗りつぶしたかのように、空間が削り取られて消えてしまったかのように、先が白色によって消滅しているのだ。
有り得ない光景に脳が混乱して錯覚のようにすら感じる。
だが、これは現実。
目の前の白い空間は、紛れもなくそこに実在していた。
「⋯⋯アレが核のある空間。バルカンさんに聞いていたとはいえ、頭がおかしくなるわ」
「だな。あの白い壁のように見える空間は、入ろうと思えば簡単に入れるらしい。中がどうなってるかは誰にもわからない。広いのか狭いのかすら、今見えている情報は当てにならない。そして、出るためには核を破壊するしかない」
「でも、中には核を守る番人もいるのよね。どうするの? バルカンさんを待つ?」
「できればな。まだ猶予もあるし、確実にしたい。まっ、取り合えずバルカンに連絡とって⋯⋯」
と、リオティスが耳に着けられた連絡用の記憶装置に手を伸ばそうとした時、突如〝ロスト〟を激しい揺れが襲った。
「なっ、何だこの揺れ!?」
余りの揺れに立つこともままならない。
さらには地下とは思えない大自然を映し出していた〝ロスト〟の景色にヒビが入り、青空に黒い亀裂が走っていく。
揺れは次第に収まっていくが、〝ロスト〟の中で異常が起きているのは間違いなかった。
「何が起きているのよ!? ねぇ、リオティス!!」
「わからねェよ!! 俺だって〝ロスト〟は初めてだ! クソッ、まだ迷宮の消滅の時間でもないのに⋯⋯」
〝ロスト〟で起きた現象の理由を探るため、リオティスは懸命に頭を回した。
そして、ひとつの可能性に気が付く。
それは迷宮に入って最初の夜。
一時間の長休憩の際にバルカンが言ったとある言葉。
『ーー迷宮は出現してから七百二十時間⋯⋯きっかり三十日で消滅する。だから迷宮を発見した時にはまずディザイアに報告し、調査隊を派遣してもらう。で、そいつらが入り口付近の壁やら地面やらメモライトに眠る記憶を分析して、出現からの大まかな日数を叩き出してんだよ。だから多少は誤差もあるんだろうがな』
多少の誤差。
つまり、残り五日というのはあくまで目安の話だということーー。
(一日誤差が出たっていうのかよ⋯⋯!! この前兆からどれだけ猶予がある? 一時間? それとも三十分? わかるわけがない。けれどもし俺の考えが正しければ、もう時間がない!!)
リオティスはどう行動するのかが最善かを考える。
もしかすると、この現象には段階があり、実際に迷宮が消滅するのはそれこそ明日かもしれない。だが、次の瞬間には消えているのかもしれない。
リオティスにはどちらが正しいのかわからない。判断する時間も手段も余裕もない。
考えと並行に連絡用の記憶装置をリオティスは起動するが、一向にバルカンに繋がる気配がなかった。
「リオティス⋯⋯」
心配そうにティアナが呼びかける。
恐らく、リオティスの余裕の無さが伝わっているのだろう。
リオティスは記憶装置から手を離すと、覚悟を決めてティアナに言った。
「⋯⋯この状況が何を示しているのか、俺にはわからない。だから最悪を想定して動く。俺とお前の二人だけで、今から核を破壊する!」
「二人だけって⋯⋯そんなの無理よ!! 番人がどんな存在なのかも、どれだけ強いのかも私たちは知らないのよ!?」
「じゃあこのまま何もしないっていうのかよ!! これしかないんだよ。〈月華の兎〉の未来を、俺たちが握っているかもしれねェんだぞ! 不安なのはわかる。俺もそうだ。だから一緒に来てくれ。絶対にお前は俺が守る!!」
「リオティス⋯⋯」
真剣なリオティスの表情。
熱意の籠った声。
それに対して、ティアナも二人で核を破壊することを了承しようとした。その時ーー、
「やーっと見つけた! 待ちくたびれたよ!」
「⋯⋯っ!?」
若い男の声が聞こえたかと思うと、頭上から黒い影が降り立った。
隕石のように落ちたその影は、着地と同時に大規模な爆発を引き起こした。
鼓膜が破れたと錯覚するほどの轟音に、視界を塞ぐ土煙。
リオティスはティアナを守るように立つと、短剣を握りしめ降り立った影を警戒する。
晴れる視界。
現れたのは見知らぬ男だった。
明るい茶髪に、爽やかなルックス。
見た目だけは危険に思えないその男は、クレーターのようにへこんだ地面から歩き出すと、嬉しそうにリオティスに向かって指を差した。
「あっ! 青髪の女の子みたいな奴!! よしよし、これは大当たりだね」
「あって早々、指を差すとか失礼だなお前。つーか初対面だよな。俺はお前知らねェぞ」
「ごめんごめん! つい嬉しくって。君を探していたんだよ。君、スネイルと戦ったろ? 俺あの人嫌いでさー。でもあの人が逃がすしかなかった君を殺せば、俺の方が上ってことになるよね? そんでアウルさんにも褒められて一石二鳥!! でさ! 君がここに来るって聞いたからそっこー来たわけ。転送装置で!」
「⋯⋯勝手にひとりでペラペラと。お前絶対友達いないだろ」
「アハハ、酷いなー。でも、よく言われるよ」
見た目通りの爽やかな口調で話す男に、余裕を持って対応するリオティス。だが、実際は焦りと不安を表に出さないようにすることで手一杯だった。
(何を言っているのかわからねェ。でも、この男がオヴィリオンに所属しているのは確かだ。スネイルが仕留め損ねた尻ぬぐいか? それとも記憶者狩りか。どちらにせよ、アイツの言動から察するに、目的は俺だな。クソっ、こっちは迷宮攻略の時間も怪しいってのに⋯⋯!)
