第12話 要談
恐怖と緊張に包まれ開始された迷宮攻略は、呆気ない程に順調に進み、早くも一日目を終えようとしていた。
迷宮内に入った瞬間こそは、全員の緊張がピークに達していたが、いつも通り過ぎるバルカンの指示のおかげか、気が付けば冷静に迷宮を進むことが出来ていた。
魔獣との遭遇も片手で数えるほどで、さらにはそのどれもがバルカンひとりで瞬殺可能なレベルであったこともあり、リオティスたちは全くの無傷で今に至る。
だが、慣れない迷宮を進むことは、それだけで大きく精神を消耗する。体は無傷だろうとも、団員達は既に満身創痍だった。
「んじゃ、明日に備えて、ここらで長休憩でもするか」
バルカンは後ろで疲れ切った団員達に向かって、そう提案した。
各自が背負っていたリュックから必要なものを取り出し、最低限の寝床を準備する。この状況下で安眠など出来はしないだろうが、明日のことを考えればそうも言ってられないだろう。リオティスも薄く汚い布切れの上に腰を下ろしながら、菓子パンを噛んだ。
味のない硬いパンを口で噛みしめながら、リオティスは周りを見渡す。
薄暗い洞窟の中、壁や天井に埋め込まれた緑色のメモライトが淡い光を放っている。
それは、以前リラを失ったあの日の迷宮を彷彿とさせた。
(⋯⋯あと四日。俺はそれまで無事でいられるのか? 誰も死なせずに生き残れるのか?)
順調に進む迷宮攻略とは裏腹に、不安を抱えながら震える両手をリオティスは強く握りしめる。
すると、焚火の準備をしていたバルカンが火を起こしたかと思うと、全員に向かって手を振った。
「オイ、集合しろお前ら。明日からの話をする」
疲れ切った団員達は顔を見合わせると、重い足取りで焚火の前に集まる。
リオティスも動きたくないというのが本音ではあったが、迷宮攻略のためにも仕方なくバルカンの横に腰を下ろした。
「よし、全員集まったな。疲れてると思うが、死にたくなきゃ話はちゃんと聞けよ」
バルカンの言葉に団員達は頷く。
「じゃあまずは目的の確認な。俺たちはこの難易度不明な迷宮を五日で攻略⋯⋯いや、厳密に言えばもう残り四日だな。その僅かな時間で迷宮の最深部に行かなきゃならない。ここまではいいか?」
「ちょっといいスか? 目的は勿論わかってるッスけど、そもそも何で時間に制限があるんスか?」
「あぁー、まずそこも説明するか。と言っても簡単な話だ。迷宮は出現してから七百二十時間⋯⋯きっかり三十日で消滅する。だから迷宮を発見した時にはまずディザイアに報告し、調査隊を派遣してもらう。で、そいつらが入り口付近の壁やら地面やらメモライトに眠る記憶を分析して、出現からの大まかな日数を叩き出してんだよ。だから多少は誤差もあるんだろうがな」
「なるほど⋯⋯、それで今回の迷宮は出現から二十五日経過してたから、消滅までのタイムリミットが五日になるんスね」
自身の疑問が晴れたレイクは納得したように笑ったが、続けて隣に座るティアナが挙手をする。
「バルカンさん、私からも質問なのですが、仮に迷宮攻略が間に合わなかった場合、迷宮内にいる私たちはどうなるんでしょうか? 迷宮が消滅するということは⋯⋯」
「俺たちも迷宮と共にこの世から消えるのかって? その点は安心しろ。迷宮が消滅した場合、内部にいた人間は地上に戻されるからな。だが、攻略が失敗したらそもそも俺たちのギルドは終わりだ。どっちにしろ失敗なんてできねェ。絶対にな」
現実を突きつけるかのようなバルカンの低い声に、団員達も否応なしに思い出してしまう。
この迷宮攻略の失敗が齎すものは、死であるということに。
「だから、失敗させないためのこの話し合いだ。つーわけで目的を確認した次は攻略手順だ。まず俺たちが向かうのはここよりさらに下の最下層。迷宮は内部の形が違うとはいえ、必ず下に向かって広がってる。その最深部に辿り着けばーー」
「攻略完了ってことですね!! 案外簡単じゃないですか」
自信満々に拳を前に突き出すフィト。
彼女の謎に満ち溢れる自信とやる気に、バルカンは心底面倒くさそうに溜息を吐いた。
「んなわけねェだろ。そもそも最深部に行けば行くほど魔獣の数も戦闘能力も必然上がるんだぞ。それを無事に搔い潜ったとして、攻略にはひとつ大きな壁がある。核の破壊だ」
