第9話 フィト&ルリVS魔獣
「きゃあああっ!!」
「た、助けてくれ!?」
「逃げろ! 早く逃げるんだァッ!!」
飛び交う悲鳴。
数分前まで明るく賑わっていた街並みは、一瞬にして地獄と化していた。
突如として出現した、迷宮にしか存在してはならない魔獣。その魔獣は牛のような頭を持っていたが、胴体はまるで人間のようで、二足で歩くその姿は余りにも不気味だった。
黒く固い皮膚に、膨れ上がった筋肉。
腕も大木のように太く、拳で地面を殴れば一瞬にしてクレーターを作るほどの威力を誇る。
まさに地獄から生まれたかのようなその魔獣は、手当たり次第に建物を壊していたが、未だ止まる気配を見せなかった。
「うええん! お母さんどこぉ!!」
魔獣の目の前でひとりの少年が泣いていた。
どうやら彼は母親と逸れてしまったようで、泣くばかりで動こうとしない。
その鳴き声が耳障りだったのか、魔獣は次の標的を少年へと切り替えた。
ズシンズシンと大きな足音を響かせながら少年へと近づいた魔獣は、拳を握りしめて勢いよく振り下ろす。
爆発したかのような激しい音。
魔獣がゆっくりと拳を上げるが、そこには少年の姿はなかった。その時ーー、
「出力五十パーセント⋯⋯〈激破〉!!」
背後から聞こえた声。
その声に反応するよりも先に、魔獣の脇腹に衝撃が伝わった。
メキメキと骨が折れるような音と共に、魔獣は勢いよく吹き飛んだ。
いくつもの壊された建物を貫き消えていく魔獣。
そんな姿を眺め終えた後で、魔獣を吹き飛ばしたフィトは助けた少年へと歩み寄った。
「大丈夫ですか? 怪我してないですよね?」
「う、うん⋯⋯」
「それなら良かったです。ここら辺は危ないからあっちに行った方がいいですよ。ひとりで行けますか?」
フィトの言葉に少年は頷く。
「強いですね。じゃあ行ってください」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
少年は笑顔でお礼をすると、フィトが指差した方向へと走り出した。
残されたフィトは破壊された街を見渡しながら呟く。
「それにしてもどういうことですか? 何で魔獣が街に⋯⋯」
突然の事態に深刻な表情を浮かべるフィトに対し、隣に立つルリは相変らずの無表情でお菓子を口に頬張っていた。
「⋯⋯ルリ。よくこんな状況で食欲湧きますね」
「⋯⋯スイーツは別腹」
「いやそういうことじゃなくてですね⋯⋯」
呆れるようにフィトは溜息を吐く。
刹那、彼女の姿がルリの前から消えた。
何が起きたのかわからないルリの目の前には、先ほどフィトが吹き飛ばしたはずの魔獣が拳を振り終えていた。
ほんの少しの間を置き、激しい音が響く。
ルリがその方向を見ると、建物の壁に体を横たわらせるフィトの姿があった。
「⋯⋯フィト!」
ルリが珍しく叫んだ。
そんな彼女に応えるようにフィトは立ち上がると、心配させないように笑った。
「大丈夫です。ギリギリ魔力の防御は間に合いましたから⋯⋯ッゥ」
立ち上がったフィトは自身の痛む両腕を見る。
魔獣の攻撃に対して腕を交差するような形で防御をしたフィトであったが、魔力を纏うのが間に合ったとはいえ明らかな体格さや威力によって、完璧に防ぐことは出来てはいなかった。
腕を動かそうとするが痛むばかりでまるで動かない。
力なくブラリと垂れる両腕を見つめながら、フィトは額に脂汗を滲ませた。
(完全に折れてますね、これ。魔力で防御してこのダメージってことは、まともに食らってたら死んでましたね)
運が良いのか悪いのか。
一先ず命があることにホッと胸を撫でおろすが、状況が最悪なことに変わりはない。
先ほどフィトの攻撃で吹き飛んだ魔獣だったが、手ごたえはあったため、無傷というわけでもないようだ。だが、フィトは両腕の機能を無くしているため戦力にならない。
残ったのはルリだけ。
