第30話 手紙
闇よりも暗い深淵の中に、リオティスは気が付くとひとりで立っていた。
ここはどこなのだろうか。
ぼんやりと重たい思考を巡らせるがわからない。何も思い出せない。
そんなリオティスの目の前に突如としてひとりの少女が現れた。
暗闇から生まれるようにして現れた少女は、青い髪を靡かせてリオティスを見つめるだけ。だが、その顔や容姿にリオティスは覚えがあった。
「リラ⋯⋯!!」
嘗て想いを寄せていた少女が現れ、リオティスは走り出した。
もう一度君に会いたい。君の笑顔が見たい。
その一心で走るリオティスへと、リラは冷たく言い放った。
「⋯⋯君のせいだよ。君のせいで私は死んだ。なのにどうして君は生きているの?」
「リ、リラ?」
リラの氷柱のように冷たく鋭い言葉に、リオティスは足を止める。
「ど、どうしたんだよ。俺だよ、リオティスだ! わからないのか!?」
「⋯⋯わかってるよ。私を殺した最低な屑。それが君だよ。無力で、無能で、何も出来ない癖にいっつも私の傍に居て。いっつも迷惑だった、消えてほしかった。そのくせに私を見捨てたんだよね? 自分だけ生きたいから逃げ出したんだよね?」
「ち、違う! 俺は、俺は⋯⋯」
「違わないよ。君は臆病な人殺し。君のせいで皆が不幸になる。だから彼女も死んだんだよ」
その言葉にリオティスは全てを思い出した。
迷宮での出来事。〝ネスト〟に落ちたこと。そしてリコルが死んだこと。それらを思い出したリオティスの背後から声が聞こえてきた。
「⋯⋯そうですよ。リオティスさんのせいで私は死んだんです。守ってくれるって言ったのに、嘘だったんですよね。自分ばかり生き残って、他は全部見捨てて。とんだヒーローさんですよ」
「リコル⋯⋯」
振り向くと、そこにはリコルが迫っていた。
血に濡れた体を引きずり、リオティスへと歩みを進める。
「リオティスさんのせいだ。私は死にたくなかったのに、どうして助けてくれなかったんですか?」
「⋯⋯や、やめろ」
「ねぇ、どうして私を見殺しにしたんですか? 貴方と出会わなければこうはならなかったのに、ギルドになんて入らなくて済んだのに」
「⋯⋯やめてくれ」
「リオティスさんさえ居なければ⋯⋯! 全てお前のせいだ!!」
「⋯⋯頼むから、もうやめてくれェッ!!」
引き裂かれてしまいそうな胸の痛みに耐えられず、リオティスは叫んだ。
だが、リコルは止まらない。彼女はリオティスの胸に手を当てると、悪魔のような笑みを浮かべた。
「そんなに苦しいなら、私が楽にしてあげますよ」
そう言ったリコルの手には、脈打つ謎の物体が握られていた。刹那、リオティスの膝が崩れ落ち、体の感覚が失われる。
鉛の様に重たい頭が、支えることもできずにガクンと勢いよく下を向く。するとリオティスの目に飛び込んだのは、ポッカリと穴が空いた自身の胸だった。
「さよなら、リオティスさん」
リコルのそんな声が聞こえたかと思うと、彼女の手に握られていたリオティスの心臓が潰された。
◇◇◇◇◇◇
「ハァッ!? ハァ、ハァ、ハァ⋯⋯」
胸の痛みを感じて飛び起きたリオティスは、乱れる呼吸を整えながら辺りを見渡した。
そこは先程までの暗闇の世界ではなく、汚くおんぼろな部屋の中だった。
「ここは、〈月華の兎〉⋯⋯じゃあ今のは夢、か」
どうやら〈月華の兎〉の一室で眠っていたらしい。固く薄い布団から立ち上がり、自身の胸を押さえる。そこには当然穴などは空いてはおらず、清潔な包帯が巻かれていた。
「そうか、俺はスネイルに斬られて⋯⋯負けたのか」
段々と状況を把握していくリオティスは、今までの経緯も思い出しつつあった。
崩れていく〝ネスト〟からリコルを抱えて何とか脱出したリオティスは、持てる全ての力を振り絞って迷宮の外へと出た。
そしてリオティスを待っていた〈月華の兎〉の団員たちに保護され、そこで気を失ってしまったのだ。
(あれからどれだけ眠っていたんだ、俺は)
部屋の窓を覗くと、外は暗く今は夜更けのようだった。
スネイルから受けた傷に触れながら、リオティスは先程の悪夢を思い出す。リラとリコルの言葉。それは全て自分が見せているだけの偽りであることはわかっていたが、どうしても彼女たちの言葉が忘れられなかった。
なぜ自分は生きているのか。
リラを失い、リコルまで失い、一体今の自分には何が残っているというのだろうか。
そのことを暫く考えた後でリオティスは部屋から出ると、そのまま〈月華の兎〉を後にした。
◇◇◇◇◇◇
〈月華の兎〉から人知れずに立ち去ったリオティスは、何をするわけでもなく夜道を歩いていた。
冷たい風が皮膚を刺激し、暗闇がリオティスを包み込む。すると、リオティスの背後を何者かが走って追いかけてきた。
「待ってくれよ、ご主人!!」
背後から聞こえてきたのはタロットの声。
それを聞いたリオティスは立ち止まると、振り返りもせずに応える。
「⋯⋯なんだよ」
「なんだよじゃないだろ!! そんな傷でこんな夜更けにどこに行くつもりなんだ!!」
「ここじゃないどこかだ。もう、〈月華の兎〉に居る必要もなくなったしな」
