第7話 旅客船
〈日輪の獅子〉との合同訓練が行われることが決定された日から二週間後。リオティスは一隻の船に乗り、広大な海を眺めていた。
焼き付けるような強い日差しが降り注ぎ、それを青色の海面がキラキラと眩しく反射する。右も左も全てが同じ景色を映し出し、果てしなく広がる海はリオティスの心を優しく包み込むかのようだった。
海の上を進むこの船の名前はA.M.Tレガシー号。
〈月華の兎〉の団長であるバルカンの手配した旅客船である。
全長は二百メートル程。客室数は三百八十。船内にはカフェやバー。さらにはプールまで設備されている、所謂〝豪華客船〟というやつだ。
見るからに裕福そうな乗客ばかりが集まる中、何故〈月華の兎〉がこの船に乗っているかというと、当然目的地であるフクシア島に向かうためだった。
リゾート地としても有名なフクシア島に向かうには、海を渡る必要がある。と、なれば当然移動手段は限られる。
何ら不思議なことは無い。
そうリオティスは自身に言い聞かせながらも、つい苦笑いを零してしまう。
「だからってこんな豪華客船に乗る必要ないだろ。バルカンの奴、何気合入れてんだか」
「バルカンさんがどうかしたの?」
リオティスの独り言に思わぬ返事がやってきた。
振り向くと、そこには黒い髪を靡かせた美しい女性が此方へ向かって歩いていた。
「何だ、ティアナか。あの馬鹿共と一緒に居たんじゃないのか?」
「最初はね。でも、リオティスがいなかったから」
真横に立ったティアナは、青く輝く海を目に焼き付けるかのようにジッと見つめた。
「綺麗ね。私、海見るの初めて」
「俺もだ。大体いつ魔獣が出現するかもわからない場所に近づく馬鹿はいない」
「それもそうね。あっ、そういえばリオティス。この船も今危険な海を進んでいるわけだけど、もしかしたら魔獣に襲われてしまうかもしれないわね」
悪戯にティアナが笑った。
こんな顔もするようになったのか。
リオティスは意外に思いながらも、楽し気に自分を嵌めようと目論むティアナへと言い返してやる。
「この船の底はブルーメモライトで作られている。自然のエネルギーを吸収する性質から、通称〝魔石〟とも呼ばれる。そいつを使っているから、魔獣は海との区別がつかずに襲っては来ない」
「もぉ、知ってたの。つまんない」
プクー、と頬を膨らませて再び海の方へと目をやるティアナは、やはり以前よりも表情豊かで、口や態度とは裏腹にどこか楽しそうに見えた。
「そういえば、タロットの具合はどうだった?」
「まだ悪そうだったわよ。今は部屋で寝ているはずだけれど」
ティアナの表情に深刻さは無い。
取りあえずは大事になっていないようで、リオティスは胸を撫で下ろした。
このA.M.Tレガシー号に乗ってから三時間は経過していた。
最初はタロットも他の仲間たち同様に煩くはしゃいでいたが、暫くすると顔を青ざめ体調を崩してしまった。
様子を見る限り船酔いしたようで、タロットは立つこともままならず部屋に運ばれたというわけだ。
「そっか。ならいい」
「心配なら傍にいてあげればいいのに」
「俺が近くに居たらアイツは無理するからな」
「良く分かっているのね」
「そりゃあ、アイツは俺の奴隷だしな」
リオティスにとっては当たり前のことだったが、ティアナは少しだけ羨ましそうに言った。
「そう。良い関係よね貴方たち。でもリオティス。もう少し他の団員とも仲良くすべきじゃないかしら?」
「別に仲は悪く無いだろ」
「前よりはね。でも私と貴方ぐらいの関係になっても良いと思うの。特にリオティス。貴方、まだ自分の能力を隠したままじゃない」
指摘したティアナの視線は、リオティスの右手の甲に向けられていた。
何も描かれていない肌。
そこには本来、記憶者の紋章が刻まれているはずだった。
リオティスは自身の右手を摩る。
「⋯⋯なかなか、な。俺もいつかは明かすべきだとは思っているんだ。でも」
怖い。
口に出かかった想いを、リオティスは飲み込んだ。
〈月華の兎〉の仲間たちが悪い奴らではないことなど、とっくにリオティスにも分かっていた。馬鹿で騒がしくて優しい。そんな彼等に本当の自分を見て欲しいと思っているのも事実だ。
だが、やはりリオティスは怖かった。
もしも、本当の自分を曝け出して拒絶されてしまったら。今の関係が壊れてしまったら。そう考えると勇気が出なかった。
