第8話 兄妹①
「⋯⋯ここに来るのも、久しぶりな気がするな」
リオティスはやる気の無い半眼で目の前の建物を見上げる。
ボロボロで今にも崩れてしまいそうな、汚くみすぼらしいギルド。
そこは紛れもなく、リオティスが所属している〈月華の兎〉だ。
バルカンから一週間の休みを貰ったリオティスは、その間、一度も〈月華の兎〉に来ることもなく、高価な宿で寝泊まりをしていた。
たった一週間。
だが、リオティスには長い長い一週間だった。
何もやることもなく、何もやりたいとは思えず。
ただ一日が終わることを待つだけの日々は、リオティスの心を着実に蝕んでいた。
それでも彼がこうして〈月華の兎〉に戻ってきたのは他でもない。自分が見つけた本当の夢を叶えるため。約束を守るため。
だからだろう。
あれだけ忌み嫌っていたギルドを目の前にして、何故だか心が熱くなってしまうのは。
「ふぅ⋯⋯」
一度大きく深呼吸をすると、リオティスは扉を開けてギルドの中に足を踏み入れた。
相変らず狭く汚い空間。
そこには見知った六人の男女が何やら談笑しているようだったが、リオティスが入ってきた途端に、まるで時が止まったかのように話し声がピタリと止まった。
全員の視線が一気にリオティスへと集中する。
だが、それも一瞬の事で、すぐ様にリオティスを無視して会話が再開された。
嫌な空気だ。
リオティスはそう感じつつも、皆とは離れた場所に腰を下ろす。
(誰も話しかけにはこないか。まっ、当然だな)
自分を無視するかのように話しているギルドメンバーを、リオティスは気づかれないように遠目から観察する。
話をしているのはレイク、ルリ、アルス、ロメリア、ティアナ、タロットの六人。
タロットだけはこちらを心配そうに何度もチラチラと見ているが、他の団員達は見向きもしない。
姿が見えていないのか、とリオティスが思ってしまう程の徹底ぶりだったが、そうではないことは彼が一番理解していた。
四日前の夜。
リオティスは自分の為に集まってくれた同期達に対し、突き放すような言動を取ってしまっていた。それも、相手を深く傷つけてしまう程の。
だからこそ、彼らの態度は何も間違ってはいない。この場で何かが間違っているとすれば、それはリオティスの方だった。
(本当に嫌な空気だ。けど、自業自得だよな。それにこっちの方が肌に馴染む)
リオティスは空間に流れる嫌な空気を別段気にすることもなく、頬に手を付きながら大きく欠伸をした。
「⋯⋯貴方、よくそんな平気な顔ができるわね」
突如として聞こえた声。
顔を上げると、いつの間にか不機嫌そうな顔をしたティアナが隣に立っていた。
「何だ、お前か。来るとしてもタロットだと思ったんだが」
「お前じゃなくてティアナよ青髪。それにしても貴方は本当に何を考えているのか分からないわ。あれだけのことをしておいて戻ってくるなんて。けど、流石の貴方も相当勇気が必要だったのかしら? 随分と時間を空けたじゃない」
「誰かさんに叩かれた傷が癒えなくてね」
「貴方の鍛え方が貧弱なんじゃない? フィトに殴られたら死んでいるわよ」
「そのお漏らし野郎は休みか」
「さっきまで居たわよ。でも、暇だから走ってくるって言って、どこかへ行ってしまったわ」
「ふーん、まぁどうでもいいけど」
「⋯⋯⋯⋯」
つまらなそうに返事をしたリオティスを、ただティアナは見下ろす。
何かを伝えようとしているようだが、口をもごもごさせるだけでその後には言葉が出てこない。
そんな彼女を不思議そうにリオティスは見ると、呆れたように尋ねた。
「お前、何なんだよ。俺のこと嫌いならさっさとどっか行けよ。それとも実は好きなのか?」
「なっ!? そ、そんなわけないでしょう屑!! 貴方なんて大嫌いよ!」
「じゃあ何でこっち来たんだよ。てっきり嫌味を言いに来たかと思えば、普通に会話するし」
「そ、それは、あれよ。その、あの時の夜に⋯⋯」
と、ティアナが何かを切り出そうとした時、それを掻き消す程の騒ぎ声が外から聞こえてきた。
「だから知らねェって言ってるだろ。もうアイツとは会ってもねェよ」
