第9話 日輪の獅子②
「ロメリアちゃん!?」
前触れも無く、唐突に地面に倒れたロメリアの体をアルスが慌てて抱き寄せた。
「大丈夫かい!?」
「あれ、どうして私倒れて⋯⋯? 体が震えてる。凄く、怖い?」
アルスに抱き寄せられるまで、ロメリアは自身が倒れたことにすら気が付いてはいなかった。動揺し、全身を小刻みに震わせる彼女の瞳は焦点が定まっておらず、誰の目から見ても正常では無かった。
「オイ、どうしたんだ!!」
異変に気が付いたバルカンが駆け寄る。
「すみません団長⋯⋯何だか凄く怖くて、体に力が入らないんです。この場所に来た時から、ずっと心も落ち着かなくって」
ついには苦しそうに呼吸を荒立たせたロメリアの額へと、バルカンは手で触れた。
「熱は⋯⋯無いみたいだな。アルス、俺が代わる。いいな?」
「はい。お願いしますバルカンさん」
アルスは頷くと、抱えていたロメリアをバルカンへと預けた。
「オイ、リリィ! この近くに休める場所は無いか!?」
「それなら訓練用の仮設テントを設置してある。ここから南へ真っすぐだ!」
ロメリアを抱きかかえたバルカンは立ち上がると、リリィの指差す方角へと走り出す。
「俺はロメリアを運ぶ。リリィ、悪いが訓練を一時間だけ遅らせてくれ! 説明も頼む!」
それだけを言い残すと、バルカンは雷の如く速度で地面を蹴り、あっという間に見えなくなってしまった。
「大丈夫ですかね。ロメリアさん」
心配するようにフィトが不安の声を零した。
「⋯⋯顔色悪かった」
「そうッスね⋯⋯。何事も無ければいいんスけど」
続くようにしてルリとレイクも暗い表情を浮かばせる。二人はバルカンが走り去った方角を、ジッと見つめていた。
「⋯⋯馬鹿か俺は。何でもっと気にかけてあげられなかったんだ」
ポツリ、と。
アルスは誰にも聞こえないか細い声で、己を責め立てる。
この場所に来た時点で分かっていたはずなのだ。いや、フクシア島に行くと分かったその時には、もうこの未来は視えて然るべきだった。
(本当に、何をしてんだ俺は)
胸を押さえる。
ズキズキと痛む心を、アルスは誤魔化すように必死に押さえつける。
後悔。悲しみ。痛み。恐怖。絶望。
様々な感情や想いがアルスへと圧し掛かった時、脳裏にひとりの女性の姿が浮かんだ。
黒い服。黒い髪。黒い瞳。そして黒い角を額に生やすその女性は、アルスの心を揺さぶるように、思い出の中で笑いかけた。
『お前はお前のまま。ずっと馬鹿で明るい人間でいてくれよな』
心の奥底に沈んでいた声が脳へと浮上すると、アルスは自身の頬を両手で勢いよく叩いた。
「どうしたんだ急に」
隣で乾いた音を響かせたアルスに、リオティスが驚く。
「フゥ⋯⋯。別に何でも! 気合入れなおしただけさ!」
叩いた頬を赤くしながらも、アルスは眩しく笑った。
やはり様子は変だ。
無理をしているようにも見える。
だが、アルスの瞳は真っすぐだった。少なくとも、フクシア島に到着したばかりの頃よりは、ぎこちなさも迷いも消えていた。
「ところで」
リリィの眼光が鋭く光る。
「貴様らはいつになったら待機場所に戻るんだ?」
「えーっと⋯⋯」
肌を刺す殺気に近いそれを受け、デビラは目を泳がせた。
「あの団長。ウチはもう戻るつもりだったんですよ。マジでさぁ、ゼルスが言うこと聞かなくって」
「さっさと戻れ。そして他の団員にも伝えておけ。開始は一時間後だと」
「⋯⋯⋯⋯はい」
デビラは肩を落とし、大人しく歩き始める。
