第8話 月華の兎
一週間後。
リオティスを含めた三人は、入団試験を受けるために〈月華の兎〉を訪れていた。だがーー、
「⋯⋯確かにここで合ってるんだよな?」
「はい、そのはずですけど⋯⋯」
リオティスとリコルは不安の声を漏らす。
何故ならば彼らの目の前に建っているギルドは、あまりにも汚くボロボロだったからだ。
二階建ての大きな木造建築の建物は、その殆どが黒ずんでおり、壁や屋根には亀裂が走っている。虫食いのような穴もあれば、入口に向かって伸びる数段の階段は板が折れて全く役目を果たしていなかった。
まさにオンボロ。
だが、その建物こそが今からリオティス達が入団しようとしているギルド〈月華の兎〉だった。
「どこの幽霊屋敷だよ。しかもよりによってまさか隣が〈六昇星〉のギルドなんて笑えねェよ⋯⋯」
リオティスの視線の先には〈月華の兎〉とは打って変わり、余りにも対照的な豪邸が佇んでいる。
その入口の上に置かれている看板には『Sランクギルド〈日輪の獅子〉』と書かれてあった。
わざわざCランクのギルドの真横に、最強のギルドの一角が建てられているのだ。そこには何かしらの意図が感じられたが、リオティスにとってはどうでもよいことだった。
すると、リコルも二つの対照的なギルドを見比べながら、悲しそうに言う。
「本当に〈月華の兎〉はCランクにまで降格していたんですね⋯⋯」
「いや、Cランクでもこんなボロギルドにはならねェだろ。やっぱ間違いなんじゃねェか?」
「でもご主人。近くの人に聞いたら、全員がここを教えてくれたじゃないか。むしろタロットはこういう雰囲気嫌いじゃないぞ!」
「⋯⋯怖いもの知らずだよな。お前」
目を輝かせているタロットに、リオティスは呆れたとばかりに肩を竦める。
とはいえここまで来て引き返すこともできないため、リオティスは覚悟を決めてギルドの中に足を踏み入れた。
リオティスが入るとそこにはいくつかのテーブルと椅子が並べられているだけで、他には何も見当たらない。ぴちょんぴちょんっと雨漏りの音が響くばかりで、他に人の声などはしなかった。
そんな外見通りの薄気味悪い空間を歩いていると、受付場のような物が目に映った。そこにはひとりの女性が書類の束に覆いかぶさり、スヤスヤと寝息を立てている。
リオティスはその受付嬢に近寄って言った。
「すみません。ここって〈月華の兎〉であってますか?」
「んん、ぅ⋯⋯むにゃむにゃ」
「あのぉ⋯⋯」
「へへ、もう食べられないですよぉ」
リオティスに全く反応を示さず、夢の中で幸せそうに女性は笑っている。
このままでは話が進まないため、リオティスは腰に差していた短剣を引き抜くと、受付嬢の頬にそっと触れさせた。
刹那、激しい電流のような痛みが襲い、勢いよく女性は飛び起きた。
「イタっ! すみません団長、寝てません。私寝てませんから!」
「目、覚めましたか?」
「へ?」
女性は辺りをキョロキョロと見渡すと、ようやく脳が覚醒してきたようで、汚く垂らしていた涎を袖で拭った。
「す、すみません! 私寝てたみたいで! えっと、屋根の修理に来たんですよね。本日はよろしくお願いします!」
「いや、違いますけど」
「あれ、そういえば来るの明日でしたっけ? じゃあまさか宗教の勧誘ですか? ちょっとそういうのは迷惑なんで⋯⋯」
「違う」
「えっと⋯⋯じゃあお手洗いを借りに来たとか? はっ! もしかして強盗!? 確かに短剣なんて握りしめて普通の人じゃないですね! やめてください、もうウチにはお金なんてないんです! 私の残しておいたプリンを差し上げますから、それで勘弁してください!!」
「だから違うって言ってるだろ!? 俺たちはこのギルドに入団しに来たんだよ!!」
余りにも会話が嚙み合わないため、リオティスは怒鳴って女性を睨んだ。
すると、女性は一瞬何を言っているのかわからないといったように硬直し、意味を理解した後でリオティスに向かって抱き着いた。
「ほ、ホントですか!? ホントにホントに入団しに来てくれたんですか!?」
「うっ、だからそう言ってるだろ。あと離れろ!」
「うぅ⋯⋯この前にも続きこんなにも入団希望者が現れるなんて⋯⋯私夢でも見てるんでしょうか?」
