第14話 入団試験⑤
「ここは⋯⋯」
リコルは気が付くと見知らぬ場所に立っていた。
先ほどまで自身の能力に飲み込まれ、意識も消えかかっていたはず。だが、今リコルが居るのは青色の花が咲き乱れる不思議な場所だった。
前も後ろもその先も、一面が花畑の空間。
間違いなくリコルはこの場所に来るのが初めてだったが、妙に懐かしく感じ安心することが出来た。
そんな花畑にひとりの少女が蹲っている。
リコルは気になって、少女の元へと駆け寄った。
「えっと、どうかしたんですか?」
「⋯⋯⋯⋯」
悲しそうに蹲る少女は、優しい声を掛けられて顔を上げた。
綺麗な青色の髪と瞳をした少女だった。
当然リコルは彼女にも出会ったことが無いはずだったが、誰かに似ているような気がした。
少女はゆっくりと立ち上がると、震える声で言う。
「⋯⋯どうして私の邪魔をするの」
「えっ」
「どうして諦めてくれないの。どうして死んでくれないの。どうして、どうしてどうしてどうして!!」
少女の声は段々と大きくなる。憎しみが込められていく。
その声を聴いて、ようやくリコルは目の前の少女が何者なのかに気が付いた。
「そっか、あなただったんですね。私の中に居たのは」
それはリコルが記憶者になったあの日から、ずっと彼女の内に潜んでいたもうひとりの自分だった。
だが、こうして向かい合ってみると、彼女は美しいただの少女のようで、とても今まで自分を苦しめてきた存在には思えない。
リコルが不思議そうに見つめる中、少女は憎しみを宿した手を伸ばす。
「殺す、壊す! お前も、この世界も!!」
少女の両手はリコルの首を掴んだ。
次第に手には力が込められていき、リコルは息が出来ずに苦しみだす。
それでも少女は手を緩めない。
目にはより一層の殺意と憎悪を籠め、リコルを睨んだ。だが、
「何だよ。その目は⋯⋯」
少女が見たのは絶望の表情でも、悲しみでも、憎しみでもない。優しい目をしたリコルの姿だった。
「なんだその目は。違うだろ! もっと憎め! 恐怖しろ!! 私はお前を今から殺すんだぞ!?」
「⋯⋯⋯⋯」
「やめろ、そんな目で私を見るな! 本当は私が憎いんだろ? 両親を殺し、夢も希望も全てを奪った私が憎いんだろ!?」
「⋯⋯⋯⋯」
「どうして、どうしてそんな優しい目ができる⋯⋯私は、私は⋯⋯!」
震える少女の手。
その手にリコルはそっと自分の手を置いた。
温かく、それでいて優しい手。
その手には憎しみなど微塵も籠ってはいなかった。
少女は力なく手を離すと疲れたように座り込んだ。
そんな少女をリコルは優しく抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫です」
「⋯⋯お前、私が憎くないのか?」
「ずっと憎かったし、怖かった。けど、こうして出会ってわかったんです。あなたはただ寂しかったんだって。私と一緒だったんだって」
リコルは少女の背中を摩りながら、続ける。
「あなたは記憶であり想い。きっと私の中に入るまでにいっぱい傷ついたんですよね。あなたの過去に何があったのかはわかりません。私にわかるのはあなたの世界に対する強い憎しみと悲しみだけです」
想いは受け継がれ、記憶は力となる。
そんな世界のルールは、決して温かい思い出だけを継承していくわけではない。
憎しみも悲しみも、ひとつの感情なのだ。
だからリコルが受け継いだ想いと記憶は闇に染まり、暴走をしてしまった。世界を壊したいと、全ての人間を不幸にさせたいと。そんな負の感情がリコルの意志とは別に働いていた。そのことに今になってリコルは気が付いたのだ。
「だからごめんなさい。私にあなたを助けることは出来ません。けど、一緒に居ることは出来ます。憎しみも悲しみも一緒に背負うことが出来ます。だから、あなたも私と一緒に戦ってくれませんか?」
リコルは立ち上がると、力なく座り込む少女へと手を伸ばした。
「私はひとりじゃ何も出来ません。だから、あなたの助けが欲しい。私と一緒に、ヒーローになってください!」
「⋯⋯無理だよ。私の手は汚れてしまっている。たくさんの人を傷つけた」
「なら、その何倍も人を助ければいいんです! 私と一緒にもう一度やり直しましょう? 私にはあなたが必要なんです」
「どうして、どうしてそこまで私に手を差し伸べてくれるんだ。お前が一番私を憎んでいるはずなのに!」