その後ろをゼルスも追いかけるが、彼女は一度立ち止まるとリオティス達へと振り向いた。
「じゃあね子猫ちゃんたち。また後で」
色気たっぷりの笑みを振りまくゼルスの背中をデビラは叩き「いいから早くしなって!」と、怒りと焦りを多分に含んだ表情で叱った。
「さて⋯⋯」
問題児二人が居なくなったことを確認すると、リリィは〈月華の兎〉の団員へと向き直った。
「聞いた通り訓練開始は一時間後だ。元より、開始まではある程度時間をとるつもりだったがな。まず貴様らには訓練の内容を伝えておこう。訓練内容は⋯⋯団体戦だ」
「団体戦!?」
周りの仲間たちが驚く中、リオティスだけは悪い予感が当たったな、と半ば諦めたように息を吐いた。
「要するに、俺たち〈月華の兎〉と〈日輪の獅子〉で競うってわけですよね。それもこの森の中で」
「そういうことだ。ルールは至極明快。森に放たれた魔獣の討伐数を競う。それだけだ」
背に広がる森林地帯へとリリィが親指を向ける。
「魔獣は〈日輪の獅子〉で研究用に捕獲し、制御を可能とした個体を使う。種類は様々。だが、バカルカンの話を聞いて、貴様らでも討伐可能な個体を厳選しておいた」
「でも、魔獣を解放するなんて危なくないッスか!? 万が一街に出たら⋯⋯」
レイクの疑問に、リリィが当然のように答える。
「安心しろ。この区域からは魔獣が出ないように特殊な記憶装置を設置してある。元よりこの場所は二年前にグロリオ家が買い取り、魔獣と迷宮の研究をするために設備を整えてある。この二年、魔獣を逃がしたことも、人的被害を出したことも一度として無い」
誇らしげにリリィは胸を張った。
〈日輪の獅子〉の技術を誇示するかのように。
だが、それは事実だった。
広大な土地を所有し、魔獣を制御し、莫大な資金と権力を持つ。まさしく〈六昇星〉の一角に相応しい力を〈日輪の獅子〉は有していた。
「やっぱ凄いッスね〈日輪の獅子〉⋯⋯」
「ふん、当然だ。貴様らが要らぬ心配をする必要は無い。ただ私の選んだ精鋭六名とどう戦うか。それだけを考えるんだな」
「六名⋯⋯?」
リリィは確かにそう言った。
六名。それは〈月華の兎〉のロメリアを除いた団員七名よりも少ない人数だ。
違和感にいち早く気が付いたリオティスが言う。
「まさか団体戦は各ギルド六人だけでやるんですか?」
「いいや。貴様らは七名。こちらは六名で戦う。つまるところ〝ハンデ〟だな」
「そういうことかよ」
どうやらリリィには余程の自信があるらしい。
いや、自信があって当然か。何故ならば彼女のギルドは〈六昇星〉なのだ。そして相手はBランクギルドの、それも入団したばかりの新人七名。相手にならない、と考えるのが寧ろ自然なはずだ。
「気を悪くしたなら謝るが、このぐらいのハンデは必要だろう。それにルールとしては団員同士が直接戦うことも想定できる。勝利条件は制限時間内に魔獣の討伐数が最も多かったギルド、もしくは相手ギルドの団員を全て脱落させる。このどちらかだ」
「脱落って、戦闘不能にさせたら勝ちってことですか!!」
フィトが声を張り上げた。
何やら〝脱落〟と〝直接戦闘〟という言葉に興味を示したらしい。
「戦闘不能、とはまた違うがな。脱落の詳細については一時間後に説明する。全く、アイツの準備が早ければ、もう少しスムーズに事が運んだのだが」
リリィは深い溜息と共に頭を抱えた。
「兎に角、訓練の大まかな説明は以上だ。何か質問は?」
「あっ、ひとつだけいいですかリリィさん」
アルスが手を上げる。
「何だ?」
