第5話 六昇星②
「⋯⋯お前、今何て言った?」
黒く広い部屋の中、殺意の籠った低い声色が響く。
「アァ? 聞こえなかったかァ? だったらもう一回言ってやんよォ。俺より弱い三位のカスが調子に乗んじゃねェって言ったんだァッ!!」
自身に向けられた殺気を物ともせず、ひとりの男が声高らかに叫んだ。
刹那、部屋が轟音と共に激しく揺れた。
「俺の聞き間違いかと思ったが、まさか本当にそんなふざけたことを抜かしてたとはな。いいだろう。今ここでどっちが上かその体に理解させてやる」
「ケッ、上等だァ。テメェみたいなボンボンに俺が負けるかよォ⋯⋯!!」
互いに互いが親の仇に向けるかのような殺意を放ち、ひとつの大きなテーブルを挟み、今まさに喧嘩などと優しい言葉では収まらない程の戦いが始まろうとしていた。
「おっ、何だ何だ! さっそくやんのかオイ。だったらオレも混ぜろゴミ屑共!!」
「ちょっとぉ、貴方たちたまには静かに待てないの? これだから会議は嫌いなのよ」
「ふん、好きにさせておけ。どうせ私たちの話など聞く耳を持たないだろう。とはいえ、もしもこちらに火の粉が降りかかるようであれば、振り払うのみだが」
一触即発の空気の中、顔色一つ変えない三人の女性。
彼女たちも同じ部屋、同じテーブルを囲んでいるというのにも関わらず、至って冷静だった。寧ろ、この状況をどこか楽しんでいるようでもある。
恐らく、この場に第三者がいたのであれば、余りの空気の重さに気を失っているであろう。
それ程までに異常な空間の中で平静を保ち、さらにはその状況までも楽しもうとする酔狂ぶり。そんな彼等の正体こそが、世界で最強のギルド〈六昇星〉を治めるギルドマスター達であった。
世界二位のギルド〈夕星の大蛇〉。
ギルドマスター〝ルフス=ルピナス〟。
世界三位のギルド〈歳星の鷲〉
ギルドマスター〝デルラーク=ディアティール〟。
世界四位のギルド〈辰星の鹿〉。
ギルドマスター〝ネリネ=ルーメン〟。
世界五位のギルド〈炎星の狼〉。
ギルドマスター〝ニア=ピオニー〟。
世界六位のギルド〈日輪の獅子〉。
ギルドマスター〝リリィ=グレリオ〟。
一位のギルドを除いた計五つのギルド。
そのギルドマスターがこうしてひとつの空間に集まっているのには、当然理由があった。
「やめてください。ルフス様もお兄様も」
激しい争いが必死であったルフスとデルラークの間に割って入るひとつの影。その影はどこから現れたのか、テーブルの上にしゃがみ込むと、二人に向かってそれぞれ手を広げてみせた。
短髪の透き通るような白髪を揺らしながらも牽制するその少年は、まだあどけなさの残る童顔で二人を交互に見た後で、ゆっくりと立ち上がる。
「大切な会議の場を乱すのはいけません。喧嘩をするのなら終わった後にしてください。それでも暴れるのなら、僕の手で拘束させていただきます」
少年は広げた小さな両手に力を籠める。
その様子を見たルフスは、乱暴に腰をドカっと椅子に下した。
「しゃあねェなァ。テメェんとこの弟に免じて許してやんよォ。なぁプロテアァ、ちゃんとあの菓子仕入れてきたんだろうなァ?」
「もちろんですルフス様。後でお茶と一緒にお出ししますね」
「ケケ! 流石だなァ。そんじゃ一先ずは大人しくしといてやんよォ」
白髪の少年プロテアの返答に満足したルフスは、先ほどの殺気が嘘だったかのように、穏やかな表情を浮かべる。
一先ず場が落ち着いたと判断したプロテアは、デルラークの元に近づくと満面の笑みを咲かせた。
「どうですかお兄様! ちゃんと平和的に解決して見せましたよ!」
「邪魔するなプロテア。俺はあの雑魚を殺さねェと気が済まない」
「でもーー」
「二度も言わせるなよ」
「っ⋯⋯」
尊敬する兄から放たれた言葉と、鋭い視線。
それを真に受け、額に汗を滲ませたプロテアであったが、彼の口角は無意識に上がっていた。
(あぁ、お兄様の冷たいこの表情⋯⋯なんて素敵なんだろう。もっと、もっと僕にその眼を向けてください⋯⋯)
努めて冷静に振舞おうとするプロテアであったが、自身の内に込みあげる興奮を抑えることが出来ずに、頬を赤らめてしまう。その時ーー、
「⋯⋯テーブルから下りろ、プロテア。ディアティールの名を持つ者としての自覚を持て」
刹那、プロテアの興奮は一気に冷め、全身に緊張が走った。
