第9話 甘い呪文
バルカンは一言でいうと、きな臭い男だった。
手入れをしていないボサボサの髪。服装も皺だらけで、表情も常に気怠げだ。だが、男には静かに燃える闘志のようなものがあった。
「⋯⋯⋯⋯」
この男は油断できない。
根拠はなかったが、リオティスの全身が無意識に警戒をする。
そんなリオティスにバルカンは言う。
「とりあえず話は聞いてたけど、お前ら俺のギルドに入りたいんだって?」
「あぁ、俺の名前はリオティス。でこいつらが⋯⋯」
「タロットとリコルだろ。まっ、面倒くせェし自己紹介はいらねェよ」
「なっ!? どうしてタロット達の名前が分かったんだ?」
タロットが驚いて尋ねたが、バルカンはさも当然のように、
「ん? そりゃあここに書いてあるからな」
と言った。
一瞬意味が分からなかったリオティスだったが、いつの間にかバルカンの手に握られている書類に気が付くと、全身に悪寒が走り抜けた。
バルカンが持っているのは間違いなく先ほどロメリアに手渡した、個人情報の書かれた書類だ。
だが、バルカンが起きてから彼がロメリアに書類を手渡された所をリオティスは見ていない。いや、そもそもバルカンは一歩たりとも移動していないのだ。つまり彼が誰にも気づかれずに書類を手に出来るはずが無かった。
(可能性があるとしたらアイツの右手。紋章が描かれているということは記憶者の能力を使用したってことか? ⋯⋯どちらにせよ、やっぱり只者じゃねェ)
リオティスの予感は確信に変わった。
すると、突然リコルがバルカンに向かって尋ねる。
「あの! 私のこと覚えていませんか?」
「ん? ⋯⋯あぁ! 二年前に保護した子か。名前だけじゃ思い出せなかったが、今見たらピンときた。久しぶりだな」
「はい! あの時はありがとうございました!」
「人を助けるのがギルドってもんよ。にしても悪いな。あの頃とはすっかり変っちまって」
「いえ、大丈夫です! どんなことがあってもこのギルドへの恩は変わらないので!」
リコルの言葉にバルカンは救われたような表情をした。
どうやらリコルが〈月華の兎〉に保護されたというのは本当だったようで、バルカンとも面識があるようだった。
「そんじゃお互い名前もわかったことだし、入団試験をさせてもらう」
「入団試験ですか?」
「そうだ。昔入った奴に問題を起こしたのがいてな。それ以来厳しくしてるってわけ。まっ、別に緊張すんなよ。ただの軽い運動だと思ってくれ」
不安そうにするリコルにバルカンは笑う。
だが、リオティスにはその笑顔に裏があるように思えて仕方がなかった。
一方のバルカンは相変わらず面倒くさそうに頭を掻く。
「つっても三人だろ? いちいちひとりずつ試験受けさせるのも面倒だしな⋯⋯」
するとバルカンの声を遮るようにして、ギギギっと乾いた音が辺りに響く。
音に反応した全員が一斉に振り向くと、リオティス達が入ってきた扉からひとりの女性が現れた。
とても美しい女性だった。
百七十センチを超える身長に、すらりと伸びた長い脚。腰まで届く髪は黒色と珍しく、まるで夜空を切り取ったかのようだ。顔も整っており、強気な瞳で固い雰囲気を纏っているのにも関わらず、不愛想に見えないのはやはり美人だからなのだろう。
少なくとも、リオティスが今まで出会ってきた女性の中でもひと際目立つような美しさを彼女は持っていた。
だが、リオティスの目を引いたのは、彼女の容姿よりも腰にぶら下げていた二本の剣だった。
一本はどこにでもあるような刀身の長い剣で、恐らくは人工のメモリーなのだが、問題はもう一方の剣だ。
同じように腰に差されたその剣は、鞘に収まっているにも関わらず圧倒的な存在感を放っており、汚れ一つ付いてはおらず、あまりの美しさから白く輝いているようにも見えた。
女性は自身に向けられる視線は気にせずに、ズカズカと一直線にバルカンの元まで近づいて頭を下げる。
「遅れて申し訳ありません。バルカンさん」
「いや、丁度よかった。お前と同じく入団を希望する奴らが来てな。面倒くせェから一緒に試験受けてくれや」
「この人たちが⋯⋯?」
そこでようやく女性はリオティス達に興味を示したようで、じっくりと値踏みするように観察した。
すると、女性の視線はタロットの首元で止まった。
「この奴隷の所有者は一体誰かしら?」
「あぁ、それは俺の奴隷だが」
リオティスが答える。
それに女性は強気な視線をより一層鋭くさせて、腰に差してあった人工のメモリーを握りしめた。
