第13話 合同訓練③
「⋯⋯マジかよ。本当にやりやがった」
リオティスは左耳を震わせるリリィの報告を聞き、驚きを隠すことが出来ずに森林の遥か先を見た。
巨木が並ぶ緑の景色は枝や葉が織り交ざるばかりで変化は無く、この視界から何百メートルと離れたどこか分からぬ位置に立つ〈日輪の獅子〉の団員を捕捉することなど不可能だ。
「オイ、どうなってんだよ。お前の能力聞いた限りじゃ、無理なはずだろ」
起きてしまった事。それ自体は〈月華の兎〉にとってまたとない好機であったが、それ以上に理解が追いつくことが出来ない。思わずリオティスは、隣で同じように驚くアルスを訝しんだ。
「俺だって驚いてるよ! 一度俺自身も試してみたけどアレは無理だって!」
「じゃあ、どう説明すんだよこの状況」
「どうもこうも⋯⋯」
と、そこでアルスは困惑の表情を浮かべ、頭上を見る。
続くようにしてリオティスも一本の樹木を見上げた。
太い幹。
天へと伸びる木の頂上に、ひとりの女性が立っていた。
樹頭の先端にバランスよく足を乗せるタロット。彼女は額に付けた一枚の札を気にすることもく、極限にまで高めた集中力をゆっくりと解いていく。
「ふふん、どうだご主人! タロットの実力は!」
「あぁ、分かったよ。お前はやっぱり天才だ」
「そうだろ! そうだろ! えへへ、タロットは天才なのだ!」
褒められて顔を綻ばせるタロットと、その額に付けられた札を見比べながら、リオティスは再びアルスに尋ねる。
「天才、って言葉で片づけてもいいのか。あの札、ただ目を良くするって訳じゃないんだろ?」
「あぁ、説明したとおりだよ。今タロットちゃんが付けている呪符は〝眼〟。俺がこの森に仕掛けてきた同じ呪符から見える情報を共有してる」
アルスが指を鳴らすと、右手に一枚の札が出現した。
風になびくそれはただの紙切れのようだったが、筆で書かれたかのような黒い文字と術式は不気味な存在感を放っていた。
「この呪符があれば相手を見つけるの何て簡単だ。言ってしまえば監視カメラみたいなものだし。でも、だからって魔法で正確に遠距離狙撃が出来るのはやっぱおかしいって!」
「だよな。頭の中にいくつもの映像が送られてくるだけだろ? 俺なら気持ちが悪くて酔う」
リオティスは苦笑いを零しながらも、改めてタロットの異常さを再認識する。
例え幾つもの視界から相手を特定したとして、それを利用して完璧な狙撃をするなど出来るはずがない。だからこそ、タロットがアルスの能力を利用して先制攻撃を仕掛けると言った際には、誰ひとりとして成功するなどと考えてはいなかった。
「まっ、結果オーライか。これで人数の差がさらに開いたんだ。大分楽になる」
「どうする? 予定通りティアナちゃんたちと合流しにいくか?」
「一旦な。オイ、タロット! さっさと下りてこい!」
リオティスが叫ぶ。
訓練開始前に決めていた作戦はタロットの狙撃が失敗する前提のものであったが、成功したとなればより確実な行動を選択することも可能だ。余裕が生まれたとはいえ相手が〈六昇星〉であることに変わりはない。ここは一刻も早く他の団員と合流すべきだろう。
「そんじゃ戻るか。まだアイツ等も近くで魔獣を探しているはずだ」
「何を言っているんだご主人! 下りる必要も、ティアナたちを探す必要も無いぞ!」
歩き出そうとしたリオティスの足を、頭上から降り注ぐタロットの声が止めた。
「ハァ? どういう意味だよ」
「そのままの意味だ!」
元気よくタロットが右手を広げる。
すると、瞬く間に辺りの気温が一気に下がったかと思うと、彼女の周りに太く鋭い氷柱が生成されていく。
「今ここで全員倒せばタロットたちの勝ち! 手柄もご主人からの頭なでなでも全部タロットのひとり占め! そうだろうご主人!」
空中に展開した氷属性の魔法をある一点に向けたタロットは、太々しく笑いながら広げた右手を振り下ろした。
◇◇◇◇◇◇
「な、何が起こりましたの!?」
突如として飛来した氷柱。
そして、その氷柱に記憶装置を破壊されて脱落したニャルンに、アリスが慌てふためく。
「落ち着けアリス! 僕に考えさせろ」
そう言ってウィルドは屈むと、記憶装置を貫通する冷たい氷柱にそっと手で触れた。
