第3話 亀裂②
騒ぐ同期達を他所に酒を舐めるリオティスに、隣に座るレイクが彼にだけ聞こえる声で言った。
「リオっち、身体の具合はどうスか?」
「もう殆ど治った。つーかお前らも暇だな。俺のためにこんなに騒ぎやがって」
「はは、やっぱりバレちゃったスか」
「そりゃな。正直、余計なお世話だ」
「そう言わないでほしいッス。これでも皆、本当にリオっちのこと心配してたんスよ。タロっちなんて特に」
「タロットが?」
リオティスは酒を置くと、ここでようやくレイクの顔を見た。
いつも通り爽やかに笑うレイクの表情。
だが、そこには少しだけ疲れの色が見えた。
「リオっちが眠ってる一週間、ずっとタロっちが看病してたんスよ。それこそ俺の知る限りは、寝ずに付きっ切りだったッス。でも、リオっちが目を覚ましてからもずっと思いつめた表情をしてて、皆も心配してたんスけど、今日ここにリオっちが来てくれるからって、俺たちも誘ってくれたんス。その時のタロっちの笑顔、リオっちにも見せたかったッスよ」
「⋯⋯⋯⋯」
レイクの言葉にリオティスは煩く騒ぐタロットへと視線を動かす。
酒を飲もうとしてフィトに止められる彼女の姿は、今までと何ら変わりなく、リコルが傍にいた時を彷彿とさせる。
いつも元気で、明るく、せわしないタロット。
そんな彼女が時折覗かせる暗い表情をリオティスは知っていた。
ただの奴隷のはずなのに。
ただの都合のいい道具のはずなのに。
ただそれだけのはずなのにーー。
リオティスはタロットを見つめることで生まれた謎の感情を流し込むようにして、再び酒を口にした。
「⋯⋯アイツは俺の奴隷だからな。心配するのは当然だ」
「そうスかね? 何だかそれだけの理由に思えないッスけど」
「何が言いたいんだよ」
「別に深い意味は無いッスよ。ただ、俺たちもタロっちと同じようにリオっちを心配して集まってるんス。確かに皆不器用で、リオっちにとってはそれが面倒に感じるかもしれないッスけど、それだけは知っておいて欲しいッス」
恥ずかしそうに笑うレイクに、リオティスは先ほども感じていた疑問をぶつけた。
「何でお前らはそうまでして俺のことを心配するんだ?」
「何でって、仲間だから当然じゃないッスか」
「⋯⋯っ」
仲間だから。
平然とそう言ってのけるレイクに、リオティスは昔の出来事を思い出す。
それは〈花の楽園〉での日々。
多くの仲間たちに囲まれて、恩人のゼアノスや大好きなリラが傍にいてーー。
そんな過去の記憶を思い出す中で、浮かんできたのはリラの冷たくなった死体。彼女の死が、大好きだったはずの〈花の楽園〉の生活が偽りだったことを教えてくれた。
仲間なんていない。
裏切られ、騙され、傷つき、最後には全てを失ってしまう。
それが現実。
この世界に、ギルドに、心を許せる存在などもうひとりもいないのだ。
リラが死んで、リコルが死んで。
そのくせに今更仲間だのなんだの言われたせいで、リオティスの心は一気に冷めていった。
(⋯⋯何が仲間だ。そんなお遊びで、一体何が救われるっていうんだ。どうせこいつらもいずれ俺を裏切る。そもそも、この中にリコルを殺す手引きをした奴がいないとも言い切れないんだ。それなのにこんなくだらない関わりに何の意味がある?)
