第28話 地獄に咲く花②
辺りは異様な程に静かだった。
いや、リオティスの耳に何も届いてはいないだけ。全ての情報を脳が拒絶してしまっているのだ。
(何が、起きたんだ⋯⋯?)
目を見開き、耳を澄ます。
そのはずなのに何もわからない。自分が息を吸っているのかも、立っているのかさえも。視界が乱れ、徐々に自身の心臓の音が聞こえだす。
ドクンドクンと。
波打つ鼓動に乱れた息遣い。それらがようやくリオティスの耳に聞こえた時、視界に映ったのは胸を剣で貫かれているリコルの姿だった。
彼女を刺したのはスネイルと呼ばれていた長身の男で、貧民街で一戦交えただけの謎の人物がそこには立っていた。
スネイルは何も言えないでいるリオティスを無視し、握る剣を引き抜くために力を入れる。
だが、剣がピクリとも動かない。
不思議に思ったスネイルの前には、リコルの背中から大量に溢れ出る血が見えていたが、それが血ではないことに気が付いた。
赤紫色の液体。
そんな毒液が動き出したかと思えば、人間の掌のような形を作り出しスネイルの顔に迫った。
「まさか偽物の器を気に入るとはな。そうまでしてその女に執着しているとは計算外だ。いや、そもそも今回は計算外な出来事が多すぎた。だが、結局は無意味だったがな」
スネイルは迫りくる毒の掌に恐怖することもなく、さらなる力を込めて剣を引き抜いた。
貫かれた体からさらに大量の血が流れ出て、リコルは立つことも出来ずに倒れる。もう彼女の体にあったのは強烈な痛みと溶けてしまいそうな熱のみだったが、それらも直に感じなくなってしまうだろう。
自身の命の終わりを確実に感じながらも、それでもリコルは懸命に手を伸ばそうとした。
「がふっ、リ、リオティス、さん⋯⋯」
吐血をしながらもリコルは大切な相手の名前を呼んだ。彼だけは助かってほしい。そんな切ない願いを込めて。
リコルのその声に、リオティスの中で何かが切れた。
「⋯⋯テメェ、リコルに何しやがったァッ!!?」
爆発的な怒りを身にまとい、リオティスはスネイルに向かって短剣を振るった。
それをつまらなさそうにスネイルは見ると、同じく剣戟で応戦する。
弾かれるリオティスの攻撃。だがそれでも彼は止まらない。何度も何度も、渾身の怒りを込めた斬撃を放ち続けた。
「ハァ、ハァ、何でだ! 何でリコルを⋯⋯!?」
常人では追うことすら出来ない斬りあいの最中、リオティスはスネイルに言葉をぶつける。
それを聞いたスネイルは一度リオティスの攻撃を剣で受け止めると、真っすぐに彼の目を見て答えた。
「貴様には関係のないことだ。そもそも説明したところで理解出来ないだろう」
「関係ねェだと!? ふざけるなァッ!! どうしてお前がここにいる! お前は何者なんだァッ!!」
「答える必要はないな」
怒りと熱を帯びるリオティスとは対照的に、冷静に冷たく言い放つスネイルは受け止めていた剣に力を籠めると、勢いよく押し返した。
力に押し負けてリオティスは後方に下がってしまうが、呼吸を整える間もなくスネイルへと再び詰め寄った。
普段のリオティスには無いような乱暴な剣戟の嵐。
そんな攻撃を簡単に受け止めるスネイルは、呆れたように言った。
「熱くなるなよ。漏れているぞ本音が」
刹那、リオティスが装着していた仮面に亀裂が走った。
大きく縦に入った亀裂によって、仮面が半分に斬り裂かれリオティスの素顔が露になる。
そこで初めてスネイルはリオティスの顔を知った。
まるで女のように整った顔立ちに、怒りと困惑が混ざった表情をするリオティスを見て、スネイルは全てを理解した。
「⋯⋯お前、まさか」
リオティスの素顔を見てスネイルの動きが止まる。
その隙を逃すはずもなく、リオティスは続けざまに斬撃を放った。
「テメェは、テメェだけは絶対に許さねェ!!」
怒号交じりの剣劇。
それを何とか受け止めるスネイルは、少しだけ困惑している様子だったが、すぐさまに冷静さを取り戻すと、笑みを零した。
「ふっ、まさかこんな面白いことがあるとはな」
「何が可笑しい!? テメェはリコルを傷つけたんだ!! 一体あいつが何をしたって言うんだ!?」
「何もしていないさ。ただこの女を殺す理由が他にあるだけだ。だが、今こうしてお前と出会うつもりはなかった。本当に出来の悪い部下を持つと、苦労が絶えないな。あの晩に宿へと炎を放った馬鹿よりはマシだがな」
