第7話 闇の戯れ
「ふふ~ん」
鼻歌交じりに歩くその男は、特に目的を持つわけでもなく、暇をつぶせるような相手をただ無計画に探し回っていた。
誰でもいいから楽しませてくれないかな、と男が辺りをキョロキョロと見渡していると、無数に並ぶ扉のひとつから何やら声が聞こえてきた。
聞き耳を立ててみれば案の定、男が求めていた〝面白そうなトラブル〟が起こっているようだった。
そうと分かれば話は早い。
男は一切の躊躇もなく扉を押し開けると、ヘラヘラとした笑顔で部屋の中に入った。
「やっほー! 皆僕を差し置いて何楽しそうなことしてるんだい⋯⋯」
と、男がワクワクしながら部屋を見ると、そこには俯きながら正座をする二人の男女と、そんな二人を冷徹に見下ろすひとりの男がいた。
「って、全然楽しくなさそう! 何これイジメ?」
予想外の状況に、男は大げさに後ずさりをする。
「スネイル君の声が聞こえたから絶対面白いと思ったのに、なんか全然違う! ただただ空気が重い!」
「分かっているなら出ていけアウル。こっちは貴様に構っている暇はない」
小さな部屋の中央で威圧的に仁王立ちしていたスネイルは、いきなり入ってきては場を乱そうとしているアウルに対して殺気を飛ばした。
「えーコワ。それよりこれどういう状況?」
「た、助けてくださいアウルさん。オイラ、このままじゃ先輩に殺されちゃうって!」
正座をしていた男が、顔を上げてアウルに助けを求める。その表情は恐怖に塗り固められ、目には涙すら浮かべている。
「スパイダー君⋯⋯泣いてる顔もいいね!」
「あぁ、ダメだ。この人も頭おかしいんだった!!」
「急な悪口。僕だって傷つくよ?」
落ち込むように項垂れて見せるが、スパイダーにはそれがただのポーズだとバレてしまっているようで、白い眼を向けられてしまう。
そういう表情もいいな、とアウルは思いつつも、もうひとり正座をさせられている少女の方を見た。
十歳にも満たないような容姿の彼女は、やはりアウルの知っている人物で、どこまで知っているかと言われれば、今こうして俯いて反省しているように見せて、その実は寝ているということでさへお見通しなほどにだった。
「冗談はこのぐらいにして、このメンバーを見るに、前回の任務の反省会でもしてたんでしょ。でも変だね。アレって確かターゲットの殺害には成功してなかったっけ?」
「そうなんですって! オイラなんて片方の腕を犠牲にしてまで任務を全うしようとしたのに、先輩が怒るんですよ!!」
「当然だ。あんな雑な作戦を立てやがって。腕も新しい物に付け替えればいいだけだ」
「ホラ、こんな酷いこと言うんですよ!? 人をまるで機械のように言ってさ!」
「いやでもスパイダー君。実際、君ロボットみたいなもんでしょ」
「そうですけど!!」
煩く言い訳を並べるスパイダーに、その隣で未だに寝ているだけのカメレオン。
確かにこれはスネイル君の負担も大きいな、とアウルは同情した。
「大変だねスネイル君も。けどさ、二人も反省? しているみたいだし許してあげたらいいじゃない」
「そうもいかない。これ以上、この馬鹿共の尻ぬぐいをするのは御免だ。それに、文句なら貴様の部下にもあるんだがな」
「僕の部下に?」
突然向けられた矛先に、若干の不安を抱いたアウルが聞き返した。
「あぁ、そうだ。貴様の部下に炎の魔法師がいただろう。そいつが勝手にターゲットを殺そうとしたらしいじゃないか。しかも迷宮ではなく、一般の宿を燃やしてだ」
「いや~、それはもう僕の管理不足としか言えないね。けど彼はいい子だよ? 真面目だし、素直だし。たまに張り切りすぎて空回ることもあるけど」
「貴様がそんな適当だから部下も付け上がるんだ。同じ幹部の一角だという自覚を持て」
「まっ、そうだね。でも反省するなら君もじゃないのかな?」
