第10話 入団試験①
「入るぜ」
やる気のない声で、バルカンは目の前の分厚い扉を開けた。
そこは何もない真っ白な空間。地面も壁も天井も白い一面の中央で、ひとりの女性が座り込んでいる。
金髪を短くまとめたサバサバとした女性で、ほぼ下着姿と変わらないような恰好をしていた。露出された肌は褐色で、割れた腹筋や肉付きを見る限りかなり肉体が鍛えられていることがわかる。左目には黒い眼帯を着け、人外の耳と尻尾が出ていた。
そんな狐獣人の女性は全身から汗を流し休憩をしていたが、突然入ってきたバルカンを見て顔を真っ赤にして体を隠した。
「なっ、バカルカン!? 貴様何故ここにいる!!」
「いやぁ、訓練室を借りたくてな。ってなわけでそこどいてくれ」
「ふざけるな! 毎度毎度勝手に上がり込んできて、ここは私のギルドなんだぞ!?」
「そう言うなよ。ほらお隣の誼でさ」
バルカンは女性の話を無視して、勝手に中へと入っていく。
その後ろにはリコルとリオティスも付いてきており、続くようにして二人も歩き出す。
「また新人を連れてきたのか、貴様!!」
「まぁな。オイ、お前ら挨拶しとけ。これから何度もお世話になる〈日輪の獅子〉のギルドマスター、リリィ=グロリオさんだぞ」
「リ、リコルです。よろしくお願いします!」
「⋯⋯リオティスです」
バルカンに言われたとおりに二人は挨拶をする。
だが、リリィは気に入らないといった様子で睨みつけて言った。
「ふざけるな! 何で私が世話をする前提なんだ!? それにこんな女ばかり⋯⋯私は認めんぞ!」
「頼むってリリィ。俺のギルドには訓練室ないんだよ」
「それは知っている! だからってどう考えたら私のギルドに来るんだ! 大体貴様は昔から⋯⋯」
などとリリィの説教が始まった。
それを面倒くさそうに聞き流しているバルカンを見ながら、リオティスはここに来た経緯を思い出す。
〈月華の兎〉から出るように言われ、案内されたのは隣に佇んでいたSランクギルドの〈日輪の獅子〉。リオティスが〈月華の兎〉に入団を希望しに入る前に見比べていたあのギルドだった。
本来なら別のギルド同士で出入りすることは、よっぽど交流が深くでもないかぎりありえないことであり、特にあの〈六昇星〉ならばなおさらだ。
だが、ギルドマスターのリリィは怒っているようだったが、他の団員達はすんなりと訓練室まで通してくれたため、そこまで険悪な仲というわけでもないようにリオティスには思えた。
そんなことを考えている一方で、リリィの説教は未だ終わりを見せない。
「そもそも、どうして毎回ここまで来ることが出来るんだ! 私の部下は一体何をしている!?」
「いや、なんか普通に通してくれたぞ。なんなら凄い笑顔だったし」
「⋯⋯あのバカ共。最悪訓練室を貸すのは良いとして、奥にもうひとつあっただろう。何故そっちに行かないんだ!」
「そっちはそっちでロメリア達が試験に使っててな。別に俺たちがそっちでもよかったんだが、なんかお前の部下がやたらこっちを進めてきたんだよ」
「⋯⋯チッ。本当にあのバカ共は何を考えているんだ」
リリィは激しく舌打ちをする。
だが、実際は心の中で自身の喜びを抑えるのに必死だった。
(ナイスっ! 流石は優秀な私の部下。よくバルカンを連れてきてくれた! ふっふっふ、私のこの汗にまみれたセクシーなボディを見て、きっとバルカンも悩殺されていること間違いない。あぁ、それにしてもバルカン格好いい。結婚したい。好き好き好き好きーー)
険しい表情の裏で、リリィはそんなことを考えてバルカンに見惚れていた。
