第16話 信じる未来
美しい花びらが泳ぐ。
ほんのりと光り、幻想的な雰囲気を醸し出すその花びらが消えると、そこにはバルカンの姿はなかった。
「あぁー、ヒリヒリすんなこれ」
背後から聞こえた声を聞き、咄嗟に二人は振り向いて構える。
だが、そこに立っていたバルカンは参ったというように両手を上げていた。
「ギリギリ魔法で足場を壊せたと思ったんだがね」
はぁっ、と大きく溜息を吐くバルカンは、右手に摘まんでいた小さな花びらを見せる。指を離すと、その花びらはふわりと宙を舞って消えていった。
「それって⋯⋯」
「あぁ、一発食らっちまった。お前らの勝ちだよ」
「⋯⋯っ!」
負けを認めたバルカン。
それはつまり入団試験を合格したことを意味していた。
リオティスに拘束されたバルカンは魔法で足場を壊し、既の所でリコルの攻撃を回避したつもりだった。だが結果は間に合わず、一枚の花びらがバルカンの頬に付着していた。まさにそれはバルカンに一発攻撃を当てたことに他ならない。
そのことを理解したリコルの体からは、どっと力が抜けた。
嬉しさと驚きを感じながら座り込むリコル。
そんな彼女の、満面の笑みを浮かべながらも、今にも泣きそうな表情をリオティスは見て、彼自身も笑顔を零した。
たかが試験。
それもCランクのボロボロで頼りない落ちこぼれギルドの試験を合格しただけだというのにも関わらず、リオティスは今までにない達成感を得ていた。
(あんだけギルドを恨んでいたのにな。けど、悪い気分じゃねェな⋯⋯)
そこでリオティスは力なく倒れた。
左腕の痛みが限界を迎え、試験も終えたという安堵から一気に力が抜けたのだ。
倒れて遠のく意識の中、リコルとバルカンが近づいて何やら言っているようだったが、もうリオティスにはどうでもよかった。
今はただこの気持ちを噛みしめていたい。
そう思いながらリオティスはそっと目を閉じた。
◇◇◇◇◇◇
「⋯⋯ん」
リオティスが目覚めると、そこはベッドの上だった。
小さな個室。ひとつのベッドと机に椅子。たったそれだけしかない空間にリオティスは居た。
ゆっくりと起き上がろうとするが左腕に痛みが走る。見ると、腕には包帯が綺麗に巻かれていた。
「よっ、起きたか」
突然隣からバルカンの声がする。
彼は椅子に座っており、じっとリオティスの方を見つめていた。
「ここは?」
「〈日輪の獅子〉の一室だ。お前が倒れたからここまで運んだんだよ。で、左手の調子はどうだ?」
「ちょっと痛む程度だ」
「ならよかった。あの後リコルが能力で解毒をしたみたいでな。つっても一時でもあの毒に触れたんだ。動かせるだけでも奇跡だと思うぜ」
バルカンの言葉にリオティスはもう一度自身の左手を動かす。
握って、開いてと、そのような軽い動作に違和感はないが、やはり痛みはあった。次に強く握りしめてみたがうまく力が入らない。それが一時的なものかどうかはわからなかったが、もしも今後も握力が戻らなかったなら、短剣を振るうことは難しいのかもしれない。
だが、リオティスは全くというほど気にはしていなかった。
落ち込むわけでも悲しむわけでもなく、ただ眠たげな眼でバルカンに訴えかける。
「まっ、動くならそれでいいや。そんじゃもう少し寝ててもいいか?」
「軽いなぁ、お前。もう少し暗い反応するかと思った」
「起きたことはどうしようもないだろ。それにギルドに入団できたし問題ねェ」
リオティスはさも当然のように言い放ったが、それを聞いたバルカンは可笑しそうに笑った。
「ククッ、カハハハ!」
「⋯⋯何だよ」
「いやぁ、お前がそんなにギルドに入りたいなんて思ってなかったからさ。最初お前を見た時もなんかひとりだけ心ここにあらずっていうか、そこまでギルドに固執してる感じじゃなかっただろ?」
「それは⋯⋯」
と、リオティスは反論をしようとしたが言葉が出なかった。
確かにリオティスはギルドに入りたいという強い気持ちはなく、むしろ辛い過去を思い出すため避けたくもあった。
だが、リコルの姿を見てから全てが変わった。
