第26話 合流②
リオティスが不気味な笑みを浮かべるリコルを見つめていると、少し離れた距離からアルスとティアナの会話が聞こえてきた。
「ティアナちゃん! 怪我とかしてないよね? どっか痛んだりする?」
「いえ、私はほぼ無傷よ。でも、それより青髪の奴隷が⋯⋯」
そこでティアナは言葉を止める。
だが、それを耳にしてしまったリオティスは、思い出したかのように辺りを見渡した。そこで彼の目に映ったのは、大きな血だまりの中心で倒れて動かないタロットの姿だった。
「嘘だろ⋯⋯タロット!!」
リオティスは周りの視線など気にもせず、一心不乱にタロットの元に駆け寄る。
近づいて改めて見たタロットの様子は、やはり生きているようには到底思えず、辺りに広がる血液の量も間違いなく致死量を超えていた。
「オイ、タロット! 起きろよ!!」
懸命にリオティスは叫ぶが、タロットが返事を返すことはない。
あれだけ物として扱うことを意識していたのにも関わらず、リオティスの胸に広がるのは息が出来ない程の悲しみと、締め付けられるような痛み。それは昔、リラを目の前で失った時と同じものだった。
(ふざけるな。タロットはただの奴隷だ。失ったから何だって言うんだ! 別にどうでもいいはずだろ! なのに、なのにどうしてこんなに胸が痛むんだ⋯⋯!)
リオティスは自分の内に広がる謎の痛みに困惑しながらも、無意識にタロットの体へと手を伸ばした。その時、
「ふああぁ、よく寝た。タロット大復活だ!」
突然元気よく飛び起きたタロットに、呆気に取られたリオティスは意味も分からず硬直する。
「な、はぁ!?」
「おわっ!? どうしたご主人! そんな大きな声を上げて⋯⋯ん? 何でご主人がいるんだ。確かここは迷宮で⋯⋯ん、そもそもタロットは何で寝てたんだ?」
驚くリオティスを他所に、タロットは首を傾げる。
すると、今度は立てないはずのリコルが歩き出し、頭を悩ませるタロットへと泣きながら抱き着いた。
「ダロッドざあああん!! よがった、よがったですううう!!」
「ぬお! リコルまでどうした!? それに何だその格好いい角と髪は!!」
「あっ、これですか? えへへ、いいでしょう。さっきリオティスさんにも素敵で可愛くて最高だと褒められて⋯⋯」
「なぬ!? ずるいぞリコル! タロットにもその角寄こせ! そしてタロットもご主人に愛を囁いてもらう!!」
「誰もそんなこと言ってねェ!!」
二人で意味不明なやり取りを交わすリコルとタロットの頭に、リオティスは思いっきり拳を振り下ろした。
何故叩かれたのか分からないというように涙目で困惑する二人に溜息を吐きながらも、リオティスは胸に広がった痛みが引いていくのを感じた。
「クソ、紛らわしいんだよ」
「まさかタロットのこと心配してくれてたのか!」
「んなわけあるか」
「えぇー、とか言いつつ凄い叫んでたじゃないですか。あれは誰がどう見ても⋯⋯イタイ!!」
「うぅ、何でタロットも叩くんだ!!」
「煩い。次またふざけたこと言ったら殴り飛ばすぞ」
「「ヒドイ!!」」
煩く喚くリコルとタロットに、それを冷めた目で見るリオティス。
そんな彼等の様子を遠目で見ながら、ティアナは有り得ないというように口を開いた。
「嘘⋯⋯信じられない。あの奴隷が生きているなんて」
「まぁまぁ、別によかったじゃん。皆生きてるのが一番でしょ? ティアナちゃん」
「それは、そうだけど⋯⋯」
アルスの言葉にティアナは歯切れ悪く返事をした。
何故なら、それほどタロットが無事に生きていることが有りえないことだったからだ。
(貫かれた胸が塞がってる。けどあの血は本物。私が見たのも事実。一体あの奴隷は何者なの? 入団試験や今回といい、魔法の詠唱を破棄してあれほどの威力。実力だけなら間違いなくSランクのギルドと同等かそれ以上よ)
ティアナがそんな風にタロットのことを訝しんでいると、レイクの手当てをしていたバルカンが戻ってきた。
「レイクの応急処置は済んだ。幸い、失明はしてないみたいだ。今すぐの戦闘は無理だろうが、走ってついてくるぐらい出来るだろ」
「えっと、結構痛いし包帯で前見えにくいんスけど⋯⋯」
「面倒くせェこと言うな。自業自得だ」
レイクに向かってバルカンは冷たく言い放つ。
一方のレイクは顔を雑に包帯で巻かれており、その横ではルリが誇らしげに胸を張っていた。
(絶対ルリの仕業だ)
全員がそう確信し、レイクに同情していると、バルカンが真剣な表情で言った。
「そんじゃこっから脱出するぞ。気ィ抜くなよ!」
「はい!」
バルカンの指示によって全員がまとまって動き始める。
基本的にはバルカンに守られる形で迷宮の出口を目指していくが、動けない者や戦えない者もいるため、全員が協力する必要があった。そのはずだったがーー、
「大丈夫タロットちゃん? 俺が背負ってあげるよ」
「む、そうか? ならお願いしよう!」
「よっしゃ任せとけ! へへへ、これがタロットちゃんの胸の感触。これは中々⋯⋯」
「って、何やってるのよアルス! 真面目に戦いなさいよ!!」
「いやいや俺なんかに魔獣が倒せるわけないだろ! なんならティアナちゃんもお姫様抱っこしてあげよっか?」
