第17話 ナイトメア①
目を覚ましたリオティスは辺りを見渡す。
自然豊かな空間。
どこを見ても緑に覆いつくされた景色に、自身が〝ロスト〟にいることを思い出した。
どれぐらい眠っていたのだろうか。
時間を記憶する時計を使えば一目瞭然だったが、それよりも先に、リオティスにはやるべきことがあった。
自分の真横で倒れるティアナに視線を落とす。
彼女は息をしているようだが、その息遣いは荒く、額から玉のような汗が流れていた。
恐らく、ティアナも悪夢を見ているのだろう。
リオティスは手に持っていた短剣を握りしめ、彼女の手の甲に押し付けた。
青色の精神世界でリラが教えてくれたメモリーの力を使えば、ティアナの記憶に干渉し、彼女の目を覚まさせることが出来るはずだ。
「大丈夫だ。必ず助ける⋯⋯!」
一度胸に手を当て、リオティスは決意を固める。
もう二度と迷わない。
皆を助けるヒーローになる。
リラとリコルが教えてくれた自分の意味を失わないように、リオティスは覚悟を決めた。
手の甲に押し当てた短剣を優しく引く。
薄皮を切ると同時に、リオティスの意識が刈り取られた。
◇◇◇◇◇◇
「お前は生まれてくるべきではなかった」
ティアナが物心のついた時、父親に言われたのはそんな言葉だった。
幼かったティアナには意味がわからなかった。
実の父親が何故そのような言葉をぶつけるのか。冷たい視線を注ぐのか。
だが、生きている内に嫌でも思い知った。
すれ違う人たちのまるでゴミを見るかのような目。陰口。暴力。それらは全て、自分が犯した罪の大きさを表していた。
〝剣聖〟アテナ=ディアティール。
それは、とあるSランクのギルドを率いた団長であり、ディアティールの名を受け継ぐ王族。そして、世界最強の剣士と呼ばれたひとりの女性のことだ。
アテナはどんな武器でも達人のように扱うことが出来、何よりもディアティール帝国に存在する国宝を使えるただひとりの女性だった。
彼女は人々に分け隔てない愛情を注ぎ、優しく、勇敢で、全ての国民から愛されていた。
だが、アテナも病には勝てなかった。
彼女が侵されたのは治療不可能な不治の病。見る見るうちに体はやせ細っていき、歩くことさえままならなくなるのには、そう時間は掛からなかった。
そんな病弱な彼女が自身の命と引き換えに産んだ子供こそがティアナだ。
周りの反対を押し切り、アテナはティアナを産んだ。同時に、病に侵された体も出産には耐えられずに命を引き取った。
国の宝を失った人々は悲しみ、そしてぶつけようもない怒りをティアナに向けた。
ティアナが生まれなければアテナは死ななかった。そもそも彼女を身ごもったせいでアテナは不治の病に侵されたのではないか。不吉な子供。死神。そんな言葉の数々がティアナにぶつけられた。
とはいえ、ティアナが生まれてしばらくは、まだ彼女に希望はあった。
幸か不幸か、ティアナはアテナにしか扱うことの出来なかった国宝のメモリーに触れることが出来たのだ。
白く輝く宝剣。
それは代々ディアティールの血を受け継ぐ者。さらにはその中でも僅かな人間にしか触れることが許されない、まさに国宝のメモリー。
その力は絶大で、一振りで一国家を滅ぼすだけの力が籠めらているとされた。
だからこそ、アテナを失った人々は藁にも縋る思いでティアナに期待を寄せた。
だが、ティアナはメモリーを扱うことが出来なかった。
手に触れることは出来ても、剣を鞘から抜くことすら出来なかったのだ。
その瞬間、希望から絶望に落とされた人々は、ティアナへの対応を確定した。
英雄を殺した悪魔。出来損ない。ディアティールの恥。
