第27話 地獄に咲く花①
リコルを抱きしめながらも〝ネスト〟へと落ちていくリオティス。
もはや頭上には落ちてきたはずの入り口は見えず、無限にも思えるほどの時間を変わらぬ暗闇の中で感じていた。
そんな時、ついにリオティスの視線の先に〝ネスト〟の終わりが見えた。圧倒的な速度で落ち続けているリオティスたちは、このままだとほんの数秒後には地面に激突してしまうだろう。
だが、リオティスは慌てない。
彼は自身の右手を広げると、黒色のピースを展開させた。
「〈ダブルピース〉」
リオティスの声に反応するようにして、生み出されたピースは瞬時に集まりあうと、細かい網目状のネットを作り出した。
ネットがリオティスの真下へと広がる。そこに着地したリオティスとリコルの衝撃が吸収され、何とか無事に二人は〝ネスト〟の底へと辿り着くことが出来た。
〝ネスト〟に入ろうとしただけでまさに命がけ。
だが、本当の危険がこの先に待ち受けていることをリオティスは知っていた。
瞬時に懐からメモライトの欠片を取り出すと、辺り目掛けて投げつける。
衝撃を受けて光り輝くメモライト。
それによって周辺の視界を手に入れたリオティスは、一先ず胸をなでおろした。
「取り合えずはこれで大丈夫か。けど安心なんて出来るわけねェよな⋯⋯」
リオティスはもう一度頭上を見上げて出入口を確認したが、やはりそこには何も見えない。まるで昔、ライラックに落とされた時と同じようだった。
そのことを思い出すと同時に、リオティスの脳内には消し去りたい記憶が蘇る。
謝るリラの姿。
彼女はボロボロで血塗られた体に無理を利かせてまで、リオティスを守るために魔獣と戦い、そして死んだ。
あの冷たさが、絶望が、恐怖がリオティスに蘇っていく。
一瞬リオティスの体は震えたが、歯を食いしばって無理矢理に止めた。
一度大きく深呼吸をして落ち着いたリオティスは、そこで自分が未だにリコルを抱きしめていることに気が付いた。
一気に上昇する体温。何故かはわからないが、リコルを抱きしめていることが恥ずかしくなったリオティスは、咄嗟に彼女の体を地面に落とした。
「痛い!! ちょ、ちょっとリオティスさん! 急に落とさないでくださいよ!」
「⋯⋯うるせェ。今はこっち見んな」
「え? どうかしたんですか?」
「どうもしねェから、今はとにかく見るな」
「もしかして⋯⋯私と密着して照れちゃったとか?」
と、リコルの核心を突く言葉にリオティスはドキッと驚く。
そんなリオティスの隙を見逃すはずもなく、リコルはニマニマとした笑みを浮かべて正面へと回り込んだ。
だが、その時にはもうリオティスは死神の仮面を装着しており、それを見たリコルがつまらなそうに言った。
「ちょっと、ズルいですよ!!」
「うるせェ。それよりも今はこの状況を何とかしなきゃだろ! ここは〝ネスト〟なんだぞ!?」
リオティスがごまかすように話題を逸らしたが、実際それは大きな問題だった。
すると、リコルが辺りをキョロキョロと見渡す。
「けど魔獣いないですよ? もしかして皆寝てるんですかね」
「んなわけねェだろ。つーかお前よく落ち着いていられるな」
〝ネスト〟という地獄に落ちたに等しい状況でも、何故だかリコルには余裕があった。そのことに違和感を持ったリオティスだが、リコルは当たり前のように言う。
「だってリオティスさんが一緒ですから」
「⋯⋯⋯⋯」
「えっ、どうかしましたか?」
「いや、別に⋯⋯」
「えへへ、もしかしてまた照れました? そうなんですか?」
「何でもねェって! まったく絡み方まで昔の知り合いに似てきやがって」
「昔の知り合い?」
「あぁ、バカみたいな正義感を持ってて騒がしい奴だったよ。丁度俺みたいな髪色の女なんだが、今のお前にそっくりだ」
溜息交じりにリオティスは言ったが、それに対してリコルは何かに気が付いたようだった。
「待ってください。それってもしかして⋯⋯」
と、リコルが訪ねようとした時、リオティスが彼女を守るようにして立った。
警戒するようにして辺りを見渡すリオティス。
彼の緊張がリコルにも伝わっていく。
今まで不気味なほどに静かだった〝ネスト〟の中に、小さいが確かにこちらへと近づく足音が聞こえるのだ。
メモライトの淡い光が届かない闇。
その闇から現れたのは狼に似た黒い魔獣の群れだった。
涎を垂らす魔獣とリコルの目が合う。
無意識に目を逸らしてしまったリコルだったが、別の方向にも同じ魔獣が迫っていた。
いや、それだけではない。
気が付くとざっと三十体以上の魔獣によって、リコルたちは囲まれていたのだ。
「う、そ⋯⋯何ですか、この数は」
先程の迷宮内で見た蜘蛛型の魔獣の群れをはるかに凌駕する圧倒的な数を前にして、リコルの余裕はいとも簡単に消し飛んでしまった。
これが〝ネスト〟。
魔獣が跋扈する死臭漂う異質な空間。
そのことにようやく気が付いたリコルの体は震えていた。動けなかった。
だが、それでもリコルは生きることを諦めてはいない。もう今までの彼女とは違うのだ。
(怖い⋯⋯けどここで戦うしかない。私は生きるって決めたんだ。もう一度〈月華の兎〉の皆と笑いあいたい。リオティスさんに想いを伝えたい。だから⋯⋯)
リコルは意を決して能力を発動しようとする。だが、もはや彼女の体は自分が思うよりも限界のようで、能力を使おうとすると全身が悲鳴を上げた。
立っていることもままならず、座り込んでしまうリコル。もはや戦えない体であることを理解した彼女は、悔しくて悔しくてたまらなかった。
(どうして⋯⋯ようやく戦えるようになったのに。過去を乗り越えたのに! お願い、もう少しでいいから動いてよ!)
