第23話 開花①
絶望と恐怖が渦巻く迷宮の中で、ひとり俯いて停止しているリコルに止めを刺すべく、偽物の死神は魔獣を彼女の目前へと操作した。
肝心のリコルはやはり俯くばかりで、その表情は見えない。
だが、死神にとっては彼女が生気のない絶望のどん底に落ちたような表情を浮かべていることは想像に難くなかった。
(その顔を見れないのは残念だけど、これ以上手を焼くと本当に先輩に怒られちゃうしな。さっさと殺しますか)
死神は少しだけ残念に思いながらも、両手の指を動かした。
すると、リコルの前に立つ魔獣が鋭い針のような足を振り上げた。だがーー、
『は⋯⋯?』
異変に気が付いた死神が、そんな間の抜けた声を零した。
リコルを殺すべく振り上げた魔獣の足が、一瞬にして溶けて無くなっていたのだ。
一体いつの間に魔獣の足が溶かされたのか。
操作をしていた死神はおろか、溶かされている魔獣にすらわからなかった。その証拠に、魔獣は未だ自身の足が無くなってしまっていることにも気が付いていない。
(なんだ、何が起きた? なんだこの胸騒ぎは⋯⋯!)
死神が困惑していると、次の瞬間には操作していた魔獣が吹き飛ばされ、自身の横を掠めて遥か後方へと消えていった。
想定外の事態に全身を強張らせる死神だったが、消えた魔獣の代わりに目に映ったリコルの姿に、さらなる緊張が走った。
燃える炎のように真っ赤だったリコルの髪色の半分が、静かに流れる美しい青色へと変化していたのだ。赤と青。そんな二つの色が混ざり合ったリコルの髪は、美しくも毒々しい紫色に輝いていた。
変化が終わると同時に、リコルが顔を上げる。
死神の目に映った彼女の瞳には再び強い意志が宿っていた。だが、それは今までの生への執着のようなものではなく、何かを覚悟したかのような鋭く危うい瞳だった。
だが、それ以上に死神の心を震わせたのは、リコルの容姿。それは髪色だけではない。
彼女の首元から右頬にかけて禍々しく浮かび上がる黒い紋章。さらには、目の本来は白い部分が黒に染まっており、額からは同じように黒い一本の角が伸びている。
それは、もはや人間と呼ぶにはあまりにも異質だった。
『⋯⋯まさかこのタイミングで〝開花〟したってのか。こりゃ、先輩に怒られるだけじゃ済みそうにないって、ホント』
うんざりするように吐き捨てる死神。だが、その口調には今までのような余裕は一切ない。目の前の少女を全力で殺すことだけを考えて、すぐさま行動に移していた。
死神が再び指を動かすと、今度は五体の魔獣がリコルを囲むようにして突撃した。
四方を囲む魔獣の群れにリコルは何も出来ない。何も出来るはずがなかった。
何故ならば彼女の能力は遠距離主体であり、先ほどのように近距離の攻撃を回避する術を持ってはいないのだ。そもそも、その遠距離攻撃である毒の花弁も、一度空中に展開してからではないと攻撃の動作に移行できないという弱点があった。そのことを既に看破していた死神にとって、もはやリコルの死は確実だった。
だが、魔獣たちの攻撃が繰り出されるよりも先に、リコルの姿が消えた。
獲物を見失った魔獣は先ほどの勢いを失い、戸惑うように辺りを見渡す。死神も続くように消えたリコルの姿を探し始めると、頭上から声が降り注いだ。
「〝開花解放〟咲き乱れろ。〈毒の女神〉⋯⋯!!」
「⋯⋯っ!」
咄嗟に頭上を見上げた死神の目に、空中に浮かぶリコルの姿がようやく捉えられた。
どうして魔獣の攻撃を回避出来たのか。どうして宙に浮くことが出来ているのか。
様々な疑問が死神の脳を巡るが、その答えを導き出すよりも先にリコルの周りに毒の花弁が展開した。
無数にも思える赤紫色の輝く花びら。
それらが薄暗い迷宮を照らすと同時に、地上へと降り注いだ。
一枚一枚がまるで意志を持っているかのように、的確に魔獣の群れへと放出される。それは今までのリコルの能力と何ら変わりなかったが、ただひとつ速度だけが異常に上がっていた。
以前までは追尾性があったとはいえ、ある程度の力を持つ人間にならば容易く避けることが出来ていた。だが、今のリコルの花弁は、まるで光線のようだった。
雨のように天高くから放たれる花弁は、その速度から闇に線を引いているかのようで、死神の目にはその線の後を追うのがやっとだ。
気が付くと、十体はいたであろう魔獣の群れが、一瞬にして全滅していた。
「これが本当にリコルなの⋯⋯?」
絶望的な状況を一瞬にして覆してしまったリコルの存在を見つめながら、ティアナは安堵よりも気味の悪い不安を感じていた。
