第31話 アンジュとリコル
「ハァ⋯⋯腹減った」
貧民街のゴミ溜めで食べ物を探すひとりの少女。
彼女の名前はアンジュ。以前リオティスに助けられた、貧民街で暮らす少女だ。
アンジュはゴミを漁りながらも、食べれそうな物が無く、煩く鳴るお腹を摩った。
「もう何日も飯なんて食ってねェのにさ。こんなことならあの時リオティスから金だけふんだくればよかったよ」
ひとりぼやきながらアンジュは溜息を吐く。
だが、リオティスが記憶者であることを思い出し、激しい嫌悪感に苛まれた。
「やっぱねェな。あんなクソ野郎の偽善なんて気持ち悪いだけだ」
大きく頭を振ると、再びゴミ漁りを再開する。
そんな彼女の頭上からはポツポツと雨が降り始めていた。
「マジかよ!? これじゃ風邪ひいちまうぜ」
諦めて住処へと帰ろうとするアンジュだったが、彼女の動きが止まる。
「⋯⋯そういえば、ここでリコルと出会った日も雨が降ってたっけ」
アンジュが思い出したのは、ひとりの友達のことだった。
家族をギルドの記憶者によって殺されたアンジュは、その後ひとりで何年も貧民街で生き抜いてきた。
危険から身を避け、悪事を働き、そうやって誰も信じずに生きていたアンジュには、いつしか歪んだ恨みだけが肥大化していた。
こんな生活をしているのも全てギルドのせい。家族を殺した記憶者のせいなのだとーー。
そんなアンジュの前に現れたのがリコルだった。
雨の降る夜にこのゴミ溜めで彼女と出会ったのが全ての始まり。気が付くとアンジュの傍にはいつもリコルが居た。
一緒にご飯を食べ、一緒に寝て、一緒に生きてきた。
誰も信じることが出来ないでいたアンジュにとって、いつしかリコルは友達と呼べる存在になっていたのだ。
ずっとこんな日が続けばいい。
そうアンジュが思っていた矢先、あの事件が起きてしまったーー。
◇◇◇◇◇◇
リコルと貧民街で共に過ごすようになって一年が経とうとしていた。
相変わらずリコルは自分の過去や生い立ちについては話そうとはしなかったが、それでもアンジュは一緒に居られるだけで楽しかった。
そんなある日、アンジュとリコルが住処で食事をしていると、
「こんな暮らし、もうこりごりだよなぁ。ハァ、空から大金でも降ってこないもんかね」
アンジュがそんなことを言った。
それは何気ない一言で、当然本気でもなかったのだが、その言葉を聞いたリコルが神妙な面持ちで尋ねた。
「⋯⋯アンジュはもしも大金が手に入ったらどうするんですか?」
「そりゃあ、美味しいもんを鱈腹食べるだろ! そんでフカフカのベッドで寝て、可愛い服を着て。それから⋯⋯」
アンジュはそこで言葉を止めると、リコルへと満面の笑顔を向けた。
「家を買ってリコルとずっと一緒に居る! そしたら最高だろ!!」
「アンジュ⋯⋯そうですね。それが私もいいです」
リコルも頷くが、その顔は何故だか晴れない。
不思議にアンジュが思っていると、突然リコルが服の中からペンダントを取り出した。
大きな赤い宝石の付いたペンダント。
それを手に置きながら、何かをリコルは思い詰めている様子だった。
「オイ、何だよその宝石!? ちょっと私にも見せなって!!」
「え⋯⋯」
背後から俊敏な動きでアンジュがペンダントを奪う。
一瞬のことで何が起きたのかわからず硬直するリコルだが、すぐさまにアンジュに飛びつくと、ペンダントを強引に奪い返した。
「触らないでください! これは大事な物なんです!!」
「痛ッ! ちょッ、何だよ急に!!」
リコルが飛びついたことでアンジュの体は突き倒される形となってしまい、背中を打った痛みから大声を上げた。
アンジュの声で我に返ったリコルは、咄嗟に頭を下げる。
「その、す、すみません。痛かったですか?」
「痛いも何も急になんだよ! ちょっとぐらい見せてくれてもいいだろ!? それとも何だ。私のような汚い女には触ってほしくないってか?」
「い、いえ、そういうわけじゃなくて⋯⋯」
