第5話 メモライズ
辺り一面が花畑だった。
青色の花が咲き誇り、それを映したかのような青空が果てしなく広がっている。
ここはどこなのだろうか。
いつの間にかこの空間に立っていたリオティスは、ふとそんなことを考える。
知らない場所。知らない花。
なのに、どこか懐かしいとすら思えた。
「まさかこんなタイミングで出会うなんて。運命は残酷だね」
花弁が泳ぐ暖かい風と共に、そんな声が聞こえてきた。
その声をリオティスは知っていた。
ずっと聞きたくて聞きたくてしかたがなかった声。だから、きっとこの声は幻聴なのだろう。何故なら、もう二度とこの声が聞けるはずがないのだから。
「ごめんな、リラ。俺が弱いせいで君は死んだ」
リオティスが謝ると、目の前で佇む少女は悲しそうな顔をした。
「俺のせいだ。謝っても許されないと思うけど、俺が悪いんだ。弱くて弱くてちっぽけで、何もできなかった。何も返せなかった。俺は、お前からたくさんの物を貰ったっていうのに」
少女を前にして、リオティスの内からは止め処のない想いが溢れだしていく。
「俺はお前がいたから生きてこれた。お前が隣にいたから笑うことができたんだ。ゼアノス団長が死んで、恩を返せなかったけど、それでも俺はお前と一緒に居られて⋯⋯俺は、俺はッ!」
気が付くとリオティスは少女に抱きしめられていた。
思い起こされるリラとの楽しい日々。一緒に絵本を読んで、一緒に団長に怒られて、一緒に野原を駆け回って、一緒に笑って――。
そんな暖かい思い出の中、ついリオティスは涙を流してしまった。
自分の胸の中で泣きじゃくるリオティスの頭を撫でながら、少女は宥めるように言う。
「自分を責めないでリオティス。君は悪くないよ」
「ぅ、でも、俺のせいで⋯⋯」
「違うよ。君のせいなんかじゃない。それにリラちゃんも君を恨んでなんかいないよ。だって、こんなにも心が温かいんだから。それは君も同じなんじゃないかな?」
少女は自身の胸を押さえながら、もう片方の手をリオティスの胸に置いた。
彼女の手からじんわりと温もりが伝わってきて、気が付くとリオティスの中にあった罪悪感は消し去られ、涙も止まっていた。
「うん、やっぱり君に涙は似合わないよ。泣いていたら、きっとリラちゃんも悲しむ」
「⋯⋯リラちゃんって、お前がリラなんだろ? 弱い俺の心が見せている幻だ」
リオティスの目に映る少女の姿は、間違いなくリラ本人のように見えた。
その青い髪も、瞳も、あどけない表情も、匂いも、声も、全てがリラそのものだ。そして、それは自分が見せている幻のはずだった。
だが、少女は少しだけ困ったように首を傾げて答える。
「うーん、半分正解かな。まぁ、今は面倒だから幻ってことでもいいんだけど」
「⋯⋯そうか。いや、確かにどうでもいいことだよな。どうせ俺はもう死んでるんだから」
「死んでる? 面白い事を言うね。私の目には、しっかりと生きている君の姿が映し出されているのだけれども」
「え⋯⋯」
少女の言葉にリオティスは大きく目を見開く。
「冗談はやめろ。俺は魔獣に殺されたはずだ」
そう、間違いなくリオティスは死んでいた。
生きる希望もなくし、元より生きる力もなかった彼の前に現れたのは凶暴な魔獣。そして、その巨大な手が目前へと迫って――死んだ。
曖昧な記憶ながらも、それがリオティスの認識だった。
「それに俺が生きているならここはどこだ。迷宮じゃない。なら⋯⋯」
「死後の世界、とでも? まさかまさか。君は幸か不幸か、私と出会うきっかけを得たのさ。だからちょっと君とお話をしたくてね。君の精神世界にお邪魔している。いやー私もまさかこんなタイミングで会うことになるとは思わなかったけど」
「精神世界って、ふざけてるのか」
「いいや、私は大いにまじめさ。それに君も薄々感じているんだろ? 私がリラちゃんじゃないこと。そして、この空間の異様さに」
少女の言葉に、リオティスは喉を詰まらせた。
確かに、この空間は死後の世界などという場所ではない。そう思わされてしまうほどの何か異様な空気を、リオティス自身が感じ取っていた。
さらに、最初は気が動転してリラだとリオティスが思い込んでいた少女も、どこか彼女とは違っていた。話し方もそうだし、纏っている雰囲気も違うのだ。だが、
「⋯⋯仮にその話が本当だったとしても、嘘だったとしても、俺にはもう関係ないことだ。俺にはもう生きる理由が無い」
リラが死んだ。
その事実だけは変わらない。
あの体の冷たさも、色のない瞳も、傷だらけで真っ赤に染まった肌も事実だ。絶望も悲しみも恐怖も憎悪も、あの時感じたものは紛れもない事実。だからこそ、リオティスにはもう何もかもがどうでもよかった。