「開始は一時間後ですよね? その間、軽く森の中見て回りたいんですけど」
「それはいいが、既に魔獣も何体か野放しになっている。制御が利いているから見つけても襲ったりはしないだろうが、気を付けろよ」
リリィはそれだけ言うと、他に質問が無いと判断し、懐から小さな黒い物体を取り出した。
「では一時間後にまたここに集合とする。私はバカルカンの様子を見てくる。もし何か連絡や異常があればコレを使え」
各団員に手渡されたのは通信用の記憶装置だった。
「使い方は分かるか?」
「俺が一度同じ物を使ったことがあるんで、大丈夫です」
リオティスが慣れた手つきで自身の左耳に記憶装置を装着する。それを見たリリィは頷くと、バルカンが消えた方へと歩き出した。
「くれぐれも気を付けろよ。貴様らに何かあってはバカルカンが煩いからな」
そう言い残して森の中へと消えていくリリィ。
彼女の背中をぼんやりと眺めながら、リオティスは訓練の内容を思い出していく。
〈月華の兎〉対〈日輪の獅子〉の団体戦。勝利条件は制限時間内に討伐した魔獣の数、または相手を全員脱落させること。
リリィの話から察するに、脱落には条件があるようだったが、詳しい説明が無かったことからも、複雑なものではないはずだ。恐らく、魔獣を探す際に接敵し、戦闘が行われる可能性も高いだろう。
つまり、より強いギルドが勝つ。
そう考えてしまっても差し支えない訓練内容だ。
初日からこのような訓練形式にしたことには何かしら意図がありそうだが、今考えるべきはリリィが言ったように、どう〈日輪の獅子〉の団員を攻略するか。効率よく魔獣を倒していくか。これに尽きる。
リオティスは大きく背を伸ばすと、ティアナに向かって何気なく言った。
「で、どうする? 何か策でもあるかティアナ」
「どうして私に聞くのよ。それに策何て無いでしょ。相手がどれだけ強いのかも分からないのよ?」
「強いのは確かだろ。例えばの話。さっきいた女二人、アイツ等どっちも記憶者だったしな」
デビラとゼルス。
突如現れた二人に面を食らったリオティスであったが、彼女たちの右手の甲に記憶者の紋章が描かれていたことには気が付いていた。
「六人中二人だけ記憶者ってこともないだろうしな。全員が能力者だと考えた方がいい」
「⋯⋯全員能力者。無謀」
ルリが肯定するように頷く。
彼女自身、〈月華の兎〉の中では数少ない記憶者であるため、その脅威を理解しているのだろう。
「何を弱気になっているんですか!! 相手が誰であろうと全力です!! それに〈六昇星〉の団員と戦えるんですよ? 最高じゃないですか!」
「ふふん、それに何といってもこっちにはご主人がいるからな! 負けるわけがない!」
打って変わり、強気に拳を突き出すフィトと、良く分からない理由で鼻を高くするタロット。彼女たち二人には緊張という言葉が無いらしい。
「フィトっちの言う通りではあるんスけど、実際無策はマズイッスよ」
「だよなー」
レイクの意見にリオティスは同意だったが、やはりそう簡単に良い作戦も思いつかない。
どうするべきか。
リオティス達が頭を悩ませていると、たったひとり、勝ち誇ったような笑みを浮かべる人物がいた。
「ふは! ついに来たな。超然格好良い俺の見せ場が!」
アルスが右手の人差し指と中指を勢いよく立てる。
「個人戦は無力だけどさ。こういう団体戦こそ俺の独壇場! さぁて、キラキラな俺の活躍をレディーたちに見せるとしようか!」
自信満々に立てられた二本の指の間。
そこには気が付くと、一枚の札が挟まれていた。