第10話 日輪の獅子③
「いい加減にニャルンちゃんを解放するニャァッ!!」
森林地帯より東北。
訓練用にと〈日輪の獅子〉が仮設したテントのひとつから、怒号が響き渡った。
声を発した猫獣人のニャルンは、興奮気味に鼻をヒクヒクと動かしながらも、懸命に己が置かれているこの状況を打破しようと藻掻いていた。
腕、足、そして胴体。
ニャルンの全身には分厚い鎖が幾重にも巻かれており、身動きが封じられた彼女は情けなくも地面に倒れることしか出来なかった。
「フゥ様! この鎖を解いて欲しいのニャ! ニャルンちゃんはこういうプレイは嫌いなのニャ!」
長時間の拘束に、ついにニャルンが音を上げた。
獣人の力をもってしてもこの鎖は解けない。
そう理解したニャルンは、唯一この身を自由にすることが出来るであろうひとりの男性へと懇願の眼差しを向けた。
白いヘッドフォンを装着するその男性は、ニャルンに興味を持つことも無く、手に握られた小型の機械へと集中していた。
丸みを帯びた両手サイズ程の機械には、液晶画面と幾つかのボタンが付けられており、男性はどこかリズミカルな指の動きで機械を操作する。
「聞いてるのかニャ!? ゲームはいいからニャルンちゃんの方を見るニャ!!」
「うっさいなぁ。せっかくのフルコンも台無し」
フゥは機械を懐に仕舞うと、身に着けていたヘッドフォンを外して首にかけた。
「で、何? 俺に何か用?」
「だからニャルンちゃんを縛るこの鎖をどうにかして欲しいのニャ!!」
「いや無理。だってニャルン絶対暴走するし」
「ニャルンちゃんはいつも冷静ニャ!」
「冷静な人は仲間の下着を盗んだりはしないと思うけど」
ギクリ。
ニャルンが一瞬体を震わせたのを、フゥは見逃さなかった。
「⋯⋯マジかよ。やっぱニャルンじゃん犯人。本当にカスだよなお前」
「な、ななな何を言ってるのかさっぱりだニャ」
「変だと思ってたんだ前々から。俺の下着無くなってたもん。ねぇー、聞いたウィルド? お前も無くしたって言ってたろ。コイツだよコイツ。このカスがやっぱし犯人」
テントの隅で椅子に座り、腕を組んで目を瞑っていたウィルドへと、フゥはまるでメガホンを作るように手を口に添えて声を飛ばした。
ピクリ、とウィルドの耳が動く。
すると、目を開いて立ち上がったウィルドは、鎖に縛られ地面に倒れるニャルンに近づくと、ゴミを見るかのような冷めた視線を刺した。
「土に埋めて森の肥やしにしてやろう。僕が足を持つ。フゥも手伝え」
「おぉー、有効活用。天才だねウィルド」
「何が天才だニャ!! やめるニャ! 近づくニャ! ニャルンちゃんを捨てないでニャァッ!!?」
確かな殺意を持って近づくウィルドとフゥに、流石のニャルンも身の危険を察知し絶叫を木霊させる。
「おやめになってくださいましお二人方。暴力はいけませんわ」
泣き叫ぶニャルンを庇うようにして、ひとりの女性がウィルドとフゥの前に立ちふさがった。
煌めく黄金の髪を螺旋状に巻き、全身を青いワンピースで包み込むその姿は、一言で表すならば〝派手〟であったが、可愛らしくも整った顔立ちと相まって完璧なほどの一体感を醸し出していた。
「どけ、アリス」
「嫌ですわ。わたくし喧嘩は良くないと思いますの。せっかく同じギルドで働いているのですから、皆様仲良くするべきですわ」
アリスと呼ばれた女性には、譲る気配が微塵も無かった。
「立派な考えだ。僕もそう思う。だが、そこの年中発情期猫は別だ。男と見れば襲い掛かり、下品な言葉を並べ、挙句の果てには下着を盗む。こういうのは仲間ではなく犯罪者と呼ぶ。違うか?」
「確かにニャルン様は殿方に対して積極的すぎるあまり不快感を与えることもありますわ。ですが! 下着を盗むはずありませんわ! ですわよねニャルン様?」
「うっ、そ、そうニャ! 当然だニャ!! ニャルンちゃんがウィルド様の黒いパンツや、フゥ様の白い靴下を盗むわけがないのニャ!!」
額から汗を流し、声を震わせ、目をこれでもかと忙しく泳がせるニャルン。
それはもう誰が見ても彼女が嘘を吐いているのは一目瞭然だった。
だが、アリスだけはその言葉を本気で信じたようで、純粋で曇り一つ無い瞳を輝かせてウィルドとフゥの方を見た。
「御覧のとおりですわ! ニャルン様は無実でございます!」
「いや、御覧になった通り犯人じゃん⋯⋯」
「ハァ、諦めるかフゥ。アリスの赤子のように無知で透き通った心を汚すことは僕にはできないよ」
「だね」
アリスの純白な心に打ち負けた結果、フゥはウィルドに同意して仕方なく能力を解除した。
