第15話 入団試験⑥
リコルは目を瞑ると、集中するように息を吐いた。
深く深く、水の中に潜っていくように意識を沈める。
記憶者になってから、リコルが自分の意志で能力を使ったことは一度もなかった。何故ならばその力には憎悪が込められ、いとも簡単に人を傷つけてしまうことがわかっていたから。
怖くて、憎くて、仕方がなかった。
誰かを傷つけ殺してしまう、最低な自分が大嫌いだった。
そんな全てを壊してしまう能力に、リコルはある名前を付けた。
この世界で最も醜く、汚らわしく、最低な存在の名前。リコルが一番嫌いだった名前。それは戒めのためでもあった。
だが、今はもうその名前が嫌いではなくなっていた。何故ならばもう自分はひとりではないのだから。
リコルは目を見開くと、能力の名前を呟いた。
「〈リコル〉」
刹那、リコルは赤紫色の液体に包まれる。
まるで蕾のように彼女を包んだ毒液は、美しい花を咲かせた。
大きな赤紫色の花。
その中心に立つリコルが右手を広げると、彼女の下に咲いている大きな花の中から、ガラス玉のような物体が複数生まれていく。
そしてリコルの周りに浮遊したその物質が弾けたかと思うと、美しい花びらが舞った。
「へェ」
バルカンは面白いというように笑うと、自身に向かって勢いよく放たれる花びらを、魔法で強化された身体能力で躱した。だが、
「まだです!」
リコルが指を動かす。
すると操られたように毒の花びらがバルカンへと軌道を変えた。
真っすぐ弾丸のように飛んでいた花びらが突然に向きを変えたことにバルカンは驚くが、さらに身体を加速させて振り切ろうとする。
バルカンの雷のように速い走りに花びらは追いつけてはいないが、それでも追尾は止まらない。何度も何度もバルカンを執拗に追いかけまわす。
そしてついにバルカンは毒の花びらに包囲され動きを止めた。
「いけェッ!!」
リコルが叫ぶと、無数の花びらが一斉にバルカンへと降り注いだ。
いくらバルカンの動きが速かろうと、これだけの数の花びらを全て躱すことは不可能。だからこそリコルは自身の勝利を確信していた。だがーー、
「〈アク・ローアイト〉」
激しい電撃。
黄色の光が空間を包み込んだかと思うと、花びらは跡形もなく消滅していた。
右手を広げ、傷一つないバルカンは驚くリコルに言う。
「なるほど、追尾性の遠隔型の能力か。その毒の花びらを操作して、触れた対象にダメージを与えるって感じか。今は試験だから毒を弱めているんだろうが、結局当たらなければどうってことはないな」
「そんな⋯⋯」
完全に当たったとリコルが思った攻撃もバルカンには通じない。その事実を突きつけられた彼女の表情は険しく、余裕もない。
だがバルカンからしてみれば、リコルが勝てないのは当然だった。
(リコルはあの暴走から初めて能力を使った。なら、動きが悪いのも仕方がねェ。そもそも自分に何が出来るのかも把握しきれてないだろ。それに⋯⋯)
と、そこでバルカンはリコルの近くでただ立っているだけのリオティスを見つめる。
本人は強がっていたが、バルカンの目から見てもリオティスの左手がもうまともに機能していないことはわかっていた。
本来ならばすぐにでも治療を行う必要があるだろう。
それでも未だに試験を続けているのは、バルカンが彼らから只ならぬ熱意を感じ取ったことに他ならなかった。
出会った当初は、やる気がない男と気弱な少女のように思えた二人が、今では本気でバルカンを倒そうと、試験に合格しようとしている。
それはただギルドに入団したいからというわけではない。まるで自分自身を乗り越えるために戦っているようにバルカンには見えたのだ。
(もうリオティスは限界だな。リコルの成長も見れた。だから試験合格ってことでいいんだが⋯⋯)
普通に考えれば、試験を今すぐにでも終わらせることが正しいのだろう。それはバルカンもわかっている。だがそれでもリオティスとリコルの真剣な表情を見ていると、どうしてもやめることができなかった。
とはいえ、やはりリオティスの体は限界に近い。
リオティスも自身の感覚がなくなった左腕を見ながら、ここが限界だということは感じ取っていた。
普段リオティスはメモリーを左手で振るっている。
それはメモリーに宿った歴戦の使い手達の記憶に従っているためだ。仮に右手で短剣を握ったとしても、それはリオティス本人の力でしかなく、メモリーの力を全て引き出したことにはならない。
だからこそ今のリオティスに短剣は握れない。戦えない。
(⋯⋯まぁ、及第点だろ。これはただの試験。ある程度力を示せば合格するはずだ。だからもうこれでいい。頑張っただろ。そうだろ?)