アウルはそこでニヤリと笑うと、スネイルの目前まで顔を近づけた。
「スネイル君、前回の任務で正体を現したのにも関わらず、その相手を見逃したそうじゃない。知ってるんだよ僕は」
「⋯⋯⋯⋯」
先ほどまで顔色一つ変えなかった鉄の仮面に、陰りが差す。
それを見逃すまいと、アウルは続けざまに言う。
「何か君らしくないよね~。冷酷無慈悲な君が、殺せるはずの敵に止めを刺さないなんて。何か理由でもあるのかな?」
「ただの気まぐれだ。それに俺たちの行動は既に〈ディザイア〉の目にも止まっている。これ以上、隠れる必要もないだろう。たかがひとり、力も無い男を見逃したところで何か罪にでもなるのか?」
負けじとスネイルも強気に言い返す。
小さな部屋の中に生じる、重く張り詰めた空気。その空気を十分に堪能したところで、アウルは笑ってスネイルから離れた。
「まっ、そうだよね。どうでもいいことだ。でもやっぱりあのスネイル君が気まぐれでも逃がした相手、気になるのは仕方ないだろう? 僕も、それに彼も」
そこでアウルは突然振り返ると、自分が入ってきた扉の方を見た。
「いい加減入ってきなよ。とっくにバレてるんだから」
アウルの呼びかけに、扉が勢いよく開いた。
「流石アウルさん! 今回は結構気配殺してたつもりなんですけど、俺もまだまだですね!」
爽やかな声が部屋に響く。
そうして入ってきたのは、声の通り清潔な身なりを整えた、顔立ちの良い男だった。
「紹介するよ。彼は最近僕の部下に配属されたイース君。僕らみたいにまだコードネームはないんだけどね。結構優秀だよ」
「どうも! イース=クラークです!! 強いし優秀です。よろしくお願いします!!」
深々と頭を下げるイース。
だが、その余りにも爽やかな言動とは裏腹に、スパイダーとスネイルは互いに顔を顰めた。
「アウルさん。絶対顔で選んだでしょ。メチャクチャ好みそうですもんコイツ」
「人の会話に聞き耳を立てているのも貴様と似てるな。部下はもう少し真面目に選べ」
「酷いなぁ二人とも。そりゃもちろん顔で選んだけどね。でも優秀なのも事実だよ。戦闘能力だけでいえば、幹部にも迫る勢いだしね。まぁ、でも、まだまだ先は長いかな。特にスネイル君には遠く及ばないだろうし」
アウルがそう言ってイースの頭をポンポンと優しく叩く。
すると、突然イースはスネイルのことをキッと睨んだかと思うと、再び頭を下げた。
「誉めてくださってありがとうございます!! じゃあ俺は用事があるので!」
それだけ言うと、イースは乱暴に扉を開けると、そのまま閉めずに走って出ていってしまった。
「ね、彼面白いでしょ?」
「どうだか。だが、何故あんなことを言った?」
「あんなこと?」
「とぼけるな。あの新人を見ればわかる。俺への敵意、貴様への尊敬。日頃から何を吹き込んでいるのかしらないが、十中八九、無断で行動するつもりだ。⋯⋯俺が逃がした男を殺すために」
「流石スネイル君、よく理解できてる。でも僕が君の逃がした相手に興味を持っているのは事実。だから確かめてもらおうと思ってね。たまたま僕の後を付いてきていて、たまたまここでの君が逃がしたという男の話を聞いていて、たまたま僕の言葉の綾で行動するであろうイース君に、ね」
わざとらしく演説をするかのように両手を広げるアウルに対して、スネイルは怪訝な表情を向ける。
「⋯⋯貴様、何が目的だ」
「え~別にただの興味心だよ。それに僕は何かを命令したわけじゃないし、この結果何が起きても僕のせいじゃない。でも安心しなよ。結末がどうあれ、組織にとっては必ず良い方向に転ぶからさ」
不敵に笑うアウルは、イースの後を追うようにして、開きっぱなしだった扉を無視し、そのまま鼻歌交じりに出ていった。
「本当に嫌な男だ」
スネイルはそう呟くと、開かれた扉を閉めた。