分厚く頑丈な鎖は跡形も無く消滅し、ニャルンはようやく手にした自由から、嬉しさと感謝のあまりにアリスへと抱き着いた。
「ありがとうニャー! ニャルンちゃんはメスは嫌いでも、アリスだけは特別だニャァ!」
「よ、よしてくださいましニャルン様。恥ずかしいですわ⋯⋯」
照れるように笑うアリス。
その時、テントの入り口が揺れると、ひとりの女性が中へと入ってきた。
「嫉妬しちゃうなアリス。アタシがいんのに、他の子と抱き着いちゃうなんて」
「その声は⋯⋯ゼルス様!?」
勢いよく振り向くアリスの視界には、口に煙草をくわえたゼルスの姿。
気づくや否や、アリスは走り出す。と、同時に抱き着いていたニャルンがぐぇっ、と呻きながら地面に倒れた。
「ゼルス様どこに行っていたのですか? わたくし心配していたのですわよ」
「ごめんごめん。ちょっと散歩してただけだから。でもありがとね、心配してくれて。やっぱりアリスは良い子だね」
女性にしては少し大きめな手を広げて、ゼルスはアリスの頭を撫でた。
「あぅ⋯⋯皆様が見ておりますわ」
「ん、いいじゃん別に。それとも見られて興奮しちゃった?」
「そ、そんなわけありませんわ! わ、わわたしくしは至って冷静ですわ!」
「ふーん、本当に?」
ゼルスが顔を近づける。
「でも、アリス。顔赤いよ」
「そ、それは⋯⋯」
反論が出来ずに俯くアリスと、それを楽し気に見つめるゼルス。
二人によって何やら甘い空気がテント内に広がっていくが、それを壊すように遅れて入ってきたデビラがゼルスの頭を叩いた。
「だーから止めなって! イチャつくんならウチらのいないとこでしなよ」
「イタタ、遠慮ないよねデビラは。そこも可愛いんだけど」
デビラに対してもゼルスは甘い色気を醸し出す。
だが、デビラは鬱陶しいとばかりに手を払った。
「ウチには効かないから。それと、煙草消して。煙嫌い」
「嘘ばっかり。好きなんでしょこの匂い。それと苦み。だってこの前キスした時、癖になってるって顔してたよ?」
「嘘はアンタでしょーが!」
煙と一緒に平気で嘘を吐き出したゼルスへと、デビラが渾身の蹴りを放つ。それをヒラリと躱したゼルスへと、今度はアリスが言う。
「ゼルス様! 今の話は本当ですの!?」
「アタシのキスが苦いのかって?」
「そうではなくって⋯⋯!」
「気になる? じゃあ今度試してあげよっか?」
「っ⋯⋯!!?」
と、またしても懲りずにゼルスがアリスをイジメて反応を楽しみだす。
もはや注意するのも面倒だ。
デビラは呆れて物も言えず、二人から逃げるようにして歩き出した。
「ハァ、ホントにウチらのギルドは変な奴ばっかし」
「本当にな。それでデビラ。収穫は?」
ウィルドの質問に、デビラは詰まらなそうに答える。
「別に。ただ見た感じあっちのギルドは相当レベルが低いよ。記憶者もたったの三人⋯⋯今回の訓練に出るのは多分二人かな。まっ、どうあってもウチらが負けることは無いっしょ」
「そうか。それにしても団長も酔狂な人だな。あの〈月華の兎〉と合同訓練をするなんて。馬鹿馬鹿しい。戦う僕たちの身にもなってほしいものだ」
それがウィルドの本心だった。
強さが第一に求められるギルドの世界で、〈六昇星〉は最強の証明だ。勿論、団長であるリリィの強さは言わずもがな、他の団員が弱いはずも無い。ウィルドや、この場にいる全員も事強さにおいては一級品だった。
だからこそ、さらなる高みへと辿り着くことの出来る可能性として、合同訓練を行うこと自体には賛成であっても、相手が最底辺のギルドとなれば話は別だ。
強者が弱者を蹂躙する。
そこに強者が得られるものなど一切ない。つまるところ、〈日輪の獅子〉にとっては今回の合同訓練には一切のメリットが無かった。
「手加減しなくてはな。勝つのは簡単だが、一瞬で一方的に勝ってしまっては相手のギルドのためにならない」
「余裕じゃん。手加減を気にするなんてアンタらしくもない」
「それほどまでに実力差があるのだから仕方がない。それで、訓練開始はいつになるんだ?」
「一時間後だって」
「なら、僕は仮眠する。十分前に起こしてくれ」
ウィルドはテントの隅へと移動すると、椅子に座り再び腕を組んだ。
「作戦は?」
「愚問だな。必要性を感じない」
「あっそ。あんまし舐めてると案外してやられるかもよ」
デビラが自身の爪を見つめながら、心にも無いことを言う。
「そうなるように祈るさ」
ウィルドもまた心にも無く呟くと、これ以上の会話は無駄と判断し、静かに瞼を閉じた。