まるで人間とは思えない容姿。圧倒的な力。そして何よりも普段のリコルからは想像もつかない冷たい瞳。それらを見ていると、今までの優しいリコルがどこかへ行ってしまったようにティアナには思えたのだ。
ティアナの不安を知ってか知らずか、リコルは彼女の元へとゆっくり降り立つと、拘束していた糸へとそっと手を伸ばす。
すると、鉄の強度を誇るという魔獣の糸がドロドロに溶けていくと、ティアナの拘束が解かれた。
「大丈夫ですか? ティアナさん」
「え、えぇ。そういうあなたこそ、その、大丈夫なの?」
「はい、私は平気です。だからここで安心して見ていてください。あの死神は私が倒しますから」
ティアナに向かってリコルは微笑んだ。
その表情は今までの彼女と何ら変わりない暖かなもので、それを見たティアナもようやく安心することが出来た。
「そう、なら後は任せるわよ。ただ無理はしないでよね」
「はい!」
リコルは力強く返事をすると、再び死神の方へと向き直った。
「降参するなら今の内です」
『降参? まさかまさか。オイラのペットを倒せたからって調子乗らないでもらえるかな。勝負はまだこっからーー』
と、死神が言い終わるよりも先に、リコルは毒の花弁を放出した。
まるで光線のように放たれたその花びらは、死神の全身を刺していく。だがーー、
『ホント、人の話は最後まで聞きなって』
「なっ!?」
魔獣の体や鉄をも容易く溶かしたリコルの猛毒の花弁を受けても、死神は服を溶かすだけで全くの無傷だった。
『生憎様、オイラの体も普通じゃなくてね。〈身勝手な愛〉の能力と、組織の科学力で全身改造済みなのさ。アンタの毒がどれだけか知らないけど、この世に存在するあらゆる毒は既に度重なる実験で無効化出来てるんだよ』
「実験って、あなたは人間じゃないんですか!?」
『人間さ。人間だからここまでの実験を繰り返し、罪を繰り返し、代わりに力を得ている。世界を壊せるだけの力をなァッ!!』
死神がそう叫ぶと、全身から無数の銃口が皮膚を突き破って出現した。
大きさも形も違うその銃口の全てがリコルを睨んでいるようで、次の瞬間には煩い程の音と共に弾丸が発射された。
「ぐっ⋯⋯」
リコルは咄嗟に能力を発動させ、自身の身を包むようにして花弁を球状に展開させた。
毒の花弁に触れた弾丸は、一瞬にして溶けて弾かれていくが、一向に死神の攻撃が終わりを見せることはない。
そんな銃弾の雨に対し、身を守るだけで動けないリコルの頭の奥にとある声が響きだした。
『大丈夫か。リコル』
(大丈夫ではないですね。どうにかできませんか? もうひとりの私)
リコルが脳裏に呼びかけたのは、あの青色の精神世界でひとつになった記憶の少女だった。
もう二度と会うことは無い。
それは確かであったが、消えゆく最後彼女が残した言葉通り、少女の想いはリコルに溶け込み、姿は見えずとも心を通わせ会話をすることが出来るようになっていた。
(私の毒も効かないですし、この弾丸を捌くのも私じゃ無理です)
『だろうね。いやー困った困った』
(ちょっと! こっちは本気で困ってるんですよ!?)
『ふふ、わかってるって。じゃなきゃ、ついさっきまでの感動をぶち壊すような速度で私に助けを求めるわけないもんな。どうする? さっきの涙無しにする?』
(うっ、そ、それは、その⋯⋯って、そりよりもどうにかしてくださいよ!)
『ごめんごめん。じゃあ、そんな困ってるヒーローさんにプレゼントをあげるよ』
(プレゼント?)
『うん。本当はまだ渡しちゃダメだったんだけど、そうも言ってられないし。それじゃ、今から私が言うことを聞いて。まずはーー』
少女の言葉に耳を傾けるリコル。
彼女の説明を頭で理解してると、突然、浴びせられていた銃弾が停止した。
煩く迷宮内を響いていた音も完全に止まると、代わりに死神の声が聞こえてくる。
『オイラの攻撃を防御するだけで精一杯。そっちの毒は効かない。で、どうする? 降参するかい? そうすりゃ他のお仲間たちは見逃してやるよ。まっ、アンタもできるだけ苦しまずに殺してやる。もし降参しないなら、次は溶けない弾丸をその生身で防ぐことになるぜ』
その言葉にリコルも能力を解除し、死神の方へと睨みを利かせた。
「私はもう諦めません。ティアナさんもレイクさんもタロットさんも⋯⋯全員助けます!」
『欲張りさんだな。じゃあ、無残に死ね』
再び死神がリコルへと銃口を向ける。
だが、弾丸を発射しようとした刹那、目の前からリコルの姿が消えた。
『また上か!!』
死神が瞬時に頭上へと標準を変えるが、今度は上にもリコルはいない。
どこへ消えたのか。
死神が思考を巡らせていると、足元にガシャン、と何かが落ちる音がした。見ると、そこには自身の右腕が切断されて落ちていた。