第11話 奴隷①
少女は窓から差し込む月明りに照らされていた。
湿気とカビの匂いが充満する狭い空間で、少女は新鮮な空気を求めるようにして外を見る。
暗闇に浮かぶ満月は黄色い輝きを放ち、それを見ていると何故か心が落ち着いた。
少女がいるのはどうやら倉庫のようで、辺りには無造作に置かれた木箱が積み重ねられており、出入りが可能な扉はたったのひとつだけ。それも、ボロボロで少しでも力を入れると壊れてしまいそうな扉だ。
だが、少女は倉庫から出ない。いや、出られなかった。
手足を鎖で繋がれて、身動きを取ることができない。
何故なら彼女は奴隷なのだ。そこには自由なんてありはしない。
それでも、少女は月を見ていた。
地面を見下ろすのでも、はたまた虚空を見るでもなく、強い意志を宿した瞳で光を見る。
「⋯⋯⋯⋯」
誰かが来る。
耳から伝わる振動が、こちらへと向かってくる足音を彼女に教えた。
足音は段々と近づいてくると扉の前で止まり、静かにドアノブを回す。
そこに現れたのは、黒い仮面を着けた怪しげな男だった。
左手に短剣を握りしめ、仮面と同じく黒い色のローブを身に纏っている。
誰がどう見ても只者じゃない。
だが、少女にはその男に対しての不信感が一切無かった。
少女は問いかける。
「お前、自分を助けに来てくれたのか?」
それに男は少しだけ首を傾げると、短剣を少女に向けて答えた。
「どう見たら俺がそんなヒーローに見えるんだよ。⋯⋯お前を殺しに来たって言う方がそれらしくないか?」
「そうなのか?」
「さてね。少なくとも俺はお前の飼い主達を皆殺しにした。そんな殺人鬼を前にして怖くねェのかよ」
少女が扉の奥を見ると、確かに先ほどまでの騒がしさは消え、人の気配も感じられなかった。
だが、少女は笑う。
目の前に立つ不審な男が短剣を向けているというのにも関わらず、面白いとばかりに笑っているのだ。
「何が可笑しいんだよ」
「はは。いや、お前はいいやつだなと思って」
「はぁ?」
「だって殺したっていうのは嘘だろ? 人間たちの鼓動が聞こえる。これは気を失っているだけだ」
少女の言葉に男は驚く。
なんせ、ここから倒れている盗賊達の部屋まで、何十メートルと距離があるのだ。そんな先の人間の鼓動など聞こえるはずがなかった。
そこで男は目の前で拘束されている少女を改めて見た。
銀色の長い髪が美しく、肌も雪のように白い。まともな食事が与えられていないのか痩せこけているが、だからこそ豊満な胸が目立つ。これだけならば美人だと思うだけだったが、気になったのは少女の耳。人間よりも明らかに発達したその耳はとても大きく、頭を超えて伸びていた。
「⋯⋯お前、獣人か」
「あぁ、自分は兎の獣人。それだけでも珍しかったのだろうが、なんせこの美貌だ。気が付いたら奴隷商人に捕まってこの様というわけだ」
何やら誇らしげに胸を張る少女。
彼女からは奴隷特有の〝死の匂い〟を感じなかった。
獣人とは、普通の人間とは違い獣の力を受け継ぐ種族だ。その特徴として人間よりも身体能力が高く、五感が大きく発達している。だからこそ、少女は遠くで倒れている人間の鼓動を聞き取ることができたのだ。
「まっ、これでわかっただろ? 自分の凄さが。と、いうわけでお前に相談がある」
「相談?」
「あぁ。お前、自分の新しいご主人になってはくれないか?」
奴隷の少女はニヤリと笑う。
「自分は奴隷だ。だが別にそれ自体に文句はない。捕まった自分が間抜けなだけだからな。でもどっかの間抜けがご主人なんてのは許せない。その点、お前は優しいし面白そうだ!」
「⋯⋯本気で言ってるのか?」
「当然だ! ほらほらどうだ? 自分のご主人になればこの体を好き放題にできるんだぞ?」
少女は何やら頬を赤らめて自身の体をアピールするが、それを見ただけで男は頭が痛くなる思いだった。
「ここまで我の強い奴隷がいるかよ普通⋯⋯」
「ふふん! 自分はそんじょそこらの奴らとは鍛え方が違うからな!!」
「そういう問題じゃないだろ。はぁ⋯⋯、でもその方が都合がいいか」
男はそう言って短剣を振るう。
すると、少女を拘束していた鎖が一瞬にして切断された。
「おぉ~、やるなお前! さすがは自分の見込んだ男だ!」
「⋯⋯ほんと元気だな、お前」
「元気と美しさと強さが取り柄なのだ!」
少女は立ち上がって力強く親指を立てる。
男は未だ彼女に対しての不安を拭えなかったが、もう諦めて受け止めることにした。
「⋯⋯で、本当に俺の奴隷になっていいのかよ。その首輪、お前を買った男から鍵を盗めば、外して自由になることもできるんだぞ?」
男が指さしたのは、少女の首に着けられた首輪。その首輪は少女の首にがっちりとハマっており、無理やり外すことはできないようだった。
それこそが奴隷の証。
隷属の首輪と呼ばれ、身に着けている者は例外なく全て奴隷だ。そして、首輪を着けている限り様々な制約によって自由を奪われてしまう。
唯一外す方法は、奴隷の所有権を持つ者が所持しているであろう鍵を使うしかない。そして、その鍵を持っているグーラは気絶しているため、今なら簡単に盗むことができるはずだった。
「お前だって奴隷からは解放されたいんだろ?」
「んー、別に問題ないぞ! 奴隷から解放されても行く当てもないしな。まっ、奴隷じゃなくても一緒に居させてくれるならそりゃ外したいが⋯⋯」
「いや、なら外すな。お前は俺の奴隷で、俺の所有物だ。だから今後俺の命令は絶対だし、例え壊れても俺は放っておく。お前は物なんだ。だから壊れても俺は何とも思わない。⋯⋯それでもいいんだな?」
自分に言い聞かせるように男は言った。
その言葉には様々な意図が込められており、少女にもそれは伝わっていた。
恐らく目の前の男は奴隷を必要としている。
奴隷以外は傍に置きたくはないのだ。
瞬時にそのことを理解した少女は元気よく親指を立てた。
「あぁ、もちろんだ! お前は自分を助けてくれたんだしな!」
「助けたってそんなつもりは⋯⋯いや、もうそれでいいか」
男は面倒くさそうに頭を掻いた後で、仮面を外して素顔を見せた。