第16話 死神再び
林の奥から聞こえた悲鳴。
何故このような魔獣がいるかもしれない危険な場所に人がいるのかはわからないが、一刻を争う事態が起きていることは火を見るよりも明らかだった。
だからこそ、悲鳴の元へと走るリオティスたちの心には不安と焦りが込みあげていく。
(クソ、先を急ぎたいのに木が邪魔だ)
リオティスは、進めば進むほど行く手を阻むように生い茂る木々に怒りを覚えながらも、何とか速度を落とさずに走り続けていた。
その周りには〈月華の兎〉の同期達も必死な形相で走っているが、そんな彼らにもやはり余裕は無かった。
すると、先ほどまで鬱陶しく感じていた木々が開けたかと思うと、打って変わり草木のひとつすら生えていない枯れた大地へとたどり着いた。
突然の変化に困惑するリオティスの視界に、とある人影が写りこんだ。
地面に力なく倒れる幼い少女。
恐らく十歳にも満たないその少女こそが悲鳴の原因だと気が付くと同時に、その隣に怪しく立つ黒い影がリオティスの全身を強張らせた。
顔を覆い隠す黒い仮面。全身には黒いローブを身にまとい、手には短剣を握りしめている。
そんな見覚えのある姿をした人間は、少女と同じぐらいの歳の男の子を脇に抱えており、今まさに倒れている少女へと短剣を振り下ろそうとしていた。刹那ーー、
ギンッ!!
金属と金属がぶつかるような音が聞こえたかと思うと、少女をかばうようにして剣を振り払うティアナの姿と、短剣を弾かれ驚くように後ずさりする黒い影が見えた。
「あなた⋯⋯今この子に何をしようとしたの!?」
振り払った剣を向け、ティアナの怒号が辺りに響く。
彼女に並ぶように、他の団員たちも黒い闇に身を包んだ人間を睨んでいた。
「オイオイ、マジかよ。あの見た目、噂の死神ってやつじゃん!」
「そうッスね。にしてもこれどういう状況ッスか?」
「知らねェよ。ただま、あそこに突っ立ってる死神様に聞けばわかるだろ」
アルスとレイクの言葉にリオティスはそう続けた。
だが、実際今の状況に思考がついてこれていないのも事実で、リオティスは懸命に頭を回す。
(目の前にいるのはどう見ても入団試験の夜に会った偽物の死神だ。そいつが人気のないこんな場所で子供を殺そうとしていた⋯⋯だが、なんのために? そもそもここで会ったのは偶然か?)
断片的な情報から何とか状況を掴もうとするリオティスだったが、その思考を遮るようにして、偽物の死神が口を開いた。
『いや~何でこんなタイミングで邪魔が入るよ。それとも後を付けられてたかな。なら流石はディザイアというべきか』
男性のような女性のような機械的な声。
その声は、やはりリオティスが宿で出会った死神と同じ、記憶装置で作られた声だった。
『で、どうしよっかなーこれ。この人数相手に立ち回れるほどオイラも強くないしなぁ。けど、このまま失敗なんて報告しても先輩にどやされるし⋯⋯』
などと、この場の空気とは裏腹に、軽口を叩く死神に怒りを覚えるリオティスだったが、そう感じたのは彼だけではなかった。
「ふざけないで! あなたが噂の死神かどうかは知らないけど、こんな小さな子供に手を掛けておいて何様のつもり!? 私はね、女の子を平気で傷つけるあなたのような⋯⋯あの男のような人間が世界で一番許せないのよ!!」
ティアナは内に秘めた怒りを爆発させると、その勢いのままに剣を左手に握りしめて死神に向かって走り出した。
「バカ、止まれ!!」
あまりにも無謀な突撃に、リオティスは苦言を呈す。
相手の能力も知らぬまま感情に身を任せ、あろうことか真正面からひとりで斬りかかろうとしているのだ。まさに無謀以外の何ものでもなかった。
当然、他の団員達もティアナを止めようと動き始めるが既に遅く、彼女の剣先は死神の首元へと延びていた。だがーー、
「〈身勝手な愛〉」
死神がそう呟くと同時に、ティアナの剣戟が首元を捉えた。
刹那、ティアナの手元に伝わった感触は、人間の皮膚とはまるで違うものだった。
冷たく、重く、硬い。
まるで巨大な鉄の塊に剣先を当てているかのような、そんな感触。
(嘘⋯⋯本気で斬りつけたのに、薄皮一枚切れていない!?)
