第15話 合同訓練⑤
目を爛々と光らせるデビラは、大地を力強く蹴り、一直線にリオティスへと距離を詰めた。
凄まじい気迫と速度。
瞬きすらも許さぬデビラの人間離れした身体能力は、両手に装着された手甲鉤と、記憶者の強化によるものだ。
記憶者は有する能力に伴わず、能力者本人に圧倒的な力を齎す。身体能力の向上・筋力の増強・自然治癒力の強化。これらの力により、記憶者と並の人間とでは大きな差が生まれるのだ。
だが、デビラはそれに加えてメモリーからも力を供給している。
余程の相性が良くも無ければ記憶者の能力とメモリーの能力は反発しあうため、能力者でありながらもメモリーを使える人間は極めて稀だ。
記憶者として世界から愛されながらも、メモリーからも愛された女性。
デビラの才能はまさしく〈六昇星〉に相応しいものだった。
(俺と同じ才能。手強いな。単純な殴り合いでも俺たちを圧倒できる。速さも異常。だがーー)
一瞬にして目前へと接近したデビラを脅威に感じながらも、リオティスにやはり緊張は無い。肩の力を抜き、デビラの動きを冷静に見定める。
右手を振りかざし攻撃の体勢に入ったデビラの狙いはやはりリオティスの記憶装置だった。
洗練された無駄のない動きと、極限にまで高められた身体能力による加速。
リオティスは十分にそれを目で追いながら、避けるようにして身を一歩引いた。
(この男、私の動きが見えてる? でも、ここまで近づけば関係ないね!)
デビラの動きに迷いはない。
当初の予定通りに右手を振り下ろした。
リオティスが回避のために身を引いたところで、記憶装置そのものを動かすには魔力を込める必要がある。魔力を込めて、実際に記憶装置が動くまでには一秒弱の隙が発生してしまうのだ。その隙があれば、記憶装置を破壊することなどデビラには造作も無かった。
「甘ェよ」
リオティスが不敵に笑うと同時に、記憶装置が動き出しデビラの攻撃を紙一重で回避した。
(避けられた⋯⋯? 先に見越して魔力を流して動きを指示してたってわけね。ウチの一瞬の動きを予想してなきゃ無理でしょそれ。先に記憶装置じゃなくアイツ自身が回避に動き出したのも、ウチを惑わすため。やんじゃん!)
攻撃が失敗した事実を受け止め、それでも尚デビラは目を輝かせた。
当初は戦いにもならないと高を括っていた彼女も、目の前の相手が〝敵〟になりえることを直感し胸を高鳴らせる。
瞬時に地面を再び蹴りリオティスに襲い掛かるデビラ。
だが、二人の間に割って入るようにして、ティアナが人工のメモリーを構えた。
「ぐっ、重い⋯⋯!」
デビラの鉤爪を剣で受け止めるティアナの腕に衝撃が襲い掛かる。
肉を貫通し、骨に響く痛み。
何とか攻撃を受け止めたものの、ティアナはまともに動くことさえも出来なかった。
脂汗を額に滲ませ、剣を握りしめるだけで精一杯のティアナに加勢するべく、リオティスが短剣をデビラに向かって振るうーーが。
キラリ、と視界の端で何かが光った。
同時に、リオティスへと放たれたのはガラスの破片。だが、それは破片と呼ぶには余りに凶器的だった。
薄い六角形のガラス板が高速で回転し、まるで手裏剣のように空気を切り裂き真っすぐに飛ぶ。
標的とされたリオティスは今まさにデビラへと短剣を振るう最中であり、意識外からのこの攻撃に対応することなどできるはずもない。できない⋯⋯はずだった。
ガラスの破片が記憶装置に当たる直前、リオティスは身を翻し、デビラに放つはずだった斬撃を後方に繰り出した。
短剣の刃が破片を捉え、勢いよく切断する。
パリン、と音を立てて砕け散ったガラス板を一瞥した後で、リオティスは前方へと短剣を向けた。
