第20話 殺し合い
リオティスが迷宮に足を踏み入れる少し前の事。
先行していたリコルたちは後から追って入ってきたタロットと合流を果たし、薄暗い迷宮の中を進んでいた。
ジメジメとした陰湿な空間。
外と比べて気温も低く、辺りを照らしているのは壁や天井に散らばっているメモライトの淡い光だけだ。
空気は淀み、まるで鉛のように重たくリコルには思えた。
先ほどまでの地上とは打って変わり、全く別の世界に来てしまったかのような錯覚にすら襲われる。
前に進んでいるはずだというのに、踏みしめる足の感覚がない。真っすぐ立っているのか、しっかりと歩けているのかもわからず、気が付くとリコルは崩れ落ちるように倒れてしまった。
「なっ、リコル!? 大丈夫か?」
「⋯⋯はい、私は平気です」
慌てて駆け付けたタロットに、リコルは笑顔を作ってみせた。だが、その笑みに余裕がないことは誰が見ても明白だった。
「無理をするな、リコル。といっても、タロットたちにも余裕があるわけではないんだがな」
タロットが見渡すと、ティアナとレイクも倒れるまではいかないが、額には玉のような汗を浮かべ、荒い息を肩でするだけで立っているのもやっとの状態だ。
当然、タロット自身も迷宮に入るのは初めてであり、そのあまりに異様な空気にあてられ、思うように体が動かせなかった。
(これが迷宮か。ご主人があれだけ警戒するのも頷けるな。⋯⋯そして、このままじゃあまりにも危険だ)
初めて迷宮に足を踏み入れただけでこの有様だ。未だ魔獣にすら遭遇していないというのにも関わらず、これでは死神を追うことなど不可能に近かった。
(やはりタロットたちだけで迷宮に入るのは無理があったんだ。ここはどうにか皆を説得して戻るしかーー)
と、タロットが考えていると、先ほどまで倒れていたリコルが起き上がって再び歩き出した。
「大丈夫なのかリコル?」
「はい。それにこんなところで止まるわけにはいきません。早くあの男の子を助けないと⋯⋯!」
壁に手をつきながらも必死に前に進むリコルの姿。彼女の目には未だ力強い生気が宿っており、諦める気など無いようだった。
すると、その姿に感化されたのか、ティアナとレイクも後を追うように歩き始めた。
(どうやら心配いらないようだな)
リコルたちのその姿を見て、タロットは少しだけ安堵する。だが、それでもこの迷宮が危険なことには変わりなかった。
そのことに、リコル達は気がついてはいない。
今はただ、連れ去られた少年を助けたいという一心で体を動かしているに過ぎず、正常な判断が出来ているわけではないのだ。
だからこそ、タロットは自分だけでも冷静になるように努めていた。
(タロットの聴力を持ってすれば、魔獣を探知することも容易い。それにタロットには魔法もあるからな。これらを駆使して皆を助けるしかない。それが今のタロットの役目だ)
耳を澄まし、全身の警戒を緩めない。
タロットはリオティスとの約束を守るためにも、身を削ってリコルを守るつもりだった。例え自分が死ぬことになったとしてもーー。
そんなタロットの決意によるものか、はたまた運がよかっただけなのか、迷宮を進む彼女たちの前に魔獣が姿を現すことはなく、順調に死神の後を追うことが出来ていた。そんな矢先ーー、
「この先に誰かいるぞ」
タロットの耳に伝わる振動。
それは紛れもなく人間の泣く声だった。
「うぅ⋯⋯ひっく」
「あれは⋯⋯!」
鳴き声がリコル達にも聞こえるようになったかと思うと、迷宮の暗闇からひとりの少年が姿を現した。
少年はひとり蹲って泣いているようで、その姿を見たリコルとティアナはいち早く駆け付けた。
「大丈夫ですか!?」
「今私が保護してあげる!」
二人が一斉に少年へと近づくと、彼はゆっくりと顔を上げた。
恐怖で歪む表情。泣き腫らして赤くなった瞳。
それを見たリコルは安堵すると共に、死神への激しい怒りに駆り立てられた。
とはいえ、今は少年を保護するのが最優先だ。
そう考えたリコルが少年へと手を伸ばした瞬間、少年の全身が氷に包まれた。
「え⋯⋯」
突然の出来事に思考が停止するリコルとティアナ。
彼女たちがとっさに振り向くと、タロットが右手を広げて魔法を放つ姿が見えた。
「あなた、一体何をしているの!?」
激怒したティアナがタロットに剣を向けるが、彼女はただ冷たい視線を少年に向けるだけだった。
「た、タロットさん⋯⋯? どうして」
「悪い、リコル。だがーー」