押し黙るリオティス。
彼の俯く横顔を見ながら、ティアナは笑いかけた。
「大丈夫よリオティス。だって私たちは〈月華の兎〉の仲間なのだから。誰も貴方を嫌ったりはしない。でも、無理もダメよ。悩まなくたって、いつか言える日が来るから」
「⋯⋯そうかもな」
リオティスは顔を上げた。
煌めく青い世界がリオティスの不安を和らげてくれる。
「ったく、俺はいつもこんなだ。悩んでばっかで、いつも救われてる」
「ふふ、奇遇ね。私もよく誰かさんに救われてばかりよ」
二人は顔を見合わせると、同時に微笑んだ。
こうやっていずれ他の仲間たちとも笑いあえる日が来るのだろうか。そう考えると、少しだけ勇気を貰えたような気がした。
「そんじゃ景色も堪能したし、俺は船内にでも戻るかな。お前はどうすんだティアナ?」
「私もリオティスについていこうかしら。そうよ! せっかくなら一緒に見て回りましょう! すっごいのよこの船!」
目を輝かせ興奮するティアナは、まるで子供のようだ。
「凄いのはそうだが、これ全部バルカンの金だろ? どこにこんな旅客船を手配する金があんだろーな」
ティアナに同感しつつも、リオティスは船を見上げた。
大きく設備の整った旅客船。
相当な金額が掛かっていることは一目瞭然であるが、最底辺のギルドであった〈月華の兎〉に、それだけのお金があるとは到底思えなかった。
「まさかこれも本当はリリィさんに手配してもらったんじゃねェだろうな」
「それは無いわ。バルカンさんが自腹を切ったと言っていたもの。二年前までは世界一位のギルドを治めたギルドマスターなのよ? 貯金があるんじゃないかしら」
「貯金ね⋯⋯」
確かに元世界一ともなれば、かなりのお金を蓄えていても不思議ではない。さらにはバルカンの性格からして、無駄にお金を浪費するとも考えにくい。もしかしたら、思っている以上の貯えがあるのかもしれない。
そこまで考えた時、リオティスはとある事を思い出してティアナに尋ねた。
「貯金と言えば、この前トルビア亭に行った時、お前ら金を出し合ってたよな。アレ、どっから出た金なんだよ」
以前、リオティスのためにと他の団員がトルビア亭に集まった時、それなりのお金を袋に入れて用意していた。
だが、それは不自然な話だった。
何故ならばその時点で〈月華の兎〉は仕事すらも入ってこない最悪の環境であったため、収入も無いはずなのだ。
では、あのお金の出所は一体どこなのか。
リオティスの疑問に、ティアナは隠すことも無く答えた。
「あのお金はみんなから集めたのよ。私は無一文だったけど、他の人たちはいくらか持っていたみたいね。と言っても、雀の涙程のお金だったけども。ただ、そうね。何故だかアルスだけは大金を持っていたのよ。だからあのお金の殆どはアルスが立て替えてくれたの」
「アルスが?」
意外だった。
アルスが大金を所持していたことも、惜しげも無くあの場で自分を励ますために出してくれたことも。
「アイツって、そんな金持ちなのか?」
「知らないわよ。それにリオティスもアルスに何かしたんじゃないの?」
「俺が?」
「だって最近アルスの様子変なのよ。リオティスの話題が出たり、リオティスに会ったりしたら、明らかにいつもと違うもの」
訝しむような視線をティアナから受け、リオティスも懸命に理由を探る。
だが、何も思い当たることが無い。
そもそもとして、アルスと二人っきりになったことが殆どないのだ。様子だって普段と違うと言われて初めてリオティスも気が付くことが出来たぐらいだ。
「何も思いつかないな。俺なんかしたっけ」
「リオティスは性格悪いものね。絶対何かしてるわ。間違いない」
「酷い決めつけ」
「違うの?」
「いいや。多分あってるな」
思いつかないだけで無意識に自分の言動がアルスを傷つけている可能性の方が高い。とはいえ、やはり理由が明確ではないため、一度アルスと二人で話をした方が良いのだろう。
「フクシア島に居る間に聞くか」
「そうした方がいいわ。それじゃあリオティス。早く探検に出かけましょう!」
ティアナが笑顔で船内へと歩き始める。
どうやら余程一緒に船内を見て回りたいようだ。
リオティスは仕方がない、と疲れたように息を吐くと、嬉しそうに手を振るうティアナの後を追った。