「そういう使い方もできるんだな。お前だろ? タロットの魔法を防いだとか言う鏡の能力者」
緑を映すだけの誰も居ないはずの景色へとリオティスが語り掛けると、突如として空間が歪みひとりの女性が現れた。
能力で生み出したであろう光を反射する鏡のような破片を纏い、背景に同化し、完全に姿も気配も殺していたアリスは、自分の存在を恰も最初から知っていたかのようなリオティスに対して驚きを隠せずにいた。
「まさか分かっていらしたなんて。どうしてわたくしのことが⋯⋯?」
「勘かな。にしても良いタイミングだった。俺も今ここしかない、って思ったよ」
相変らず全ては語らず言葉を濁すリオティスだったが、少なくともアリスは自身の奇襲が失敗した理由には気が付いた。
(わたくしの存在を知っていた理由はわかりませんが、先ほどのデビラ様へと向けた攻撃はわたくしを誘い出すための罠だったのですわね。わざと隙を見せて、わたくしの居場所を突き止めるなんて⋯⋯完全にやられましたわ)
悔しそうに歯を食いしばるアリス。
だが、それを見て一番驚いていたのはデビラだった。
「うそ⋯⋯まさかアリスが失敗するなんて」
「余所見。禁物ですよ」
驚愕し、アリスとリオティスに意識が集中したデビラの懐からフィトの声がする。
ハッ、と目を見開くも既に遅く、デビラの腹部にフィトの拳がめり込んだ。
「〈激破〉!!」
「ぐっ⋯⋯!?」
吹き飛ぶデビラは攻撃をまともに食らったようではあったが、フィトの拳に伝わったのはある違和感だった。
(感触が軽い。自ら後方に飛んで衝撃を逃がしたみたいですね。やっぱり狙うなら記憶装置⋯⋯いや、空中の記憶装置を狙うのは今の状況ではどちらにせよ無理でしたね。しかも当然魔力で防御もしてますし、流石を通り越して怖いぐらいです)
フィトの考えは正しく、デビラは数メートル程飛ばされたものの、すぐ様に地面に着地して攻撃の体勢を取る。表情から見ても、ダメージは無いようだ。
「ねぇ、そこの青髪のアンタ。さっきから何なのよ。説明がつかないんだけど」
自身を殴ったフィトにはまるで興味が無いようで、デビラの視線はリオティスただひとりに注がれていた。
「どうしてアリスがいるって知ってたわけ?」
「さてね。ただひとつ言えるのは、ひとりで十分だとか吠えてた誰かさんの言葉を信じる馬鹿はいないってことだ。いくらお前らでも、この不利な状況で単身突っ込むわけねェだろ」
最初にデビラが現れた際、確かに彼女は『ひとりで十分』だと発言していた。実力差による本心とも捉えることが出来るが、リオティスからしてみれば鵜呑みにする理由は無かった。
「⋯⋯ハッ、可愛くないやつ」
淡々と言い放つリオティスにそう吐き捨てたデビラは、己の勘が正しかったことを実感した。
「何だかね。アンタだけは嫌な予感があったんよ。だからこうして奇襲を狙ったわけだけどもさぁ」
「〈六昇星〉の団員に警戒されるなんてな。嬉しい限りだ」
リオティスは器用に短剣をクルクルと回す。
どこか掴めず、本心をまるで見せないリオティスの言動に、デビラの警戒はより一層強まった。
(ウチの奇襲も、アリスの奇襲も、アイツは全てを見透かしていた。勘とか言ってるけど絶対嘘。間違いなくカラクリがある。と、すれば)
デビラはひとつの予想を立てた。
この状況。相手を有利に働かせている要因は何か。考えられることはひとつしかない。
「アリス、予定変更! まずはさっさとそこの記憶者を脱落させるよ!」
「了解しましたわ!」
デビラとアリスの考えが一致する。
能力の詳細が掴めていないとはいえ、目の前に立つひとりの記憶者が〈月華の兎〉の要であることは間違いなかった。