彼女は魔獣を無表情で見つめていたが、手に持ったお菓子を食べきると手を合わせた。
「⋯⋯ごちそうさま。次はデザート」
「ブオオオォッ!!」
態度を崩さないルリに対し、魔獣は再び拳を振り上げた。
「ルリ、気を付けてください! そいつの攻撃をまともに食らっちゃダメです!!」
フィトの叫びも空しく、魔獣の拳は振り下ろされた。
一方のルリは微動だにしない。
防御をするわけでも回避をするわけでも攻撃をするわけでもない。ただ彼女は静かに呟く。
「〈幻想の光〉」
すると、ルリの目の前に大きなシャボン玉が生まれた。
人の顔程はあるそのシャボン玉は、浮かんだまま魔獣の拳を受ける。
普通のシャボン玉であれば簡単に割れてしまったであろう。
だが、ルリの生み出したシャボン玉は魔獣の拳を受けても割れることはなく、寧ろはじき返したのだ。
放った勢いがそのまま返ってきたことで、魔獣はバランスを崩して倒れる。
さらにルリのシャボン玉は止まらない。
そのまま魔獣の足元へと泳いでいくシャボン玉。それは魔獣の右足に触れた途端に破裂した。
刹那、シャボン玉の触れた魔獣の右足が切断される。
「ブゴオオオォッ!?」
突然切断された足の痛みに、魔獣が悲鳴を上げた。
切断面から絶え間なく流れる血と、激しい痛み。
もはや魔獣には立ち上がる力もなく、怒りと痛みで体を震わせることしか出来なかった。
ルリはそんな魔獣に対して、止めを刺すべく再びシャボン玉を放とうとする。
「ルリ、そのシャボン玉もっと出せますか?」
いつの間にか傍まで移動していたフィトが、そう言ってルリの動きを止めた。
「⋯⋯出来る。でも大丈夫?」
フィトの意図を汲んだルリが尋ねるが、それは愚問だった。
「当たり前です。この腕の借りはボクが返します」
「⋯⋯わかった」
ルリは頷くと、辺りに無数のシャボン玉を展開する。
崩壊した街中に浮かぶそのシャボン玉は幻想的で、美しかった。
そんなシャボン玉を足場にし、フィトは一瞬にして魔獣の遥か上空へと駆け上がる。
「腕が使えないなら足で、足が使えないなら頭で、頭が使えないなら心で戦う。それがルドベキア流です!!」
フィトはそんな言葉と共に魔獣に向かって身を投げ出した。
落ちていく最中、フィトは足に魔力を貯めていく。
「出力七十パーセント⋯⋯」
「ブオオオッ!!」
フィトの存在に気が付いた魔獣。
だが、当然足を切断されているため回避することは出来ない。
せめてもの足掻きなのか、魔獣はフィトに向かって拳を突き上げた。
フィトの魔力が籠った両腕を折ったほどの攻撃。
それに向かって彼女は真っ向から踵を落とした。
「〈激沈〉!!」
重力と魔力を組み合わせたフィトの渾身の一撃。
その攻撃は魔獣の拳を砕くと、勢いを止めることなく脳天に直撃した。
「オラァッ!!」
雄たけびを上げたフィトが脳天をそのまま割ると、魔獣は白目を向いて動かなくなった。
完全に動きを止めて倒れた魔獣に対し、フィトは勝ち誇ったように言う。
「っしゃあ! これがボクの力です!!」
「⋯⋯フィト」
「ん? どうかしましたかルリ」
「⋯⋯ちょっと脳筋すぎてついていけない。両腕を怪我した人がすることじゃないと思う」
「え!? いや、でも、ほら倒しましたし!」
「⋯⋯私だけでも勝てた。完全に無駄骨」
「ぐっ! でも何事にも全力で取り組むというのがルドベキア流で⋯⋯いだ!?」
と、どうやら落ち着いたことでマヒしていた腕の痛みが戻ってきたようで、突然にフィトが涙を浮かべて騒ぎ出した。
「痛いです! 腕が痛いです!!」
「⋯⋯よくそれで戦った。正直バカだと思う」
「何でそんな辛辣なんですか!?」
「⋯⋯私が飲み込むのは甘い物だけ。だから代わりに辛口を吐く」
「どういうことですか!? って痛い痛い! 腕が痛すぎます!!」
泣きわめくフィトに、どこに隠していたのか再びお菓子を食べ始めるルリ。
そんな二人のやり取りは暫く続いたのだった。