「確かにさっきまで寝てたが⋯⋯って、オイ! 涙と鼻水を付けるな!!」
泣きじゃくる女性をリオティスは何とか引きはがす。
女性は散らばっていた書類で鼻をかむと、嬉しそうにして言った。
「ありがとうございます! まさかこんな落ちこぼれの〈月華の兎〉に入団してくれるなんて感激です! しかも可愛い女性が三人も。これは神様がくれたご褒美なんですね!」
「ぷぷぷ、聞いたかご主人。可愛い女性だって。ぷぷ、よかったなご主人」
「そうですねリオティスさん。褒められてますよ!」
「⋯⋯お前らは全員あとで泣かす」
相変わらずにやにやと笑うタロットに、意味を理解していないリコル。
その二人に睨みを利かした後で、リオティスは受付嬢に言った。
「で、どうすれば入団できるんだ?」
「はい。まずはこの書類に必要事項を書いてください。といっても名前や性別と言った簡単なものですけどね。あっ、それと私の名前はロメリアと言います。これからは同じギルドの仲間としてよろしくお願いしますね!」
書類を手渡しながら、ロメリアは嬉しそうに笑った。
リオティスは書類を書きながらも、そんなロメリアの方を改めて見た。
ふわりとした雲のような髪に、優しさが溢れる笑顔。
きっとその見た目通り彼女は優しい人間なのだろう。
ひとつ気になるとすればロメリアの瞳。彼女の瞳は左右でそれぞれ赤色と黄色になっており、所謂オッドアイと呼ばれるものだった。
とはいえ先ほどの言動と比べれば気にすることもないような些細なことだ。
リオティスは再び書類に目を通し、あっという間に書き上げる。
リコルとタロットも書き終わったようで、その書類をロメリアに手渡した。
「えっと⋯⋯リオティスさん? 性別のところが男性になっていますよ」
「あぁ、俺は男だからな」
「へ!? そ、そうだったんですか!! す、すみません! 私てっきり女性の方かと⋯⋯」
「それはもういい。で、これで俺たちは入団でいいのか?」
「そ、そうですね。では次になんですけど⋯⋯身分証明書の提示をお願いしてもいいですか?」
ロメリアのその言葉に、リオティス達は互いに頷いて一枚のカードを取り出した。
「⋯⋯はい! 確かに御本人で間違いないですし、年齢も大丈夫ですね。後は⋯⋯」
と、そこでロメリアは足元に置かれている大きな木箱を見た。
何の変哲もない普通の木箱。
その木箱に向かってロメリアは囁く。
「団長、そろそろ起きてくれませんか? 入団希望者ですよぉ?」
「⋯⋯⋯⋯」
「聞いてますかぁ?」
「⋯⋯⋯⋯」
「チッ! さっさと起きろって言ってんだよ! このボサ髪野郎!!」
ロメリアの激高。
彼女が怒りに任せて蹴りを放つと、木箱は粉々になって吹き飛んでいった。
「⋯⋯は?」
豹変したロメリアに呆然とするリオティスたち。
そんな彼らに畳みかけるようにして、壊れた木箱の中から体を丸めたひとりの男が現れた。
男は大きく伸びをして立ち上がると、面倒くさそうに欠伸をする。
「ふぁぁ、良く寝た。いやぁ、ロメリアの蹴りは効くな」
「えっ、私ったら何てはしたない真似を! うぅ、もうお嫁に行けませんよ!!」
「いやいや、大丈夫だろ。多分。ほら、人間誰しも内なる自分を秘めてるもんよ。むしろそういうのを知って初めてその人間を理解することが出来るわけ。苦しんで、悩んで、捻り出した先の自分を見つめなきゃ⋯⋯って、あぁ、いや。なんかもう面倒くせェや。とりあえずロメリアは⋯⋯なんだっけ?」
「グダグダですか!? やっぱり私はポンコツって言いたいんですね? そうなんですね!?」
「いやそれは⋯⋯やっぱ面倒くせェしそういうことでいいや」
「そこは慰めてくださいよ!!」
そんな風に騒ぐ二人の空気に、リオティスはもはや何も言うことができなかった。
(⋯⋯やっぱこのギルド終わってね?)
目の前の光景に今更ながら後悔するリオティス。
すると、固まって動けないリオティス達に向かって、
「まっ、面倒くせェが自己紹介だ。俺は〈月華の兎〉のギルドマスターを務めるバルカンだ。⋯⋯で、お前らは一体どんな内なる自分を俺に見せてくれるのかな?」
と、木箱から出てきた謎の男バルカンは不敵に笑ってそう言った。