プロテアだけではない、あれ程の殺伐とした空気の中、心を一切乱さなかった〈六星の集い〉のギルドマスター達ですら、部屋に響いた、たった一言の言葉に体を強張らせた。
カツン、カツンと、ゆっくり奏でられる足音にすら全員の意識が集中される。
そうして部屋の奥から現れたのは、壮齢の男性だった。
顔には皺が浮かび、黒髪から覗かせる白髪を見ても、男性がそれなりの歳を取っているのは確かだ。だが、その険しくもどこか余裕を含んでいるかのような表情や、広い肩幅、太い腕や足、見るからに鍛え抜かれている引き締まった体からは年齢による弱さを感じさせず、寧ろ生気が溢れていた。
ただ歩いているだけだというのにも関わらず、その動きからは洗練された気品が感じ取れ、隠そうともしない崇高さは見る者全てを釘付けにするだろう。
まさに圧倒的な風格者。
彼こそが、全てのギルドを纏めるディザイアの頂点に立つ男。現ディアティールの帝王、アルテオス=ディアティールだった。
「も、申し訳ありません!」
プロテアはすぐ様にテーブルから下りると、アルテオスの横に跪いた。
「お兄様を助けようとしてつい⋯⋯!」
「まぁいい。礼儀なぞとこの者たちの前では意味をなさないだろう」
まるで気にも止めない様子でプロテアを一瞥もせず通り過ぎたアルテオスは、招集された〈六昇星〉のギルドマスター達全員が見える位置に深々と腰を下ろした。
「よくぞ集まってくれたな、我が精鋭たちよ。今回も世界の平和を保つ為、共に有意義な時間にしようじゃないか」
「その精鋭だけど、ひとり人数が足りないんじゃないかしら?」
〈辰星の鹿〉のギルドマスター、ネリネが周りを見渡しながら問いかける。
「六人揃ってこその〈六昇星〉でしょう?」
「当然の疑問ではあるがな。ウィルヘルムとローレルには別件を与えている。魔神の討伐をな」
アルテオスの言葉に、またしても部屋の空気は一変する。
「魔神だァ!? んなもんまだ居やがったのかァ?」
「私も初耳だな。伝説とばかり思っていたが⋯⋯」
「それが本当だとしてよ、なんで一位の奴だけに行かせやがったんだよボス! オレだって魔神ボコボコにぶっ殺してェよ!」
「ちょっと皆様騒ぎすぎです! 少しは礼節を持ってもらわないと」
見かねたプロテアが騒ぎを止めようとするが、それをアルテオスは制止する。
「構わない。元よりこの者たちに礼儀などは求めてはいない。私が彼らをこの椅子に座らせているのは、力あってこそだ」
「⋯⋯お父様がそう仰るのなら」
納得がいかない様子で再び下がったプロテア。
そんな彼の方はやはり見ずに、アルテオスは続ける。
「魔神の討伐は極秘任務だ。そう幾つもの〈六昇星〉を動かすわけにはいかない。そうなれば必然、最も力がある者が選ばれる。それでも私がウィルヘルムにこの任務を与えたのは間違いかね?」
有無を言わせない絶対的な圧力に、流石のギルドマスター達も何も言い返すことが出来ない。そもそもが、アルテオスの判断に間違いなどないと、各々が理解していた。
「どうやら反論は無いようだな。では、さっそく会議をーー」
と、アルテオスが会議の始まりを告げようとしたその時、閉じられた部屋の扉から、何やら揉めるような声が聞こえてきた。
「待ちなさい! ここがどこか分かっているのか!? この先は今⋯⋯」
「知ってるよ、馬鹿共の会議だろ。つーわけで、通してもらうぜ」
「ちょーー!!」
慌てて何かを止めようとしている声を無視し、部屋の扉は勢いよく開かれた。
薄暗い部屋に差し込む光。
そこに立っていたのは、ボサボサの寝ぐせだらけの髪に、今にも眠ってしまいそうなほど退屈そうでやる気の無い目をしたひとりの男だった。
「遅いぞバカルカン」
現れた男に対し、皆が一瞬訳も分からず硬直している中、リリィだけは平常心で言葉を投げかける。
「あぁ、悪い。ここに来んの久しぶりすぎて迷っちまった」
リリィに向けてそれだけ答えると、バルカンはズカズカと歩いてテーブルの前まで近づくと、不敵な笑みを浮かべてアルテオスを見た。
「会議中でしたかね? ボス」
「今更何の用だ、バルカン。貴様の居場所はここにはないはずだが」
「いやーちょっと話したいことがありまして。二年ぶりの再会を楽しみたいとこでもあるんだが、まっ、面倒くさいのは嫌いなんで単刀直入に言わせてもらうわ」
そこでバルカンは自身の右足を高々と振り上げ、勢いよく踵をテーブルへと叩き下ろした。
「宣戦布告だ。Sランクの椅子ひとつ奪わせてもらうぜ」