「核? 何ですそれ?」
「迷宮の心臓だよ。迷宮内のエネルギーが詰まった巨大なメモライトで、それを破壊すれば迷宮の拡大と消滅を止めることが出来る⋯⋯って言われてるが、ただでさえ謎ばかりで何も解明できてない存在が迷宮だ。原理や仕組みなんて誰もわからねェよ。ただ、壊せばそれで迷宮は攻略出来る。それは確かだ」
「じゃあやっぱり簡単じゃないですか。それともその核が馬鹿みたいに硬いとかってことですか?」
「いや、核はそこらのメモライトと同じ硬度だ。壊すのは誰でも出来る。ただ、問題はそいつを守ってる番人の存在だ」
「番人⋯⋯って、またよく分からない言葉が出てきたッスね」
続けざまに語られる聞きなれない言葉に、レイクは苦笑いを零した。
それに対し、バルカンは申し訳なさそうに頭を掻く。
「こっちも悪いとは思ってるんだがな。なんせ急な迷宮攻略だ。本当なら前の探索にでものんびり話そうとしてたんだが、今は時間が無い」
「ですね。ボクは結構知識を増やすのは好きですし、苦ではないですよ。で、その番人というのは、つまりは魔獣のことですよね? 核を守るように本能的に動くその魔獣を番人と呼んでいる、と」
フィトは確信を持って断言したが、バルカンは頭を振った。
「いいや、そいつは魔獣じゃない」
「なっ! いやいや有り得ないですよそれは!? 魔獣以外にこの迷宮内で誰がそんなことをするって言うんですか?」
「だから番人だって言ってるだろ。それがそいつの存在そのもの。人でも魔獣でもない。姿も形も定まっていない。ある迷宮では巨大な炎の塊、また別の迷宮ではまるで意志を持つかのように飛び回る一本の剣だった⋯⋯ってことがあるぐらいだ。当然、その正体は誰もわからねェ。兎にも角にも、その番人が核を守るようにして立ちはだかるってのは間違いない。だから厄介なんだよ攻略は」
「やっぱこう聞くと、迷宮は謎だらけのとんでもない場所なんスね⋯⋯」
「えぇ、私も理解出来ないわ。まるで私たちの世界のルールなんて無視した、全く別の世界のようね」
「うーん、バルカンさんが嘘を吐いているわけないんですけどね。ボクも意味不明すぎて頭が痛いです」
この状況でバルカンが嘘の情報を与えるわけがない。
頭では分かってはいるものの、レイク、ティアナ、フィトの三人は、余りにも理解の及ばない迷宮のルールに、ただただ困惑することしか出来なかった。
「理解出来ないのは無理もない。だが、今はそういうもんなんだって割り切って頭に叩き入れてくれ。明日のためにも長くは時間取れねェが、出来るだけ知識は共有する。で、お前らも分からないことはどんどん聞け。それだけでも生き残る確率は格段に上がるはずだ」
バルカンは困惑するティアナ達にそう言うと、再び迷宮についての説明をいくつかし始めた。
そのどれもがやはり常識からかけ離れていたが、生存率を上げるためにもと、ティアナたちは疲れた脳を無理やり働かせて、少しでも多くの情報を記憶していった。
そうした話し合いが一時間程経過した時、バルカンが大きく伸びをして団員達を見た。
「最低限の知識は伝えたし、もう今日は寝ろ。出発は五時間後な」
「わかりました。では、見張り役はどうします?」
「俺が引き受ける。だからお前らは安心して寝てりゃあいい」
「ひとりで、ですか? なら交代の時間などは⋯⋯」
「あぁー、それもいい。俺が寝なきゃいい話だ」
「なっ、それだとバルカンさんの身体が持ちません!!」
「いや別に無理に格好つけて言ってるわけじゃねェよ。俺は寝なくても大丈夫だから言ってるんだ。そーいう体質っていうか、まぁ面倒だから説明は省くがそういうことだ。わかったらさっさと寝ろ。これ以上は時間の無駄だ」
「⋯⋯わかりました」
少しだけ胸に疑問が引っ掛かったティアナだったが、バルカンがそう言うのならばと、最初に自身で設営していた寝床へと戻っていった。レイクとフィトも同様だ。
三人が無事に寝床に就いたことを確認したバルカンは、火に少しの薪を焚べると、隣で動かずに座るリオティスに笑いかけた。
「よぉ、どうした? ひとりじゃ寝るのが怖いのか?」
「なわけねェだろ。⋯⋯ただ、ちょっとな」