手甲鉤を構えるデビラに、六角形のガラス板を複数枚放出し、空中に展開させるアリス。
そんな二人から先ほどまでとは違う気配を感じ取ったリオティスは、冗談交じりにアルスへと言った。
「美女二人から狙われるなんて本望だろ? 良かったなアルス」
「流石の俺も喜ばないってこれは! それよりもだリオティス。ひとつ問題がある。実は俺、レディに攻撃することが出来ないんだ!!」
「だろうな」
衝撃の事実だと言わんばかりに真剣な表情を作るアルスに対し、リオティスは至極当然のような反応を返した。
「さっきからお前だけ何もしなかった時点で察した。じゃあなんだ、お前もしかしてお荷物か?」
「応援は出来るさ! こんなイケメンが後方から応援するんだ。そりゃもうレディ達のやる気もひとしおさ!」
親指を立て白い歯を見せて笑うアルスを、ティアナとフィトは白い目で見る。そして、そんな彼らに対してリオティスは深い溜息をつくことしか出来なかった。
「⋯⋯どうやらコイツ抜きで勝つしかないみたいだな」
「勝算は?」
ティアナが問う。
「ティアナとお漏らし野郎頼みだな」
リオティスが即答する。
「絶対言うと思ったわ」
「君たちは役に立ちませんね本当に! 人数の有利とやらはどこにいったんですか!!」
「大丈夫だよフィトちゃん。俺の声援は実質百人分さ」
「いや何言ってるか分かんないです!」
煩く騒ぎ始めたフィトに対し、やはり意味不明な理論を展開するアルス。
二人に呆れながらもティアナが仕方ない、というようにメモリーを構えて戦闘態勢を取った。
「こうなった以上、やるしかないわね」
「だな。相手は二人。十分勝算はあるだろ」
「でも、まだ隠れてるのかも」
「俺の勘が正しければそれは無いな。残りの三人は恐らくタロットのチームを倒しに行ってるはずだ」
リオティスには確信があった。
今回デビラとアリスの襲撃を受け、〈日輪の獅子〉の団員が魔獣討伐よりも、〈月華の兎〉を脱落させるべく作戦を立てていることはまず間違いない。と、なればこの場に居ない三人がタロットのチームを捜索し、同じように奇襲を企てているはずだ。
「でも、そうだとしたらレイクたちが危ないわね。三対三になっているはずでしょう?」
「大丈夫だ。あっちにはタロットが居る。まず負けねェよ」
タロットの実力はリオティスが一番理解していた。
長年共に行動し、その目で幾度となく彼女の魔法を見続けてきたのだ。彼女が負ける姿をリオティスは想像することすらも出来なかった。
「記憶者だろうが、〈六昇星〉だろうが、アイツに勝てる奴はそうはいない」
「そのタロットっていうのは、氷の魔法師のことっしょ」
リオティス達のやり取りを見ていたデビラが口角を上げて煽る。
「じゃあ残念。勝ち目は無いよ。なんたってあっちにはウィルドがいるからね」
「随分な信頼だな」
「な訳ないじゃん。ウチ、アイツ嫌いだし。ただ、知ってるってだけ。ウィルドの実力を。アイツが魔法師相手には絶対に負けないってことをねッ⋯⋯!」
ついにデビラが仕掛けた。
人間とは思えない跳躍力でリオティス達の頭上を飛ぶ。
「〈鏡の国〉!」
合わせるようにアリスが能力を発動させた。
浮かばせていた破片を回転させ、再びあの空気を切り裂くような音を奏で始める。
「オイ、お前ら! 警戒しーー」
刹那、リオティスの耳に着けられた記憶装置からリリィの報告が響いた。
『ーー報告。記憶装置の破壊を確認。〈月華の兎〉所属タロット。脱落!』
信じがたい内容。
それを否応なく知らされたリオティスの表情から、初めて余裕が消えた。