第8話 真実
動かなくなったダニアスを見たライラックは、目の前に立っている男が今までの無能とは違うことに気づかされた。
返り血を顔に受けながらも動じず、まるで虫を見るかのような目でダニアスを見下ろす。
「お、お前、本当にリオティスなのかよ⋯⋯」
震える声でライラックが尋ねると、リオティスは静かに歩き始めた。
「どうなんだろうな。もう俺にもわからねェよ。⋯⋯それに今はどうでもいいことだ」
「どうせリラに助けてもらったんだろ! は、はは、運の良い奴め。仕方ないな。お前も強くなったみたいだし、リラと一緒に俺のギルドにまた置いてやってもいいぜ」
「リラは死んだよ。俺を助けるために」
「そ、そうか! ならお前だけでも戻らせてやる! な、なぁ! 嬉しいだろ!?」
必死にライラックは言葉を紡ぐが、依然としてリオティスの歩みは止まらない。その左手に血の滴る短剣を握りしめて、ライラックの目前にまで迫っていた。
「お、おい、まさかまだ怒ってるのかよ。あれはただのジョーク、本気じゃなかったに決まってるだろ?」
「⋯⋯⋯⋯」
「ぐっ、い、いいのかよ! 俺は親父の能力を受け継いでいる記憶者なんだぜ? ほら、見ろよこの紋章! 死にたくなかったら止まれよ!」
「⋯⋯なら、やってみろよ」
そこでようやくリオティスは歩みを止める。もはやライラックとリオティスの距離は目と鼻の先だった。
「お前が団長の想いを受け継いだって言うのなら、見せてみろ」
「い、いいのかよ? お前今度こそ死んじまうぜ。や、やめておいた方がお前のためだ」
「問題ない。俺も記憶者だからな」
そう言うとリオティスは、自身の右手の甲を見せつけた。そこには記憶者の証でもある紋章が確かに刻まれている。
「なっ!? お、お前が記憶者だと!!」
「そうだ。だから問題ない。ほら、さっさとお前の能力を見せてみろよ」
「ぐっ⋯⋯」
苦しそうに唇を噛むライラック。
そんな彼に対してリオティスは言った。
「そりゃ無理だよな。なんせお前は能力を持っていないんだから」
「っ⋯⋯!?」
核心を突いたリオティスの言葉に、ライラックの顔は見る見るうちに青ざめていく。
「な、何を言ってるんだ? お、俺には紋章が⋯⋯」
「その紋章はお前が自分で描いた偽物だ。団長が死んだあと、ギルドマスターになりたかったお前は記憶者になったふりをすることで、みんなを騙していたんだ」
そう、あの紋章は真っ赤な嘘。
ギルドマスターになるにはそれ相応の力が必要なため、ライラックは周りを騙すために自身の右手の甲にそれらしい紋章を描いていたのだ。
記憶者かどうかを見た目だけで判断する方法はひとつしかない。
それが右手の甲に浮かび上がる紋章だ。紋章は記憶者によって形も異なるため、詳しく調べれば簡単にライラックの正体はバレていただろう。だが、逆に言えば、調べられなければただの落書きでも相手を騙すことは容易だ。
「まさかだよな。俺のことを無能だと罵っていたお前自身が本当の無能だったなんて」
「ど、どうしてわかったんだ? 俺が記憶者じゃないということを!」
「別に俺が知っていたわけじゃない。ただ、リラが教えてくれたんだ」
「リラが⋯⋯?」
「あぁ。お前のことをリラはずっと見ていた。傍にいようとした。だから気が付いたんだろうな。お前が記憶者じゃないということに」
リオティスは記憶者として能力を授かったと同時に、リラの記憶も受け継いでいた。だからこそ、リラが見ていた物、感じたことまでもがわかるのだ。
「残念だったな。俺にはお前の嘘は通じない」
「は、ははは。はははははッ!」
壊れたように突然ライラックの笑い声が響き渡る。
手で顔を覆い、立ち上がって何度も笑う。
そんな不気味な雰囲気を身にまとったライラックはひとしきり笑い終えると、天井を見上げて呟いた。
「⋯⋯お前さえいなければ」
次の瞬間、ライラックは机を力任せに叩くと、怒りを込めた目でリオティスを睨んだ。
「お前さえいなければ俺は完璧だったんだ! 俺と同じ無能のくせに諦めずにいやがって。さらには周りからも認められる! どうしてだ、俺とお前で何が違ったって言うんだよ!!」