リコルは無理矢理に立ち上がって再び能力を発動させようとする。
だが、そんな彼女の肩にリオティスが優しく手を置いた。
「リオティスさん⋯⋯?」
「安心しろリコル。俺を信じてるんだろ? だったら最後まで貫け。お前の信じたヒーローをな」
リオティスはそう言ってリコルの前に出た。
彼を囲むのはディアヴォルフと呼ばれる小型の魔獣で、一体一体の戦闘能力は他の魔獣に劣るが、群れを成した時にはその速度と連携によって、最も厄介な魔獣と恐れられていた。
そんな魔獣が数十体もいるのだ。
本来ただの記憶者がひとり居たところで覆るはずのない戦力差だった。
だが、リコルは信じていた。
必ずリオティスならば勝てると。自分を守ってくれると。
何故ならばリオティスは、リコルにとって唯一人のヒーローなのだから。
リオティスは魔獣の群れを見つめると、余裕の笑みで言った。
「悪いが手加減無しだ。久しぶりに派手に戦わせてもらうぜ」
刹那、魔獣が一斉にリオティス目掛けて襲い掛かった。
圧倒的な数。
四方全てから襲い掛かる狂気に対し、リオティスは両手を地面に突けると能力を発動した。
「〈ダブルピース〉」
リオティスがそう言ったかと思うと、リコルの目の前に鋭く尖った杭が広がった。
視界が全て埋め尽くされるほどの太く鋭利な杭は、リコルとリオティスが立つ地面以外全てから天高くへと伸びている。
これはリオティスの能力によって分解された地面が、再構築されて山のような杭へと作り変えられたのだ。
圧倒的な速度と広範囲の攻撃。
それを魔獣が躱すことなど出来るはずもなく、次から次へと杭に貫かれていく。
飛び交う悲鳴と血液を物ともせず、リオティスは追い打ちを掛けるようにして右手から黒色のピースを放出すると、五本の剣を創り出して魔獣を斬り裂いた。
生きているかのように飛び回る黒い剣は、動く魔獣を見つければ斬り、また別の魔獣を斬る。その繰り返しを続けながら、操るリオティスは平然な表情でさらに地面を作り変えていく。
地面の形を杭へと変形させ、逃げ惑う魔獣を貫く。何度も何度も貫く。
そうして一瞬のうちに数を減らしていく魔獣を見て、もはやリコルは言葉も出なかった。
(地面を分解して再構築しているはずなのに、早すぎて地面そのものが生きて動いているように見える。凄い、これがリオティスさんの能力⋯⋯!)
記憶者として成長し覚醒したリコルの能力も十分強力であったが、魔獣を圧倒するリオティスの能力に、ただ彼女は感心することしか出来なかった。
そうしている内に、最後の魔獣も討伐したリオティスは、目の前に広がる惨たらしい殺戮の光景を見つめながらも、呼吸も乱さず、汗すら流してはいなかった。
この間、実に三分。
リオティスはたったの三分間で全ての魔獣を倒してしまったのだ。
まさに圧倒的。
リオティスは能力を解除すると、背後に座っていたリコルの方を振り向いた。
「大丈夫だったか。リコル」
「はい! 流石はリオティスさん⋯⋯」
と、リコルがリオティスに向かって抱き着こうとしたその刹那、彼女の胸が剣で貫かれた。
「え⋯⋯」
リコルは口から血を流しながらも、未だ何が起きたのかわからない。
視線を下に動かすと、自分の胸を貫いている刀剣と、滝の様に流れる血。それらを見てようやくリコルは自分が背後から剣で刺されたことに気が付いた。
「なんだよ、それ⋯⋯」
リオティスも困惑と絶望の表情を浮かべるが、そんな彼に向って聞き覚えのある声がした。
「お前のその性格が命取りとなる。あの時俺はそう言ったよな、死神」
低く冷たい声。
その声にリオティスは過去の出来事を思い出す。
貧民街近くでリコルを殺そうとした謎の剣士。
そう、それこそが今目の前でリコルの胸を貫いた男、スネイルであった。