第9話 兄妹②
デルラークの名乗ったディアティールという性。
それはこのディアティール帝国と同じ名であり、つまりは帝王アルテオス=ディアティールの血を正当に受け継いだ、王族であることを示していた。
「どうやら理解出来たようだな。俺が誰なのかを」
「何しに来たんだデルラーク。会議はまだ終わってないはずだろ」
突然現れたデルラークを警戒するように、バルカンは当然の疑問をぶつける。
「あんなつまらない会議に興味はねェ。後で要点だけ聞くさ。それよりも俺が興味を持ったのはお前だよ、バルカン」
一気にバルカンへと距離を詰めると、デルラークは新しい玩具を見つけた子供のような表情を浮かべた。
「あのやる気の無いお前が、自分のギルドのためにあそこまでの覚悟を見せたんだ。正直、俺は感動したよ」
「よく言うな。俺のギルドにあらぬ噂を立てて世間の評価を落とし、依頼も碌に入ってこないように操作したのはどこの誰だよ」
「仕方ないだろう? それだけの罪をお前は犯したんだ。あの時は心底失望したよ。せっかくの遊び相手が居なくなったんだ。だが、今こうして必死に抗うお前を見て、また少しだけ遊んでやりたくなった。そうだな、手始めにあの人殺しの仮面でも剥がそうか?」
デルラークはクルリと向きを変えると、震えて立つティアナの腹部を思いっきり蹴り飛ばした。
「カハッ!?」
久しく忘れていた痛みに、ティアナは額に脂汗を滲ませながら、嗚咽交じりに膝から崩れ落ちた。
「な、何をしてるんですか!!?」
全員が驚きの余りに硬直してしまう中、唯一フィトだけがデルラークに向かって怒号を上げた。
「なんてことはない。ただ躾の悪い妹を教育しただけだ」
「妹⋯⋯?」
「何だ、知らなかったのか? いや、隠していたのか。こいつは俺の妹であり、ディアティールの名を受け継ぐ者だ。ただ、今はもう勘当された身だがな」
デルラークの言葉に団員達は続けざまに驚愕するが、ただひとり、タロットだけはとある日の出来事を思い出す。
それは初めて〈月華の兎〉で寝泊まりをした夜のこと。
女部屋で何気ない会話をした際に、タロットはティアナのことを貴族ではないかと推測した。その時のティアナが放った言葉は、自身が王族であることを意味していたのだ。
「どうやら誰一人として知らなかったようだな。わかったら、お前らはそこで黙って見ていろ。これは身内の問題だ」
「身内の問題⋯⋯?」
フィトが怒りに震える声で聞き返す。
「身内なら実の妹に手を上げてもいいんですか。それが兄のすることですか。兄というのはいつだって笑顔で明るく前を進み、妹を守るものです。君のような奴に、兄を語る資格は無い!!」
「待て、フィト!!」
怒りに身を委ね、デルラークに拳を握りしめフィトは突撃する。
そんな彼女を慌てて止めるバルカンだったが、一足遅かった。
「え⋯⋯」
フィトが静かに声を漏らす。
拳を振り上げ、今まさにデルラークを殴ろうとした自分の体が、突然に身動き一つ取れなくなったのだ。
走り出した体制で右足も未だ地面には付いておらず、まるで時が止まってしまったかのように、指先ひとつ動かせない。
何が起きたのかわからず困惑するフィト。
すると、デルラークが彼女を冷たく見つめながら中指を立てた。
「訂正しよう。しけた連中だと思っていたが、昔同様イカれた団員が集まっているらしい」
刹那、フィトの体が後方へと激しく吹き飛んだ。
「フィトっち!?」
脆い木造の地面を砕きながら転がり、壁を貫いて消えたフィトの安否を確認するため、レイクが瞬時に後を追いかける。
(一体、何が起きたんだ⋯⋯?)