「お姫様って⋯⋯嫌よ、気持ち悪い!!」
「まぁこいつも口だけ一人前の、役に立たない泣き虫だけどな」
「なんですって!?」
「ちょっ! だから二人とも喧嘩しないでくださいッス!!」
「⋯⋯もぐもぐ」
などと余りにも緊張感の無いやり取りがされていく。
その様子をリコルが背後から見つめる。
迷宮内で本来ならば許されない彼らの言動に、何故だか心が安らいだ。
(こんな時に⋯⋯いえ、こんな時だからこそ皆の騒ぎ声が心地いい。いろいろ迷惑も掛けたけど、やっぱり私は〈月華の兎〉に入れて、みんなと出会えて本当に良かった)
リコルは心の底からそう思った。
誰かの隣で一緒に笑う。
そんな当たり前が出来るなんて、リコルは想像すらしていなかった。傷つけるばかりの自分が誰かを救うなど、一緒に戦えるなど有り得ないはずだった。
だが、リコルはひとりの人物と出会うことで、こうして笑うことが出来るようになっていた。
リコルはそんな自分を救ってくれた人物の方を見る。
青い髪と瞳を持つ男性。
ぶっきらぼうで嘘つきで、それなのに優しい。そんなリオティスを見つめると、心の奥が温かくなった。
(もうこの気持ちを隠すのも限界ですよね。もしも迷宮から出ることが出来たなら、その時はーー)
と、そこでリオティスが視線に気が付いたのかリコルの方を見た。
目と目が合い、硬直してしまうリコルの体。
一気に体温が上がり、心臓の鼓動が煩く鳴り響く。
「どうかしたか? 顔赤いぜ」
「な、なんでもありません!!」
「そうか? お前いろいろと体に変化があったみたいだし無理すんなよ」
「じゃ、じゃあ、タロットさんみたいに背負ってくれます?」
「それは無理だな。自分で歩け」
「ふふ、ですよね」
相変わらず態度を崩さないリオティスだったが、リコルは寧ろ嬉しく感じていた。
何故ならばリコルはそんなリオティスが好きなのだ。
だから今はこれでいい。このままでーー。
リコルがそう考えていると、先頭を走るバルカンが叫んだ。
「もう少しで出口だ。ふんばれよお前ら!」
バルカンの視界の先には、外から差し込む日の光が見えていた。
あともう少しで脱出できる。
リコルも安心し、少しだけ足の力が抜けてしまった。その時ーー、
「え⋯⋯」
リコルの足元に広がったのは底も見えない黒い穴。直径三メートル程の穴が突然出現し、中央に立っていたリコルの体が落ち始めたのだ。
一番後ろでさらには遅れ気味であったリコルの存在に誰も気が付いてはいない。全員が迷宮の出口へと釘付けになっていた。
だが、唯一リコルの少し先を歩いていたリオティスだけが、嫌な予感を感じて振り向いた。
「リコル⋯⋯!?」
穴へと落ちていくリコルを見たリオティスは、咄嗟に彼女へと手を伸ばす。
ギリギリのところでリオティスはリコルの手を掴み、穴に落下することを防いだ。だがこの突然の事態に、リオティスはもう何が起きているのかわからなかった。
(これは〝ネスト〟!? さっきまで無かったのに突然現れたってのか? しかもリコルがピンポイントで落ちるようなタイミングで? 有り得ない⋯⋯!)
リオティスはリコルの右手を両手で必死に掴みながら、頭を回していく。だが、どれだけ考えても異常すぎる事態の連続に、脳がついていけなかった。
(クソっ! 今は兎に角リコルを助けるんだ⋯⋯!)
今にも〝ネスト〟へと落ちてしまいそうなリコル。
そんな彼女の手を握るリオティスの手には力が入る。
「リオティスさん⋯⋯」
不安と恐怖で今にも泣き出してしまいそうなリコルの表情を見て、リオティスは言った。
「大丈夫だ。こんぐらい俺が簡単に引っ張ってやる!」
リオティスの手にさらに力が入ると、リコルの体が徐々に持ち上げられていった。このままいけば無事に彼女を助けることが出来るだろう。
だが、そんなリオティスの背中を衝撃が襲った。
「なッ!?」
背中に何かをぶつけられたかのような衝撃。
それによってリオティスの体は〝ネスト〟の中へと落とされてしまう。
(まさか魔獣の攻撃!? いや、今の衝撃はそんなのじゃねェ!)
リオティスが背中で感じたのは、昔ライラックによって何度も経験した蹴り倒される感触。つまり何者かが彼の背中を蹴り、〝ネスト〟へと落としたのだ。
落ちていく最中、リオティスは地上を見上げる。だがそこには誰も立ってはいなかった。
「クソっ! 〈ダブルピース〉!!」
咄嗟にリオティスは能力を発動する。
右手から放出される黒色のピース。
それらは瞬時に組み合わさると太いロープに形を変え、地上へと延びていく。
だが、そのロープを掴むリオティスを襲うように、全身に重さが加わった。
(ダメだ。やっぱり〝ネスト〟の力に逆らえない!)
全身を引き込む引力のような力に、リオティスの能力は否応なしに解除される。
「リオティスさん!!」
一緒に〝ネスト〟へと落ちていくリコルが懸命にリオティスへと手を伸ばす。彼女の姿が昔のリラと重なっていく。
(もう失ってたまるか!!)
過去の記憶を振り払ったリオティスはリコルの体を抱きしめると、そのまま一緒に地獄へと落ちていった。