「⋯⋯魔力が流れている。つまりこれは魔法か」
「魔法師がいたのか。でもさぁウィルド、あり得るのかよそれ。だって完璧な狙撃だぜ?」
流石のフゥもヘッドフォンを頭から外し、ゲーム機までも仕舞って、警戒するように氷柱が飛んできた方角を見る。
「まさか団長が相手にだけ俺たちの位置を教えた、なんてことある?」
「無いなそれは。これは恐らく記憶者の能力だ。つまり⋯⋯」
と、そこでウィルドが振り向く。
彼が見上げる方向と、フゥが見上げる方向が一致した。
「オイ、ウィルド! 何か来たかも!」
「アリス! 能力を使え! 全員近くに寄るんだ!」
フゥとウィルドが叫んだのはほぼ同時だった。
そして、他の団員達が状況を理解し、瞬時に動き出す。
普通の人間であれば訓練開始直後のハプニングに脳が停止し、正常に動けないはずだ。だが、彼らは違う。性格も考えもバラバラで、傍からはふざけているようにも見える彼らであっても、〈六昇星〉のギルドに所属しているのだ。その能力は常人を遥かに凌ぐ。
「集まりましたね皆様! 攻撃はわたくしが防ぎますわ。〈鏡の国〉!」
先ほどの慌てふためく姿が想像出来ない程の冷静で洗練された動きで、アリスは飛来する氷柱に向かって両手を広げた。
刹那、彼女の前に六角形の薄いガラス板のような物が複数展開された。
透明で光を反射するその破片は互いに集まりあうと、バリアのようにして氷柱を防いでいく。
「ぐっ、強力ですわ。この強度と威力は相当な使い手ですわ」
「マズイね。どうするウィルド。俺も能力使おうか?」
予想以上に魔法の威力が高い。
アリスのバリアが長くは保てないことを見抜いたフゥがウィルドに許可を求めた。だが、それをウィルドは制する。
「ダメだ。僕らの位置がバレているんだぞ? つまり相手には僕たちが見えているってことだ。見せる手札は最小限に収めたい。三十秒だ。三十秒だけ堪えろアリス。その間に僕が探す」
ウィルドは目を閉じ、集中力を高めていく。
「三十秒⋯⋯は、何とかなりそうですわね」
「大丈夫アリス? アタシが応援してあげる」
「ちょっと! だから隙あらばイチャつくなってば! つーかニャルンは? 大丈夫なの?」
アリスの耳元で囁くゼルスに慣れた手つきで鉄槌を食らわせた後で、デビラはニャルンが居たであろう場所へと視線を移した。
そこには倒れるニャルンの姿。
彼女は完全に戦意を喪失していた。いや、それどころではない。原型を崩し、まるでスライムのように人間とは思えない形で震えているのだ。
「フニャフニャア⋯⋯あばばば」
「あっ溶けてる! ダメな時のニャルンだ!!」
その余りにも不甲斐ない姿にツッコむデビラだったが、彼女の肩をウィルドが叩いた。
「放っておけ。どうせじきに回収される。それよりも、見つけたぞ」
ウィルドが目を見開き人差し指を立てる。
すると、辺りの木々を揺らすような強風が吹き荒れた。
「凄い風ですわ⋯⋯って、お相手方の攻撃が止まった?」
風に髪を揺らしながらも懸命に目を閉じないように堪えていたアリスだったが、気がつくと無数に思える程降り注がれていた氷柱による攻撃がピタリと止んでいた。
「ホントだね。でもどうして?」
「これが理由だ」
首を傾げたゼルスに向かって、ウィルドは手に持った数枚の札を見せつけた。
「これは?」
「今魔法で見つけた。近くの木に貼ってあったが、恐らくこれで俺たちの位置を特定していたんだろう」
ウィルドは手に力を込めると、掴んでいた札をビリビリに破き捨てる。
「やってくれたな。〈月華の兎〉⋯⋯!」
怒りと焦りを含んだ声。
常に冷静なウィルドにしては珍しい感情を露わにした声だったが、その口元はどこか楽し気に笑っているようだった。
「オイ、お前ら。こうなった以上、手加減などする余裕は無い」
「そりゃーね。じゃあどうする? さっさと魔獣探す?」
どこか挑発するようにわざとらしく両手を広げてみせるデビラ。
そんな彼女に向かって、ウィルドは首をポキポキと鳴らした。
「まさかな。魔獣の討伐数などどうでもいい。全力で〈月華の兎〉を仕留めに行くぞ」
「アハッ、そうこなくっちゃ」
歩き出したウィルドの背中へと、デビラは笑みを返した。