傍目から見ていたリオティスにすら、フィトの身に起きた出来事を理解することが出来なかった。
だが、デルラークの右手の甲に浮かぶ禍々しい紋章が、これが彼の能力の一端であることを示していた。
「安心しろ、手加減はした。それにしても団員の教育が行き届いていないなバルカン。まさかこの俺に殴りかかろうとする馬鹿がいるとは。また仲間を失いたくないのなら、お前の口からしっかり説明しておけ」
「ぐっ⋯⋯」
デルラークの圧力に、バルカンは何も言い返せない。
ただ、周りに立つ団員達に向かって、制止させるように両手を広げた。
「お前ら、この男に手を出すな。こいつは〈六昇星〉の一角、〈歳星の鷲〉の団長であり、ディアティールの名を持つ王族だ。逆らったら、簡単に消されるぞ」
「そういうことだ。だが安心しろ。俺はこの人殺しと少し戯れるだけだからな。なぁ、ティアナ」
自身に向けられる刺すような冷たい視線に、ティアナは先ほど蹴られた痛みなど忘れ、恐怖に歪んだ青白い顔を向ける。
「いい表情だ。自分の立場を思い出したか。昔もこうやってよく遊んでやったよな」
座り込むティアナに向かって右手を伸ばすと、デルラークは彼女の首を乱暴に掴む。
百七十はあるティアナの身体が持ち上げられる。
それと同時に彼女の首は絞めつけられ、肺に送り込まれていた酸素が遮断される。
「ガ、ハァ」
息が出来ず苦しむティアナ。
そんな彼女を見つめていたデルラークは、その腰に差されていた一本の宝剣に気が付いた。
「まだその剣を持っているのか。呆れたな。お前なんかにその剣は振れない。それがわかっていながら何故未だしがみつく。抗う。そういうところが、昔から嫌いなんだよ」
より一層、首を掴む手に力が入る。
それを見ていたバルカンは、もう限界だった。
(デルラークがわざと俺に手を出させるように挑発しているのはわかる。そうなれば、もうこのギルドが終わっちまうことも。だが、これ以上は団長として見過ごせねェ⋯⋯!)
バルカンが意を決して前に出ようとした時、ひとりの男がデルラークの腕を掴んだ。
「⋯⋯何だお前。話を聞いていなかったのか? この俺が誰なのかを。手を出せばどうなるのかを」
「分かってるよ。俺が掴んでるこの手は、屑な勘違いクソ兄貴の手だろう?」
挑発するように笑みを浮かべるリオティスは、さらに手に力を籠める。
ベキベキと、音を立てる手首。
それを変わらぬ表情でデルラークは大人しく受けると、掴んでいたティアナの首を放した。
「カハっ」
力なく地面に落ちたティアナは呼吸を落ち着かせようとするが、上手く息が吸えない。
そんな彼女の元に、ロメリア、アルス、ルリの三人が駆け付ける。
「大丈夫ですかティアナちゃん!?」
「オイ、これヤバくねーか!!」
「⋯⋯ヤバイかも。とにかく、落ち着いて呼吸。まずはそこから」
煩くティアナの周りを群がる団員達を鬱陶しく感じながらも、デルラークは自身の手首を摩る。
(骨にヒビが入ったか。まさか記憶者でもないのにここまでの力を持っているとは。何者だ、この男)
想定外の乱入に、デルラークは怒りよりも不思議と興味を掻きたてられた。
「お前、名は?」
「リオティスだ。イジメてやりたいリストにでも載せるのか?」
「それもいいな。だが、お前のような男は嫌いじゃない。自信に満ちた表情に、生意気な言動。服従させてやりたくなる」
「やれるもんならやってみろよ。お得意の権力でも振りかざしてな」
「あくまで逆らうか。本当に馬鹿な連中だ。だが面白い。ならお前も今回の迷宮攻略に命を懸けるか? そうすれば今日のところは見逃してやってもいい」
「やっぱそういうことか」
リオティスはひとり納得する。
デルラークの言い回しからも、やはりバルカンが自分の身を挺して今回の迷宮攻略に漕ぎつけたのは間違いないようだ。
恐らく、迷宮攻略に自分の命を懸けているのだろう。
「いいぜ。なら俺の命も好きにしろよ」
「バッ⋯⋯お前!!」
勝手に話を進めるリオティスにバルカンは苦言を呈すが、もはや今の発言を取り消すことは誰にも出来なかった。
「その言葉、忘れるなよ。楽しみだな、お前が俺に服従する様。許してと懇願する表情。今から待ち遠しいよ」
「期待してるところ悪いが、俺たちは失敗しねェよ」
「だといいな。だが記憶者抜きの迷宮攻略は流石に骨が折れると思うがな」
「お前、何言って⋯⋯」
と、要領を得ない様子のリオティスを無視し、デルラークは懐から取り出した一枚の紙をバルカンに押し付けた。
「渡しておく。分かっていると思うが、拒否権はないからな」
「⋯⋯本当に性格悪いなお前」
「礼には及ばないさ。折角与えた仕事だ。精々励めよ」
紙に目を落とすバルカンは心底嫌そうに眉を顰めるが、対照的にデルラークは、満足げに軽い足取りでギルドの外を目指す。
「今回はそこのリオティスに免じて引き下がってやろう。だが、迷宮攻略が失敗したときは、その分楽しませてもらおう」
去り際にデルラークはそう言い放つと、苦しそうに倒れるティアナを一瞥だけして、〈月華の兎〉を後にした。