第15話 悲鳴
迷宮とはこの世界に突如として現れた謎の遺跡のことだ。
いつからあるのかは誰にもわからない。
数々の文献や歴史を読み解いても、正確な情報はひとつとしてないのだ。
わかっていることは迷宮には決まった形が無く、基本は洞窟のように地下へと続くのみで、どれも同じ構造はないということ。そして迷宮の中には魔獣と高いエネルギーを宿す鉱石があるということ。
そんな迷宮を日々探索することがギルドの生業なのだが、現時点で確認されている迷宮の全てはディザイアの監視下に置かれており、ギルドの証明がなければ入ることすらできないようになっている。
何故ならばそれだけ迷宮は危険なのだ。
少なくとも、リオティスは痛い程そのことを理解していた。
だからこそ、迷宮へは気を引き締めて望まねばならない。そのはずなのにーー、
「さぁさぁ! 遠慮せずに食べてくださいッス!」
「美味しい⋯⋯! レイクさんのお菓子とっても美味しいです!」
「いや、マジで美味ェよレイク。これいくらでも食えるぜ」
などと林に囲まれたど真ん中で、リオティスを除く〈月華の兎〉の面々は、座って呑気にドーナッツを食べていた。
「いや、どうしてこんなことになってんだよ⋯⋯」
リオティスはひとり頭を悩ます。
三十分ほど前、ルリに連れられて来たのは帝都モントレイサから少し離れたファリーン平原と呼ばれる喉かな場所だった。
帝都の周りは自然豊かな場所が多く、あれだけの街並みや人々が嘘だったかのように青い芝生が広がっている。
どうしてこのような平原が多いのかというと、それは迷宮のとある性質が関係していた。
迷宮が存在する付近はどういう理由か自然のエネルギーが強いらしい。辺りには木々が生い茂り、花が咲き乱れる。だからこそ、迷宮が出現した地帯は仮に砂漠のど真ん中であっても、ほんの数時間で緑に息を吹き返す。
それが迷宮の力。
さらにはディザイアが管理をしているとはいえ、迷宮から魔獣が飛び出してしまうことも少なくない。そんな人が住みにくい大自然と魔獣の存在から、迷宮の付近には街なんて作れる余裕などないのだ。
だからこそ、世界的に規模の大きいディアティール帝国の殆どが、このような平原地帯や海に囲まれていた。
一先ずはファリーン平原に来たまではよかったのだが、すぐ様に問題が起きた。
「⋯⋯道がわからない」
ルリの零したその言葉が全ての始まりだった。
バルカンから手渡された地図をクルクルと回しながら睨めっこを続けるルリであったが、全く理解出来ていない様子で、もはや適当にこっちだあっちだと進んでいると、気が付けば林の中に居た。
迷宮に近ければ近い程、必然に自然が生い茂っているため、恐らくこの林地帯のどこかに迷宮があることは確かだったが、もはや歩きまわされて疲れていたルリたちはこうして休憩をすることとなったのだ。
そんな今までの経緯を思い出していたリオティスは、頭が痛くなった。
(バルカンの奴、何でルリに道案内が出来ると思ったんだよ⋯⋯しかもルリはルリで道に迷ったならすぐに言えばいいものを、自信満々で歩くせいで誰も気が付けないし。ハァ⋯⋯)
リオティスは深い溜息を吐いた。
このところ溜息が多くなったような気がする。
するとそんな様子を見かねて、タロットが言った。
「ご主人もレイクの作ってきたドーナッツを食べて休憩しようじゃないか。ほらタロットがあーんしてやるぞ?」
「えっ、ズルいです! 私もあーんしたいですよ!!」
「じゃあ順番だな! タロットとリコルで交互にすれば解決だ!」
「な、なるほど⋯⋯!」
「いやなるほどじゃねェよ」
相変わらず訳のわからないことで騒ぐタロットとリコル。
彼女たちがリオティスの悩みの種であるのだが、どうやら自覚は無いらしい。
無理矢理リオティスにドーナッツを食べさせようとする二人だったが、レイクが慌てて止めに入る。
「ちょっと無理矢理はダメッスよ! きっとリオっちは俺なんかの作った物なんて食べたくないんスよ」
「そうなのかご主人? それはあんまりじゃないか?」