男の詳しい目的は不明だ。
他に仲間がいるのかもわからない。
さらには迷宮が消滅するまでのタイムリミットも確実に迫っているのだ。まさに状況は最悪だった。
「誰なの、あの男⋯⋯」
「オヴィリオンの構成員だ。⋯⋯多分、俺を殺そうとしている」
「まさか記憶者狩り!?」
「さーな。にしてもタイミング最悪だ。迷宮攻略を妨害しに来た可能性もある」
「一度退いた方がいいわリオティス!! それからバルカンさんを待って⋯⋯」
「それじゃあ攻略が間に合わないかもしれないだろ!!」
「け、けど⋯⋯」
ティアナも不安が膨れ上がっているのか、彼女の瞳は怯えで揺れていた。
目の前の恐怖。いつ訪れるかもわからない迷宮消滅のタイムリミット。
そのどれもがティアナを追い詰めていた。
だが、それ以上にティアナはリオティスの身を案じていた。
震える手を無理やり動かし、リオティスの腕を握る。
ティアナの弱弱しい手の感触に、リオティスも彼女が自分を本気で心配していることが伝わった。
(ティアナの気持ちもわかる。でも逃げるわけにはいかねェだろ。もう猶予がないんだ。それに振り切れるとも限らない。ならどうする。二人で戦うか? いや、勝てる保証がない。何よりティアナには戦う術がない。相手が時間稼ぎの動きをするかもしれない。いっそのこと、核のある異空間に逃げるか? ダメだ。アイツも必ず追ってくる。そうなりゃ番人と同時に戦う必要が出る。どうする、どう動けばいい。どれが最善だ⋯⋯!?)
着々と時間が迫る中、リオティスは今までと同じように最善の行動を見つけようとする。
(⋯⋯違う。今まで通りである必要なんてない。今の俺はもうひとりじゃない! 俺が見つけるべきは最善の道じゃない、俺が信じる道だ⋯⋯!!)
リオティスが導き出したひとつの答え。
それは茨の道かもしれない。最善とはかけ離れた道かもしれない。
だが、リオティスに迷いはない。
リオティスは握っていた短剣をティアナに向かって放り投げた。
「ちょっ、何するのよ急に!?」
「お前なら使えるんだろ? それを持って、ひとりで核を破壊しろ。こっちは俺が引き受ける」
「なっ!? 何言っているのよ!! そんなの無理に決まっているでしょう!?」
「それしかないんだよ。わかるだろ? アイツの目的は俺だ。逆に言えば俺が残れば、この場に留めることだって出来る。今自由に動けるのはお前だけなんだよ!」
「で、でも、私なんかじゃ番人には勝てない! 知っているでしょう!? 私は無能。このメモリーを使っても、きっと勝てない! 私なんかじゃ何も出来ない!! リオティスは私に迷宮が攻略できると本気で思っているの!?」
「それを渡したことが答えになっていないか?」
「っ⋯⋯!」
リオティスの言葉に、ティアナは手渡された短剣を見つめる。
リオティスにとって大切なメモリー。想いと記憶が詰め込まれた形見ともいえる短剣を、自分に託してくれたのだ。
ティアナの内に広がる熱。
今までに感じたことのない胸の高鳴りの意味を考えるティアナに、リオティスは笑顔で言った。
「ティアナ。俺はお前を⋯⋯信じている」
初めて向けられた信頼。
今まで血の繋がった家族に求め、決して手にすることがなかった想いを受け取ったティアナに、もう怯えも迷いも微塵も無かった。
「⋯⋯わかったわ。核の破壊は私に任せて。だから油断してやられるんじゃないわよリオティス!」
「はっ、誰に言ってるんだよ。速攻ぶっ倒して合流するから、待ってろ」
突き出される拳。
ティアナも拳を突き出して合わせると、核が守られている白色の空間へと走り出した。
「あの黒髪の子は逃がしてあげたんだ」
遠ざかるティアナを見つめながら、ゆったりと歩く男は、すぐ様に興味をリオティスに移した。
「優しいんだね!」
「お前こそ、逃がしてよかったのか? 手を出そうと思ったら出来たろ」
「俺、女子には手が出せないんだ。そもそも俺が戦いたいのは君だけだし!」
「あっそ」
「冷たいなー。そっか! 自己紹介がまだだったね! 俺はイース=クラーク。よろしく!!」
「名乗って良かったのか? コードネームでもないだろそれ」
「問題なし! だって君どうせ死ぬんだから! ホラ、君も名乗って名乗って! 死んだ後も覚えておいてあげるからさ」
「名乗るわけねェだろ。これから死ぬ奴に」
「んー、あんまり面白くないよそのジョーク。だって出来ないこと言われてもさ。ノリも悪いし、君の方こそ友達いないんじゃないかい?」
「余計なお世話だ減らず口。精々、今の内ペラペラ喋ってろ。どうせ直ぐに話せなくなるんだからな」
リオティスとイースは互いに睨みあうと、同時に能力を発動させた。