と、タロットが次の言葉を放つよりも先に、迷宮の奥からパチパチと手を叩く音が響きだす。
『いやー、やるねあんた。せっかくターゲットを楽に殺せたと思ったのに』
声と共に姿を現したのは、少年を連れ去った張本人である偽物の死神だった。
「離れろリコル!!」
タロットの叫び声が木霊した瞬間、リコルの背後を取った死神が彼女へと短剣を振るった。だが、隣に立っていたティアナの剣戟によって短剣を弾き飛ばされてしまう。
得物を失った死神は数歩後ろへと距離を取ると、目の前に立つ四人の男女を観察した後に頭を掻いた。
『んー四人か。さっきよりはマシだけど、やっぱ荷が重いってコレ。ホント何でさっきの奇襲がバレるかね』
「奇襲ってどういうことよ!!」
『だから、そこの人形がお嬢ちゃんを殺そうとしたことだって』
死神の視線の先には、タロットの魔法で氷漬けにされて動けないでいる少年の姿があった。
一体何を言っているのだろう。
そう思うティアナの心を見透かしたように、死神は続ける。
『オイラの能力〈身勝手な愛〉は、触れた生物を好きなように機械化させ改造できるのさ。んで、そこの子供は既に改造済みのただの人形。そいつで隙見て殺す手はずだったんだよ』
「なっ!?」
ティアナは驚愕し、再び少年の方を見た。
氷漬けになった少年の体は、どう見てもただの幼い男の子にしか見えず、実際、先ほどの泣いている声や表情にも生気は感じられていた。
だが、死神の言葉を信じるならば、その少年は能力によって改造された機械だという。もはや迷宮での疲れや突然の出来事に、ティアナの脳は処理することで手一杯だった。
すると、今度はタロットが死神へと右手を向け、低い声で尋ねる。
「よく喋る口だ。ついでに目的も喋ったらどうだ?」
『これはただの情報交換。お次はそっちが喋ってくれなきゃ。どうしてオイラの奇襲がわかったんだい?』
「最初に会った時と今とで鼓動の音が違っていたからな。鼓動というよりは、まるで時計の針が動くような、そんな機械的な音だった。だから攻撃したまでだ」
『音かぁ。それは盲点だったね。次回作の参考にさせてもらうよ』
「で、お前の目的はなんだ? 何故タロットたちが追いかけていると知ってたんだ? そうでなくてはこんな面倒な罠はしかけないだろう」
『うーん、鋭いね』
死神は少しだけ考えるように顎に手を置くと、一呼吸置いて再び口を開いた。
『流石に詳しい目的は言えないね。ただ、あんたらが追ってきてるのは仲間から聞いた。ほら、オイラが殺そうとしてた可愛い可愛い女の子がいたっしょ? アイツもオイラの仲間なんだよね。で、全ては演技だったってわけ。馬鹿らしいだろ?』
「なっ、それはあり得ない! ならタロットの耳で嘘がわかるはずだ!」
『確かに普通ならわかったかもね。けど、アイツは特別だかんな。声も心音も手先の動きだって思いのまま。アイツの嘘は誰にも見抜けない』
少しだけ自慢げに言う死神の言葉に、リコルはとあることに気が付く。
「じゃあ、あの子と一緒に残ったリオティスさんは⋯⋯」
『そういうこと。あの青髪君ならとっくに殺されてるよ』
「う、そ⋯⋯」
身も心も疲れ切ったリコルに止めをさすように突き刺さる言葉。
それを聞いた彼女は絶望のあまり座り込んでしまう。だがーー、
「なるほど、素直に話し出したのはタロットたちを動揺させるためか。だが、今の言葉が嘘だというのは心音を聞かなくともわかる。何故なら、ご主人は絶対に負けないからな」
リコルの肩に手を置いて、タロットは自信満々にそう言った。
「タロットさん⋯⋯」
「立てリコル。それともお前はご主人が死んだと、本当にそう思うのか?」
タロットの優しい投げかけに、リコルの脳裏にはリオティスの姿が浮かぶ。
今まで何度も助けてくれたリオティスの頼りになる大きな背中、温かい左手の感触、ぶっきらぼうなのにどこか優しい声。それらを思い出したリコルの中にはもう、迷いなんて微塵も無かった。
「いいえ、リオティスさんは誰にも負けません! そして、私も⋯⋯!!」
力強く立ち上がったリコルに続き、ティアナとレイクも武器を構えて死神の前へと立ちはだかる。
それを見た死神はうんざりするように溜息を吐くと、
『やっぱ口は災いの元だな。オイラは特にそうなんだって思い知らされたよ。そんじゃこっからは話し合いじゃなく⋯⋯殺し合いだ』
今までとは打って変わり、低く冷たく殺気の籠った声を死神は辺りに轟かせた。
刹那、死神の背後から複数の魔獣が群れとなってリコルたちの前に現れた。