第13話 入団試験④
リコル=ラジアータは普通の少女だった。
平凡な家庭に生まれ、父親と母親の愛情を一身に受けて十五年間幸せに生きてきた。
父親は優れた医者であり、幼い頃からリコルはそんな父の背中を見て育ってきたため、彼女自身も医者になることに憧れを持っていた。
父親のように誰かを助ける存在になりたい。
そうしてリコルは日々勉学に励んでいたが、彼女が医者を目指した理由はもうひとつあった。
「私ね、お医者さんになったらお母さんの病気を治してあげるんだ!」
それが、リコルの口癖だった。
彼女の母親は生まれつき病弱であり、リコルを出産してからはその体調も悪化していた。そんな母親を見て、心優しいリコルが医者を目指すことになったのは必然だったのかもしれない。
「ねぇ、お母さん! いつも着けてるその首飾り凄く綺麗だね!」
ある日、リコルはそんなことを言った。
寝たきりで過ごす母親が、毎日身に着けていた赤い宝石の付いたペンダント。母親はそれを懐かしそうに触りながら話を始めた。
「これは私のお母さんがくれたのよ。代々受け継がれてきた大切な物で、これを身に着けていると勇気と力が湧いてくるの。会ったこともないようなずっと昔の人たちが懸命に繋いできた命の証。それが今まで消えずに残ってる。そんな【受け継ぐ意志】が込められているの」
「むぅ、難しくてわかんないよ」
「ふふ、そうね。でもきっとわかる日が来るわ」
リコルが見たその時の母親の姿は、とても大きく見えた。
そうして月日が流れリコルが十五歳の誕生日を迎えた時、事件は起こった。
テーブルに広がった数々の豪華な料理。
それを作ったのはリコルの父親で、食卓には母親も座っていた。
「お母さん大丈夫? 無理しなくっていいんだよ?」
「大丈夫よリコル。今日はあなたにどうしても渡したい物もあるの」
「やった! もしかして医学の本とか!?」
「ふふ、それよりももっと凄いものよ」
「ホント!? やったぁ!!」
「オイオイ、話すのもいいが早く食べよう。せっかく俺が作った料理が冷めてしまうだろ?」
「そうね。私も今日は食べれそうな気がするわ」
明るい食卓で交わされる温かい会話。
リコルはそんな家族と過ごす些細な時間が大好きだった。
ずっとこんな日が続けばいい。
そう思いながら料理に手を伸ばした時、リコルに異変が起きた。
見たこともない景色、聞いたこともない声、様々な感情。
そんな情報が一気に頭に流れ込んできて、リコルは気を失った。
どれぐらいの時間が経ったのか、暫くしてリコルは目を覚ました。
未だに気分は優れなかったが、そんなことがどうでもよくなるほどの光景がリコルの前には広がっていた。
「なに、これ⋯⋯」
赤紫色の液体に覆われた食事に、辺りにも液体は飛び散っている。
そして、床には悍ましい表情で倒れている母親の姿。
彼女は口から泡を吹き、首には苦しみに藻掻いて爪を立てた後が残っていた。
死んでいる。
それはリコルの目からしても明らかだった。
「い、や⋯⋯嘘、だよね? そんな、だって⋯⋯う、うぅ。おえぇぇッ」
たまらずにリコルは嘔吐する。
優しかった母親の姿はなく、別人のように変わってしまった彼女の体は段々と溶け始めていた。
一体誰がこんなことを。
リコルのそんな謎はすぐに解明された。
「えっ⋯⋯」
自分が吐いた吐しゃ物の中に赤紫色の液体が混ざっていた。それは紛れもなく母親を殺した毒の塊だった。
「なんで⋯⋯」
リコルは一歩後ずさりをする。
そこで彼女は右手の違和感に気が付く。
見ると、そこには黒く禍々しい異質の紋章ーー記憶者の証が刻まれていた。
賢いリコルは瞬時にその意味を理解する。
この惨状は自分がやったことなのだとーー。
「う、あぁ⋯⋯あああああぁッ!?」
ーー嘘だ嘘だ嘘だ。
リコルが自分に言い聞かせていると、奥の方で物音がした。
それは台所の方向。
恐る恐る覗いてみると、そこには顔が半分ドロドロになって溶けている、見るに無残な父親の姿があった。
倒れて動けない父親は、リコルに気が付いて手を伸ばす。
「お、おまえ、ざえ⋯⋯いなげれば!」
最後に父親はそう言って死んだ。
その表情は憎しみと怒りに満ち溢れていた。
「は、ははは。はははははは」
現実を受け入れられないリコルは、壊れたように笑って泣いていた。
だが流れる涙すらも毒に侵されて、落ちるとジュっと音を出して床を溶かしてしまう。
絶望に打ちひしがれるリコルの目に映ったのは小さな箱。母親の近くに落ちているその箱を何故拾い上げたのか自分自身にもわからなかったが、気が付くとリコルは箱を開けていた。
中に入っていたのは赤い宝石の付いたあのペンダントと一枚の紙。
『誕生日おめでとう、リコル』
紙に書かれた文字は母親の筆跡だった。
「お母さんは私のために⋯⋯それなのに私は、私は⋯⋯!」
リコルはペンダントを握りしめると、再び泣いた。毒の涙を流した。
誰もが力を欲するわけではない。
少なくともリコルは何の変哲もない平和が好きだった。
だが、その平和はいとも簡単に崩れ去る。
想いと記憶を受け継ぐこの世界では、誰が力を手にするのかは神にしかわからない。
想いは受け継がれ、記憶は力となる。
それがこの世界のルールなのだから。
リコルはその被害者となった。
両親を殺し、死にたいと願ってももうひとりの自分がそれを許してはくれない。
だからリコルは逃げた。
ただ闇雲に走って、自分の過去から背を向けてーー。
そうしていろんな場所を転々としていたある日、リコルは出会ったのだ。裏ギルドに捕まって、暴走した能力から左手を犠牲にして救ってくれた仮面の男と。
だからこそリコルは彼のようになりたかった。
人を傷つけることしか出来ない自分ではなく、誰かを助けられるような自分になりたいと強く願ったのだ。
きっと自分もヒーローになれる。そう信じてーー。
◇◇◇◇◇◇
『ヒーローになんてなれるわけないじゃん』
リコルの頭の中でもうひとりの自分が囁く。
『お前は人殺しなんだ。触れただけで全てを腐らせる悪魔さ』
「⋯⋯⋯⋯」
『だから、さ。もう私に体を譲れよ。どうせお前にこの力は手に余るんだ。そうしてもう楽になっちゃいなよ』
まるで、暗闇を泳いでいるような感覚だった。
頭が上手く回らず、その声を聴いていると段々と眠気が襲ってくる。
(⋯⋯もう、このまま眠ってもいいよね。私はもう疲れた。どうせ、ヒーローなんてなれないんだ。ううん、そもそもヒーローなんてこの世界にいない)
薄れゆく意識の中、リコルはそう思った。
それは知っていたことだ。
誰も助けてはくれない、誰も頼ることが出来ない。そんなこと、とっくにわかっていたはずだった。
(⋯⋯結局、私はなんのために生きてきたんだろう。ごめんね、お父さんお母さん。それにリオティスさんとアンジュも。本当にごめんなさい)
全てを諦めて謝るリコル。
刹那、彼女に向かって突然光が差し込んできた。
暗闇に見える一筋の光。
その光はリコルに向かって差し伸ばされている。
「手を握れ! リコル!!」
どこかで聞いたような声が暗闇に響いたかと思うと、そこでリコルの意識は途絶えた。