「ご主人⋯⋯」
リオティスの言葉にタロットは何も言い返せなかった。
迷宮からリコルを背負ったリオティスが現れた時、タロットはこの上ない喜びを感じていた。全員が無事に脱出することが出来たと、そう思ったのだ。
だが、気を失ったリオティスから手放されたリコルの体は、もう二度と動かないのだと知ってしまった。
迷宮の中でリオティスたちの身に何があったのかはわからない。だが、リコルの死を間近で見たであろうリオティスの心情を想像するだけで、タロットの胸は苦しくなった。
だからこそ、タロットにはリオティスを救うだけの言葉が見つからなかった。何を言ったところで、もうリコルは帰ってはこないのだ。そしてリオティスの心もーー。
それを理解したうえで、タロットは必死に言葉を紡ごうとした。何故ならリオティスの傍にずっといた彼女にしか見えないこともあるのだから。
「⋯⋯リコルのことはタロットも残念だ。こんな気持ち初めてで、どうすればいいのかわからない。きっとご主人はそんなタロットよりも傷ついているのだと思う。けど、だからって〈月華の兎〉を出ていく必要はないだろ!? ご主人の傍に居たタロットにはわかるんだ。ご主人が誰よりもギルドで皆を助けたいのだと、守りたいのだと! だから⋯⋯」
だが、タロットの言葉を遮ってリオティスが叫ぶ。
「ふざけんなよ! お前に俺の何がわかるんだよ!! 俺が誰よりも人を助けられる? んなわけねェだろ! だったらどうしてリコルは死んだんだよ! 俺が守れなかったせいだろうがッ!!」
リオティスの叫びが夜の街に消えていく。
相変わらず彼はタロットの方を一瞥もしなかったが、それでもその表情がどれ程歪み苦しんでいるのかは想像に難くなかった。
リオティスの悲痛な叫びが、悲しみが、苦しみが、痛みがタロットの中に侵食していく。どれだけ彼がリコルを大切にしていたか、守りたかったか。タロットは想像することしか出来なかったが、それだけで胸が張り裂けそうだった。
だが、タロットは目を背けない。
何故なら今のリオティスに言葉を届けることは、想いを届けることは自分にしか出来ない。そうしなくてはならないと強く感じたからだ。
「⋯⋯リコルが死んだのはご主人のせいじゃない。タロットのせいでもあるんだ。だからそんなに自分を責めないでくれ。ご主人がそんなだと、リコルも悲しむと思う」
「悲しむわけねェだろ。もうあいつは居ない、死んだんだ!!」
「そうだ、リコルは死んだ。けどその想いまでご主人は殺すつもりなのか!?」
「⋯⋯っ」
タロットの一言に、リオティスが咄嗟に後ろを振り向くと、そこに立っていた彼女の頬は涙で濡れていた。
「今までリコルと出会って、そして過ごした時間は無くならないんだ! タロットはご主人があんなにも楽しそうに笑っていたところを見たことがなかった。あんなにも幸せそうなご主人は初めてだった! その時わかったんだ、ご主人はずっとギルドで働きたかったんだって! 誰かの隣で笑いたかったんだって!!」
「⋯⋯⋯⋯」
懸命に叫ぶタロットの声が、その涙が、想いがリオティスの胸を打つ。彼の脳内には今までのリコルと過ごした日々が蘇っていた。
朝起きるのが苦手で寝相も悪いリコル。
彼女を起こすために何度も苦労して、もう二度と起こしてやらないと誓っても、彼女のおはようを聞きたくてやっぱり起こして。
食事をする時に大量の料理を食べるリコル。
彼女は大盛のご飯を頬張って喉を詰まらせて、それでも美味しいと笑ってまたお替りをして。
タロットと一緒に騒いで、レイクと一緒に謝って、フィトと一緒に訓練をして、アルスと一緒に出掛けて、ルリと一緒にお菓子を食べて、ティアナと一緒にくだらない恋の話をしてーー。
〈月華の兎〉で本当に楽しそうに過ごすリコルの姿は、リオティスにとっても大切なものだった。
そのことを思い出したリオティスに、タロットは続ける。
「本当はご主人も〈月華の兎〉に残りたいんだろ? リコルと共に過ごした日々を守りたいんだろ? だからもう自分を許してやってくれ! ご主人はもう幸せに生きる権利があるんだ! ご主人はリコルから何を貰ったんだ? 大切なものを一杯貰ったんじゃないのか!? その全てを捨てて、逃げて、また生きるのか!? リコルが残してくれたものを投げ出すのか!? そんなの⋯⋯そんなのあんまりだろご主人!!」
「⋯⋯だからって、俺はどうすればいいんだよ。もう俺には生きる目的がないんだ。もう何も守れる気がしない」
タロットの想いを受けて、それでもリオティスは前に進めなかった。それだけでは自分を許せなかった。
すると、そんなリオティスの上着から、偶然にもリコルから受け取った手紙が落ちた。
その存在すら忘れていた手紙がどうして突然落ちたのかはわからないが、リオティスの手は自然と動いていた。
リコルが友達に書いたと言った手紙。
そんなリコルの想いが乗せられた手紙を暫く見つめ、裏に書かれていた文字へと視線を落とす。
そこには『大切なアンジュへ』と書かれていた。