「あの晩⋯⋯炎」
突然発せられたスネイルの言葉にリオティスは、まさかと短剣を振るう手を止めた。
「あの日、俺の寝込みを襲った偽の死神もやっぱりお前らの仕業か!?」
「そうなるな。だが狙いはこの女だったんだがな。全くどうやったら間違えるんだか。そもそも迷宮での殺害が条件だと言っているのに、あのような行動を独断でしやがって。今となっては失敗してよかったがな。カメレオンが失敗した相手も貴様だったのだろう? スパイダーにも手傷を負わせ、危うく全てが台無しになるところだ」
「つまりテメェらの組織は最初っからリコルを狙っていた⋯⋯最初に戦ったあの夜もそうだったのか!?」
「いいや、あの夜は別件でな。そこの女を狙っていたわけではない。なんせあの時点ではまだ死ぬ運命ではなかったからな」
「何が運命だ! じゃあ今リコルを刺したのも運命か!? ふざけるのも大概にしろッ!! テメェが何をほざこうとも、今ここで殺すことに変わりはねェッ!!!」
リオティスはそう叫ぶと、右手から黒色のピースを放出して再び五本の剣を創り出した。
もうリオティスにはスネイルの言っていることがわからない。
彼から出る言葉は全て戯言にしか聞こえず、結局リコルを襲った理由だとか、組織だとかなど関係はなかった。ただ目の前の男だけは殺さなくてはならない。そんな確かな殺意を宿すのみだった。
リオティスは自身の周りに剣を浮かべると、一斉にスネイルに向かって飛ばした。
入り乱れる剣戟。
それらを捌くスネイルには先程までの余裕はない。圧倒的な手数を前にして防戦一方となっていた。
そうして作り出した時間の中で、リオティスは地面に手を突くと、
「〈ダブルピース〉!!」
能力を叫んで地面を分解させた。
〝ネスト〟内の魔獣を一掃した最強の攻撃。
地面から襲い来る殺意を持った鋭い杭を、剣を防ぐだけで手一杯なスネイルに躱せるはずなどなかった。
だが、杭の山がスネイルを串刺しにする瞬間、彼の姿が消えた。
初めて邂逅したあの夜のように、一瞬にして消えたスネイルを探すためにリオティスが辺りを見渡すと、自身に向けられる殺気に気が付いた。
それはリオティスから遠く離れた後方。
咄嗟に身構えるリオティスに対して、スネイルは剣を振り下ろした。
当然、当たるはずなど無い距離。
リオティスもそう思っていたが、スネイルが剣を振り下ろすと同時に体が斬り裂かれていた。
「なっ⋯⋯!?」
胸から腹部までの胴体を斬られたリオティスは、何が起きたのか全く理解出来ていなかった。
届くはずのない距離から、気が付くと斬られていたのだから当然だ。
斬られた痛みと体から失われていく血液を感じながら、リオティスは地面に膝をついた。
(どういうことだ、斬撃を飛ばしたのか!? いや、なら軌跡が見えないのはおかしい。そもそも斬る動作と同時に斬られていた⋯⋯これがあいつの能力なのか!?)
もはや戦うことが出来ずに倒れてしまうリオティス。
彼に近づいたスネイルは、近づくと見下ろして言った。
「勝負ありだな。貴様の能力は既に確認済みだ。以前の夜ならまだしも、今の乱れた貴様に勝ち目は無かった。⋯⋯これで終わりだな」
「ま、まだ、終わってねェ⋯⋯」
「いいや、終わりだ。もうここに用はない」
すると、スネイルは右耳に埋め込まれた通話用の記憶装置を起動させた。
「⋯⋯俺だ、コードネーム〈動かない者〉だ。あぁ、目的は達成した。今から帰還する」
「ま、待ちやがれェッ⋯⋯!」
地面に這いつくばりながらも、スネイルに向かってリオティスは睨みを利かせる。だが、
「何度も言わせるな、貴様の負けだ。貴様は何も守れなかった。それが現実。貴様はその現実を今後背負って生きていくんだ。次に会うことがあれば、その時はもっと俺を楽しませてくれることを期待しているぞ。リオティス」
スネイルはそれだけ言い残すと、指輪から放出された黒い煙に包まれた。そして煙が晴れた時には、既にその場には跡形もなく消え去っていた。
残されたリオティスは目の前で倒れて動かないリコルと、何も守ることが出来なかった現実を受けて絶叫した。
「あっ、あぁ⋯⋯がああああぁぁぁッ⋯⋯!!」
魔獣も全滅し、役目を終えた〝ネスト〟が崩れ始める中、リオティスの悲痛な叫びだけが辺りに響き渡っていた。