「そうですよ。せっかくレイクさんが作ってくれたのに⋯⋯モグモグ。それにこの辺りに生えてる果物との相性も抜群ですよ」
「俺も勿体ないと思うぜ。これめちゃくちゃうまいんだぜ? ⋯⋯うま」
「けどこんな屑に食わせるのも勿体ないわ。だから、その、私が代わりに食べてあげるわ! ⋯⋯モグモグ」
「⋯⋯本当にレイクの作るお菓子は美味しい。⋯⋯モグモグ。もう止まらない⋯⋯モグモグ」
「お前等喋りながら食うんじゃねェよ! もっと危機感を持てって!!」
幸せそうにドーナッツを食べ続ける団員を見て、さらにリオティスは頭を抱えた。
(どうして〈月華の兎〉にはこんなバカしかいないんだよ⋯⋯もう帰りてェ)
こんな日々がこれから先も続くのだと考えるだけで、リオティスは眩暈すらした。
と、そこでリオティスはリコルの首元へと視線が移動する。
彼女の首には赤い宝石が付いたペンダントがぶら下がっていた。
「⋯⋯オイ、リコル。その首飾りいつの間に着けてたんだ?」
「あっ、ハイ。丁度今日から着けてたんですけど⋯⋯もしかして似合ってないですかね?」
「いや、似合ってはいるが、それって俺と出会った時に見せてくれた首飾りだろ? どうして今更着けようなんて思ったんだ」
あの貧民街近くで出会った当初にリコルがリオティスに交換条件として見せた、赤いメモライトの付いた高価なペンダント。その時からどうして貧民街で暮らすリコルが、そんな高価な代物を持っていたのか不思議であったが、最近彼女の口から母親の形見であることを聞かされた。
本当に大事な物であるようで、昔の出来事を語るリコルの表情がどこか悲しげであることを今でもリオティスは覚えていた。
だが、リコルは形見であるネックレスを頑なに身に着けようとはしていなかったのだ。それが今になって身に着けたことに、少しだけリオティスは興味があった。
すると、リコルはペンダントを握りしめながら話し始める。
「私は今までこのペンダントを身に着ける資格が無いと思ってました。母親も望んでいないのだと。けど、それはただ過去から逃げているだけだって気が付いたんです。私はこのペンダントを身に着けても堂々としていられるような人間になりたい。だからーー」
そこでリコルの言葉が止まる。
それは彼女自身が未だこのペンダントを着けていてもよいのかわからなかったからだ。
両親を殺し、その罪と向き合うことを決めたリコル。
とはいえ、全てのトラウマを克服したわけではなかった。
今でも夢に見るのは両親の悲惨な最後。そして自分への恨みをぶつける二人の姿。それを思い出すだけでリコルの体は震えていた。
そんな黙って俯くリコルに対し、リオティスは言った。
「⋯⋯入団試験でお前が暴走したとき、どうして俺がお前の居場所がわかったと思う?」
「え⋯⋯?」
「それはその宝石が教えてくれたんだ。まるでお前を助けてやってくれと俺に訴えかけるようにな。⋯⋯きっとお前のことを母親は今でも大切に思ってるんじゃねェか?」
「お母さんが⋯⋯」
リコルがペンダントを再び握ると、今度は何故だか勇気が湧いてきた。もう彼女の体は震えてはおらず、自然と心が温かくなっていた。
「ありがとうございます、リオティスさん。なんだか少しだけ自分に自信が持てました」
「⋯⋯別に礼なんていらねェよ。俺は何もしてない」
「そんなことは無いです。リオティスさんは何度だって私を助けてくれました。それにこのペンダントもちゃんとリオティスさんに渡します。私が一人前になったらって約束でしたから」
「いや、そのことなんだが⋯⋯」
と、リオティスが次の言葉を放つよりも先に、遠くの方で悲鳴が聞こえて来た。
「きゃあああッ!?」
それは少女の声。
その声に今まで呑気に寛いでいた団員たちも瞬時に立ち上がった。
「な、なんスか今の悲鳴」
「オイオイ、ただ事じゃなさそうだぞ。あっちから聞こえたけど⋯⋯」
「うむ、これは流石にヤバそうだな。ご主人、急いで声の方へ向かった方がいいぞ!」
「どうやらそうみたいだな」
リオティスたちは顔を合わせて頷くと、声のした方へと走り出した。