第7話 復讐者
「入るぜ、団長」
ぶっきらぼうな声と共に、ダニアスは扉を開いた。
広めの部屋。四面の壁に囲まれたその空間は広々としており、邪魔な物があまり置かれてはいなかった。扉の奥側にある壁の近くには机があり、左側には二メートル近い大きさの本棚。そして、その本棚の後ろにある壁には草原を走る馬の絵と、黒く禍々しい仮面が飾られている程度だ。
(相変わらず質素な部屋だぜ)
ダニアスはそう思いつつも顔には出さず、奥の机に向かって座っているひとりの男へとゆっくり歩みを進めた。
いかにも高級そうな椅子に深々と腰を下ろして座る〈花の楽園〉の団長ライラックは、読んでいた本をパタンと閉じて怪訝な表情でダニアスを見る。
「こんな夜更けに何の用だよ」
「何もクソもねェだろ。今日はリオティスだけを殺すんじゃなかったのかよ」
「あぁ、そのことか」
ライラックは一度ふうっと小さく息を吐くと、本を机の上に置いた。
「仕方ないだろ? リラの奴が気が付いちまったんだから」
「だからって一緒に殺すことはなかっただろ。アイツは貴重な戦力だったんだぜ?」
「うるせェな。ああしなきゃ後々面倒なことになっただろ? わかったらさっさと戻れ」
話は終わりだと言わんばかりに手を払って、再びライラックは本を読もうと手を伸ばした。だが、その手が届くよりも早くダニアスが本を奪い取った。
「まじめに聞けよ! リラは特別だ。あのゼアノスが持ってた短剣型のメモリーを唯一使いこなすことができたんだぞ。ゼアノスから受け継いだ⋯⋯団長でも使えないあの伝説のメモリーをだ」
焦りや戸惑いがあってか、自然とダニアスの口調は強くなる。
当然ライラックもリラの力の重要性は理解していたが、そんなことはどうでもよく、むしろ今のダニアスの口調の方が心を乱された。
「俺にはクソ親父から受け継いだ本物の力があるんだよ! 今更リラとあのメモリーが無くなったからって関係ないだろ。違うか!?」
「それは⋯⋯」
ライラックの剣幕に圧倒され、ダニアスの言葉が詰まる。
チラリ、とライラックの右手を見れば、黒い紋章がこちらを睨んでいるようで、ダニアスは自身の血が引いていくのを感じた。
ここからは慎重に言葉を選ばなければならない。
何故ならライラックを怒らせれば、次に消されてしまうのは自分かもしれないのだ。
そのことを自覚したダニアスは、取り上げた本を机に戻して言った。
「⋯⋯そうだな。団長が居ればどうとでもなるよな」
「当たり前だ。お前やローズ、それにシオンも居るんだし問題ないだろ」
「あ、あぁ。悪い、今のは忘れてくれ」
もはや自分の身を案じることで精一杯のダニアスには、そうやって話を切り上げることしかできなかった。
ライラックはそんなダニアスを見て、ふんっと鼻を鳴らすと、今度こそ本の世界へと意識を移した。
すると、突如としてドンドンと扉を叩く音が聞こえだす。
「今度はなんだよ」
またしても読書を止められたライラックはいかにも不機嫌で、それを察したダニアスがすぐ様に扉の前まで移動した。
「オイ、誰だ!」
「⋯⋯⋯⋯」
「聞こえてんのか!!」
痺れを切らしたダニアスが勢いよく扉を開く。刹那――、
「ぐはっ!?」
大柄なダニアスの体が勢いよく吹き飛んだ。
「な、何が起きた!」
突然の事態に状況が理解できないライラック。
一方のダニアスはというと、本棚に体をぶつけて座り込んでいた。
周りには片付けてあった本が散らばり、壁に飾ってあった絵や仮面までもが衝撃で地面に落ちている。
それでも何とか体を起こしたダニアスは、すぐ様に自分を吹き飛ばした相手を見た。
青い髪と瞳をした少女にも見える男。
それは無能だと罵って、殺したはずのリオティスだった。
「また会ったな。ダニアス」
「て、テメェ! 死んだはずじゃ!?」
「あぁ、おかげで死にかけたよ。だからそのお礼をしたくてさ」
不敵に笑うリオティス。
ダニアスにはその表情がまるで無機物のように思えた。
青く宿った瞳には影が伸び、笑みを浮かべる口元は乾ききっている。
(何があった? コイツ本当にあの無能なのか?)
一抹の不安がダニアスの頭を過るが、それでも引くことはできなかった。
ダニアスはリオティスの方へと歩きながら、腰に差していた手斧を引き抜いて言う。
「礼なんざいらねェよ。今度こそ俺があの世に連れてってやる!」
手斧を握るダニアスの手。
そこには、先ほどまでとは比べようにならないほどの力が込み上げていた。
手から腕へ、腕から肩へ、肩から胸へ――。
そうして全身を駆け巡る力によってダニアスの筋肉は膨張していく。
ただでさえ自分よりも遥かに大きなダニアスが、さらに大きく成長したようにリオティスには見えた。
「相変らずの筋肉だな。それがそのメモリーの力ってか?」
「はっ、そうさ。テメェもこの力は痛いほど知ってるだろ? リラの天然物には劣るが、この人工的なメモリーでもテメェみたいな無能を殺すには十分なんだよ!!」
そして、ダニアスは斧を勢いよくリオティスに向かって振り下ろした。
迫る刃。
今までのリオティスならば、斧を持っていない状態のダニアスにすら敵わなかっただろう。
だが、今は違う。
リオティスは一瞬にして短剣を左手で握ると、ダニアスの斧をすんなりと受け止めた。
「なっ!? それはリラのメモリー!! 何でテメェが!」
「お前には関係ないだろ。天然に劣る人工物野郎」
「ぐっ、テメェ!!」
怒りに任せて力を入れるが、やはりリオティスの短剣はびくりとも動かない。押し切れない。
「クソがぁッ!!」
「うるせェよ。いいかげん黙れ」
リオティスはそう言うと、短剣を勢いよく振り上げてダニアスの斧を弾き飛ばした。
背後に消えていく手斧。
その瞬間ダニアスから力は抜け、体も元通りに戻ってしまう。
透かさずリオティスは、握った右拳をダニアスの腹部に向かって放った。腹筋を貫通してめり込む拳に、ダニアスはたまらずに嘔吐した。
「ぐえぇぇ!」
吐しゃ物をまき散らし、立つことができずに座り込むダニアス。そんな彼に向かってリオティスは短剣を振りかざした。
「や、やめて、くれ⋯⋯」
ダニアスは必死に懇願するが、当然リオティスに許す気はなかった。
無慈悲に短剣を振り下ろすと、肉を切る感触と共にダニアスの胸部から血が流れだす。ドクドクと失っていく生気を感じながら、そのままダニアスは倒れて動かなくなった。