「大体前から気になってたんだよ、その手袋。まるで汚い物を触りたくないかのように身に着けやがって!」
アンジュが指さしたのはリコルの右手だけに着けられた黒い手袋。普段から彼女が身に着けている物なのだが、一度だって外したところをアンジュは見たことがなかった。
それを指摘されたリコルは明白に動揺していた。
「違うんです! これは⋯⋯」
「何が違うって言うんだよ! じゃあ取ってみろよ!!」
怒りに任せてリコルの手首を掴むと、その勢いのまま手袋を脱ぎ捨てる。露になったリコルの右手。そこには黒く禍々しい花のような紋章が描かれていた。
「それ、まさか記憶者の紋章か⋯⋯?」
「⋯⋯そうです。けど聞いてください! これには訳が⋯⋯」
「訳ってなんだよ! 私が記憶者を恨んでいることは知っているだろ!? それなのにずっと隠してたんだな。騙してたんだな!!」
「違います! そんなつもりは⋯⋯」
「もういい、わかった。私がバカだったんだよ! アンタのこと友達だって思ってたのに、信じてたのに!! 出てってよ! もう顔も見たくない!!」
何度も弁明しようとするリコルに聞く耳も持たず、アンジュは涙を浮かべながら彼女を突き放した。
ずっと友達だと思っていたリコルが自分を騙していた。嘲笑っていた。そう感じたアンジュの心はズタズタに傷つけられて、もう何も信じられなくなってしまっていた。
「出て行けよ!! ほら!!」
「待ってください! アンジュ!!」
リコルが必死に名前を呼ぶが、もうアンジュの耳には何も届いてはいない。
そのままリコルを小屋から無理矢理追い出したアンジュは、扉を乱暴に閉じて鍵をかけてしまった。自分の心の中にまでもーー。
そしてもう二度と、彼女たちが出会うことは無かった。
◇◇◇◇◇◇
「⋯⋯どうしてあんなこと言ったんだろ。私」
リコルと別れた日のことを思い出し、アンジュは酷く後悔した。
たった一度のすれ違い。たった少しの亀裂。
それだけでアンジュは唯一の友達を失ってしまったのだ。
「リコルが私を騙していたはずないのに。きっと何か理由があったはずなのに。それなのに私は信じてあげることができなかった⋯⋯」
空を見上げるアンジュの目には、暗闇が広がっていた。降り注ぐ雨に打たれ、彼女の体温は段々と奪われていく。
「私って最低だよ。ホント、最低だ⋯⋯」
リコルのことを思い出すたびに、アンジュの心は締め付けられた。
本当はアンジュもわかっていたのだ。
自分が恨んでいたのはギルドや記憶者なんかではなく、何も変わろうとしない自分自身なのだと。そのことを隠すために、記憶者への家族を殺された過去を言い訳にしていたのだと。
確かに記憶者はアンジュの家族を殺した。だがその真実は、家に立て籠った盗賊が人質に家族を取ったことが原因だった。そして、ギルドの記憶者との交戦に巻き込まれ、命を落としたのだ。
それは仕方がないこと。
アンジュも本当はわかっている。わかってはいるが、ならばこの怒りをどこにぶつければよかったのだろうか。憎しみと悲しみをどうすればよかったのだろうか。
だからアンジュは逃げ出したのだ。
保護を申し出たギルドは選ばず、自分ひとりで生きることを選んだ。そうやって憎しみの対象を作り出すことで、現実から目を背けたかったのだ。
だが、そんなアンジュの歪んだ憎しみが、たったひとりの友人を突き放してしまった。
「もう一度リコルに会いたい。けどきっとリコルは私なんかに会いたくないよね⋯⋯って、何やってるんだろ私。風邪ひく前に帰らなきゃ」
どれだけ後悔しても過去は変わらない。
そこでアンジュは一度深く溜息を吐くと、住処の小屋へと帰るために踵を返した。
すると振り向いたアンジュの前には、ひとりの男性が立っていた。
「⋯⋯よぉ、また会ったな」
「なっ、リオティス!?」
夜の更けった貧民街のゴミ溜めに現れたのは、以前魔獣が現れた際に助けてくれた青髪の男性、リオティスだった。