リオティスは自身の中で渦巻く黒い感情に、もう何もかもがどうでもよくなった。
「どうかしたッスか?」
心配するように顔を覗き込むレイク。
どうやら心情の変化が顔にも出ていたようで、リオティスは冷めた視線をレイクに向けた。そうして口を開こうとした時、突如ティアナが二人の間に割って入ってきた。
「そういえば青髪。貴方、リコルからの首飾りはどうしたのよ」
「⋯⋯首飾り?」
「えぇ、リコルの首に着けられていたものが、あの日貴方の上着に入っていたのは皆知ってるわ。それはどうしたって聞いてるのよ」
脈絡も無く突然聞かれた質問に対し、リオティスはリコルのことを思い出し、さらに自身の感情が黒く染まったのを感じた。
少しだけ重くなる空間。
それを瞬時に察したレイクが、慌ててティアナに言う。
「ちょ、何急に言い出すんスか!? 今日はそんな話をするために来たわけじゃないんスよ!」
「貴方はそうかもしれないけど、少なくとも私は違うわ。この青髪がただ単にリコルから首飾りを貰ったのならそれでいいわ。けど、もしも了承もなしに盗んだのなら話は別よ」
「盗むって⋯⋯! そんなわけないじゃないッスか!!」
「レイク、悪いですがボクもティアナと同意見です。今回の迷宮探索の話を聞く限り、敵はリコルを狙っていたのは明白です。そして内通者だっている可能性があるのです。そうなれば唯一リコルの死を目撃したこの屑を疑うのは当然です。ボクも、正直半信半疑ですが、まずはこれについてはっきりさせないと今後一緒に行動するのは無理です」
ティアナに続いてフィトも訝しむような視線をリオティスに向ける。
どうやら彼女たちも今回の迷宮探索が仕組まれていたことに気が付いているようで、その可能性のひとつとしてリオティスを疑っているのだ。
今回、この酒場に来たのもリオティスを励ますことが目的ではあるものの、リコルの首飾りからきっかけを作り、あの日〝ネスト〟で起きた事の顛末を聞き出したいのだろう。
そのことに気が付いたリオティスは、やはり仲間だのくだらないものは存在しないのだと感じた。
「で、どうなの? 貴方はあの日リコルと何があった⋯⋯」
「売った」
「え」
ティアナの言葉を遮ったリオティスの低い声。
その声に、同期達の全員がリオティスに注目した。
「だから売ったんだよ。リコルの首飾りは勝手に貰って、そんでもう売った。どうせ死んだんだから、俺がどうしようとも勝手だろ」
「貴方、本気で言ってるの?」
「あぁ、結構いい金になったぜ。アイツも死んだ方が役に立って喜んでるだろ」
刹那、リオティスの頬に鋭い痛みが走った。
何が起きたのかわからないリオティスだったが、顔を上げると、ティアナが涙を浮かべた目で右手を振り下ろしていた。
「最低っ!! 貴方、あの首飾りがどれだけリコルにとって大切だったか知っているでしょう!?」
「だからなんだよ。死んだら意味ねェだろ」
「このっ⋯⋯! リコルがどれだけ貴方のことを慕っていたと思っているのよ!! こんなことなら、貴方があの場で死ねばよかったじゃない!」
「ちょ、落ち着けよティアナちゃん! それは言いすぎだ!」
熱くなるティアナをアルスが止める。
だが、ティアナは怒りに体を任せて振りほどくと、店の外に向かって歩き出す。
「心配して損したわ! もう二度と私の前に現れないで!!」
店中に響く怒号。
ティアナはそれだけ言うと、勢いよく扉を開けて出て行ってしまった。
「待てって、ティアナちゃん! 悪いレイク、俺ちょっと行ってくる!」
「⋯⋯私も。今のティアナ、普通じゃない」
店を出たティアナを追うように、アルスとルリも外へと走り去っていく。
二人の姿を見た後で、今度はフィトが立ち上がるとリオティスに軽蔑の視線を注いだ。
「ホント、君は最低な男ですね。どんな気持ちで皆がここに集まったのかわかってるんですか? ボクも殴り飛ばしてやりたいところですが、そんな価値も無いですね。⋯⋯もう君、このギルド辞めた方がいいですよ」
冷酷に言い放ったフィトは、静かに店を後にした。
残ったのはタロットとレイクの二人だけ。
タロットはもう何がどうなっているのかわからないといった困惑の表情で動けていないが、隣に座っていたレイクが口を開いた。
「リオっち、今のはどうなんスか? 確かにティアナっちやフィトっちもどうかと思うッスけど、それでも、あんな言い方はないッスよ」
「何だ、説教か? 俺は事実を言っただけだ」
「そういうつもりじゃ⋯⋯」
「そもそも迷惑なんだよ。ただの他人のくせに偉そうにしやがって。お前みたいな善人面が一番むかつくんだ」
「⋯⋯そう、スか。そうッスよね。迷惑ッスよね。ごめんッス、これ皆からのお金置いてくッスから」
レイクは悲しげに言うと、懐から出した小袋をリオティスの前に置くと、そのまま店を出ていった。
途端に静かになった店内。
騒ぎを見ていた店主のゴールドと店員のメリッサが遠くから不安げにしているが、リオティスからすれば、もう誰も関わってほしくなかった。
「ご主人、どうしてあんな嘘を吐いたんだ」
ようやく状況を把握できたタロットが、震える声で尋ねる。
「⋯⋯さぁな」
そっけなくリオティスは答える。
だが、本当は何故あのようなことを言ったのか分かっていた。
それは関りを避けるため。繋がりを持たないため。
仲間だの考えなくてもいいように、裏切られないように、目の前で大切な人として死なれないように。
つまりは、全て自分が傷つかないようにするための言動だった。
リオティスはレイクに渡された小袋を無造作に開ける。
そこには汚れ、錆びついている硬貨が入っており、それを見ると何故だか胸が締め付けられた。
(俺は、本当にバカだな)
リオティスは小袋をしまうと、再び酒を口にした。
度数が高く、お気に入りの酒だというのにも関わらず、この時は全く味がしなかった。