第22話 二人で
青い空と青い花の咲き乱れる大地で、青い髪と瞳を持つ少女がリコルの方を真っすぐに見つめていた。
「そんなことないよ、リコル。私がついてる。一緒に戦おう、一緒にヒーローになろう」
「⋯⋯無理なんです。私のせいでタロットさんが死んだ。皆を危険に飛び込ませてしまった。そんなのヒーローなんて呼べません」
「大丈夫、あの獣人は死んでなんかいない」
「え⋯⋯」
もうひとりの自分の声に、俯いていたリコルの顔が上がる。
そこで少女の顔をようやく見たリコルだったが、その顔色は以前のように淀んではいなかった。
美しい瞳に柔らかい表情。
まるで別人のように少女は優しく微笑んでいた。
「あの獣人は特別なんだ。今だって鼓動が聞こえる」
「嘘です! だってタロットさんはあの魔獣に貫かれて⋯⋯」
「私にはわかるの。だって彼女はもうひとりの私でもあるから」
少女は未だ信用していないリコルに向かって手を伸ばした。
胸に置かれた手。
その手を伝って、少女からリコルへと温もりが広がり、鼓動の音が頭の中に響き出す。
それはタロットの心臓の音だった。
何故だかわからないが、リコルにはそう思えたのだ。
タロットが生きていることを知ったリコルは落ち着きを取り戻しつつあったが、それでも表情は未だ暗い。彼女は自身の胸に手を置く少女を振り払うと、突き放すようにして叫ぶ。
「でも私は皆を危険に晒した! 今だってティアナさんやレイクさんが魔獣に殺されそうになっているんです! なのに私は何も出来ない。戦うことも逃げることも、体が動いてくれないんです! ⋯⋯ずっと頭の奥であの光景が離れてくれないんです」
リコルは苦しそうに蹲ると頭を押さえた。
彼女の脳内で再生されるのは両親を殺害した地獄のような記憶。そんな過去のトラウマにリコルは圧し潰されてしまいそうだった。
誰も傷つけたくはない。
リコルの優しい考えとは裏腹に、いつだって彼女は誰かを傷つけてきた。
両親も、親友も、恩人も、仲間もーー。
もうリコルには誰かを傷つけてしまう自分が許せなくなっていた。信じられなくなっていた。だからーー、
「⋯⋯もういいんです。私は死んでしまった方が誰かのためになれるんです」
それがリコルの答えだった。
悩んで立ち向かって戦って、ずっと誰かのためになろうとした。
その結果がこれだ。
今のリコルには、もう自分が何故生きているのかもわからなかった。
ボロボロになったリコルの想いを受け、少女はゆっくりと話し始める。
「お前の苦しみは私の苦しみ。お前の罪は私の罪。だから一緒に背負うって、一緒に戦おうってお前は言ってくれた。その言葉にどれだけ私が救われたかわかる?」
「⋯⋯⋯⋯」
「今まで蔑まれ続けてきた私に、お前は手を差し伸べてくれた。お前には強い部分があるってことも知ってる。そして弱い部分も⋯⋯だから今度は私が差し伸べる番だ。お前はヒーローになるんでしょ、リコル」
少女から手が差し伸べられる。
彼女の手を見つめながら、リコルは懐かしい気持ちになった。
何故なら手を伸ばす少女の姿が、自分を救ってくれたヒーローと重なったからだ。あの捻くれて嘘吐きな可愛いヒーローとーー。
揺れ動く心を感じながらも、リコルはポツリポツリと言葉を零していった。
「⋯⋯私の体は動いてくれません。きっと戦うことも出来ない」
「戦えるよ。私が一緒に戦う」
「⋯⋯私はまた間違えるかもしれません。きっと誰かを傷つけてしまう」
「間違えたっていいよ。私が隣を一緒に歩く」
「⋯⋯私は誰も救えません」
「救えるよ。少なくともお前が救ってくれた私は今ここにいる。だからーー」
と、そこで少女はリコルに向かって笑い掛けた。その笑顔は太陽よりも眩しく輝いている。
「手を握って、リコル。今度こそ皆を助けよう。二人で」
「⋯⋯何だか私っていっつも手を差し伸べられてばかりですね。迷って落ち込んで助けられて⋯⋯こんなヒーロー居ますかね?」
「いいんじゃない? そういうヒーローが居たって。どっかの格好つけてばかりのヒーローよりはマシでしょ」
「ふふ、それもそうですね」
ついリコルの口から笑みが零れると、釣られて少女も笑った。
そしてひとしきり笑い終えたリコルは、少女の手を握るとゆっくりと立ち上がった。
「凄いですよねヒーローって。心で人を助けられるんですから」
「そのヒーローに今からなるんでしょ? 私は準備万端だけどね」
少女は握ったリコルの手を放すと、彼女に向かって優しく抱き着いた。
温かい気持ちがリコルの全身に伝わっていくと、少女から光が漏れ出していく。徐々に薄くなっていく少女の体。それを見たリコルは大きく目を見開いた。
「なっ⋯⋯どうしたんですか!? どうして体が消えていくんですか!!」
「大丈夫。私はお前とひとつになるだけ。⋯⋯いつかこんな日が来るんじゃないかって思ってた」
消えていく少女の体に触れるリコルの手に自然と力が入るが、もう触っているような感覚はなかった。
一体少女の身に何が起きているのだろうか。
リコルは突然の事態に困惑するが、ただひとつ目の前の少女との確かな別れだけは実感していた。
何故だかそのことを確信してしまったリコルの目からは暖かな涙が零れ落ちる。
あれだけ憎んだはずなのに。あれだけ消えてほしかったはずなのに。今のリコルには彼女が消えてしまうことがどうしようもなく悲しく感じてしまうのだ。
涙を浮かべるリコルに向かって、少女は言う。
「こうしてこの空間でお前と会うことも無い。けど、私が消えるわけじゃない。私の心と想いはお前の中にある。姿は見えなくても言葉を通わすことは出来る。だから泣かないで。私はお前に会えてよかったよ。私さ、ずっと世界が憎くて憎くて仕方が無かった。だけどお前みたいな人間も居るんだって知ることが出来た。一緒に笑ったり泣いたり⋯⋯そして罪を背負ってくれるような底なしのバカが居るんだって。だから、この負の感情を受け継いだ人間がお前で本当によかった。ありがとう、リコル」
少女はそう言い残すと、光に包まれて空へと消えていった。
身体に広がっていく熱と、重なっていく心臓の音。
確かにあの少女は完全に消滅したわけではない。目には見えなくとも感じることは出来る。声を聞くことも想いを通わせることだって出来る。
きっと、自分が望めばくだらない会話をして、もっと多くの彼女を知ることも出来るのだろう。だから、これは悲しむことでも絶望することでもない。
「⋯⋯お礼を言いたいのは私です。私を選んでくれてありがとう」
胸を押さえてリコルはそう呟いた。