頭から生えた耳と、ふわりと伸びる尻尾を激しく動かし、感情を抑えられていない。とはいえ、そのことに気が付いているのはリオティスだけで、幸いにもバルカンに気づいている様子はなかった。
その証拠にも、バルカンはうんざりするように言う。
「もういいだろリリィ。こいつらの試験が終わったらすぐ出ていくしよ」
「なっ、それはダメだ! 貴様にはもっと説教しなくてはならない。そうだな、この後どこかお洒落な喫茶店にでも行って説教してやろう。当然貴様のおごりでだ」
「⋯⋯いや面倒くせェ」
「ならせめて明日で勘弁してやる。そうでなくてはここは貸さん!」
「わかったわかった。そんじゃ明日また来るからそれでいいな」
「ふん、仕方がないな。それで手を打ってやろう」
リリィは満足したように歩き出し、邪魔にならないような隅に座った。だが心の中ではーー、
(やったやった! ついにバルカンとデートの約束を漕ぎつけたぞ! さてと明日はどんな服を着ようか。やはり露出の多い服か? いやここはあえて可愛らしい服装でギャップを狙うか? それとも⋯⋯)
などとリリィの妄想は止まらない。
そんな彼女のことなど露知らず、バルカンは部屋の中央に立つとリオティス達に向かって言った。
「さてと、それじゃあ面倒くさいが試験の説明だ。ルールは俺に一発攻撃を入れること。二人の内ひとりだけでも構わないぞ」
「何だよそのルール。話にならないだろ」
「まぁ安心しろよ。俺も大人だ。記憶者としての能力は使わずに相手してやる。これなら満足か?」
「⋯⋯だから舐めてんのか。しかも俺たち二人を同時に相手して⋯⋯やっぱ面倒だからさっさと負けるつもりか?」
「それもいいな。けどま、流石に試験はちゃんとするつもりだ。とはいえ俺に一発入れるってルールは確かにハンデがありすぎるな。だってーー」
と、そこでバルカンの雰囲気が一気に変わった。
空気が張り詰め、近くにいるだけで変な汗が止まらない。
リオティスの目の前に立つその男は、まるで今までの気怠げな態度が嘘だったかのように化け物じみて見えた。
「お前らじゃ俺に触ることもできねェからな」
挑発でもなく事実。
そう言わんばかりにバルカンからは不気味な圧力が放たれている。
緊張で下手に動けないリオティスとリコル。
だが、このままでは相手の空気に飲まれてしまうことを悟ったリオティスが、ヘラヘラと笑って短剣を抜いた。
「はっ、バカバカしい。後で負け惜しみは無しだぜ?」
明らかな虚勢。
それを知ってか知らずかバルカンは無視し、ただ一言呟いた。
「〈エル・バアイト〉」
刹那、バルカンの姿が消える。
音もせず、完全にこの世界から消えたようで、リオティスは目を見開いて辺りを見渡した。
やはりどこにもいない。
リオティスが警戒態勢に入ろうとした時、隅で傍観しているリリィが忠告する。
「そこのリオティスとか言った新人。油断しているのは貴様だ。バルカンはCランクのギルドマスターとはいえ、二年前までは私と同じ〈六昇星〉に居たんだぞ。個人の実力は今でもSランクトップクラスだ」
リリィの話が終わったと同時に、リオティスの体は後方へと吹き飛んだ。
壁に激しく激突し、倒れるリオティス。
そんな彼に向かってリコルは叫ぶ。
「リオティスさん!?」
リコルには何も見えなかった。
いや、吹き飛んだリオティスでさえ何が起きたのかわからない。
痛む体に無理を言わせ、何とか立ち上がったリオティスの前には豹変したバルカンの姿があった。
バチバチと黄色く電気を帯びた体に、ボサボサだった髪の毛が逆立っている。
「面倒くせェが、試験の開始だ」
バルカンの言葉と共に、こうして〈月華の兎〉の入団をかけた試験が、今始まった。