リオティスに向かって勢いよく加速していく刀身。だがその剣戟がリオティスに届くことはなかった。
「⋯⋯タロットのご主人に何をするんだ」
低く冷たいタロットの声。
彼女は魔法で作り出した氷の剣で、女性の攻撃を受け止めていた。
「へぇ、あなた魔法師だったのね。けど、悪いけどその魔法やめてくれないかしら?」
「断る!」
「これはあなたのためなのよ。そこの奴隷を買うようなクズに今まで散々弄ばれてきたのでしょう? 私が今からそのクズを斬って解放してあげるわ」
「ふざけるな。ご主人のことを何もしらないで! お前こそ氷漬けにしてやる!」
緊張した空気が流れる。
お互いが一歩も引くつもりはなく、このままでは争いあうのは必至。そんな空気の中、いつの間にか二人の間に割って入っていたバルカンが言った。
「面倒くせェ奴らだな。試験の前に問題を起こすなよ」
「「⋯⋯っ!?」」
突然現れたバルカンに二人は驚く。
だが、それはリオティスも同じで、いつのまにバルカンが動いていたのかまるでわからなかった。
バルカンは続ける。
「特にティアナ。お前は考えずに行動するな」
「で、ですが、この青髪は奴隷を買っています! そんなクズに試験を受けさせる必要はありません!」
「お前が奴隷に敏感なのはわかるが、誰を入団させるか決めるのは俺だ。お前じゃない」
「うっ、それは⋯⋯」
口籠るティアナ。
どうやら彼女にも訳があったようだが、バルカンの言い分も正しいため仕方なく剣を収めた。タロットもティアナが引いたことで警戒を解いたが、その表情は未だ険しかった。
「よくもご主人を⋯⋯あの女タロットは嫌いだ!」
「いや、お前も何魔法使ってんだよ。このボロギルド吹き飛ばすつもりか?」
「ふふん、タロットもそこまで馬鹿じゃない。せいぜい穴を空ける程度に加減するぞ!」
「ダメに決まってるだろバカ」
「アイテっ!」
リオティスに頭を叩かれてタロットは訳が分からないというように涙を浮かべる。
その様子を見てこの馬鹿には後で言い聞かせよう、とリオティスは思った。
取り敢えずは騒ぎが収まったので、バルカンは説明を始める。
「そんじゃ試験についてだが、二人ずつで行うことにする。ペアはタロットとティアナ、そしてリオティスとリコルだ。面倒くせェから反論は聞かない」
バルカンの言葉にタロットとティアナがお互いを見て顔を顰めた。だが先に釘を刺されたため、文句を言えずにしぶしぶ説明を聞く。
「で、試験は俺とロメリアの二人が相手する。ロメリアはタロットとティアナのペアをよろしくな」
「ちょ!? 私聞いてませんよ!!」
「そりゃ初めて言ったしな」
「嫌です! だって戦闘能力を見る試験ですよね? 戦うってことですよね!? 私絶対嫌です!!」
大人げなく駄々をこねるロメリア。
そんな彼女に向かってバルカンは呪文のように言う。
「プリン」
「えっ?」
「シュークリームにイチゴタルト」
「うぐ!?」
「クレープ、パンケーキ、チョコレートアイス、マカロン。やる気と成果によってはもっと食わせてやる」
「うひょぉ! 何かやる気出てきました私! いえ、別に甘いものに釣られたわけではないですけどね! さっ、やりましょう。すぐ試験やりましょう!」
シュッシュッと拳を交互に突き出しながら、ロメリアはやる気をアピールする。だがその頬は緩み切っており、涎を垂らしていた。
「これで試験官側は大丈夫だな。で、お前ら質問あるか? 面倒だがひとりひとつまでなら聞いてやる」
「はい! タロットはご主人と組みたいです!!」
「却下。はい次」
「私はひとりで試験を受けたいです。その方が個々の実力を把握しやすいと思います」
「却下。単純に面倒くさい」
タロットとティアナが次々に意見を述べたが悉く却下。発言権を失った二人は諦めて溜息を吐いている。
そこで次にリコルが質問した。
「あの、試験内容は戦闘って言ってましたが、具体的には何をするんですか?」
「俺かロメリアがお前らの相手をするから適当に戦えばいい。まっ、どうせ勝てないから深く考えるな」
「わ、わかりました⋯⋯」
「んで、お前は何か質問あるか?」
バルカンはリオティスの方を見る。
リオティスは特に試験の内容や二人同時といった部分には興味がなかったが、ひとつだけ不明な部分があったのでそのことについて尋ねた。
「試験はどこでやるんだ? まさかこのギルドってわけじゃないだろ?」
「あぁ、いい質問だ。実はとっておきの場所があるんだよ」
バルカンはそう言って、全員を外に出るように促した。