「それは、私にも手を差し伸べてくれる人がいるからです」
リコルはそう言うと頭上を見上げる。
太陽のように眩しい光が、リコルを温かく包み込んでいた。
「傷ついても、何度も何度も私にその人は手を差し伸べてくれる。信じてくれている。嘘つきで捻くれた人ですけど、そんな彼が差し伸ばしてくれるから私は何度だって前に進めるんです。その温かさを、優しさを私は知っているんです。だからーー」
再びリコルは少女を見た。
その時のリコルは今までにないほどの笑顔で、眩しく輝いていた。
「私も手を差し伸べます。何度でも何度でも、あなたが掴んでくれるまで何度だって! 私も、彼のようなヒーローになりたいから。本気であなたを助けたいと思っているから!」
「⋯⋯⋯⋯」
もはや少女に言葉はいらなかった。
今までの人生の中で、散々騙され傷ついてきた少女はもう何も信じられずにいた。憎しみだけが増えていき、いつしか世界全てを恨むようになっていた。
だが、目の前のリコルは違う。
自分と同じように傷つき、絶望を味わったはずだというのに、彼女はまだ誰かを信じようとしている。助けようとしている。
それはどれだけ間抜けで、無意味で、そして凄いことなのだろうか。
だからこそ少女も賭けてみたいと思った。信じてみたいと思った。
少女は自分に差し伸べられている小さな手を見つめて言う。
「バカでしょ。お前」
「そうかもしれませんね。けど、私の知ってるヒーローさんはもっとバカなんですよ?」
「そうだろうね。だってあいつはーー」
と、少女が言葉を発しようとした瞬間、青色の世界が歪み始めた。
崩壊する精神世界で、少女はリコルの手を握る。
「もう時間がないみたい。信じてみるよ、お前のこと。それと⋯⋯」
少女が手を握ると、光となってリコルの中へと入っていく。
今までの辛く悲しい感情が嘘のようにリコルには温かい想いが伝わってきた。
『ありがとう』
最後に聞こえたその言葉を噛みしめながら、リコルは前を向いた。
◇◇◇◇◇◇
「勝て、リコル! お前はヒーローになるんだろ!!」
リオティスはそんな笑ってしまうような正義を叫んでいた。
本来の彼ならばこのような言葉を好んで使わなかっただろう。それでも今、リオティスがリコルに向けて言えることはそれが全てだった。
リコルならば打ち勝てる。
本気でそう信じたからこその言葉だ。
すると、激痛で感覚すらも奪われていた左手の痛みが和らいだようにリオティスが感じたかと思うと、誰かが手を握っていた。
「はっ、遅ェよ」
リオティスは額に玉のような汗を滲ませながらも、どこか嬉しそうに左手を引っ張る。
赤紫色の毒が花火のように弾け、まるで夜空に浮かぶ星のように瞬いたかと思うと、その中心にひとりの少女がいた。
赤い髪を揺らし、泣いているのか笑っているのかわからないような表情で、自分が手を握っている相手を見る。
「リオティスさん⋯⋯!」
会いたくて仕方がなかったと言わんばかりに、リコルはリオティスに抱き着いた。
「リオティスさん、リオティスさん!!」
「オイ、バカっ! 離れろ!?」
「嫌です。私は嘘つきの言うことは聞きません!」
「嘘つきって⋯⋯あぁ」
リオティスはしまったと顔を顰める。
二年前にリコルを助けた仮面の男。
その正体がリオティスだということがバレてしまったらしい。
どうにか言い訳をリオティスが考えていると、
「マジかよ。本当に助けやがった」
バルカンが二人の様子を見て、一驚していた。
「お前らマジで何なんだよ。こんな奇跡見たことがねェ」
「奇跡じゃねェよ。リコルが自力でやったことだ。⋯⋯俺も関係ねェ」
「いや、リオティスさん。それは無理がありますよ?」
「煩いな。いいからさっさと試験再開するぞ」
リコルとバルカンの微笑ましい表情から逃げるように、リオティスは話題を反らした。だがそれにはバルカンも同感のようで頷く。
「それもそうだな。っで、お前はその腕大丈夫なのかよ」
「問題ねェ。いいハンデだ」
「ククっ、いいねェそういうの。こっちも燃えてきた」
魔法を発動してバルカンは嬉しそうに構える。
それにリオティスとリコルも顔を見合わせて頷いた。
「そんじゃ、リベンジといくか。足引っ張んなよ、リコル」
「はい! 任せてください。私はもうひとりじゃないので!」
リコルのその表情は今までよりも自信に満ち溢れていた。