彼女のように生きたいと思うようになり、そして自分が本当はギルドで仲間を作り、笑いあいながら人々を救うことを望んでいたことにも気が付いたのだ。
だからこそ、今のリオティスは自分の意志でギルドに入りたいと考えている。それは嘘偽りない本心だ。
そんな自分の心情の変化に戸惑って黙り込んでしまったリオティスに、バルカンは言う。
「まっ、別にギルドに入りたいんだったらそれでいいさ。俺も団長として歓迎するぜ。だが⋯⋯」
と、そこでバルカンはリオティスの右手を掴んだ。
「お前、記憶者ってこと隠してたな。能力で紋章を隠してるみたいだが、それがどういうことかわかるよな?」
「⋯⋯⋯⋯」
鋭いバルカンの視線をリオティスは黙って受け止めることしかできない。
この世界に存在する能力者、記憶者。
その力は簡単に人を殺すことも、犯罪を犯すことも可能だ。だからこそギルドをまとめる組織であるディザイアは、記憶者に対するルールも作った。
街中で許可なく能力を使用しないことや、能力で人を傷つけた者への処罰。
そんないくつかのルールの中には、記憶者の紋章を偽ることも罪とされていた。
だからこそバルカンは尋ねる。
「お前はどうして能力を隠してるんだ? 何か目的でもあるのか? 返答によっちゃ俺はお前を組織に突きだすつもりだ」
「俺は⋯⋯」
リオティスの口が籠る。
彼が能力を隠しているのは、戦いにおいて戦況を有利にさせるという理由があった。
一週間前に夜道で戦闘したスネイルも今回のバルカンも、リオティスを記憶者だとわかっていなかったからこそ油断したのだ。そして、その油断は命を取り合う戦闘において致命的な隙を生む。
だが、リオティスが能力を隠しているのにはもうひとつの理由があった。
少しだけ悩んだリオティスだったが、意を決して話を始める。
「俺は力を持ったせいで恨まれ死んでいった人を知ってる。力は持っているだけでも誰かを苦しめるもんだ。それに俺は誰も信じていない。どうせ裏切られると考えている。だから自分の弱みも見せたくない。⋯⋯俺は臆病だから能力を隠してる。それだけだ」
「⋯⋯なるほどな」
バルカンは一頻りリオティスの話を聞いたところで、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「そんじゃ、俺は帰るわ。お前も少し休んだら帰れよ。それと明日から住み込みで働いてもらうから覚悟しろよ」
「⋯⋯俺を組織に突きださないのか?」
「あぁー、なんか面倒くせェしいいや。だからもしも人を信じられるようになったら、ちゃんと自分で能力を説明しろよ」
「はっ、まさか信じたのか今の話。嘘かもしれないだろ」
「どうだか。あんなバカげたヒーローごっこする奴が今更嘘つかねェだろ。仮に嘘で何か企んでるなら、そん時に俺がぶっとばしてやるよ」
バルカンはそれだけ言うと、部屋を出るために扉へと手を伸ばす。そんな彼にリオティスは、
「⋯⋯俺に誰かを信じることなんて出来んのかな」
と言った。
それにバルカンは振り向かずに答える。
「さてね。けど、お前は少なくとも今日ひとりは信じることが出来たんじゃねェのか?」
そうしてバルカンが扉を開けると、雪崩のように誰かが部屋に入り込んできた。
「大丈夫ですか、リオティスさん!?」
「待ってろご主人! 今すぐタロットのサラサラな毛並みを触らせてやるからな!!」
「リコル、タロット⋯⋯」
ベッドに転がるリオティスに向かって飛び込むリコルとタロット。彼女たちは本気でリオティスを心配するように抱き着いている。
「すみませんリオティスさん。私のせいで⋯⋯」
「安心しろリコル。ご主人はこのようなことでは傷つかない超人なのだ! だからタロット達にできるのはご主人が安心して寝れるように添い寝することだけだ!!」
「なるほど⋯⋯わかりました! 私に任せてください!!」
「いやベタベタくっ付くな! 離れやがれェッ!」
個室に騒がしく響く声。
それを聞きながらバルカンは楽しそうに歩き出す。
「さぁてと、今年は楽しくなりそうだな」
歩くバルカンの先には、外から差し込む眩しいほどの光が見えていた。