もはや人々は誰一人としてティアナには期待などせず、ただ軽蔑することしかなかった。
特にティアナの兄であるデルラークは顕著で、毎日のように彼女に向かって過度な暴力を振るっていた。
「お前のせいで母は死んだ。そのくせにメモリーに触れるだけで扱うことすら出来ない。お前はただの人殺しだ」
ゴミを見るような目と容赦のない圧倒的な力。
それを前にして、ティアナは自覚せざるを得なかった。
自分は人殺しであり、無能で役立たずなゴミなのだと。
だが、ティアナは諦めなかった。
手にしたメモリーを振るうため、剣術を独自で学び、毎日毎日手が擦り切れるほど鍛錬を積み重ねた。
そうすればいつかこの剣を振るうことが出来る。
そうすれば皆の評価も変わる。
そうすれば兄も父も自分を認めてくれる。見てくれる。
ただそう信じて地獄のような日々を生き抜いてきた。
きっといつか報われる。罪は洗われる。そう信じてーー。
◇◇◇◇◇◇
「罪が洗われる? そんなわけがないだろう。お前の罪は消えることは無い」
「う、ぅ」
暗闇の中、ティアナはデルラークの幻影に殴り倒され、頭に足を置かれていた。
今までの生きた人生を無理やり脳に押し込まれ、見たくもないトラウマを見せつけられる。
さらにはデルラークによって殴られ、蹴られ、もはやティアナの身も心もボロボロだった。
「もう、やめて。私が、悪かったから」
「何当たり前のことを言っているんだ? お前が悪い。お前が殺した。だからお前はこうして地べたを這いずっている。そんなこともわからない軽い頭なんて、捨てた方がマシじゃないか?」
デルラークはそう言うと、ティアナの頭を踏みつける足に力を籠める。
「ガァ⋯⋯っ! アァァァ!!」
「痛いか? だがこれも全て自分の責任だろう? お前が悪いんだ。何故母を殺して未だに生きている。抗っている。無駄だとわかるだろう。お前が出来ることは罪を受け入れることだけ。なぁ、もう諦めてこのまま潰れてしまえよ。哀れで醜く出来損ないの我が妹よ」
頭を潰す勢いのデルラークの力に、同時に頭を駆け巡るトラウマの数々。
もはやティアナは限界だった。
(もう、死にたい。父親にも見捨てられ、兄にも暴力を振るわれ⋯⋯。勘当されて逃げた〈月華の兎〉でも、私は何の役にも立てなかった。皆を巻き込んだ。リコルを止めずに、危険にさらしてしまった。そう、私は死神。私のせいで全ての人間が不幸になる。なのに私はどうして生きているの? もういっそ、このまま死んだ方が⋯⋯)
罪とトラウマと力によって押しつぶされるティアナは生きる気力もなくし、全てを受け入れようとした。その時ーー、
パリン、と闇の空間にヒビが入る。
割れた隙間からは光が差し、困惑するティアナの頭からは痛みが消えていた。
代わりに頭に入ってきたのは、何度も聞いた男の声。
「よぉ、相変らずの眠り姫だなお前は。さっさと起きろよ。迷宮攻略するんだろ?」
「青、髪⋯⋯」
デルラークの幻影を切り裂いて現れた、会いたくもないはずのリオティスの姿に、ティアナは何故だか安心してしまう。
今までの絶望が嘘だったかのように晴れていく心。
涙を浮かべたティアナは、自分に向かって差し出される手を無意識に掴んでいた。
ティアナを出産すると同時にアテナは死にましたが、じゃあプロテアの方が年上なのかというと違います。プロテアは養子でディアティールの血は受け継いでいません。だから髪色も唯一白色なんですよね。で、一番混乱されそうなのはティアナの両親どっちもディアティールの血筋じゃなきゃおかしくね?ってことですかね。ここでは明確に答えを言いませんが、皆さんが想像している通りです。ディアティールの闇は相当深いみたい。