「⋯⋯⋯⋯」
ライラックの怒りを、熱を、憎悪を、ただリオティスは受け止めている。
「ずっと俺は特別な何かになりたかった。愛されたかった! だから頑張ってきたっていうのに誰も俺を認めてはくれない。なのにお前は違った。それが目障りだったんだよ! ずっとなッ!」
「だから俺を殺そうとしたのか」
「そうさ! お前が悪いんだよ。無能のくせに諦めないで、惨めに這いつくばって俺の視界に入るお前が悪いんだ! そんなお前を見返したくて俺は何としても団長になりたかった。団長という特別な存在になりたかった。⋯⋯そうさ、教えてやるよ! お前の命の恩人であるゼアノスは、俺が殺したんだよ!!」
ライラックから告げられた衝撃の事実。
命の恩人でもあり、憧れでもあったゼアノスを殺したと、ライラックは確かにそう言ったのだ。
「どうだ、驚いたか! 俺を認めてくれないあのクソ親父を殺すために、少しずつ食事に毒を混ぜていたのさ! 馬鹿だよなぁ、そうとも知らずに周りの奴らは病気だとか言って! やっぱり俺の周りには無能しかいないんだよ!」
「⋯⋯ってた」
「あぁ? 何だって?」
「知ってたよ。お前が団長を殺していたこと。リラは知ってたんだ」
「は?」
ライラックの笑みが消える。
少しだけ静寂が訪れたが、すぐにリオティスは続けた。
「リラはお前が団長の食事に毒を入れていたことを知ってたんだ。団長が死んだ後、お前の部屋から空になった毒瓶を偶然見つけてな。それでも彼女はお前のことを庇って、二年もの間、ひとり孤独に秘密を抱えて戦っていた」
それもリオティスが記憶者となり、リラの記憶を受け継いだからこそわかったことだった。
リラは、自分の兄が父親を殺そうとしていたことに気が付くことができなかった。止めることができなかった。その罪悪感を抱えて、それでも懸命に戦って、笑顔を振りまいていたのだ。
「⋯⋯はっ、それが本当だとして、黙ってたならやっぱりアイツも馬鹿じゃねェか!」
ライラックがそう言うと、今まで何もせずにいたリオティスが勢いよく彼の胸倉を掴んだ。
「馬鹿じゃねェよ。リラはお前のことが好きだったから黙ってたんだよ! お前と仲良くして、一緒に笑って、そうやって生きていきたいと願ったから、ずっとお前の罪を背負っていたんだ!」
言葉を発しながらも、胸倉を掴むリオティスの手には段々と力が入っていく。
「父親を殺されても、大好きな異性に暴力を振るっても、周りのみんなを騙していても! それでもリラはお前のために頑張ってきたんだぞ! お前が周りから認められたいと思っていたこともわかっていたし、だからこそお前が記憶者のふりをしていることも陰で支えていたんだ! リラがお前の代わりに戦っていたんだ! そんな、そんなリラを、お前は殺したんだぞ!!」
リオティスは胸に溜め込んだ鬱憤を吐き出すように叫び終わると、掴んでいたライラックの胸倉を離した。
力なく椅子に座り込むライラック。
彼の視線はどこを見るでもなく、呆けているようだった。
「⋯⋯俺はどうすればよかったんだ。俺はただ特別な何かになりたかっただけなんだ」
どこで間違えてしまったのか。
ライラックは考えてみるがわからなかった。
必死に頑張って、ゼアノスに認められたいと思っていたのに、いつしかライラックの欲望は歪んでいた。
多くの人に認められたい。
特別な存在になりたい。
そんな欲望を叶えようとするあまり、気が付けば目の前にあった本当に大切な物まで手放していたのだ。
放心状態のまま項垂れるライラックを見下ろしながら、リオティスは短剣を振りかざして答える。
「自分を本気で慕う妹がいる。俺から言わせれば、それだけでお前は十分特別な存在だったはずだ。だが、お前は道を踏み外した。俺の大切な人を二人も殺した。もしも償う気があるんなら⋯⋯死んであの世で詫びるんだな」
冷酷に、一切の迷いも無く、リオティスは短剣を振り下ろした。
嫌な感触が短剣を握る手に伝わるが、それを最後にリオティスが何かを感じることはなかった。