第8話 日輪の獅子①
船に揺られ続けて五日ーー。
ついにリオティスたちはフクシア島に辿り着いた。
帝国一のリゾート島。
南国さながらの高い気温に負けない人々の熱気が、島全体を包み込んでいた。
派手な外観に彩られた街並みは帝都とはまた違った賑わいを醸し出し、美しい煉瓦造りの建物ひとつひとつに目を奪われてしまう。
「これがフクシア島か」
まるで別世界に迷い込んでしまったかのような感覚に襲われる。その余りの美しさと煌びやかさに、リオティスはつい息を漏らした。
「本当に凄いッスね! めちゃくちゃ綺麗ッス!」
「ですね! ですね!! ボクもテンション激上げです!!」
続くようにして、レイクとフィトも興奮のままに胸を躍らせる。
いや、彼等だけではない。
このフクシア島に降り立った〈月華の兎〉の団員たち全員が、見るからに感情を高ぶらせていた。
「わぁ! 凄いですねフクシア島! 皆さん、さっそく観光に行きましょう!」
「⋯⋯私はスイーツ。全部制覇する」
ついにはロメリアとルリが我慢することが出来ずに街に向かって走り出そうとする。だが、それをバルカンの呆れた声が止めた。
「バカ言うな。何しにここまで来たと思ってんだ。訓練だろ訓練。さっさと行くぞ」
「ちょっとぐらい良いじゃないですか団長! 私たち最近凄く頑張っているんですよ!? ご褒美スイーツをください!」
「⋯⋯ご褒美大事。スイーツ大事」
煩く反論するロメリアとルリの額を、バルカンは同時に指で弾いた。
「ダメだ。我慢しろ」
「うぅ、団長の鬼ぃ⋯⋯」
「⋯⋯ヒドイ」
「別に俺だって鬼じゃねェよ。ちゃんと自由な時間も用意してる。だが、今日はダメだ。ただでさえリリィたちを待たしてんだからな」
どこか余裕の無い表情で溜息を吐くバルカンに、リオティスはそういえば、と辺りを見渡した。
「リリィさん一緒じゃなかったよな? もしかして先に来てんのか?」
「あぁ。リリィたち〈日輪の獅子〉は、転送用の記憶装置で一週間前にはフクシア島に着いてるんだよ」
「そんな便利なもんがあるなら、俺たちも使えばよかったんじゃねェか?」
リオティスとしては船旅も悪くは感じなかったが、転送装置を使えば一瞬でフクシア島に着けたはずだ。メリットを考えればその方が得策だろう。
「転送っていうからには一瞬で着けるんだろ?」
「まぁな。だが、転送用の記憶装置を使えるのはディザイア本部か、特定のギルドに限られる。で、んな大層な記憶装置を個人で所有しているのは〈六昇星〉ぐらいだ。使用するにも莫大なメモライトを消費するしな。こればっかりはリリィに使わせろなんて言えねェ。そもそもとして、他のギルドが使う場合は手続きやらも死ぬほど面倒だからな」
「そりゃそうか」
当然と言えば当然か。
それだけ便利な装置を簡単に使えるはずも無い。特に〈月華の兎〉のようなギルドは猶更だろう。
「一度は使ってみたいもんだけどな」
「あっ、それなら私たち使ったことありますよ!」
リオティスの冗談交じりの発言に、先ほどまで痛みに涙を浮かべていたはずのロメリアが手を上げた。
「ほら、この前団長たちが迷宮を攻略していた時、私たち記憶者だけ遠征に行っていたじゃないですか。あの時に実は使ったんですよね! ねっ、ルリちゃん」
「⋯⋯アレは凄かった。一瞬でワープ。気づいたら雪山」
「雪山?」
何やら物騒なワードが聞こえ、ついリオティスは聞き返した。
「何だそれ」
「⋯⋯わからない。何か雪山で調査しろって言われた」
無表情なままにルリが答えるが、どうやら本人もよくは分かっていないらしい。分かっていない、というのがまた彼女らしくはあったが、要領を得ずリオティスは頭を抱えた。
「確か遠征って一週間はあったよな。何で自分でも分かってないんだよ⋯⋯」
「いや、リオティス。俺たちは何も知らされなかったんだよ。マジで」
ルリを庇うように、今度はアルスが話を始めた。
「俺も記憶者だから一緒に行ったんだけどな。その場所がどこなのかも、何を調べるのかも教えてもらえなかったんだよ。ただ異変を探せ。何かあったら報告。兎には気を付けろってな」