首元で虚しく止まる剣先を見つめながら、ティアナは絶望と混乱の入り混じった表情を浮かべた。そんな彼女に対して、死神は変わらぬ態度で右手を広げる。
『そんな鈍らじゃオイラは斬れないっての。つっても、ひとり間抜けに先走ってくれたのはありがとさん。お陰で先輩に怒られずに済みそうだ』
硬直しているティアナに向かって伸ばされる右手。
その手が彼女の顔に触れようとした瞬間、死神の体が後方へと吹き飛んだ。
膝を付きながらも体勢を整えて顔を上げる死神の目には、ティアナを遮って立つリオティスの姿が写っていた。
『あんな短剣でここまで押されるかぁ。どんなパワーだよ。つーか人質もお構いなしかよ』
「俺も驚いてる。まさか胴体を切断するつもりが無傷で吹っ飛ぶなんてな。どういう仕組みだ」
『さてね。もっかい近距離で斬ってみたらわかんじゃない?』
「このバカと一緒にするな。お前さっきこいつに手で触れようとしたろ。それが能力の条件か?」
『うげ、バレてらぁ。これだから戦闘は嫌いなんだよ』
「その反応、やっぱり今のは魔力防御じゃなくて記憶者の能力か」
『あぁ!? ちょっとたんまたんま! オイラめっちゃ踊らされてるじゃん!』
死神はしまったと口を手で押さえるが、いちいち反応が大げさでわざとらしくリオティスには見えた。
すると、背後に立っていたティアナの腰が砕けたかと思うと、涙を溜めた鋭い目つきでリオティスを睨んだ。
「⋯⋯ば、バカって誰の事よ」
「お前に決まってんだろ泣き虫。つーか礼も言えないのかよ」
「別に、あなたが来なくても大丈夫だったわ」
「本当に口だけは一人前だな」
「何よ!!」
「ちょ、待つッスよリオっち! ティアナっち! 今は喧嘩してる場合じゃないッスよ!!」
二人の険悪な雰囲気に割って入ってきたレイク。
気が付くと、他の団員達もティアナを守るようにして前に立ち、戦闘態勢を取っていた。
「だ、大丈夫ですかティアナさん!?」
「⋯⋯ケガしてない? お菓子食べる?」
「大丈夫だよティアナちゃん。格好いい俺が守ってあげるから。で、リオティスはひとりでもう美味しいとこ持っていくなよ?」
「ふふん、無理だろうな。それがご主人の素晴らしいところだからな!!」
こんな状況でありながらも、いつも通りに騒ぐ〈月華の兎〉の団員達。だが、それは決して余裕があるわけではなく、寧ろ緊張と恐怖を紛らわせようとしての言動だった。
『あーあ、これでチャンスはもう無しか。仕方ないし、最低限の仕事はやりとげますか!』
死神はそう言い放つと、抱えていた少年を肩へと背負い、勢いよく逃走を始めた。
「オイオイ、逃げるぞアイツ!!」
アルスが声を荒げるが、リオティスからしてみれば逃がすつもりは毛頭なかった。何より、これだけの人数を相手に無傷で逃げられるわけもないと踏んでいた。
だが、死神が向かったのは身を隠しやすい林地帯への道ではなく、何も無いはずのこの枯れた大地のさらに奥。そこには何故今まで気が付かなかったのか、大きな洞窟のようなものが存在していた。
「あれは⋯⋯まさか迷宮か!?」
リオティスがそのことを理解したと同時に、死神は気を失った少年と一緒に迷宮の暗闇へと消えていった。