「嘘言わないでください!! 何で自分の副団長の所在を知らないんですか!?」
「元だ元。つーわけで俺は何も知らん。さっさと離れろ!」
「絶対嘘です! じゃなきゃボクがこのギルドに入団した意味が無いです! もしも言うつもりが無いなら呪いをかけますよ。いいですか、本当のことを言わないと、この呪いでバルカンさんは死にますよ! さぁ正直に言ってください!!」
「知らん⋯⋯って、噛むな噛むな!? 呪いじゃなくて物理的拷問だそれ!」
何やら聞き覚えのある声にリオティスが扉を見ると、バルカンが自身の頭に噛みついているフィトを必死に剝がしながら入ってきた。
「何だ。デートでもしてたのか?」
「んなわけねェだろ。さっき近くでバッタリ会ったんだよ。お前もさっさと離れろ! 今から真面目な話があるんだよ!」
バルカンのその言葉に、フィトは一先ず大人しく地に足を付けたが、その表情からは未だ執着心が読み取れた。
「はぁ、全く⋯⋯。こんなんじゃ先が思いやられるな」
「で、真面目な話って何だよ」
「ん、あぁ。ちょっと迷宮攻略の依頼が入ってな。今から準備して、例の迷宮に行くぞ。あのお前らが見つけた迷宮にだ」
バルカンは何気なくそう言ったが、それを聞いた団員達は全員目を見開いた。
「ほ、本気ッスか!? あの迷宮を攻略するって!!」
「本気だ。つーか、迷宮攻略がギルドの生業だ。何か可笑しいか?」
「可笑しいって話じゃありません! だってあの迷宮は⋯⋯」
そこでティアナは隣に座るリオティスを見た。
彼女の目に映るリオティスは、動揺を隠しきれていない様子だった。
「まぁ、お前らの言い分もわかるけどな。けど、もしも迷宮を攻略出来たら、晴れて俺たちのギルドはBランクに昇格することになってる」
「Bランクに?」
今まで黙ってバルカンの話を聞いていたリオティスが、そこである違和感に気が付いた。
現在Cランクの〈月華の兎〉は、世間一般的に見ても最悪のギルドだ。それこそ、もう二度と昇格が絶望的である程に。
だが、そんなギルドに迷宮攻略の依頼が入った。
その時点で有り得ないことであるはずなのに、成功の暁にはBランクに昇格するというのだ。
(そんなうまい話があるはずがない。だが、バルカンが嘘を吐いているようにも見えない。まさかこの男⋯⋯)
リオティスの思考がひとつの答えに辿り着こうとした時、まるでそれを見透かしたかのようにバルカンが言った。
「確かにこんな話信じろって方が無理だ。それにお前らは迷宮の怖さを身をもって知った。まだトラウマを克服出来ていないのも無理はない。だから、これは強制じゃねェ。付いてきたい奴だけ一緒に来い。最悪、俺ひとりでも攻略はするつもりだ」
物静かな面持ちとは対照的に、普段のバルカンからは考えられないような覚悟がその瞳には宿っていた。
だからこそ、団員達にも今回の迷宮攻略が如何に本気であるのかは理解出来た。決して冗談や悪ふざけで言っているわけではないことも。
だが、それを分かっていながらも、誰一人として参加の意思を表明することはなかった。
何故なら彼らは知ってしまったから。
迷宮がどれほど危険であるのかを。迷宮ではいとも簡単に人が死んでしまうことを。
シーン、と静まり返る部屋。
その空気から団員達の考えを汲み取ったバルカンが、ひとりで迷宮を攻略する決定を下そうとした時、
「建物同様、しけた奴らだな。これが今の〈月華の兎〉か」
低い声が辺りに響いた。
全員が一斉に声の方を見ると、いつの間にか開いていた扉に寄りかかるようにして、ひとりの男が立っていた。
珍しい黒髪に、どこか気品の溢れる佇まい。
そんな男の容姿や雰囲気に、リオティスは既視感を覚えた。
「よぉ、元気だったか人殺し」
「お、お兄様⋯⋯」
自身に向けられた視線に、ティアナはビクリと身を震わせる。
呼吸も乱れ、顔面は蒼白。
いつも気丈に振舞う彼女が見せた恐怖の表情に、すかさずリオティスが前に出た。
「誰だよお前」
「あぁ? まさかこの俺を知らないのか。いいだろう、教えてやる。俺はデルラーク=ディアティール。この意味、愚鈍なお前らにも理解出来るだろう?」
デルラークはそう答えると、不敵な笑みを浮かべた。