「兎?」
またしても意味不明な言葉が出た。
何やら話が段々とややこしくなっているような気がする。
「兎って、この兎か?」
リオティスが隣に立っていたタロットを指差す。
タロットは船酔いから完全に立ち直り、ふふん、と自慢げに胸を反らしていた。
「だな。でも確かにタロットちゃんみたいな兎の獣人が多かったんだよなあそこ。雪山なのに村が出来ててさ。つーかマジで俺らも分かってないんだよ。結局何も無かったし、歩き続かせられるし、もう寒くって最悪だったし!」
辛い記憶を思い出してアルスがブルブルと震えだすが、そんな彼に思いもよらない反応を示したのはタロットだった。
「雪山に兎の獣人? それって⋯⋯」
と、タロットが詳しく話をアルスから聞こうとした時、しびれを切らしたバルカンが手を叩いた。
「そのぐらいにしとけ。もう時間がねェ。まずはさっさとリリィに会いに行くぞ」
無理やりに話を切り上げると、バルカンは速足で移動を開始した。
普段は面倒くさいからと行動の遅いバルカンがこうも急かすのだ。
流石の団員達もこれ以上の時間は使えないのだと判断し、即座にバルカンの後を付いて歩き出す。
「オイ、タロット。何か言いかけていたが良かったのか?」
ひとり立ち尽くして考えこむタロットの顔を、リオティスがそっと覗き込む。
「⋯⋯あぁ。大丈夫だご主人」
ただタロットはそれだけ返事をすると、何事も無かったかのように無邪気な笑みをリオティスに向けた。
◇◇◇◇◇◇
目前に広がる森林。
先ほどまでの輝く海も、美しい街並みも、ここには何一つとしてない。あるのは緑に生い茂る大自然だけだった。
「フクシア島にこんな場所があるなんてな」
バルカンに連れられて辿り着いた森林地帯を目の当たりにし、リオティスは先ほどまでの感動とはまた違った意味で驚いていた。
「まさかここにリリィさんの実家があるのか?」
「いいや。ここはグロリオ家が所有する土地だ。初日の合同訓練はここですることになってる」
「この森でか?」
またしてもリオティスは驚きの声を上げた。
てっきり合同訓練は、リリィの実家に設備された訓練室なりを使用するものとばかり思っていたからだ。
わざわざこの森林地帯で訓練を行う。それもフクシア島に辿り着いたその日にだ。リオティスには既に悪い予感しかしなかった。
「これは少し面倒なことになりそうだな⋯⋯」
嫌な予感を振り払うように、リオティスが息を吐きだして顔を手で覆った。その時だった。
「遅かったなバカルカン。ようやく着いたか」
並ぶ木のひとつから、リリィが姿を現した。
腕を組んで太い木に背中を預ける彼女へとバルカンが近づく。
「悪いなリリィ。待たせた」
「ふん、貴様の行動が遅いのは今に始まったことではない。ただ、まぁ、思っていたよりは早かったかもな」
普段よりも軽い足取りでリリィもバルカンに歩み寄った。
「余程、私のギルドと訓練を行えるのが楽しみだったみたいだな」
「そりゃあな。ありがとうリリィ。この穴埋めは必ずする」
「そ、そうか。まぁ期待はしてないがな! 一応は覚えておこう」
リリィは冷たい態度で外方を向いたが、やはりその両耳と尻尾は嬉しそうに激しく動いていた。見抜いているのも、この場ではやはりリオティスだけであったが。
「それでリリィ、早速訓練を始めたいんだが⋯⋯」
と、バルカンの言葉が止まる。
「⋯⋯オイ、リリィ。話が違うだろ。お前の部下、コッソリ見てるぞ」
「何!?」
バルカンが指差す方角へと、リリィも透かさず視線を動かした。
立ち並ぶ木々に隠れる気配が二つ。
見つけるや否や、リリィの怒鳴り声が森林に響いた。
「オイ、貴様ら! 待機しろと言ってあったはずだろ!」
「うわ。ほらやっぱりバレちゃったじゃん!」
「元より時間の問題だよ。もう少し〝見〟に回っていたかったけど」
観念しかたのように、隠れていた二人の女性は陰から身を露わにした。
ひとりはツインテールの髪型に露出が激しい服装をし、もうひとりは長身で桔梗紫の短い髪をオールバックに固めていた。
「ゼルス⋯⋯やはり貴様か。デビラ、しっかり見ておけと言っただろう!?」