そんな彼の心情を察してか、少女は再び悲しい顔をして言う。
「⋯⋯リラちゃんのことは残念に思うよ。けど、それでも君には生きる権利がある。少なくとも私は君に生きていてほしいんだ」
「っ⋯⋯! 俺のことを何も知らないくせに何様のつもりだよ。権利何てどうでもいい! 俺はただリラの隣に居たい。それ以外何もいらないんだよ!」
熱くなったリオティスは、怒りに任せて少女の胸倉を掴む。その行為に意味がないことをわかっておきながら。
それでもリオティスは止まらない。止まれるはずがなかった。
「俺はリラが全てだったんだ! あいつの居ない世界でただひっそり生きて、怯えながらただ生きて! それに何の意味がある? それで生きているって言えるのかよ!」
少女は何も言わない。
ただ真っすぐにリオティスを見つめ、彼の感情を受け止めるだけ。
そんな、無抵抗な少女に全ての想いをぶつけきったところで、リオティスは力なく座り込んだ。
「⋯⋯だからもう、死なせてくれ」
生きる希望も何もかもを失ったリオティスの答え。
それを聞き終えたところで、少女はようやくその口を開いた。
「確かに私は君のことを殆ど知らない。それが君の答えだというのなら止めないよ。けど、全ての答えを出すのは、彼女の想いを知ってからでも遅くはないんじゃないかな?」
刹那、リオティスの頭の中に勢いよく謎の声と映像が流れ込んできた。
『君の声が好き。ぶっきらぼうで、気だるそうで、それでいて優しい君の声が』
青い芝生の上に座るリオティス。
下を向きながらパズルをする彼は、隣に座る誰かに向かって話しかけている。
『君の顔が好き。可愛いらしくって、むっすとした表情も、怒った表情も、笑った表情も』
写真を撮ろうとして、嫌そうにピースをするリオティス。
不機嫌な表情ながらも、どこか恥ずかしくも嬉しそうだ。
『努力をしている姿が好き。誰かに認められようと、諦めずに懸命に頑張る君の姿が』
〈花の楽園〉のギルド内で、荷物を運び雑用を熟すリオティス。
汗を流し、罵倒され笑われても、一生懸命に体を動かしている。
『顔も声も性格も全部好き。⋯⋯好き、好き。大好きだよ、リオティス』
「リラ⋯⋯」
今までリラが見てきたであろうリオティスの姿。
それと共に彼女の感情や想いが溢れ出してきて、リオティスはまた涙を流していた。
流れ込んでくるこのリラの想いは紛れもなく本物。
何故かはわからないが、リオティスにはそう思えるのだ。
涙を流し、混乱する頭を押さえて蹲るリオティスに向かって、目の前に立つ少女は言った。
「これがリラちゃんの〝想い〟と〝記憶〟さ。彼女が今まで生きて、君と出会って、感じた全てが今君に流れ込んできている」
「なんで、あいつは、リラはもう死んで⋯⋯」
「うん、死んだよ。でもリラちゃんの想いまでは消えちゃいない。想いは受け継がれ、記憶は力となる。それがこの世界の理。ルールだ。力を持った人間が死ねば、この世界の誰かにその力と記憶が受け継がれる。その繰り返しの中にこの世界はあるのさ。そして、君は今その権利を得た」
バッと両手を開いて高らかに彼女はそう言った。
その頭上からは、太陽のように眩しい光が差し込んでいる。
「本当は誰かがリラちゃんの力を受け継いでいた。けど、リラちゃんの君に生きてほしいという強い想いが勝ったんだ。さぁ、君はどうする? この彼女の想いを受けて、それでもまだ死を選ぶのかい? 彼女を裏切るのかい?」
「俺は⋯⋯」
突然のことに、未だリオティスの頭の中はぐちゃぐちゃで、まるで整理何てついてはいない。
目の前の少女が何者で、この場所がどこで、何を言っているのか。
わからない。わからないことばかりだ。だが、それでも確かなこともあった。
それはリラの想い。
彼女は本気で自分を愛してくれていた。生きて欲しいと願っていた。だから――、
「俺は力が欲しい。もう二度と誰も失わない力が。この世界に抗える力がッ!」
立ち上がって、リオティスは生きる決意をした。
愛するリラを亡くし、それでも生きたいと強く願った。それが彼女の一番の願いだと知ったから。
もうリオティスの瞳に陰りは無い。
その目をしっかりと見つめて、少女は笑った。
「ならば戦え! 抗え! この世界で生きてみなよ! この世界では人間にも武器にも鉱石にだって想いは宿る。その中でも負けない輝きを証明してみせろ! 君は想いを受け継いだ。記憶したんだ。それは力となって君を導くだろう。君はもう普通の人間ではない。特殊な異能を自在に操るこの世界の能力者。想いを受け継ぎし者。そう、今から君は〝記憶者〟だ!!」
少女の叫びが木霊する。
そうして世界は急速に色を変えて、再び動き出し始めた。