第1話 酒場
ディアティール帝国。
それは世界で一番大きな大陸、アスタリラル大陸の大半を占めるほどの巨大な国だ。
通称、ギルドの国。
その名の通り、ディアティール帝国には様々なギルドが存在している。
特に帝都であるモントレイサはどこを見てもギルドが並び、賑やかな人々の話し声が止むことが無かった。
そんな帝都モントレイサの隅にひっそりと佇む一軒の酒場。
外見はお世辞にも綺麗とはいえないほど汚れが目立ち、今にも崩れてしまうのではないかと思うほど老朽化が進んでいる。だが、いざ中に入ると食事を提供する場と成立するほどには掃除も行き届いており、不思議と居心地の良い空間となっていた。
そのため入る客は少ないが、一度入ればまた来たくなるような魅力があった。
現在は夜も更け、店内にいる客はたったの四人しかいない。
その内の二人の男が、酒を交わしながら会話をする。
「なぁ、聞いたかよ。また死神が出たんだとよ。今度は貧民街にあった裏ギルドを潰したらしいぜ」
「マジかよ。あそこって確か〈六昇星〉も手を焼いていたんじゃなかったか?」
「まぁ〈六昇星〉だって強引に手を打てば簡単に潰せたんだろうが、なんせ立場があるしな。そこんとこ、死神は容赦せずに皆殺しにしたんだとか」
「うへぇ、やっぱこの国に死神がいるって話は本当だったんだな。にしても一体どんな大男だよ」
「いや、話によれば女らしいぞ。それもめちゃくちゃ美人らしい」
「マジかよ! それが本当なら俺の前にも現れてくれねェかな」
「ははは、俺も相手してもらいたいもんだよ」
男たちはそんな風に煩く騒ぎ立てている。
すると、その話を聞いていた残りの客の内、綺麗な白銀の髪をした女性が隣に座る男に言った。
「ぷぷ、美人だってよご主人。要望通り相手してやったらどうだ?」
「ぶっ殺すぞ」
青髪の美形な顔立ちをした男リオティスは、鋭い目つきで奴隷のタロットを睨んだ。
「怖いぞご主人! 物凄く怖い!!」
「お前がふざけたこと言うからだろ」
「へへへ、いやーご主人が人気者でタロットは嬉しいのだ! それにやっぱりご主人は可愛いしな。あぁ、可愛いぞご主人。マジ可愛い」
顔を真っ赤にしながら、タロットはリオティスの胸に飛び込む。
うりうりと胸に顔を押し付けて、タロットはとても気持ちよさそうだった。
「あぁ、いい匂い。本当にご主人は可愛くて最強な死神天使だな!」
「もう何言ってるかわからねェよ。はぁ、だから酒は飲むなって言っただろ」
リオティスはタロットの奇行に頭を悩ませながらも、面倒くさいため無視してひとり酒を飲む。
普段であればタロットは酒が苦手なため飲んだりはしないのだが、どうやら今日の彼女は酒を飲まなくてはやってられないようだった。
(きっと、原因は俺なんだろうな)
リオティスは酒を口に運びつつも、昨晩の出来事を思い出す。
いつも通りに何の意味もなく、短剣を振り下ろして悪人を殺した。
そして後ろを振り返ってみると、そこには悲しそうな表情をしたタロットの姿があった。
リオティスに付き合って、彼の望むように常にタロットは戦っていた。
その繰り返しの中で、きっと彼女は気が付いてしまったのだろう。
これは正しいことではない。
リオティスの本当にしたいことではない。
タロットはそれに気づいていながらも、やはりリオティスに従うしかなかった。何故なら彼女は奴隷なのだから。
そんなストレスから、タロットが今回暴飲に走ったのは言うまでもなかった。
(俺がタロットを苦しめているのはわかる。けど、もうどうすることも出来ない⋯⋯)
リオティスは罪悪感からタロットの頭を撫でた。
さらりとした髪の感触が心地よく、少しだけ落ち着いたような気がする。
一方のタロットはと言うと、相変わらず嬉しそうに笑っていた。
「へへへ、気持ちいい」
「⋯⋯もう酒は飲むなよ」
「えぇ、嫌だぁ。まだ飲みたいぃ。おえ」
「こりゃダメだな。暫く頭撫でてやるから水で我慢しろ」
「うぅ、わかったぁ⋯⋯」
素直にタロットがそう言ったので、リオティスは頭を撫でながら奥の店員に向かって手を挙げる。
すると、すぐ様に気が付いたのか、ひとりの女性が向かってきた。
「⋯⋯はい、なんスか」
「水をひとつ持ってきてくれ」
「いや、面倒なんで」
女性はやる気のない目でそう言った。
よく見ると服装もずり落ちるようにして右肩を出し、ズボンもぶかぶか。さらには両手に黒い手袋を着けており、まるで接客をする態度ではなかった。
そんなやる気のない雰囲気を全身から醸し出す女性に向かって、リオティスはうんざりするように言う。
「オイ、メリッサ。お前いいかげん真面目に働けよ」
「いや無理ス。リオティスさんもいいかげんわかってくださいよ」
「わかるか! お前がそんなんだからこの店客が少ないんだよ」
「けど意外とウチ人気あるんスよ。ジト目が最高だとか」
「ここ酒場だよな!? オイ、マスター。こいつどうにかしろよ!」
リオティスが奥にある厨房に向かって叫ぶ。
すると何やら食器が割れる音がしたかと思うと、突然怒鳴り声が店内に響いた。
「こらぁ! メリィ! 仕事をするときは、ちゃんと身だしなみ整えろって言ってるだろォ!」
男の怒号。
そうして奥から出てきたのは、フライパンを片手に握りしめた巨大な兎の着ぐるみ。全身をピンクで包んだその着ぐるみは、ぺたんぺたんと可愛らしい音を立てて走り出すとメリッサの頭を叩いた。
「バカが! そんなふざけた格好で仕事する奴がどこにいる!?」
「いや、それはお前もだろ!?」
目の前に現れたピンクの兎。
それをまじまじとリオティスが見つめていると、着ぐるみの男は照れるように頭を掻いた。
「リィ坊。そんな見られると照れるぜ」
「キモイわ! つーか何でいつもそんな格好してるんだよ!!」
「ゴールドは見た目が怖いおっさんじゃん? つーわけでウチが着させた」
と、代わりにメリッサが答えた。
「これなら子供にも人気でるっしょ。流石はウチ。マジ天才」
「そういうわけだリィ坊! なんなら抱きしめてやろうか?」
店主のゴールドは、もふもふっとした手を広げる。
だが、もはやリオティスは頭痛で眩暈がするほどに混乱していた。
この酒場〈トルビア亭〉はリオティスのお気に入りの場所であり、〈花の楽園〉を抜けて帝都モントレイサで暮らすようになってからは、よく好んで来ていた。
そうして通い続けていくうち、リオティスは店主のゴールドと店員のメリッサと親しくなったのだが、未だに彼らの言動にはついていけないことが多い。
すると、今まで頭を撫でられていたタロットが起き上がると、ゴールドに向かって飛び込んだ。
「兎だぁ!! へへへ、やわらかい」
「うらやま。ウチもやる」
「オイオイ、美人の二人にこうも抱き着かれちゃ敵わないぜ」
「いや、早く仕事に戻れよ」
リオティスがそう言って注意するも、誰ひとりとして聞いてはいなかった。
この店はもう終わりだな。
ふざける彼らの姿を見て、リオティスは本気でそう感じた。