「いやいや団長。無理に決まってるから! ウチだけでゼルス止めれるわけないっしょ!!」
怒りを露わにするリリィに、デビラが必死に弁明する。
だが、その隙に話しの中心人物である長身の女性ゼルスが動き出した。
我関せずと歩き出したゼルスは、〈月華の兎〉のとある団員を見下ろした。
「⋯⋯⋯⋯」
「何だ? 俺に何か用かよ」
突然現れ、無言で自分を見下ろすゼルスへと、リオティスは強気な態度を示した。一方のゼルスは何を考えているのか、ただひとつだけ質問をした。
「アンタ、名前は?」
「言う必要あるか?」
「どうしても知っておきたくてね。嫌ならいいよ」
「リオティス。これで満足か?」
警戒するようにリオティスは答えた。
目の前の女性の目的がまるで分からない。
まさか、訓練前に喧嘩でも売る気なのだろうか。
いつ攻撃をされても良いようにリオティスが態勢を整えた時、ゼルスが体を折り曲げ姿勢を低くした。
「リオティス。可愛い名前だね。すっごく好み。なぁ、アタシの女にならないか? 後悔はさせないよ」
リオティスの顎に指を触れ、ゼルスが微笑む。
思考停止。
何を言われたのか、何をされているのか。どうにか脳が処理に追いつくと、リオティスは猫のように後方へと飛び退いた。
「あっ⋯⋯凄い拒絶。どうしたの? 怖がらなくったっていいのに」
「なっ、ハァ!? お前どうかしてるだろ!! そもそも俺は男だ!!」
甘い色気と言葉で口説かれたことを理解し、リオティスは再び混乱に陥った。そもそもとして、ゼルスは女性だ。女性のゼルスがリオティスを女性だと見間違えて口説いた。つまり、彼女はーー。
「ちょっと、リオティスに何をしてるのよ!!」
ティアナがリオティスを守るように割って入る。強気な瞳をゼルスに向ける。
それを受けゼルスは背を伸ばすと、ティアナの全身を嘗め回すように見た。
「な、なによ⋯⋯」
「アンタも可愛いね。おっきな御目々も、サラサラな黒い髪も、全部可愛い」
「ひゃぅ!?」
自慢の髪を触られながら色気のある笑みを向けられて、ティアナから変な声が漏れた。
「い、いや私は女性で」
「うん、だから可愛い。アタシ、女の子が好きだから」
つまりはそういうことだった。
ティアナもゼルスの性癖を理解したが、既にもう逃げることなど出来なくなっていた。
細身な体に手を回し、ゼルスはティアナの耳元で囁く。
「ねぇ、この後アタシと一緒に過ごさない? もっとアンタの事が知りたい。可愛いところをもっと見せて。そうしたら、アタシの格好良いところも見せてあげるから」
「はわわわ」
赤面して口をパクパクと動かすティアナ。
その口からは変な声が漏れ続けているが、当の本人には自覚する余裕も無いようだった。
「コラ! そこまでにしときなって! アリスに言いつけるよ!」
「痛っ」
背後から頭を叩かれ、ゼルスはようやくティアナから離れた。
「頭を叩かないでってデビラ」
「ゼルスが悪い! 手あたり次第に女見つけたら口説くのいい加減やめなよ。こっちが恥ずかしくなるし!」
「もしかして嫉妬?」
「なわけないでしょ!」
デビラに説教をされながら反省するかのように頭を下げるゼルスだったが、彼女の視線を未だティアナは敏感に感じ取っていた。
「な、何だか凄い心臓がバクバクしてる⋯⋯何今の」
「大丈夫ッスかティアナっち。リオっちも」
「⋯⋯大丈夫なわけないだろ」
心配するレイクを他所に、リオティスは未だ震える自身の両手を広げた。
「あぁいう奴、どこのギルドにもいるんだな」
リオティスは初めてアルスと出会った時の嫌な記憶を思い出し、わざとらしく彼の方を向いた。
だが、肝心のアルスはリオティスの言葉に反応していない。いや、目の前で繰り広げられている事態にすら、興味をまるで示していなかった。
アルスはただ広大な森林を見つめていた。まるで懐かしい何かを思い出しているかのように。
「なぁ、ロメリアちゃん⋯⋯」
口を開いたアルスがロメリアを呼び掛けた。
刹那、ロメリアは全身を激しく震わせたかと思うと、脱力するようにして地面に倒れこんだ。