リオティスは自分に言い聞かせるように胸に手を置くが、返ってくるのは謎の痛みと苦しみ。もうその正体をリオティスは知っていた。
こうしてギルドに入ろうとしたのはリコルのため。メモライトを手に入れるため。それだけのはずだったが、懸命に己と戦うリコルを見てリオティスは気が付いてしまった。
本当は自分も彼女のようになりたいのだと。
全力で自分と向き合って、夢のために全力で足掻く。そんな生き方をしたいのだと。
リラを亡くし、何のために生きているのかもわからなくなったリオティスには、懸命に生きようとしているリコルが眩しく見えた。
リコルのようになりたい。
それがリオティスの胸に空いた最後のピースを埋めた。
「⋯⋯オイ、リコル。お前、本気でギルドに入りたいんだよな?」
リオティスは確認するようにリコルに尋ねた。
それにリコルは真剣な表情で即答する。
「はい。それが私の夢です!」
「そうか。なら、俺のやることも決まった」
「え?」
「いや、こっちの話だ。じゃあ、俺を信じてバルカンに攻撃しろ。出来るか?」
少しだけ不安げにリオティスはリコルを見たが、彼女の答えはとっくに決まっていた。
「当然です! 一緒に勝ちましょう。リオティスさん!」
「おう、あのバルカンに吠え面かかせてやろうぜ」
そうやって笑いあう二人にはもう影なんて射してはおらず、その様子を見ていたバルカンもどこか楽しそうだった。
これはただの試験だ。命を懸ける必要も、全力を出す必要も、誰かを信じる必要もない。だがこの場に居る全員が、そのくだらない試験に並々ならぬ想いを持っていた。
「こいよ。お前らの全力を見せてみろ!」
「はい、いきます!!」
バルカンの声にリコルが再び右手を広げた。
放たれる毒の花びら。
その動きはやはりバルカンよりも遅い。遅すぎる。
バルカンは余裕を持って回避するために足に力を込めた。その時、
「〈ダブルピース〉」
そんなリオティスの声。
バルカンの視界の端には地面に右手を突いたリオティスが、こちらを見て笑みを浮かべていた。
刹那、バルカンの足元に無数のピースが現れる。
リオティスの触れた地面からバルカンの足元へと、一直線にピースが走っていたのだ。
リオティスの能力〈ダブルピース〉には、以前〝ネスト〟で使用した右手の黒いピースによる〈創造〉と、触れた物質をピースへと〈分解〉し、再構築することで好きなように変形させる二つの力がある。
今使ったのは後者で、リオティスはバルカンの立つ地面を分解し、身動きを取らせないようにピースで地面の形を作り変えて包み込むように固定したのだ。
ここまでが一秒にも満たない時間の中で行われ、バルカンには全てを理解することはできなかった。精々わかったことは身動きが取れなくなったということぐらいだ。
「しまっ⋯⋯!」
バルカンが気づいた時には既に遅く、目の前にはリコルの能力が迫っている。
「いけ、リコル」
誰にも聞こえないようなリオティスの呟きが溶けて消えた時、バルカンの体を花びらが覆い隠した。