いつもよりも神妙な面持ちで焚火を見つめるリオティスに、バルカンも真剣な表情を作って言う。
「やっぱ迷宮に来たこと後悔してんのか」
「別に。嫌なことを思い出さないって言ったら嘘になるけど、自分で決めたことだ。今更後悔もクソもない」
「人間、そう簡単に割り切れるもんでもねェがな。それにお前、さっきの話し合いも全くだったろ。つーか他の奴らも何かお前をあからさまに避けてたし。なんかあったか?」
「喧嘩した⋯⋯つったら笑うか?」
「喧嘩ねェ。そんな可愛いもんじゃなさそうだったけどな。そもそもお前、そういうの面倒だから嫌いだろ? 今までも上手く立ち回ってたじゃねェか。それが何で急に喧嘩なんてーー」
と、バルカンはそこで気が付く。
以前と今とでリオティスが大きく変わってしまう要因。上手く立ち回れなくなるほどの余裕がなくなる何か。そんなもの、ひとつしかない。
(リコルか⋯⋯。アイツ等も不器用の塊だからな。そりゃこうなるわな)
明確な理由や原因は分からずとも、少なからずリコルを失ったことが関係していると理解したバルカンは、次に自分がどう言えばよいのかわからず会話が途切れてしまう。
すると、リオティスが震える声を懸命に抑えながら話し始めた。
「⋯⋯俺は、昔もギルドに入ってたんだ。正式に入団できる歳までは雑用係として、小さい頃からそのギルドのために働いてた。でも、ある日目の前で仲間を失った。リコルと同じ、〝ネスト〟の中で死んだんだ。間抜けだろ? 大切な人を俺は失って、次は絶対に守るって誓ったのにまた失って。⋯⋯怖いんだよ。また目の前で誰かが死ぬのが。守れないのが。だから突き放した。馬鹿みたいに仲間だの騒ぐアイツ等が近くで死なないように。自分が傷つかないように。何も守れず、自分だけが可愛くって、力も無い。俺は本当に弱くてちっぽけだ」
揺れる暖かな焚火を見つめながら、リオティスは自分の想いを曝け出していた。
それだけ今のリオティスには余裕がないのだろう。
自分の罪を、弱さを、誰かに聞いてほしかったのだろう。
全てを受け止めた上で、バルカンは言った。
「⋯⋯俺には憧れの人がいた。その人はいつも右手に美しい剣を握りしめ、魔獣に怯むことなく戦って、勇敢で、いっつも笑ってた。そんなあの人に追いつきたくって、俺もまぁ頑張ってみた時もあったんだけどな。でも、その人は不治の病に侵されて死んだ。余りにも呆気なく。その後なんやかんや面倒なことがあってな、俺はこうして最低ランクのギルドで何もせずに生きてきた。もう全てがどうでもよくて、何をしても上手くいかないとか、何ももう守れないとか、俺にもそーいう時期があった。つか最近までもろにそうだったしな」
「⋯⋯⋯⋯」
「でもお前は違う。俺と違って、お前は前に進んだ。進もうと抗ってる。だから残ったんだろ? だからあの時、墓地の前で俺に夢を話したんだろ? どんだけ裏切られて、傷ついて、無くしたって、お前は今こうしてここにいる。それが全てだ。そんなお前に俺も動かされたんだ。それって、すげーことなんじゃねェか? だからお前は十分強いよリオティス」
「バルカン、お前⋯⋯」
そこでリオティスはバルカン方を見る。
焚火に照らされたバルカンの顔は、当てられた熱のせいか若干赤色に染まっていたが、こちらの視線に気が付いたのか、すぐ様にいつも通り頭を掻いて、右手を払うように動かした。
「まっ、そーいうわけだ。ダメだなやっぱこういうのは酒が入ってねェと上手く話せなくて。ホラ、お前もさっさと寝ろよ。起きれなかったら置いてくからな」
「はっ、どっかの眠り姫と一緒にすんな。そんじゃ、お言葉に甘えて休憩取らせてもらうよ」
リオティスは立ち上がると、自分の寝床へと歩き出す。だが、突然その歩みを止めると、リオティスはバルカンの方へと振り向いた。
「バルカン」
「ん、どうした?」
「さっきの話の続きは、昇格祝いに酒でも飲みながら聞かせろよ。いい酒場知ってんだ」
「⋯⋯っ! クク、あぁそうだな。言っとくが酒の入った俺の話は長ェぞ?」
「はは、そりゃ楽しみだな」
リオティスは軽く手を振ると、そのまま寝床に就いた。
迷宮の中だというのにも関わらず、その日は悪夢を見ることはなかった。